第14話
「アキせんぱい、ですよね?」
朝、学校に向かうバスを降りると、知らない女子に声をかけられた。
栗色の髪を低めのポニーテールでまとめた、小柄な少女だ。小動物のような、かわいげのある雰囲気の人物。イサナとは違った存在感がある、何者か。
顔に見覚えはない。どこか、記憶に朧気ながらひっかかりがあるような気がする程度。
「……えっと……誰?」
「え、ほら、私ですよ! 私! 小学校の頃、よく一緒に遊んだじゃないですか! ……え、この人本当に覚えてない!?」
「……小学校って、小学校だよな」
考えられるとしたら、引っ越す前の方だろう。引っ越してから、そこまで遊んだ記憶もない。
一方で、引っ越し前の話となると、担任の顔さえ覚えていないのだ。
「幼馴染の顔を忘れるなんて、ひどいですよ。うちの神社にだって、よく来てたのに」
小学校、幼馴染、神社。複数キーワードで脳内検索。
結果、一件がヒット。
思い浮かんでから、いや、と口を押さえる。確かにその人物に覚えはあった。
ただ、昔と目の前では、似ても似つかないだけで。
「……もしかして、ともりか?」
「やっと思い出してくれましたね……それとも昔みたいに呼んだ方がよかったですか? お兄ちゃん」
かつての旧友は、悪戯っぽい笑顔と共に現れた。
小学生の頃、いつもと言って差し支えないくらい、一緒に遊んでいた相手がいた。それが、この少女、物部ともりだった。
中学に上がってからならいざ知らず、小学生の頃の年齢差なんておまけみたいなものだ。同じ公園にいる相手は遊び仲間。そんな子供の倫理で過ごすことができた時期、一つ年下なのも気にもせず、一緒に遊んでいたのが彼女だった。
年齢が上がるにつれて、小学生中学年以降の男女の分断が起きてからもそれは変わらない。それこそ、ホームセンターみたいな施設ができたり、みんなが家でゲームをしたりする中でも、二人して町中を駆け回っていた。
忘れようがないことのはずなのに、どうして忘れていたのだろう、と脳の仕組みを疑ってしまう。この前の石のことだってそうだ。こうなると、他の大事なことも忘れている気がしてならない。
流石に、バス停の側で話し続けるのも迷惑だから、場所を校舎内の図書室に移す。始業前の図書館には、人はまばらで、流動的だ。隅で話しているぶんには、迷惑にはならないだろう。
「……忘れて悪かったな」
「仕方ないですよ。アキせんぱい、けっこう大変そうでしたからね。寛大に見てあげます。事故でご両親が亡くなって、大変だったんですよね? えっと……合ってますか?」
「まあ、合ってるけど」
細かく言えば、俺も事故に巻き込まれ、入院している。情報が不確かな伝わり方をしているのは、当時のともりの両親が配慮した結果、なのだろうか。
忙しかったのも、間違っていない。入院、葬式、引っ越しと来て転入に中学進学。ぼんやりとした日々を送っている今より、格段に慌ただしい。
記憶の欠落も、事故によるものかもしれない。でも、それを知らないのかもしれないともりには、わざわざ言う必要もないだろう。
「それより! 久しぶりに会った友人に、何か一言ないんですか?」
「そうだな……見ないうちに大きくなったな」
「なんだかそれだとおじいちゃんみたいですよ」
「……見ないうちに、綺麗になったなぁ」
「おじいちゃんに寄せなくていいですから! でもありがとうございます!」
冗談めかして言ったけれど、綺麗になったと思うのは事実だ。容姿はだいぶ変わっている。ショートカットで海辺を駆け回っていたよりは、ずいぶんと女の子らしく。しかし明るい笑顔は据え置きだった。
久しぶりの邂逅なのに、旧友という気安さだけで案外言葉がすらすらと出てくる自分にも、驚きだった。あえて付け加えるのなら、ここしばらくイサナと一緒にいたからからだろう。アイツと一緒にいすぎたせいで、いつのまにか美的な感性が麻痺している可能性が高い。
「せんぱいが同じ学校と聞いて、いないかな~って探したりもしたんですけど、見つからなかったので諦めて待ち伏せしました! さあせんぱい! 連絡先、交換しましょうよ!」
「待ち伏せまでしなくてもいいだろ。教室来るとか」
「いや、わざわざ上級生の教室まで行くのは恥ずかしいですし」
「恥ずかしさの基準が分からねえ……」
促されるがままに連絡先を登録する。その間に、姉さんが俺の知り合いに会ったとか言っていたのは、こいつのことだったのかもしれない。ともりなら、たまに家に来ていたから、姉さんも見覚えがあっただろう。
「……にしてもご利益なんて、本当にあるんだな」
「? 何か言いましたか?」
「何でもない。久しぶりに会えてうれしいってだけだよ」
石に願掛けをした。そしたら、いつかの友人が姿を現した。記憶の失せ物を見つけた、なんて風にも解釈できる。まあ、単なる偶然だろうけど、そういってやるのも野暮というものだ。
ともりは、ふふんと鼻を鳴らす。
「素直なせんぱいに、巫女パワーで得た今日のラッキーアイテムを教えてあげましょう。せんぱいの、今日のラッキーアイテムは……海です!」
「アイテムじゃなくて場所じゃねえか……あと、そのせんぱいって呼び方は何だよ?」
「お兄ちゃん呼びは、この年になると恥ずかしいかと思いまして。それとも、そっちの方が良かったですか?」
確かに、想像すると照れが先だつ。気安さは変わらないけど、そんな年でもないわけで。
「……せんぱい呼びで頼む」
「了解です! お兄ちゃん!」
「この野郎」
学校のあと、海に向かったことに、深い意味はなかった。
ともりは昔から、変な事を言うやつだった。神社生まれによるものか、本人の気質かオカルト系の話を良くしてきていた。
イサナに話したえびすや死後の話なんかも、ともりの受け売りだ。再開したおかげで、記憶が連鎖して掘り起こされる。
中心だけが抜け落ちていた気分だ。からっぽのバケツに水が落ちていくように、焦燥が流れ込んでいた。
その場でじっとしていられない、石を探しに向かったときと同じように、衝動に駆り立てられる。忘れているなにかを探せと、見落としているものを見に行けと、これはそういうものだ。
海を見に行くためには、わざわざ遠出するほど距離はない。そして一目海を見れば、満足する程度の衝動だから、行動も早い。学校から家の近くの間でバスを下車して、それから大通りを逸れて脇道の向こう、その先の最寄りの海岸へ到着する。
海が近くにあるのは当たり前。だからことさら、こんな風に来ることはない。それなのに、同じ日の繰り返しから抜け出すことに慣れてしまった自分に、どこかおかしく感じる。
海は平日の午後、秋も目前で、少し肌寒い気配が近づいている。泳いでいる人がいるわけでもない。
「なにかいいことでも、あるもんかね」
海を見渡す。
遠くに見る分には、綺麗な海だった。空の青を反射して、見渡す限りの広い場所。
なにもないと思っていたそこに、なにかを見つけた。
打ち寄せる波に、おおきな白い塊がひとつ、倒れていた。
「……嘘だろ?」
以前見たクジラの死骸を思い出す。ただ、目をこらせば直ぐに同一のモノではないと認識できた。
人だ。
白い服を纏った人間だと、遅れて脳が認識する。
咄嗟に駆け寄った。何か考えがあったわけではない。反射的に、無意識のうちに進んでいた。
近づいた先で、大丈夫ですか、なんてふうに声をかけようとした。
なのに、出てきたのは別の言葉だ。
「……冗談じゃ、ないよな」
それは、知っている顔だった。目の前にあるものがそうだと信じられないまま、誰に言うわけでもなく繰り返してしまう。
「おい、イサナ……これ、冗談キツいぞ」
海辺に横たわるその顔は、水瀬イサナそのもの。けれども、水瀬のものより髪はずいぶんと長い。一日二日で、腰まで伸びることはないだろう。
今日は学校にだっていた。俺の方が、今日は教室を出ていたはず。先回りして来るはずもない。そもそも行き先なんて告げていないから、ドッキリなんて無理筋だ。
抱き上げて、間近で確認しようとする。脱力していて抵抗はなかった。肌は冷たく白いが、血色がある。呼吸をしている。生きている。
白いワンピースを着た、イサナと同じ顔をした生き物が腕の中にいる。
ありえない仮定が頭に浮かぶ。
俺たちが探していた人間なのではないかなんて、起きるはずのないことを。
そいつは俺の前で、うっすらと目を開けた。
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