短編集

縹 完

第1話 大きな夢

 目が覚めると、 空に白い璽が泳いでいた。 白花色の毛先が生温い風にそよいでいる。


「クライゼル!」


聞き慣れた声が上から響いた。


 細い路地の上方。 建物の屋上から、 彼奴は顔を覗かせていた。 路地の中でも大きなゴミ捨 て場。

 そこに粗大ごみとして出された固いマットレスには、赤い染みが付着している。 結構暴れたなと我ながら息をついた。


「降りて来いよ」


 寝起きの割に声を張り、既に屋上から体を浮かせていたザインに目を向ける。


 相変わらず、身軽に読ぶ。帽子から飲み出る小豆色の髪を揺らしながら、路地に張り出さ れた室外機や換気扇やらの出っ張りを足場にする器用な動きをさせて、八層のある建物を下 それには心底嫉妬するほど無駄のない動作で少し見惚れていた。


 地面に転がる人形は綺蔑に避けて着地すると、 小さな見た目とは打って違って、ひどく冷めた目をして口を開いた。


「今日はお偉いさんに支給品を買いに行くって言ったでしょう?何に切り傷つくってま で何暴れてるんだよ馬鹿イセル」


「え、この位良いだろ。上の奴らってそんなに神経質なの?それとも潔癖症か?」


「そういう事じゃなくて、支給品の量が減るかもしれないって話!」


口を尖らせそっぽを向かれる。ザインは、溜息を吐いて分かりやすくげんなりと肩を下げた。


「今日は西の雨が降るのか、珍しいな」


路地を抜け、人で溢れ返ったスラム街を通っていた。 ポケットの中を探りながら、鼻を働 かせた。


「明日も空爆の日だからじゃない?!」


 言い切ると同時に、切れた頬に殴るようにカットバンドを貼りつけられる。 殆ど殴っているが言及すれば機嫌は更に悪化するのは目に見えている


「ごめんて。 俺の分のキャラメルやるから」


幸い、彼女の機嫌はこれで少し直った様だ。


 だからと言って、それに安堵して平和ボケしてしまった自分を許せる訳がない。


「お偉いさんとやらも結構けちなんだな」


 木箱六つ。 中には、石みたいな子供の歯には到底噛み砕けない硬いパンと水分だけが入っている。それも十数人分だけ。


「今回は、クライゼルの言う通りかもしれない。 流石に少なすぎる。 全員分の子供の数も無い」


もう限界ってことか。


「早く街に帰ろうぜ、ザイン」


「でも、こんな量じゃ皆になんて言われるか」


「今日は溜め込んだ食料全部使おうぜ。最後の贅沢に、皆で腹いっぱい食おう。それに皆は分かってるさ」


 振り返らず走り出していた。 何故か目元がじんわりしてきたからだ。ザインは分かりやす く鼻をすすりながらついて来ていた。

 いつもなら追い越してくるほど足の速い彼女は、今日はずっと後ろに居るんだ。


「そんなにつらいことなのか?皆とたらふく飯が食えるんだぜ?泣くなよ」


 泣いてる。それから俺たちは街にたどり着くまで、一度も口を開かず、振り返らず、ただ ただ舌を噛んだ。


 街に着いてからは早かった。 大粒の涙が出てこないようにずっと笑いながら大声で吠えた。


 なんだなんだと皆小屋から出て来て、祭りみたく宴を開いた。

「最後の贅沢だ、あるだけの食料出して食おうぜ」


 大人たちは何も言わなった。 俺の真似してただ笑って酒を飲んで、 泣き浄土みたく涙を流 しながら大笑いした。


 子供達は何も知らない。ザイン中心に変な遊びをしては笑い、飛び跳ねているのだ。 ザイ ンは、そんな中でもずっと笑っていた。酒を飲んでも居ないのに泣きじゃくるように笑っていた。


 小屋の奥下に保管しておいた、酒や水、乾燥させたパンや木の実も底が尽きた。もう笑い 声しか聞こえない。 寝床である高い崖のてっぺん。 遊び疲れてた彼女は戻ってきた。


「俺は寝る、ザインも早く寝ろよ」


 笑って寝っ転がった。酒も飲んだのに眠気は一向に襲ってはくれなかった。 もう陽は落ち 始めている。

  嗚呼、 死にたくない。 遊び足りないし、食い足りないし、 笑い足りない。 もっと皆で笑っていられることは出来ないだろうか。 でも、もう長生きをしても苦でしかなくなった。


「今日が空爆の日だったら良いのに」


 そうだ。 それだったら、明日を苦しまず笑った記憶が、、、。

 溢れそうだった涙が引っこんだ。 大きく目を見開いて、昼前振りにザインを見た。泣いている。 悔しそうに唇を噛み締めながら。


 初めて彼女の泣き顔を見た。 俺は早とちりしてしまったかもしれない。 明日だったら誰も苦しまわずに、解放されたかもしれない。


「でも、明日の朝方にはきちゃうんだもんね、大きな夢でも見ていたかが幸せだよね。」


 もう泣いていることを自覚していない。 やつれた目元には触れず、近くにあった大きなコ ートをかけてやった。


 そのあとは、大きな土豪の音で目が覚めた。 寝床の根元がやられたせいで付近の小屋は燃え 朽ちていた。 赤黒い火傷をつくる炎から肌白いザインを守るようにして飛び出す。ガラクタで成り立って居た小屋たちはもう火の海の藻屑と化しているだろう。

  早く火の無いところに 行って、酸素を、、、。


『今日が空爆の日だったら良いのに。』


 今の状態でまともに動けるのは俺だけ。ザインを助けたところで二人しか残れないんじゃないか?

 彼女を助けたら、また笑ってくれるだろうか。 それとも失望させるだろうか。


 戸惑った。答えが欲しかった。 でも、瓦礫が崩れその中に埋もれた俺はザインを手放してしまった。 羽織らせたコートに火が移り、自分よりも皮膚が燃えるのが早くなってしまっている。


 赤子の頃に興味本位で触った時の炎の感触が、手の平に残る。 燃えた様にただ熱い左腕が 持ち上がらない。 肉が焼ける匂いが鼻を曲がらせに来る。 瓦礫に埋もれかけたが、 自分の足 はまだ無事な方だ。

 防空壕に逃げきれなかった奴等の肉片が彼方此方に散らばっている。ザインは苦しそうに 長春色の瞳を細めている。

 紅い彼岸花が咲き誇るように、 炎は舞い続けている。 そんな中、悠長に歩く子供が現れた。 大丈夫なのか?手には何も持っておらず、清楚な汚れ一つない白のワンピースで、瓦礫をモ ノとも見ぬ顔で歩み寄ってきた。


 痛みを感じなくなった肺が限界に達したようだ。 足音をさせずに彼女の前で止まった子供 は、造り物の硝子玉らしい人の目らしからぬ目をさせて言った。

「火の中でよく耐えたね、キミ達。

あーキレイなおめめが汚れちゃうよ?」


 子供が彼女を持ち上げた。 重さを感じさせない様な、綿毛を摘む様に軽々しく。 ザインは弱々しく何か呟いた後、眠ったかのように静かになった。


 名前を呼ぼうとしたが、喉の奥で何かが詰まっている。 息を吐く音しか出せなくなってようだ。 瓦礫が揺れて少し崩 れるとにかかった。 鉄骨が順に当り、 微々な音をさせた。肉の臭いがする。 生理的に汗 が垂れるが火に油のようで、視界がとしてきた最中、火花の音は増す。

 考えることを脳 が拒み始めた。もう熱いとは感じられない。頭の中は既に白い灰で埋まってしまっている。


「キミはこの子を救ったね。」


 ちがう。


「でも、他は見捨てたね。」


 ちがう。 俺は、何もしてない。

出来なかったんだから。


「キミは、ヒーローだ。でもキミは、償わなきゃ。」


俺は大きな夢をみて泣いた。

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