鶴ヶ丘さんを笑わせたい
ふぉぐ
1本目 鶴ヶ丘凪帆は笑わない
マイクにめがけて飛び出していくこの瞬間が、最高に気持ちいい。
「はいどうもー。浅香と富木でコンサンプションです。よろしくお願いしますー。」
「よろしくお願いしますー」
「突然やけどね、僕、ずっと熱血教師に憧れがあってね。不良たちを更生させる教師ってのをやってみたいねん」
「お前みたいなひょろひょろに熱血教師ができるかいな」
「できるっちゅうねん。ほんなら、俺が教師になってヤンキーを更生させるとこみせるから、お前ヤンキーやってくれや」
「おう、わかった」
富木が座り込み、たばこをふかすマイムをする。
「おい、富木。こんなとこで何してんねや」
「何って見たらわかるやろ。iQOS吸うてんねん」
「おい、ヤンキーが電子たばこ吸うなよ」
少しの笑いが起きる。
「今どきのヤンキーは健康に気を遣うねん」
「そうなんか。でも、iQOS吸ってるヤンキーはなんか怒りにくいから、紙たばこにしてくれ」
「おう、了解」
もう一度、富木がしゃがみ込む。
「おい、富木。こんなとこで何してんねや」
「見たらわかるやろ。たばこ吸うてんねん」
「未成年がたばこ吸うたらあかんやろ。それにお前、野球やってたんちゃうんか。たばこなんか吸うたら、体力なくなるぞ」
「野球はやめた」
「なんでや」
「ママにやめろって言われたから」
「なんでマザコンやねん。ヤンキーがマザコンであるなよ」
笑いは起こらない。
「ヤンキーが家族大事にしてもええやろ」
「ヤンキーなんか思春期真っ只中やねんから、親には反抗的やねん」
「そんなもんか」
「ちゃんとしてくれよ。俺は更生させたいねんから」
「わかったわかった」
「お前、なんで野球やめたんや」
「坊主にすんの嫌やったから……」
やや笑い声が聞こえる。
「理由だっさいのお。そこは普通に怪我とかでええねん」
「普通でええんか」
「しっかりしてくれよ」
「おう」
「お前、なんで野球やめたんや」
「右ひじ怪我してもうて、もう治ったけど、また腕振られへんようなるのが怖いねん。もう一回同じとこ怪我したら、もう二度と投げられへんのちゃうかって。ていうか、お前には関係ないやろ」
「そうか。でもお前、本当はまだ諦めたくないんちゃうんか。また、マウンドに立ちたいと思ってるんちゃうんか」
「……ほんまは、三塁コーチとして甲子園に行きたい」
「なんで三塁コーチやねん。野球やめた不良は大体めちゃくちゃ上手いもんや」
笑い声はない。
「三塁コーチだって立派なチームメイトやぞ。三塁コーチ馬鹿にすんなよ」
「なんやねん、お前のその三塁コーチへのこだわり。そんなんええから、真っすぐ不良役してくれ」
「おう」
「お前、ほんまはまた、野球やりたいんちゃうんか」
「うっさい。もう、野球なんかええねん。ほっといてくれ」
「手のひら見してみろ」
俺が富木の手のひらを見る。
「おまえ、このたこは何や。隠れて素振りしてるんとちゃうんか」
「これはあれや。箸の持ち方汚くてできたたこや」
「どんな持ち方してんねん。あと、一日何食食うたら箸でたこなんかできんねん」
「38食。起きるの遅かったら37食」
「その数で朝食は一回なんかい。いや、食事の回数はどうでもええねん。素振りしてるんちゃうかって聞いてんねん」
「……してるよ。してるけど、まだ、勇気がでえへんねん」
「ちょっとキャッチボールしよか」
「ん?別にええけど……」
富木が立ち上がる。
そして、黒板を挟む形で俺と富木が向き合う。
「しっかりとれよ」
俺がボールを投げるマイムをする。
俺の投げたボールに富木が大きく後づさりする。
「バギャブバババアアン」
「ボールとる時の擬音ちゃうやろ。俺どんだけ剛速球投げてんねん。190キロでてんか」
「先生、俺のボール受け取ってくださいよ」
富木が両手を胸の前で構える。そして、クラスメイトの方をめがけてボールを投げるマイムをする。
「キャッチボールで牽制すな。もうええわ」
「「どうもありがとうございました」」
俺と富木の漫才を見終え、クラスメイトはまばらに拍手をする。
正直、爆笑を取ったとは言えないが、今までと比べれば、まだウケはいい方だ。
しかし、いくらクラスメイトにウケようが意味がない。
たった一人、客席の真ん中に位置取る少女を笑わせなければ。
「鶴ヶ丘さん、どうでしたか?」
富木の問いかけに対し、鶴ヶ丘凪帆は、きりっとした美しい目をさらに細くして、表情筋をぴくりともさせずに口を開く。
「全く笑えなかった。まず、つかみがない。一ボケもせずに状況説明に入ってコントインしていたけど、その導入が雑すぎて、そのあとのコントが入ってこなかった。初めのボケが遅すぎて、その時点でもう飽きてしまった。コントへの入り方もベタだし、設定も目新しくない。すべてが既存のものの流用で、誰かの模倣。良く言って、プロの漫才師の猿真似ってところかしら。あと、富木君。あなた、ボケた後にいちいちこちらをチラチラ見てくるけど、その癖やめた方が良いわよ。客席のウケを伺いながら漫才しているの、気づいたこっちは冷めてしまうから」
鶴ヶ丘さんはいつも忌憚のない意見をぶつけてくれる。
他のクラスメイトは、友達が漫才をやっているという外側の面白さだけで笑ってくれるが、鶴ヶ丘さんにそんなまやかしは通用しない。
彼女の審美眼は絶対的なもので、他と比べることで揺らぐようなやわなものじゃない。
滑稽さとか見た目とか、そんな上っ面のお笑いには決して靡かず、もっと奥の奥を見るような、お笑いというものの本質を見通すような目を持っている。
だからこそ、彼女は俺たちの漫才なんかでは笑わない。
お笑いというものを尊敬しているからこそ、俺たちのような程度の低い漫才では笑ってくれない。
ていうか、そもそも彼女が笑っているのを見たことがない。
彼女は、決して笑わず、また、その美貌から学校中の視線を集める、まさに女王といって差し支えのない存在だ。
彼女を笑わせようと、学校中の腕自慢たちがこの教室のドアを叩くが、彼らは一様に、己の面白いと信じていたお笑いに微動だにしない鶴ヶ丘さんを前にプライドを折られ、以後、大きな声で騒げなくなっていく。
一見すると、お笑いを語る嫌な少女のように思われるかもしれない。それでも彼女がこの学校の憧れの的として君臨し続ける理由は、その本質を突いた批評からである。
それた批評はせず、真っすぐに、平等に、俺たちのお笑いを秤にかける。そういう、お笑いに対する真摯な彼女の態度が、俺と富木のようなお笑いに侵された人間を熱くさせる。
鶴ヶ丘さんを笑わせる。それが俺たちの青春のゴールだ。
「じゃあ、今日の鶴の会は終わりまーす」
毎週水曜日、放課後に開催される鶴ヶ丘さんを笑わせる会、通称『鶴の会』は、この学校に在籍する生徒ならだれでもエントリー可能で、運営に申し出ることで出演することができる。観覧も自由で、毎回、たくさんの生徒が出入りする人気イベントだ。
この催しの一番の目的は鶴ヶ丘さんを笑わせることだが、このイベントの人気が高くなるにつれて、出演者間の競争も激しくなり、今ではそれを煽るために観覧客による人気投票制度まで導入されている。
この制度では、毎回、全組出演後に一番面白いと思った組を観覧客に投票してもらい、票数の多かった上位2組が次回も出演できるというシステムになっている。毎回5組が出演するから、毎回3組は入れ替わることになる。
とはいうものの、だいたい14組くらいが入れ替わり立ち代わりに出演して、たまに新しい出演者が出て、華々しく散っていくということが繰り返されている。
演目のジャンルは何でもよく、漫才、コント、一人芸など、色々なことをする奴らがいる。でもまあ、8割くらいは漫才だ。
ちなみに、鶴の会はこのために作られた「お笑い部」という組織によって運営されている。公平を期すために、お笑い部の人間が出演することは禁止されている。俺にはお笑い部の人間が、何が楽しくてそんな部活に入っているのか分からない。
今日の出演組が全員出番を終え、人気投票に移っていく。
投票用紙は毎回30枚と決められていて、教室内に用意された30席に座っている生徒に配布される。立ち見の客も多いが、彼らに投票権はない。
終礼後、一目散にこの教室へ走って席を取った鶴の会ヘッズたちが、頭を悩ませながら用紙を記入し、お笑い部員によって開票作業が行われる。
そして、部長の津久野謙太が舞台の真ん中へ出てきて、結果を告げる。
「今回の順位を発表します」
教室が静まり返る。
「5位はプラスチックパンプキン」
隣にいる男たちが肩を落としている。
「4位は七分音符」
大きい男が大きい声を上げている。
「3位は江川と榎」
顔をうつむけて、ひどく落胆する奴らがいる。
それをよそ目に、2位以上が確定したことに、富木が大きくガッツポーズをしている。
俺たちとは客席を挟んで向かい側にいるコンビが、富木を嘲るように鼻で笑っている。まさか自分たちが1位だとでも言いたいのだろうか。自分たちの漫才を客観視できない奴らだ。
「第2位は……」
津久野が自分の口でドラムロールをする。もったいぶるように、肺に空気がなくなるまで唇を震わせたことでむせた。それに軽く笑いが起き、緊張がゆるむ。
「第2位は、瀬戸内海です」
向かいの奴らが一瞬驚いたようなそぶりを見せ、それから、「こいつらお笑いわかってないわ」と言わんばかりの不満を顔に露見している。
「そして、第1位は、今回で7週連続です。コンサンプション!」
教室から拍手が沸き起こり、富木はそれに両手を振り返している。
歓声に酔いしれている富木をよそに、俺は全く逆の感情を抱いていた。
今日も鶴ヶ丘さんを笑わせられなかった。
俺たちのお笑いはまだ続いていく。
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