第5話 ユークリッドの爆弾発言

「待たせたな、子供たちよ」


 そう言って現れた男。直系たちは皆一斉に席を立つ。それに遅れてロゼも優雅に立ち上がった。


「上辺だけの挨拶は好かん。座れ」


 男が指先で指示を出すと、直系たちは同時に腰掛ける。ロゼもゆっくりと椅子に座った。

 きっちりとセットされたラピスラズリ色の髪に、ブラッドレッドの瞳を持つ美丈夫。目元と頬の皺が歳を感じさせるが、それでも男が持つ美しさと威厳いげんすたれるどころか、以前にも増して磨きがかかっている。黒と赤を基調とした衣装に、黒色の毛皮があしらわれたマントを羽織はおっている。

 彼の名は、リディオ・ハルヴァン・リーネ・ドルトディチェ。御歳50歳のドルトディチェ大公であり、曲者くせもの揃いの兄弟たちの実父。そして、ロゼの義父。一回目の人生にて、大公家をその手で滅ぼした狂人だ。

 ロゼはそんな狂人、ドルトディチェ大公を遠目に眺める。

 彼女は、ドルトディチェ大公を嫌ってはいるが、恨んではいない。あくまでも、愛に狂ったおろかな人間であるのだから。そんな狂人を止めるために、そして必要とあらば殺すために、ロゼにできることはふたつ。ひとつは、母が殺されないようにすること。もうひとつは、一回目の人生のロゼが言う「この方」という人間を探し出し、彼と協力関係になることだ。

 ロゼはドルトディチェ大公から目を逸らす。ドルトディチェ大公は長い足をテーブルの上に置き、一通の手紙を投げた。


「皇帝が今度、皇城で建国記念祭の舞踏会を開催するらしい。全員出席をしろとのお達しだ」


 クルクルと飛来する手紙は、テーブルに着地し、ロゼの前で静止する。ロゼはそれを手に取る。黄金の封筒は触っただけで上質と判断できた。既にレターオープナーで開かれた跡があるため、そこから招待状らしき厚紙を取り出した。正真正銘、皇族、それもルテイレータ皇帝からの舞踏会の招待状。皇帝から直々に招待状が届くとは、他貴族からすれば驚愕案件だろう。しかし、ドルトディチェ大公は皇帝からの招待状を指先で弾いて投げたのだが。


「ロゼ、お前もだ」


 声をかけられたロゼは、招待状から目線を上げ、ドルトディチェ大公を見つめる。相変わらず何を考えているか分からない曇りなき瞳は、ドルトディチェ大公の心臓を震わせた。ロゼは返事の代わりに軽く頭を下げた。

 ドルトディチェ大公家の直系の血筋ではない、なんなら一族の血を微小も引いていないロゼが、公の場、それも建国記念祭の舞踏会という大きな舞台に姿を現すのは、これが初めてになるだろう。


「建国記念祭の舞踏会、ということは、第六皇女殿下もご出席なさるのでしょうか?」

「あぁ、恐らくな」

「そう、なのですね」


 オーフェンは眼鏡の中心を押し上げながら、平常心を装う。その頬は微妙に赤く染まっていた。

 ルティレータ帝国の第六皇女は、帝国一の美姫として知られている。その姿を一目見たいがために、遠方の国からわざわざやって来る貴族や王族、皇族も少なくないのだとか。そんな彼女の婚約者の席は、未だに空席。その座に座るために、多くの男性方が尽力していることだろう。どうやら、嫡男オーフェンもそのひとりであるようだ。


「その第六皇女だが、ユークリッド。彼女がお前を舞踏会のパートナーにご所望だ」


 ドルトディチェ大公の最も傍に座っていたユークリッドは、緩徐かんじょに目を開ける。光の灯らないブラッドレッドの眼は、僅かな憤怒ふんどを宿した。

 第六皇女はパートナーに異母弟のユークリッドを選んだと聞いて、オーフェンのはらわたが煮えくり返る。ユークリッドを睥睨へいげいするが、彼はオーフェンの視線にも気づきやしない。否、気づいているが、無視をしているのだ。それがまた、オーフェンは気に入らなかった。

 ユークリッドは全身に突き刺さる血色の視線を簡単に跳ね除け、ドルトディチェ大公を見る。


「父上、俺のパートナーは既に決まっています」


 清涼な声色。山の頂きに降り注いだ雨のけがれなき透明さを表す美しい声は、堂々と間に響く。

 ドルトディチェ大公は、ユークリッドの答えを受けて、「ほう……?」と興味深そうに呟く。彼だけではない。ユーラルア、オーフェンをはじめ、直系たちは皆、ユークリッドの言葉に震駭しんがいしていた。たったひとり、ロゼを除くが。しかし次にユークリッドの唇から紡がれた一言で、ロゼは他人事の顔をしていられなくなった。



「ロゼ姉上です」



 ユークリッドの爆弾発言は、見事に大爆発を遂げ、間に衝撃を走らせた。ドルトディチェ大公は面白いと言わんばかりに高らかに笑う。


「そう言って断っておこう」


 ドルトディチェ大公は不敵な笑顔を浮かべてそう言う。ユークリッドは小さな会釈えしゃくをしたのであった。

 ドルトディチェ大公は、驚きに満ちた間を収集することもせず、騎士たちと側近の秘書を引き連れて、その場をあとにしてしまった。

 天井から吊るされた大きな時計。赤く輝く鳥を抱きしめた美しい巨大な女神が中心に描かれている。時を刻む音が閑散かんさんとした間に不気味に反響する。そんな音を断ち切るかのように立ち上がったのは、リアナであった。


「レアナ。さっさと帰るわよ」

「ま、待ってよ、リアナっ」


 レアナは、リアナの背を追いかける。そんなふたりに続いて、双子の実兄であるジルも小さな舌打ちをかましながら去っていく。それを皮切りに、マウヌ、ヴァルト、オーフェン、ユーラルアも異質な空気が立ち込める間を立ち去った。

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