第3話 赤の裏切者②
「太陽を見るとくしゃみが出ちゃうんだ。じいちゃんもそう。調べたけど、原因はわかってないんだ」
太陽の下で見るレイフマンの肌は、その病的な白さのために、陽光をすべて反射して光っているように見えた。瞳孔の異様に開いた目も、太陽の光の眩しさに耐えられないようで、当初はほとんど瞑るように伏せていたが、やがて諦めたようにローブのフードを目深に被った。
その頃には、会談場の脇にある宿泊広場に四か国の代表団のテントが揃っていることに気づけるくらいには冷静になっていたが、何故か彼の手を振り払うことは、アンナにはできなかった。
よりにもよって、黒の国の代表団は、広場の一番奥にテントを構えており、アンナはほとんど晒上げのように各国の代表団のテントの前を通過していった。
白の国のテントの前を通るとき、妙に苦々しい顔のヘイワンがこちらを睨んでいるのに気づいた。白の国の民の青灰色の肌に合わせて、青地に太陽を模った金箔を貼った、荘厳なデザインのテントに、彼のいじけた佇まいは似合っていなかった。
赤の国のテントは、ろくな生地の素材を得られないために、ウシや、ウマや、ヒツジやヤギなど大型動物の皮を繋ぎ合わせ、それでも足りない隙間をウサギやネズミなど、小動物の皮で補ったみすぼらしいものだった。男も女も上を脱ぎ、黄色く日焼けした肌に赤土で刺青した幾何学模様を見せつけるようにしている同族たちの一団の前を通るとき、アンナはそこはかとない優越感を感じていた。
緑の国の、大型動物の骨や歯で荒々しく飾ったテントは、黒や赤の国のテントとは離れて設置されていた。なんとなく、エルフのテントは妖精の羽でも生えていそうだと思っていたアンナは、その見る者を威嚇するような雰囲気に肩透かしを食らった気分になった。
「緑の国の人が気になる?」
レイフマンは、緑の国のテントに意識をやっているアンナに目聡く気づいて、進路をそちら側に変更した。
「挨拶に行こう。何も取って食われはしないよ」
最初、緑の国のテントの周りには人影が見えず、アンナは空振りになるだろうと考えていた。が、レイフマンが進路を変えて数秒ほど歩いたころ、テントの中に籠っていたらしい一団がわらわらと外に出、こちらに向けて歩き始めたのだ。
―――エルフだ。アンナはどきっとした。赤と黒の国は、緑の国と絶賛戦争中なのだ。アンナは彼らの目に触れないうちに道を逸れようとしたが、レイフマンはお構いなく彼女の手を引き、あろうことかずけずけと声をかけてしまった。―――ああ、本当に、これだから他人に遠慮しないヤツは!
「こんにちは初めまして、僕はレイフマン。黒の国の代表、マスター・シュスギスの付添人です。みな様は緑の国の代表団とお見受けしましたが?」
エルフたちも不意を打たれたのか、各々顔を見合わせた。その表情に友好的な色は微塵もなく、アンナはこれから起こるだろうトラブルを予想した。……なんとかして、巻き込まれない方法を考えなければ。
「……マルゥクだ。如何なる用件がおありで?“付添人”殿」
エルフのうちで、最も年若く見える者がずいと前に出た。彼らのうちでも、一番レイフマンに不快感を露にしていた女の子だ。長寿のエルフは、見た目と年齢が吊り合っていないことが多いけど、彼女は少し見た限りではアンナとそう変わらない。
若いエルフの険悪な態度を意にも介さず、レイフマンはへらへら笑った。
「用?ご挨拶は用にならないって言うなら他には何も。……マルゥクっていうのは、僕らの竜に由来する名前だ。きっときみの先祖には黒の縁者がいるね」
その言葉は、彼女の神経をひどく逆撫でしたようだった。
「クソでも食ってろ」
若いエルフは、レイフマンに向かって、親指で首をなぞる仕草をした。それってたぶんくたばれってことなんだろうけど、緑の国の人はそれで気が済むのかとアンナは思った。
赤の国の戦士たちは死を恐れない。戦って死ねば名誉なことだと言われるし、エルフが捕虜にした赤の戦士の死体を送りつけて来ても、それが凌辱されていればいるほど、その戦士が熾烈に戦った証拠になると考えている。
だから、赤の部族はそれぞれ独特な虐待の方法を受け継いでいた。生きて帰った敵の戦士が、できるだけ惨めに余生を過ごせるようにするために。大体の部族は、目を縫ったり、くり抜いたり、刺したりして潰す。次に多いのは、手足や指を切ったり折ったりすること。歯を全部抜くのも、食いしばることができなくなるし、栄養のあるものを食べにくくなるから意外と効果的なのだ。イエローウッド族なんかは、薬漬けにして、まともな頭でなくしてしまう。勇敢な戦士がわけのわからないことをいう狂人か、物言わぬ廃人になって帰って来た時、普通の神経をしていれば、家族や仲間たちは恥辱と怒りに打ち震えるだろう。
特にエルフは戦士であることを誇るから、赤の国の所業には強烈な恨みを抱いていることが多い。
が、目の前のエルフは、寧ろ黒の国のほうを恨んでいるようだから、東の方の出身なのかもしれないとアンナは思った。自分に飛び火しなければ、穏便にここから逃げ出せるかも―――レイフマンはそれでもへらへらと笑って、「それは僕にはだいぶハードルが低い」と煽った。ひやひやした感情が、レイフマンに対する怒りに変わり、アンナは彼の見た目のはかなさに騙された自分を悔いた。
「そう怒らないでもらえませんか。僕は事実と思われることを言っただけだ。恨むならきみのご先祖さまを恨むといい。子孫と祖国が殺し合わなければならなくした、考え無しの故人たちをね」
エルフの部族は、何千年も同じ土地に住み続けるものだ。鎖された結婚が繰り返され、黒の国の子孫が彼らの先祖にひとりでもいれば、どこかで彼ら全員に、その血統が混じった可能性がある。
それに、同じ部族でなくとも、祖先のことは一際慮るのが彼らの葬礼文化だ。胡人を貶めるようなことを言ってはならないと、アンナはドクターから言われていた。
案の定、エルフたちは不快感を完全な怒りに引き上げた。
「父も母も、祖父母もその母も、貴様らの侵略で殺された!この身に貴様らの汚い血など混じっているものか」
敵意をむき出しにしたエルフの女の子は、形相を凄まじいものにして、腰に吊った剣の柄に手をかけた。エルフが金属の武器を使うのは珍しい―――スパイの習慣で、つい頭の中のメモに彼女の項目を書きつけながら、アンナも腰のナイフの鞘に触れた。
レイフマンを助けるつもりはないが、自分が危なくなった時、抵抗もせずにエルフの戦士から逃げられるかわからない。アンナは純粋な赤の戦士ではないのだから。不意打ちでもして、どこか適当なところに深手を与え、追われないようにしなければ、自分の足ではすぐに掴まってしまうだろう。
―――空気の緊迫が最高潮を迎え、エルフの子の剣の刃が、鞘から銀色の閃きを覗かせたその瞬間、おっとりした声音が張りつめた雰囲気を取り崩した。
「黒の国に竜がいるのですか?」
輿に乗った、白装束のエルフ―――たぶん彼らが巫女と呼ぶ者―――が、御簾を掻き上げて顔を出していた。若草色の澄んだ肌、サファイヤのように輝く青い目、高く盛り上がっているが、稜線の滑らかな鼻梁、薄桃色の形のいい唇―――見た目は普通の人間の二十代半ばくらいで、どこか超然としたものを感じさせる女性だ。赤の国の人々の五倍は生きるエルフの年齢に換算すれば、百歳くらいは超えているかもしれない。一方で間延びした喋り方や、少し口を開いてレイフマンを見つめる表情は、好奇心を抑えきれない子供のような無垢さだった。
「これは巫女さま。恩に着ます」
エルフたちは、自分たちの巫女が、状況的に黒の国の少年を庇うような行動をとったことにうろたえた。長い木の杖をついた老婆が、甲高い声で「マルゥク!そのガキを殺してしまえ!」と叫んだが、そのマルゥクこそ最も彼女に毒気を抜かれた様子だった。
アンナも巫女の放つ不思議な雰囲気―――或いは魅力と言っていいかもしれない―――に一瞬意識を奪われかけたが、レイフマンは先ほどまでと変わらず、動じない態度で彼女に応じた。殺される寸前だったというのに、どこまで飄々としているんだろう、コイツは。アンナはレイフマンのにやついた顔にいらいらして、しかし彼にも何か人の注意を引きつけるものがあることに気づいていた。―――少年の場合、魅了されるというよりも、そういう魅力に対して
マルゥクも、巫女に向けた驚きを、すぐさまレイフマンへの怒りに引き戻されたようだったが、一先ず烈火のような昂りは治まっていた。
「きみらが瘴気と呼び、僕らが“汚濁”と名付けたもの―――あれこそが、黒の王“屍蝕”のハイドラさ。まあ、その成れの果てとも言えるけど」
人をいらいらさせる、もったいつけた口調で彼はそう言った。瘴気、“汚濁”。情報として聞くだけのそれは、土地を汚し、呪いに堕とすという、黒の国が使う『何か』だ。百年前、赤の“暴君”が他の四国に挑んだとき、黒の魔術師にそれを打ち込まれ、以来王城に籠って再起不能に陥っていると聞く。
その正体不明の兵器が実は黒の竜王で、さらにその成れの果てとは―――?
「ハイドラとマルゥクに、どんな関係あるのですか?」
「祝詞があってね、【マルゥ、マルゥ、大いなる這蟲―――】っていう。黒の竜を操る呪文みたいなものだけど、僕らのような許可された魔術師しか覚えられない。し、緑の国の地名や古典にもそういう響きの単語は見られない。黒由来と考えてまず間違いないね」
レイフマンはすらすらとそう言ったが、どことなくばつが悪そうだった。
「でも、子孫はさすがに言いすぎかな。エルフにはちょっとむしゃくしゃしてたから」
彼には珍しい―――浅い付き合いだが、しかし飄々とした態度を見慣れ過ぎて、そう感じる―――殊勝さを見せ、レイフマンはフードを被った頭の後ろに手をやった。
エルフの巫女は、尚もなにか聞きたそうにしていたが、不意に視線をアンナたちの背後に移し、恭しく首を垂れた。アンナが振り返ると、ちょうどレイフマンとよく似た、空間からぬるりと溶け出るような方法で、ひどく腰の曲がった、弱々しい老人が現れるところだった。
「わしのことかの?」
「やあじいちゃん……おっと先生。まあね、うん」
老人は、いたずらっぽくレイフマンを見やりながらほっほと笑った。緑色の肌に青い目―――エルフの特徴だが、それでもレイヴの“じいちゃん”?同じ疑問を、エルフたちも抱いたようで、マルゥクが探るような声音で「“じいちゃん”だと?」と問うた。
「おお、いかにも。黒の国の魔術師、ノスグラートの侯爵、シュスギスと申す。わしの弟子がご迷惑をおかけしましたでしょう―――どうかここはわしに免じて許しては貰えませんかのう」
老人は飄々とした口調で言い、アンナはまさしくレイフマンの喋り方だと思った。年の功か、彼の話し方はレイフマンのような人を食った感じを抱かせず、寧ろ聞くものの警戒心を緩ませるような、心地よい響きがあったが。
「いえ、アイノク。こちらにも場に相応しくない態度がありました。お久しぶりですね」
緑の巫女がかしこまって答え、老人も「大きくなられましたなぁ、巫女よ」とにっこり笑った。
二人は長年の友人のように抱き合い、暫く積年のとりとめもない話を交わしあった。
それが済むと、次いで、老人はマルゥクと、その腰の剣に目を止めた。
「おお、これは【死葬り】か。きみのような若い子が拾うとはの。使い勝手はどうかね?」
マルゥクは、少し慌てた様子でこれはあなたのものかとしどろもどろに答えた。まるで宝物を見つかった子供のように、無意識にその柄を掴んで自身の体に引き寄せていた。見た目通り、この子もまだ子供なのかもしれないとアンナは思った。
「いや、そうじゃな、その剣をあの戦場に置いたのはわしじゃよ。拾った時、そいつはきらきら光ってなかったかの?持ち主を自ら選ぶのじゃ。正真正銘、その剣はお前さんのものじゃよ……ふむ、お前、多少質素になったかの」
老人は、剣を見やると、まるで友人に問うように言った。剣はもちろん何も答えなかったが、老人は「そうか、それならよいよい」と楽しそうに笑った。
「さて、レイヴ。テントで友人が待っておるぞい。みな様、よければ、わしらのテントにどうですかの。細腕を振るってもてなしますぞ」
老人は、まだずっとレイフマンと手をつないだままだったアンナにさり気ないウインクをした。
「ニカーラ、お邪魔しましょう。この会場では、マスターの側が一番安全ですし、信用できます。他の者は、帰って結構ですよ」
緑の巫女が嬉しそうに言い、ニカーラはまだ少し敵意を滲ませつつ従った。「結構ですよ」は、エルフたちにとって絶対の指示だったようで、老人の歩みに従い、ゆるりゆるりと歩くアンナたちの背中を、彼らは頬を張られたような、捨てられた子供のような目でいつまでも見送っていた。
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