ヒモだけど人類滅ぼす

林堂ヨウ

プロローグ

「クルナ、死後の世界はあると思いますか」


 先生は珈琲に角砂糖を放り込みながら僕に尋ねた。陽の差さない喫茶店の隅が、僕と先生の教室だった。


「さあ……死んだら無になるんじゃないですか?」


 僕はストローでコーラを啜りながら返事をする。先生の問いは哲学的で難解だから、あまり真面目に考えないようにしていた。


「私はあるべきだと思います」


 とうに飽和した角砂糖が、黒い液面で氷山のように立つ。これ以上砂糖が溶けることはないのに、先生はぐるぐるとスプーンを動かしている。


「べき?」


 変な言い方だと思った。天国とか地獄とか、そういうものがあると主張する人は多くいるけれど、死後の世界は存在するべきだ、という意見はあまり耳にしたことがなかったから。


「だって、不公平じゃないですか?」


 どろどろの珈琲を啜りながら先生が呟く。


「何不自由ない生活を約束されて生まれてくる子もいれば、君のように生き地獄に生み落とされる子もいる。それなのに、死んだ後の結末はみんな同じだなんて、そんなの救われないでしょう」


 先生は僕と喋っているときはいつも珈琲を見ている。僕に興味がないわけではなくて、人の目を見るのが苦手なのだと言っていた。僕も先生の瞳を直視するのが苦手だった。先生の瞳はアメジストと同じ色をしていて、なんというか僕と同じ人間であるという感覚がしなかった。


「私が神様だったら、バランスをとりますけどね」


「何のバランスですか?」


 コップの底からずずっ、という音がした。視線を落とすとカラメル色の清涼飲料水がなくなっていて、口にこそ出さなかったけれど落胆した。僕がコーラを飲めるのは週に二日、先生と会うときだけだった。


「力のバランスです」


 先生の言葉は要領を得ない。僕の思考力を育てるため、といつもわざと曖昧な表現をするのだ。僕も先生に馬鹿だと思われたくないから、必死にそれらしい返答を考える。


「……権力とか?」


 僕の答えに、先生は小さな笑みを浮かべて首を振る。


「いいえ、もっと単純な力です」


 握り拳を顔の横に掲げて、先生はしたり顔で続けた。


「戦闘力、ですよ」


「……ボケてますか?」


 こめかみを抑える僕に、先生は「マジです」と落ち着いた声で返す。


「死後の世界があったら、そこはきっと、君みたいな報われなかった子たちが強くいられる場所ですよ。バランスがとれていないとおかしいですから」


 先生は僕を励ましているのだと思った。僕が人生に絶望しているから、少しでも死に希望が持てるように元気づけてくれているのだと。


「じゃあ僕も死後の世界では無双できるかもしれないですね」


 僕は先生の厚意を無碍にできるほど愚かじゃなかったから、先生の言葉に乗っかってわざと明るい口調で言った。


「そうですよ、私が神様なら君は特別扱いしてあげます」


 言いながら、先生は空になった僕のコップに飲みかけの珈琲を注いだ。これも何かの隠喩なのだろうか、としばし考えて、けれど答えが見つからないので思考を諦めた。


「……これは?」


 先生は悪戯っぽく笑って僕の目を見た。吸い込まれそうな紫の瞳が、冷たく、そして柔らかく僕の視線を惹きつける。先生は美しかった。およそ人間とは思えないくらいに。


「甘すぎて飲めないので、飲んでください」


「……わかりました」


 僕は苦笑いをこぼして、砂糖まみれの珈琲を口に含んだ。


 僕が自殺する、三ヶ月前のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る