第三章 大黒審判

01.

「……いらっしゃいませー。いらっしゃいませー」


「銀子、誰も来ていやしないよ」


「分かってるわよ」


 書き入れどきの土曜であるというのに、今日も龍神庵では閑古鳥が鳴いている。

 店の前を通り過ぎる観光客たちは皆店の前で立ち止まるし、記念撮影をする人までいるというのに、誰も店の中に入ろうとしない。

 帳簿に肘をついたあたしの横では、畳に寝っ転がった白金兄さまがタブレット型PCをいじっている。


「どうやら江ノ島の口コミサイトで話題になっているようだね。龍神庵に薬を買いに行ったら生意気な子どもに塩を投げつけられたと」


 目玉の奥で怒りが爆発した。


「あのハゲちゃびんのくそたわけ! 陰でこそこそ人さまの悪口たあ情けねえ! 文句があんなら面と向かって言いやがれってんだ! 覚えてろ! この次店に顔出したときがてめえの毛根の命日だ!」


「彼は二度と来ないだろう」


「……そうね」


「ふむ。他にもいろいろと口コミがあるね。『店員のきれいなお姉さんが立ったまま寝ていた。声をかけてもまったく目覚めなかった』、『店員のきれいなお兄さんに声をかけたら、いまゲームで忙しいからと二時間待たされた』、『店員がスマホを投げてきた』、『近寄ると危険です。店の中には入らず、離れたところからながめるようにしましょう』。ははは、龍神庵はある意味大人気だよ」


「笑いごとじゃないわよ! 動物園扱いされてるじゃない!」


 兄さまも姉さまもこれだから困る。


 このような惨状でも龍神庵が何とかやっていけているのは、島のおみやげ屋さんにうちの薬を置いてもらっているからである。

 霊薬の島・江ノ島の名物である龍神庵の薬ともなれば、島に来た観光客はこぞって買いあさっていく。


 そうして島のおみやげ屋さんに薬を卸すことで、売り上げはしかと立っている。

 利益も出ている。

 それでもやはりお客さまにはお店に来てほしいものだ。

 正直なところ、いつも千客万来な弁天楼が羨ましくって仕方がない。

 お店が賑わっている方がやり甲斐が出るのはもちろんであるし、直接うちで買ったいただいた方が利益も大きいのだ。

 こればかりは、薬を卸しているおみやげ屋さんとの関係もあるので大声でいえたことではないが。


 うちはおみやげ屋さんでの売り上げがなくてはやっていけない。

 薬で世に知られた龍神庵や弁天楼がなくては島に人が来ないでおみやげ屋さんがたちいかない。

 江ノ島の商いはかくして廻り廻っている。

 大事なのはお互いさまの意識であり、信頼関係なのである。


 あと、うちがつぶれないもの大事。

 本当に大事。


「……兄さま、ちょっと表で呼び込みして」


「見て分からないかい? わたしはいま忙しいんだよ」


「暇そうだから言ってんのよ! 寝っ転がってるだけじゃない! ほら、店の前で色目使ってお客さまつかまえてきてよ!」


 あたしが表を指ささした当にそのとき、店の前の往来をびゅびゅんと風が吹き抜けた。

 遠くでぽん、ぽぽんと弾けるような音がする。

 運動会の朝などにあげる音物花火だ。


 すわ何事かと表に出てみれば、辺りの人々は皆揃って本土の方角の空を見上げている。

 ぽん、ぽぽんという音がすると、空に赤い煙が小さく棚引いた。


「お出ましのようだ」

 兄さまがあたしの肩に手をおいて言った。

 それまでとは打って変わって真剣な口調であった。


「お出ましって……まさか!」


「銀子、弁天楼へお行き」

 兄さまは、それだけ言うと、そそくさと店の奥に引っこんでしまった。


 いいのだろうか。

 あたしは今三ヶ月間お出かけ禁止の刑に服しているのだが。


 またもぽぽん、ぽぽんと音物花火があがった。

 この音を聞くと、お祭りの前のようなそわそわした気分が下っ腹のほうから湧きあがってくる。


 それに、あたしの考えが間違いでなければ、今日は一等特別な日である。

 兄さまご自身が行けと言いなさるなら、これはもう行くしかないではないか。

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