第52話 夏の予定2

 夕子を知ったのは中学になってからだ。そう目立たない子だがいつも授業時間にギリギリで来るかたまに遅れて来るかだ。それでいてあっけらかんとした処が気になった。遅刻するときはいつも夫婦喧嘩の真っ最中で、そのとばっちりを受けて駆け込むように朝食を済ませて俄然走り出して来るんだ。酷いときはお母さんの自転車を勝手に失敬するから遂に買ってもらった。その夕子がバイトでモデルをやってるのを知ったのは彩香が写真に興味があったからだ。その縁でずっと続いているから無下には出来ない。

 夕子はこの前にお父さんに撮ってもらった写真が雑誌で受けて急に張り切りだしたのだ。今ではお父さんより本人が熱心に取り組んで、お陰でお父さんの休日が潰れて少なからず我が家も影響を受けている。それだけに此処でもう一押しすれば道が開けそうだった。

「このお店はどうするんですか」

「どうするって?」

「だって一緒に旅行に行けばその間お店は閉めてお客さんは大丈夫なんですか」

「まあ、気苦労の多い子ねぇ、家の人が亡くなってから顧客も少しずつ減ってきているのよまあそれはあたしがあの人が亡くなったショックもあって地味にこのお店をやっていたせいかもしれないけれど」

「それで気力と根性をなくした気晴らしに旅行されるんですか」

 夕子は又々言いにくいことを言うから、彩香は根はないがこういう子なんだと分かっているから良いが、このお姉さんはどうだろう。

「さっき見せてもらった雑誌からは夕子ちゃんは想像がつかない人柄なのねそれだけにお父さんは凄く頑張って良く撮っているのね」

「お父さんはそうでもない、そう謂う雰囲気に持って行けるまで粘り強く待つからそこが今までの雑誌のカメラマンと違うと聞いたからやっぱ時間に追われているのかなあ。でも最近はそう謂う雰囲気にするのが凄く早い、やっぱタイミングの取り方が上手いのは結婚式の写真と同じ感覚なんだ」

 洋装と違ってなんせ打ち掛けの写真は着物の形を綺麗にするからそう簡単にポーズが決められないが五分も掛けられない。それから表情の良い写真を撮るからお嫁さんを見詰める眼がシャッターを押す指と連動しているみたいに撮る。

「うわぁーそれって視点入力じゃん」

 でも写真室のカメラにはそんな装置は付いてない。

「夕子は撮られるのに慣れてくればお父さんの写真の撮り方が判ってくるよ」

「そうなのもう十五年ぐらい撮影してるもんね」

「でもそこえいくと雑誌のカメラマンは彩香のお父さんぐらいの歳だけれどほとんど連写に頼り切っている所謂いわゆる数打ちゃ当たるって感じ」

 じゃあこの夏の撮影旅行は凄く楽しみだわね、と沙織は春樹にかなりの期待をしている。それで彩香は信濃追分の何処かに良い所がないのか聞いて見た。

「どうしてそこなの ? それって信州のどの辺なの ? 」

「立原道造が秋の盛岡へ行く途中で最後の夏を恋人と過ごした場所だそうです」

「それ、誰?」

 彩香の説明に夕子が素っ頓狂に声を出した。

「詩人」

「それだけ」

「ウン、信州の話をしたらお父さんが行ってみたと言っていたから聞いてみるとそれしか言わなかったの」

「春樹、いや、山尾さんがねえ」

 沙織は少し考え込むように黙ると、夕子の飲み物が空なのに気づき、入れ直すと起ち上がった。

「何でカルピスなんですかこれだといちいち濃さを調整するのが面倒でしょう」

 と彩香が訊ねた。

「そこが良いのよそれにあたしは此の甘酸っぱい乳酸飲料が好みなの」

 と沙織はお代わりを入れに行った。

「ねえこのカルピスかなり濃いそれが結構利いて来る」

「何処に」

「頭に」

「どんな風に」

「頭がなんかスカッとしてくるのよね彩香はどうなの」

「あたしはそんなに考えてないから」

「じゃあなに考えてた」

 沙織さんって言う人と父とどんな風な繋がりがあったのか。お母さんは全くこれっぽっちも言わなかった。そうなるとお父さんも当然にそんな話はなかったかのように振る舞ってるから、此処へ来て益々不可解になってしまって、それどころじゃあなかった。

「そうか彩香にすればそっちの方が気になったかそれは成り行きでしゃあないわなあー」

 沙織の好意に不安を寄せる彩香に夕子は意外とアッサリとしていた。

「家の両親を見ていると人の心の奥底なんて解りっこないよそりゃあ彩香の両親みたいに上辺だけ繕っていればなんでという疑問も湧いて当然だけど所詮は人間もいざとなれば考えないで動くもんさ」

 とことん事情が詰まってにっちもさっちも行かなくなりゃあ本能で動くと夕子は云った。

「そんなもんかなあー」

うちの親を見ていたらそんなもんだと思わされた。だって親にすればそんなもん考える間があったら明日の生活を考えろって云うタイプなんだもん」

 フーンと余韻が漂う中で沙織が「今度は薄めにしてあげたわよ」と トレーに三つ入れ替えた乳酸飲料をテーブルに置いて沙織は座り直した。

 そこで先ずはそのお父さんの心の中に深い印象を残している信濃追分駅に行ってみようと纏まりのない二人に沙織は提案した。

 これに彩香が立原道造を知ってるのと訊くと。沙織はアッサリと知らないけれど勉強すれば良いでしょうと、もっともな答えが返ってきた。なるほどと二人は互いに顔を見合わせたが、当てもなく行くのはどうかと夕子は思案した。

 夕子にすればそんなゆうちょな事は考えたくない。

「夕子ちゃんはモデルのアルバイトをやってるらしいけれどその歳でそれだけ人間関係で揉まれているのね」

 でも今回はあたしが面倒見るから焦らずにのんびりと行きましょう、と沙織は二人の肩の荷を先ずは下ろしてやった。



 

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