第9話 山尾家の朝
三月になるとそろそろ卒業シーズンになり、スタジオには着物に袴をはいた記念写真の予約が入り出した。今は予約だけでも矢張り仕事が忙しくなり始める。婚礼の最盛期は矢張りゴールデンウィークの連休中がかき入れ時だ。だが撮りなれて型の決まっている婚礼写真より卒業記念の方が遣り甲斐がある。成人式に比べると衣装は少し派手さは控え目になるが、そこは表情で初々しさを出せるようにするが、清楚さにも気を配ってシャッターチャンスを見極める。
若社長も卒業を控えて東京に下宿していたアパートの整理に追われている。これが幸いして、あれから社長はホテルには全く顔を出していない。だが大学を卒業すれば本格的に顔と口を出してくるのは目に見えていた。
山尾にすれば束の間の安らぎかも知れない。それを堪能するように、朝はのんびりと朝食を摂るようになった。娘の彩香も春休みを前にして、こちらものんびりと構えられてしまった。いつもと変わらないのは妻の響子だけだから機嫌が余りよくない。
妻は昼間はパートに出ている。そこは年中無休のスーパーだから、仕事に変化がなかった。それで夫と娘の生活環境の変化で季節を知る程度だった。だがこうのんびりされると夫や娘の生活環境の変化が気に入らない。それは朝食の準備にも現れている。
春休みになると二人同時に朝食を摂る事が多い。いつより賑やかな食事風景になる。まず彩香はいつもよりのんびりと構えられてしまうと尚更頭に来ると謂うもんだ。
「お父さんみたいにゆっくり食べてないでいつものように駆け込んで頂戴」
と言われてもお嬢さんぶってきた彩香には、到底承服しがたいらしく。
「そんなに急かされても無理、だってもう直ぐ春休みだもん」
とそんな気分にならないと言いたくなる娘に妻は益々苛立たせたが、彩香はこの前の雪の朝に話した友達の夫婦喧嘩をまた持ち出した。
「また遣り出したのか」
「ううんそうじゃないのお父さんに言われたまま話すとその友達はアッその友達は夕子って言うの古臭い名前だけど結構本人は夕焼け空みたいで気に入っているらしいの」
「そんな話よりその友達は俺の話にどう反応したんだ」
「アッ、それそれ、その夕子が言うにはそんな簡単な問題じゃあないって」
「じゃあどうなんだ」
「それが
「
と響子は二人の会話が気に入らないのか居直ってしまった。春樹は食卓がいつまで経っても片付かないのにイライラしているのが分かった。それで出来るだけ手早く食べ出すが娘はもう授業のない気安さから一向にはかどらない。
「家では余り喧嘩してないけれどそうなのお父さん」
「何を言ってるのよいつも言い合ってるわよ」
と響子は二人の会話に異を唱えるように突っ込んでくる。でもそれには嫌みは有っても悪意は感じられない。それは響子自身の持つ
「そうだけれど夕子の所は
「どう違うのだ夫婦喧嘩は犬も食わないように何かの食い違いだろう」
「そうね食べ物の好き嫌いもあるかも知れないわね」
響子はこれはおもしろいと焦点を曖昧にぼかしてくる。
これには二人ともウッと顔を顰めて睨んできたが響子は「何の事?」と素っ頓狂に誤魔化されてしまった。こうなるともう突っ込めなくなると謂うか、つまらないことに関わっていられないと矛を収めにかかる。それが響子の利点でありまた掴みにくいところだ。
「要するに気に入らないことがあって話が
「そうそれがただ事に見えないからあたしに相談されたってわけ」
なるほど、それでもずっと一緒に居るのは、この前も言ったように、二人の間にあるそれでも離れられないのが真実なのだろう。とは言ってみても事実と真実は噛み合わない。事実は第三者によって実証出来ても、真実は人それぞれの奥深く封印されていて、その根拠も育った環境によって異なってくるから厄介だ。
「それにしてもお前の友達も凄いおっかなそうな両親に育てられてるのか」
「だから夕子は中学生なのに一皮剥けたように一丁前に大人でも
「だから彩香もませて来るのか」
と言われて娘はもそれには意に介せず。
「でもこの前撮って貰った写真には品良く知性的でひとつもませた所が写っていなくて夕子が感心していた」
「なんだ、見せたのか」
「それであたしも撮って貰いたいって頼まれたけどどうだろうお父さん」
どんな子か知らないがまあ娘が助手を引き受ければ良いだろうと出勤した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます