第9話 山尾家の朝

 三月になるとそろそろ卒業シーズンになり、スタジオには着物に袴をはいた記念写真の予約が入り出した。今は予約だけでも矢張り仕事が忙しくなり始める。婚礼の最盛期は矢張りゴールデンウィークの連休中がかき入れ時だ。だが撮りなれて型の決まっている婚礼写真より卒業記念の方が遣り甲斐がある。成人式に比べると衣装は少し派手さは控え目になるが、そこは表情で初々しさを出せるようにするが、清楚さにも気を配ってシャッターチャンスを見極める。

 若社長も卒業を控えて東京に下宿していたアパートの整理に追われている。これが幸いして、あれから社長はホテルには全く顔を出していない。だが大学を卒業すれば本格的に顔と口を出してくるのは目に見えていた。

 山尾にすれば束の間の安らぎかも知れない。それを堪能するように、朝はのんびりと朝食を摂るようになった。娘の彩香も春休みを前にして、こちらものんびりと構えられてしまった。いつもと変わらないのは妻の響子だけだから機嫌が余りよくない。

 妻は昼間はパートに出ている。そこは年中無休のスーパーだから、仕事に変化がなかった。それで夫と娘の生活環境の変化で季節を知る程度だった。だがこうのんびりされると夫や娘の生活環境の変化が気に入らない。それは朝食の準備にも現れている。

 春休みになると二人同時に朝食を摂る事が多い。いつより賑やかな食事風景になる。まず彩香はいつもよりのんびりと構えられてしまうと尚更頭に来ると謂うもんだ。

「お父さんみたいにゆっくり食べてないでいつものように駆け込んで頂戴」

 と言われてもお嬢さんぶってきた彩香には、到底承服しがたいらしく。如何どうしても声を荒らげてしまう。そんな時は彩香も父が味方になってくれて頼もしい。今年で十四歳と言ってもませて見えて来るから構いたくもなってくる。この前に春樹が撮った雪の朝の彩香はもう娘とは思えない。これもモデルをやっている友達の影響かも知れない。これが制服でなくもっと爽やかな服なら、どっかの雑誌の表紙を飾ってもおかしくなかった。

「そんなに急かされても無理、だってもう直ぐ春休みだもん」

 とそんな気分にならないと言いたくなる娘に妻は益々苛立たせたが、彩香はこの前の雪の朝に話した友達の夫婦喧嘩をまた持ち出した。

「また遣り出したのか」

「ううんそうじゃないのお父さんに言われたまま話すとその友達はアッその友達は夕子って言うの古臭い名前だけど結構本人は夕焼け空みたいで気に入っているらしいの」

「そんな話よりその友達は俺の話にどう反応したんだ」

「アッ、それそれ、その夕子が言うにはそんな簡単な問題じゃあないって」

「じゃあどうなんだ」

「それがそばで聴いて居ても噛み合わないって言うのよね、丁度お父さんとお母さんみたいに」

うちを出さなくても夫婦げんかって程度の差こそあるけど何処にでもあるでしょう」

 と響子は二人の会話が気に入らないのか居直ってしまった。春樹は食卓がいつまで経っても片付かないのにイライラしているのが分かった。それで出来るだけ手早く食べ出すが娘はもう授業のない気安さから一向にはかどらない。

「家では余り喧嘩してないけれどそうなのお父さん」

「何を言ってるのよいつも言い合ってるわよ」

 と響子は二人の会話に異を唱えるように突っ込んでくる。でもそれには嫌みは有っても悪意は感じられない。それは響子自身の持つ何処どこか脳天気な処に助けられていたからだ。それは云っている言葉はきついが、耳元には穏やかに届き、表情も一緒に添えられるから、悪意は自然と濾過されて頭の中に入って来る。これが響子との夫婦喧嘩を悪化させない原因だった。彩香は最初は不思議そうに見ていたが、最近はその秘訣を盗み出そうとしているようだ。

「そうだけれど夕子の所はうちとは違うのよ」

「どう違うのだ夫婦喧嘩は犬も食わないように何かの食い違いだろう」

「そうね食べ物の好き嫌いもあるかも知れないわね」

 響子はこれはおもしろいと焦点を曖昧にぼかしてくる。

 これには二人ともウッと顔を顰めて睨んできたが響子は「何の事?」と素っ頓狂に誤魔化されてしまった。こうなるともう突っ込めなくなると謂うか、つまらないことに関わっていられないと矛を収めにかかる。それが響子の利点でありまた掴みにくいところだ。

「要するに気に入らないことがあって話がもつれると確か結婚前に付き合っていた相手を持ち出して恫喝してくるそうだなあ」

「そうそれがただ事に見えないからあたしに相談されたってわけ」

 なるほど、それでもずっと一緒に居るのは、この前も言ったように、二人の間にあるそれでも離れられないのが真実なのだろう。とは言ってみても事実と真実は噛み合わない。事実は第三者によって実証出来ても、真実は人それぞれの奥深く封印されていて、その根拠も育った環境によって異なってくるから厄介だ。

「それにしてもお前の友達も凄いおっかなそうな両親に育てられてるのか」

「だから夕子は中学生なのに一皮剥けたように一丁前に大人でも躊躇ためらう問題に突っ込んで来るから聴いていて面白い」

「だから彩香もませて来るのか」

 と言われて娘はもそれには意に介せず。 

「でもこの前撮って貰った写真には品良く知性的でひとつもませた所が写っていなくて夕子が感心していた」

「なんだ、見せたのか」

「それであたしも撮って貰いたいって頼まれたけどどうだろうお父さん」

 どんな子か知らないがまあ娘が助手を引き受ければ良いだろうと出勤した。



 

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