第35話 幸せな夜
未玖視点
この温泉のウリは、貸し切りにできる露天風呂。
だよね?
そう書いてあったよね!?
箱根の山々を見ながら、自然に囲まれた貸し切り露天風呂ですって書いてあった!
私は、今、おにぃと露天風呂にすっぽり浸かっているわけなんだけど……
「あぁ、ほんと良い温泉ねぇ」
「うん。家族で入れて良かったよ。ご飯も美味しかったし。な、未玖?」
全員が「
がびーん となったまま、私はお湯の中で凍ってしまう。
考えてたのと違う……
そりゃさ、ご飯も美味しいし、景色も良いし、初めての露天風呂で風に吹かれるのは心地良いと思う。
でも、違う!
私は、ブクブクと口までお湯に浸かりながら、心で悲鳴を上げてしまう。
♡洗いっこ♡ は?
♡ダメぇ、こっち見ないで♡ は?
♡ふふふ、おにぃったら、妹にはんのーしちゃってるね♡ は?
あぁ、どうしたらいいの!
いっそ、お母さんの目なんて気にしないで、この「湯浴み着」とか言う、へんな浴衣みたいなヤツを脱いじゃおうか? それで、そのまま立ち上がれば!
ちょうど目の高さが「乙女の秘密」になるし。
そうやって、おにぃの意識を奪うのよ! そうすれば、モヤモヤした中学生男子だもん。きっと何か起きるよ。
口元まで浸かった私は、ワニになった気分でおにぃを見つめる。
私の作戦も知らずに、おにぃがお母さんとノンビリ喋ってる。
これはチャンスよ。今なら気付かれない。ここで、こっそり脱いじゃえば。
私は、お湯の中でゆっくりとヒモを引っ張った。
あれ? 結び目が固いよ? こんなに硬く縛ったっけ?
焦る私の目の前でお母さんが「ふぅ~」っとノンビリした声を出す。
「もうすぐ受験なのに、急に誘っちゃってごめんね」
「ううん。ちょうど良い気分転換になったから。母さん、ありがとう!」
「ホントに、お兄ちゃんは、優しいんだから」
「あ、母さん、オレ先に上がって良いかな?」
え? ヤバい、間に合わない。なんか指に力が入らないよ。どうしよう。
「あ、そうね。どうぞ、先に上がって。お母さん達は後から上がるわ」
「OK。じゃあ、未玖、先に上がってるぞ」
あれ? 上がる? 待ってぇ、わたひぃが、脱いで、それはらぁ、こっそりぃおろんに入っれ、おにひぃって…… あれ? おふぅ、と、ん、ぁ、あれ……
「ん? 未玖、みく? みくぅ? ヤバい、母さん、未玖がのぼせてる!」
未玖、未玖、未玖!
母親と兄に担ぎ出された妹は、なぜか「ニヘラ」とゲスな笑顔を浮かべていたとかいなかったとか。
・・・・・・・・・・・
毎度おなじみ、みずほの部屋
すっかり二人と馴染んだつばさが、いぇ~いと手を挙げつつ叫んだ。
「ミツキが楽しく家族と温泉に行っている間に!」
みずほとひなはその手にパチン、パチンと合わせて叫んだ。
「第3回、ひみつ会議!」
みずほが、いつになく真剣な顔で口火を切るとひなとつばさがシンクロした。
「「もちろん、本日の話題は!」」
三人の声が揃う。
「「「クリスマス!」」」
そう、本日の話題は「クリスマスイブ」に誘う権利を誰が持つかという超重大なことなのである。
「みんなには悪いけど、これって、絶対に譲れないよ」
ひなの言葉に二人は「私だって!」と大きく頷いた。
もちろん、みずほもつばさも譲る気など無い。
クリスマスイブのデートだ。ロマンチックだし、街は恋人同士だらけになる。
『『『そうなったら、絶対に思いが叶っちゃうよね!』』』
何がどうでも、譲るセンは考えられない。
しかし、いざ決めようとすると難しい。
み「どうやって決める?」
ひ「クジ?」
つ「ジャンケンとか?」
ひ「ダメ、私ジャンケン弱いもん」
つ「それに、ジャンケンで決めたなんて、後からわかったらみっちゃん、きっと悲しむと思うなぁ」
ひ「そうだよね、優しいから」
み「あら、優しいだけじゃなくて、思いやりもあると思うのですけど」
ひ・つ「「さんせー 頼りになるし!」」
話はズレがちだが、本人達は極めて真剣なのだ。
それぞれ、主張したいことは山ほどある。でも、共通の人を好きになった「仲良しの女の子同士」だ。
その上、三人とも相手の気持ちを理解できる、思いやりのある人間同士なのが困りもの。
しかも、前回の話し合いで「早い者勝ちはミツキを困らせるだけ」という結論が出ているから、何かを主張するのも難しい。だからと言って、公平で、なおかつミツキを困らせないやり方を探すのは余計に難しかった。
しかも、ライバルであると同時に、仲間でもある。
好きな人のことを安心してノロケられ、自慢できる仲間だから、ついつい、結論を急ぐよりも、甘やかなガールズトークが展開されがちだ。
結局、
ひみつ会議は、夜遅くまで、デートに着ていく服の話へと話題が続くのだ。
幸せな夜であった。
・・・・・・・・・・・
箱根の温泉宿にて
『あぁあん、おにぃ、このまま、朝まで一緒だよ。ああ、おにぃの息がかかってるぅ。なんだか頬に当たるだけで気持ち良いよぉ、今夜はこのまま寝かさないからね。一晩中でも良いの♡ あぁ、優しくしてください。ううん、乱暴でも良いよ。ほら、くぱぁって。見てぇ、おにぃ。あぁ、恥ずかしい』
明かりを落とした部屋で、光樹は妹のベッドの横に座ったまま、その手にあるウチワをゆっくりと動かしていた。
クリスマスの予定が決定されてしまったことも知らない本人は、風呂でのぼせた妹の面倒を見ていたのだ。
突然、未玖が、タコのように口をすぼめたかと思うと、ニヘラと笑った。
「夢を見てるのかな?」
ちょっとだけ『なんか、ろくでもない夢な気がするのはなぜなんだろ?』と思ったが、それは胸の内。
「楽しい夢だと良いんだけど。でも、この分じゃ、この子は、きっと朝まで目を覚まさないわねぇ」
母親は「せっかく、楽しみにしていたのにね」としみじみ。
「未玖も昼間は楽しんでたから、きっと満足してるよ! 明日もいろいろと食べ歩こうよ! 定番の温泉卵も食べたいし」
「そうねぇ、この子は残念だったのだろうけど……」
母親は複雑な想いを込めた目で、残念な娘を見つめ、兄はとても優しい目をして妹に、ゆっくりとウチワを動かし続けたのである。
「うへぇ~ おにぃ くぱ……」
どんな夢を見ているのだろうか。
幸せな夜であった…… はず。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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