第39話 勉強会ですよ、彼女さん

「三月、テスト対策しようよ」


「え? テスト?」


 放課後、俺達の席に来た七瀬は突然そんな事を口にした。


 テストまで残り二週間という時期。確かに、テスト対策を始めるのにはちょうどいいかもしれない。


「俺は良いけど。ちなみに、七瀬さんって成績良い人だったりする?」


「私は普通かな。三月は?」


「俺も普通くらいだと思うけど」


 確か、俺は入学時の偏差値もこの高校と同じくらいだったし、周りとあまり変わらない気がする。返答を聞く限り、七瀬も同じ感じなのだろう。


 今回が高校に入ってからの初めてのテストということもあり、多少は不安がある。


 だから、誰かとテストの対策をするというのは精神的にも助かる部分があったりするわけで。


「茜先生に教われば、成績ぐんと上げてもらえるよ。ねえ、先生」


「先生はやめてってば。まったく、愛実はテストの度に調子いいんだから」


 七瀬は少し冷やかすように水瀬に話を振っていた。それを軽くあしらう所までが1セットなのだろう。水瀬も呆れたような笑みを浮かべていた。


「ん? ていうことは、水瀬さんに教わるのか?」


「そのつもり。茜はこの高校首席で入ってるからね、頭の良さは保証するよ。それに、教えるのも上手いんだよ」


「え、そうだったのか。水瀬さんが……」


「む。なにか失礼なこと考えられてる気がするな」


 水瀬はぶすっとした表情で、こちらにジトっとした視線を向けていた。


 確かに、学校での水瀬を知る人からしたら、水瀬の頭が良いのは以外でも何でもないかもしれない。むしろ、頭が悪いという方が意外だ。


 それでも、俺が知っている水瀬は服を足場がなくなる程散らかし、殺傷能力のあるような包丁の使い方をするような女の子だ。


 アホっ子属性まであるこの子が、勉強得意なんですなんて言えば、驚きもするだろう。


 水瀬はそんな俺の視線をどう捉えたのか、少しばかり勝気な笑みをこちらに向けてきた。


「今日は、私が教えてあげるね」


 そんなふうに七瀬に気づかれても大丈夫なワードを使って、バレないドキドキを楽しむような表情で水瀬はそんなことを口にした。



「茜―、ここ分からないー」


「ここはこの言葉の意味から考えて、この文章に注目するの」


「水瀬さん、ここ教えてもらってもいい?」


「ここは、この公式がここで使えるから、その前段階としてこの式を展開するの」


 こうして、俺達は水瀬の家で勉強会をすることになった。少しエアコンの効いた部屋で、ローテーブルを囲んで勉強をしていた。


 俺と七瀬が対面に座り、水瀬が二人の勉強を見れるようにローテーブルの残った一辺に座った。


「なるほど。本当に水瀬さんは分かりやすいな」


「本当? えへへっ、そう言われると嬉しいな」


 水瀬はそう言うと、ぱあっとしたような笑みを浮かべるほど喜んでいた。そんな褒められるが珍しいみたいな反応をされ、俺は最近の水瀬とのやり取りを思い出していた。


 そういえば、あんまり水瀬のこと褒めたことなかったのかな?


 なんか、外見は良く褒めるけど、他のことを褒めたことがなかった気もする。


「私が褒めるよりも嬉しそうな顔するんだね、茜先生は」


「だって、ただ煽てられてるって気しかしないんだもん、愛実学生は」


 水瀬は七瀬の反論を軽くいなすようにかわしていた。その頬が微かに赤くなっているということは、七瀬に褒められても嬉しいということなのだろう。


「そういえば、鈴木は勉強しないで平気なの?」


「まぁ、平気ではないだろうな」


 時光の奴は授業中は居眠り、休み時間に起床して、授業中にまた寝て、部活を夜までするような生活を送っている。


 当然、そんな授業の出席の仕方でテストの点数が取れるはずがない。

 

「勉強会誘わなくて平気だったのかな?」


「声はかけたんだ。本人は来ていたがっていたんだが、先輩に連行されていった」


 本人は『死んでも行くぜ!』と言っていたのだが、その背後にいた先輩に『鈴木、集合』と言われて連行されてしまった。


 時光の去り際に見せた涙。俺はそれを忘れない。


 時光、おまえの分まで俺がしっかり勉強してくるよ。時光に何か聞かれたときに、すぐに答えることができるように。


「なんか、少し可哀そうだね」


「ああ。良く続けるよ、本当に」


 俺達の声は呆れながらも、少しだけ羨ましいような声色をしていたのかもしれない。学生生活をスポーツに注ぐ。そんな青春に少しだけ憧れがあったりもするものなのだ。


 そんなふうに時光の話題を話す中で、俺達はどこか集中の糸が切れてしまったようだった。そんな俺と七瀬の様子を察した水瀬は、小さく柏手のような音を出した。


「うん、少し休憩にしようか」


「賛成。ちょっと、トイレ借りるねー」


 水瀬の休憩の合図で、俺達は完全に机から意識を外した。七瀬は立ち上がって、リビングを後にしたようだった。


 俺もずっと机に向かっていたので、少し疲れているみたいだった。気を抜いたように両手を後ろに置き、のけ反るように背中を逸らした。


「三月君」


 そんな気を抜いた瞬間に、水瀬は声を殺したような声で話しかけてきた。内緒話をするようなトーンで、耳のすぐ近くでそんな声で話しかけられて、耳の奥の方がぞくっとして驚いてしまう。


「ふぉわ! な、なんだい、水瀬さん」


「え、そんなに驚く? 愛実が外にいるから小さい声でお話ししようとしただけなんだけど」


 水瀬は悪気はなかったようで、目をぱちくりとして俺の反応に驚いていた。俺がこんな反応をするとは思わなかったのだろう。


 そして、水瀬に話しかけられた耳を抑える俺の姿を見て、水瀬は何かを察したような顔をした。そしてすぐに、俺をからかうように口元緩めた。


「ふーん。三月君って、耳弱いんだ」


「よ、弱くはないさ」


「じゃあ。耳から手を離してみてよ」


 売り言葉に買い言葉。ここで耳を隠していては、しばらくこのネタでいじられるかもしれない。そう考えた俺は、耳を抑えていた手を離すことにした。


 そして、俺の耳から手が離れるなり、水瀬はこちらに体を近づけてきた。


 少しだけ体を逸らすが、水瀬はそんな俺の態度などお構いなしといった様子で耳元まで顔を近づけてくる。


 そして、水瀬は小声で言葉を続けた。


「三月君、今日は私が色々教えてあげるね」


 無意識なのかもしれないが、男子と二人きりの状況でのこのワードセンス。


 心臓は跳ねあがり、体温が一気に熱くなってきた。そんな俺の変化に気づいたのか。水瀬はくすりと笑うような声を漏らした。


 その笑うような声も相まって、俺は水瀬にいけないことを手取り足取り教えられるんじゃないかと体を固くしたように緊張してしまった。


 無意識と言え、水瀬のワー悪い。如何わしい想像をするなという方が無理というもの。

 

 学校で一番可愛い子にこんな事を言われ、思春期が黙っているわけがないのだ。


「本当に耳弱いんだ。ふふっ、三月君可愛い」


 俺を笑う水瀬の声は、俺をからかうようで挑発するかのようなものだった。水瀬優位のこの状況。なんとか誤魔化そうとするが、上手く言葉が出てこない。


「べ、別にそんなことはないしぃ。誰だって、耳元で話されれば俺みたいな反応になるっての」


「そんなことはないよ。私は平気だもん」


 水瀬は自分にもやってみろと言うかのように、髪をかき上げて耳を見せた。


 耳をかき上げる仕草と、露になった綺麗な形をした耳。目を瞑る様子は、まるで別の何かを待っているかのように思えてきてしまう。


 そんな様子に魅入ってしまったせいだろうか。口の中の水分がなくなり、俺の上唇はいつも以上に下唇にくっついていた。


 ずっと、このまま水瀬の耳を見つめているわけにもいかない。そう思って、俺は水瀬の耳の近くで何気なしに口を開いた。


 その瞬間、少し大きめのリップ音のような音がしてしまった。唇を長く閉じ続けたことで、ややその音は大きく、それを水瀬の耳元でしてしまったのだ。


 当然、水瀬がその音を聞き逃すことはない。


「~~っ! み、三月、君?」

 

 水瀬は突然耳元でそんな音を出されて、困惑したようだった。


 羞恥の感情と困惑と焦りと、色んな感情に当てられて、目をぐるぐるさせながら、頬を熱く赤くしていた。


 なんであんな音が出たんだ?! ていうか、今どうやってあの音出した?!


 俺自身も困惑しているが、目をぐるぐるとさせている水瀬を放っておくことはできない。なんとかフォローをしなくては。


 それでも、ただ『間違えた』と言って訂正するのはこっちが負けた気がする。せっかくなら、からかわれた分くらいは取り返してやりたい。


 確か水瀬は『三月君って、耳弱いんだ』と言ってきた。それよりも、少しだけ優位に立っているような言葉が良いだろう。


 俺は水瀬の言葉を借りながら、少しだけ水瀬をからかえるような言葉を選ぶため、脳内を駆け回って、適切な言葉を探した。


 よっし、これだ。


「水瀬さんは、そこも弱いんだな」


 ここで引いたら、余計にからかわれる。俺は謎の対抗心から、余裕そうな笑みと共に、そんな言葉を口にしていた。


 なんか『も』ってつけた方が優位な気がしたんだ。だって、『は』より『も』の方が余裕ありそうじゃないですか。


「~~~~っ!」


 そして、そんな俺の言葉を受けて、水瀬はポンと音を立てたように一気に顔を赤くした。


 耳の先どころか、見えないはずの水瀬の周りにある空気までも、その熱が伝わって赤くなっている気さえする。


 羞恥の感情のせいで動悸を激しくしたのか、水瀬は胸元に手を当てていた。しかし、抑えることのできなくなった羞恥の感情に呑まれたのだろうか、水瀬の瞳は恥じらうように濡れていった。


 あれ? なんか今の発言はなんかまずくないか?


 うん、マズいよな。

 

 そりゃあ、『も』なんてつければ、他の弱点も知っているみたいな感じがするし、なんか普通の関係性以上の何かみたいな気もするし。


 水瀬は俺のそんな考えを感じ取ったのか、羞恥に満ちた瞳でその感情をこちらに叩きつけるようにして睨んできた。

 

 おそらく、俺の発言に深い意味がないことに気がついたのだろうなぁ。


「えっと……なんかすんません」


「……み、三月君が、急に私の弱点を集中的に虐めて、私の恥ずかしがる顔をじっと見て、私を辱めてくるって、み、みんなにーー」


「結果的にそうなっちゃってけど悪気はない訳で何よりもそれだと俺が急にエッチなことをするお猿さんみたいな感じが出てしまうので誰にも言わないでくださいお願いします何卒!」


 俺はクラスメイトから『耳フェチ』というあだ名をつけられないように、水瀬に頭を下げた。


 今回は俺が悪いのだろうか。いや、水瀬だって結構なこと言ってたよな? 色々教えてくれるとかなんとか言っていた。


 ……まぁ、そのワードをいやらしいと判断した思春期が悪いのか。いや、今回は俺も罪を被ることにしよう。共犯だな、思春期。


 俺は水瀬の声によってぞわっとした耳の感覚を忘れないようにしながら、深く深く水瀬に頭を下げたのだった。

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