第31話 料理担当、彼女さん

「さて、今夜私が頂くのは、『お好み焼き』です」


「え、茜! 急にどうしたの?」


「気にするな。それやらないとダメな病気なんだ、水瀬さんは」


 放課後。俺達は懇親会という名で、水瀬の家に集まっていた。今さらこの三人で改めては話す話題があるわけじゃないのだが、断る理由もない。


 せめて、参加できなかった時光の分まで楽しむことにしよう。


「そうは言っても、さすがに三人でキッチンにいるのは狭いな」


 水瀬の家のキッチンは決して狭くない。だが、三人並んで作業できるほど広いという訳でもないのだ。


 現に、三人並んではみたものの、狭くて料理をすることもままならない。そして、二人に挟まれた俺は水瀬からのボディソープのような甘い香りと、七瀬からの柑橘系のような香りに挟まれて軽いパニックを引き起こしていた。


「よっし、一旦換気扇を入れようか」


「え、リビングでホットプレートで焼くんじゃないの?」


「そうだった。そうだよなぁ」


 パニックの原因を取り除こうしたが、どうやら上手くはいかないらしい。そりゃあ、今のは不自然すぎるわな。


「よっし、それじゃあキッチンは俺と水瀬さんに任せて、七瀬さんはリビングでくつろいでいてくれよ」


「えー、私だけ何もしないのも悪いじゃん」


「安心してくれ、お好み焼きのタネを作るのはすぐだ。何もやらない人と大差ない」


「そうかもしれないけどさぁ……分かった。向こうでホットプレートの温度見とくね」


「ああ。むしろそうしてくれた方が助かる」


 七瀬は不満そうな表情のまま、キッチンを後にしてリビングに向かった。一人ハブられたと思ったのか、キッチンを出るときに向けられた微かにジトりとした視線が気になった。


 後で何かしらフォローを入れておいた方がいいのかもしれない。


 これで二人の香りに挟まれることはなくなったので、いつもの調子を取り戻すことができるはず。そう思っていたのだが、隣にいる水瀬の香りがいつもよりも近く感じた。


「水瀬さん? いつもよりも近くないですか?」


「そんなこと良いよ。気のせいなんじゃないかな」


 そう言いながら、まな板に向かい合う水瀬は微かに頬を赤らめていた。先程まで七瀬がいた分、どうしてもいつもよりも物理的な距離は近くなっていた。近くないわけがないのだが、それを意識しているのは俺だけということだろうか。


「ん? そうか、俺がいつもよりも水瀬さんの方に寄ってたのか」


 先程七瀬がいたから、いつもよりも距離を詰める必要があった。そして、そのスペースが空いたのだから、俺がその空いたスペースに移ればいいのだ。


 俺は少しだけ水瀬と距離を取って、いつもの距離感を確保する。少し甘い香りが遠のき、俺のうるさかった心音の音が正常を取り戻していくのを感じた。


「……愛実と乳繰り合ってるときは、もっと近かったくせに」


「ん? 何か言ったか?」


「別に何でもないですー」


 なぜ水瀬が少し不貞腐れているのかは分からないが、水瀬には今から始めて教える料理を七瀬に振る舞ってもらうことになる。いくら簡単な料理と言えど、俺も少しは緊張感を覚えていた。


「今日は小麦粉を使って、節約したお好み焼きを作ってもらう」


「小麦粉? お好み焼き粉とかのセットを使うんじゃなくて?」


 水瀬はきょとんと首を可愛く傾けた。俺もこのやり方を知ったときは、水瀬と同じ感想を抱いたものだ。


 お好み焼きに詳しくない我ら関東人は、お好み焼きを作る際にスーパーで売ってるお好み焼きセットみたいなものを買うのだ。それが当然だと思い込み、お好み焼きって別に安くないんだなぁとか思ったりする。


「お好み焼きって、小麦粉と卵とキャベツがあればできんだよ。一食当たりかなり安く済ませることができる」


「え、そうなの?」


「だから、学生同士で何かするときとかは、かなり安く済ませられるんだ。ぶっちゃけ、ソースとマヨネーズかけてりゃ、店で食べるお好み焼きとの味の違いんなんか分からんからな」


 極論ではあるが、所詮学生の下など駄菓子を美味しいと言っていたものに毛が生えた程度である。味の違いなど分かるけがないのだ。


「水瀬さんはキャベツみじん切りにしてくれ。うん、みじん切りだ。それだとざく切りだな。水瀬さん?」


 俺の指示を受けて、水瀬は隣でキャベツと向かい合っていた。とんとんと軽快な包丁さばきではなく、ざくっざくっととんかつを切り分けるような音が気になり、水瀬の手元を覗いてみた。


 荒々しく切られたそれらはみじん切りには程遠く、漬物として出しても違和感がない大きさをしている。


「えっと、もう少し薄くしよう。ここら辺を切るイメージでーー」


 俺は水瀬に切り方を教えようと、水瀬が包丁を持つ手に触れようとして、ピタリと止まった。以前に背後に回って水瀬に料理を教えた記憶とか、最近の水瀬の言動を色々と思い返してしまったのだろう。


 明らかに男女を意識してしまったかのような、俺の反応。


 そして、水瀬がそんな俺の隙を見逃すはずがなかった。こちらに向けられた悪巧みをするかのような笑み。こちらに誤魔化す隙さえ与えず、水瀬はこちらを覗き込むような視線を向けてきた。


「ふふっ、三月君。もしかして、意識してる?」


 何を意識しているのかをあえて触れず、水瀬は余裕そうな笑みを浮かべていた。絶対にそんなことはないだろう。そんな安心しきった立場だからこそ生まれる表情。


 ただそんな表情を向けていても、俺が黙り込んでしまうと、その表情も徐々に変わってきたりする。


「え、あれ? ……だ、だって、前は、」


 水瀬は言い訳をするように言葉を探すが、上手く言葉を続けることができないでいた。やがて、その顔は赤みを増して、羞恥に呑まれたように耳の先の方まで赤くした。


 おそらく、前は俺が水瀬の後ろに回り込んで教えたことがあった。だから、手を握るくらい訳ないとでも思ったのだろう。


 水瀬は知らないのだ。空回りしたようなテンションがあったからこそ、以前はあんな大胆な行動を取ることができたことを。


「なんでまた自爆してんだ」


「い、今のは私悪くないもん。三月君が悪いんだもん」


 確かに、勝手に意識してそれを表情に出してしまったのは俺が悪いかもしれない。それでも、普通に考えて学校で一番可愛いと言われている女の子に触れようとしたのだ。それを意識するなという方が無理だろう。


 もう少し水瀬も自分のことを客観的に見て欲しいものだ。そして、自分の容姿の可愛さに跪くがいい。


 まったく、少しは反省して欲しいものだな。俺の心情を弄びおって、けしからん。


 ……少し、からかってみるか。


 俺は何を思ったのだろう。いつもからかわれている気がして、少しだけ仕返しをしたいと思ったのかもしれない。


 ほんの少しのいたずらのつもりで、俺は水瀬に含みのある笑みを向けた。


「俺はただ七瀬さんがいるから、踏みとどまっただけだぞ? 誤解を招く行動を控えただけだ。水瀬さんは一体、何を思い出してそんなに顔を赤くしているんだい?」


「べ、別に想像してないし」


「そんなわけないだろう。ほら、その可愛らしい口で何を想像したか言ってごらん」


「~~っ」


 演技がかった口調で水瀬に詰めよると、水瀬は面白いくらい動揺した。あちこちに泳ぐ視線が面白く、俺は役に入り込んだように水瀬を追い詰めた。


 言葉を返そうとはするが、恥ずかしさのあまりその声が言葉になっていない。水瀬は辱めを受ける乙女のような表情をこちらに向けていた。


 あれ、なんか楽しくなってきたな。


 調子に乗って、余裕のある笑みを浮かべて水瀬の反応を待っていると、水瀬は羞恥に満ちた潤んだ瞳でこちらを睨んできた。


「み、三月君が、興奮した三月君が、無理やり私の口からいやらしいことを言わせて、私を辱めてくるって、みんなにー」


「すみません少し調子に乗ってしまったみたいで全くその通りなんですけどそれ言われると俺がそう言うプレイを強要する男みたいな感じがしてしまうので誰にも言わないで頂けないでしょうかお願いいたします何卒!」


 俺はクラスメイトから『モブのくせにS気取り』と言われないよう、水瀬に頭下げた。


 今回は俺が悪いな。あと思春期もちょっと悪い。


 俺は水瀬の口からいやらしいことを言ってもらうのも悪くないなぁとか思いながら、深く深く頭を下げたのだった。

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