第17話 邂逅、幼馴染さん
「三月さぁ、こんなところで何してんの?」
昼下がりの駅前。これから水瀬の家に向かうとしたところで、俺は絶体絶命のピンチを迎えていた。
俺の目の前には、黒髪ボブショートのダウナー系少女が立っていた。クールな目元は切れ長で、やや釣り目がち。その雰囲気に合わせたようなシャープな輪郭に、整った鼻梁。
泰然自若といった言葉が似合う女の子。水瀬とは違うタイプではあるが、学校では水瀬に次いで人気があると聞いたことがある。
水瀬の幼馴染の七瀬愛実。
その七瀬が俺にそう語りかけていた。
水瀬が俺の家に来た翌週。今度は水瀬の家で料理を教えることになり、俺は水瀬の家の最寄り駅にいた。
七瀬がいつ水瀬の家にやってくるのかは分からないが、いつ来るか分からない相手を前に怯えていても仕方がない。
一週間様子を見てみたが、七瀬が俺達の関係を疑っている様子はなさそうだった。前に水瀬の家に来たのはきっと何かの偶然だろう。
俺達はそう思うことにして、習慣化した水瀬家での集まりを再開した。
俺は改札を出たところで、何気なしに路線図を見上げていた。
以前に、七瀬がどこに住んでいるのかを聞いたことがあった。水瀬の家とどのくらい距離が離れているのだろう。そんなことを考えながら顔を上げ、七瀬の最寄り駅を探していた。
「三月?」
「はい?」
俺はあまり聞き覚えのない声。突然かけられたその声に、反射的に反応してしまった。
「やっぱり、三月じゃん」
「七、瀬さん」
黒色のチノパンに、淡い紫色の薄手の七分袖のトレーナー。全体的にシュッとした服装は、クールな彼女のイメージに当てはまっていた。
いや、そんなことを考えている場合じゃない。
想像もしなかった事態に、口の中の水分が一気に蒸発したのが分かった。極度の緊張感が体を走る。
「三月さぁ、こんなところで何してんの?」
突然俺の前に現れた七瀬は、俺を観察するよう視線を向けながら、そんなことを呟いた。
なぜ七瀬がここにいる? 俺と水瀬の関係がバレたのか?
俺は色んな考えを頭の中で巡らせながら、目の前にいる七瀬から距離を取ろうとした。
しかし、数歩下がった先には壁があり、俺はものの数秒で七瀬に追い詰められていた。
「逃げる必要ないじゃん」
七瀬はそう言うと、微かにニヒルな笑みを浮かべながら俺との距離を詰めてきた。俺が下がった歩数分以上に、七瀬はこちらに踏み込んでくる。
こちらの機微さえ見逃さない。そんな考えがひしひしと伝わってくる。
「それで、三月はこんな所で何してんの?」
「お、俺は」
もしかして、七瀬は水瀬の最寄り駅で誰かが来るのを張っていたのか?
いや、落ち着いて考えるんだ。七瀬も偶然に会ったような口ぶりだったし、張り込んでいるのなら、もう少し俺を泳がせたはずだ。水瀬の家に入る直前に声を掛ければいいのだから。
そう考えると、はやり七瀬はまだ俺達の関係には気づいていないのか。
そうなると、本当に偶然会ってしまっただけか?
俺はあらゆる可能性を考えながら、なんとか誤魔化せないかと思考を巡らせる。
「俺は、」
そこで、追い詰められた壁の先にあった告知ポスターが目に入った。俺はそのポスターから、この場を逃れる案を一つ思いついた。しかし、その案を実行した場合、俺はクラスメイトから冷たい視線で見られることになるかもしれない。
それでも、水瀬の一人暮らしの生活を守るためならーー
俺は意を決して、七瀬から向けられた視線にぐっと堪えながら言葉を続けた。
「お、俺は『ドキッとハート♡ポニキュア』のスタンプラリーをしに来たんだ!!」
そう、俺が見つけたポスターは『ドキッとハート♡ポニキュア』という女児向けアニメのポスターだった。
そのポスターはスタンプラリーの内容が掲示されているものらしく、どうやらこの駅がそのスタンプラリーの対象駅らしい。そして、そのスタンプラリーの景品はポストカードみたいだ。
高校一年生の男子が女児向けアニメを観ているだけでなく、休日にポスターカード欲しさでスタンプラリーを回っている。クラスメイトにバレたら、俺のあだ名は『ポニキュア』になることだろう。
だけど、背に腹は代えられない。水瀬の一人暮らしを終わらせるくらいなら、俺は『ポニキュア』にでもなんでもなってやる!
「ふざけてんの?」
七瀬の静かな声は微かに震え、そこには怒気のような感情が込められていた。馬鹿にしているのか、とでも言いたげな声色。
やっぱり、男子高校生が女児向けアニメのスタンプラリーをしているというには無理があったーー
「ポニキュアのスタンプラリーの期限って、今日までだよ! なんで初日から動かないかなぁ!!」
「……え?」
一体、何を言っているんだ? 七瀬の言葉が上手く呑み込めない。
七瀬は勢いに任せたように呆然としている俺の両肩をがっと掴んで、大きく揺らした。
「怠慢だよ! 怠慢だよ、三月!! ポニキュアの変身シーンを待つ敵みたいに、応募締めきりは待ってはくれないんだよ!」
頭を激しくシェイクされたせいか、何が起きているのか分からなくなる。というか、シェイクされなくても何が起きているのか分からない。
しかし、七瀬はすぐに何かに気がついたように、俺から手を離した。
七瀬は冷静になって自分が何を口走っていたか気づいたのだろう。恥じるように両手で顔を隠して、落ち着きを取り戻そうとしていた。
そうして、いつもの七瀬さんにーー
「ごめんごめん。そうだよね、さすがにもうスタンプラリーは何回かクリアしてるんだよね? 今やってるのって何枚目かだよね?」
全然戻っていなかった。
「え、いや、えっと、まだやってない、けど」
「嘘でしょ?! Wチャンスの応募はがきも応募するんでしょ?! 今からじゃ、間に合わないよっ!」
七瀬は目を強く瞑って、わがままを言う子供みたいに両の手をぶんぶんと振っていた。
……なんだこの可愛い生き物は。
学校では冷静沈着でクールな女の子。勝手なイメージで七瀬を語るなら、洋楽とか好きそうで大人びている女子って感じだ。
それがどうして、目の前で女児向けアニメのスタンプラリーに熱烈な想いを向ける女の子になっているんだ?
「えっと、正直、今回はスタンプラリーを見てみたかったってだけなんだ。スタンプラリーは次回参加でいいかと思ってる」
「え? そうなの?」
数分前に『三月さぁ、こんなところで何してんの?』って言っていた口調とはまるで別人。なんで同じ顔なのに、急に幼くなってんだよこの子。
とにかく、この場に長くいるのは良くないだろ。
「えっと、スタンプラリーも見れたし、俺はそろそろ帰ろうかなーって」
ここは一時的に避難して、立て直そう。それで、少し時間を置いてから水瀬の家に行けばいい。
とにかく、なんでもいいから、この夢みたいなこの場から逃げ去りたい。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
駅の改札に向かおうとする俺の手を取り、七瀬は俺を呼び留めた。
少しの喧騒が遠のき、七瀬の顔が近く感じる。
困ったように曲げられた眉。微かに揺れる瞳に、照れるように染まった朱色の頬。
普段は全くそんな素振りを見せない七瀬から向けられる、恥じらう女の子のような顔。
そんな表情を見せられ、俺は無意識下で唾を飲み込んでいた。
「……スタンプラリーの前で写真撮って欲しい。お、終わったら、三月の写真も撮ってあげるから。ね、お願いっ!」
「お、おうよ」
俺は七瀬に言われた通り、七瀬からスマホを借りてシャッターを切った。
それは、とても無邪気な笑顔だった。
本当にどうしちゃったんだ、七瀬さん。
そして、俺はどんどん水瀬と約束した時間が過ぎていくのに気がついた。
今回は、俺悪くないよな。思春期も悪くないよ、うん。
そんな遅刻の原因になった七瀬は俺と撮影者を交代して。こちらにカメラを向けていた。
「もっと笑って、三月! ポニキュアのエンディングみたいに!」
今回は七瀬が悪いだろう。それと、ポニキュア。
俺は渾身の笑みと共に、水瀬に送る謝罪文を考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます