第9話 得意料理を振る舞う彼女さん

『とりあえず、今の時点でどれだけ料理をすることができるか知りたいから、なんか作ってみてくれるか?』


『任せて! 料理は洗濯程苦手じゃないから!』


『いや、壊滅的なものと比較されても』


 水瀬の顔の熱が落ち着いた頃、俺は当初の予定通り水瀬に料理を教えることになった。


 しかし、教えると言っても水瀬がどこまで料理ができるか分からない。なんなら、俺よりも料理が得意な可能性だってある。


 そういうのも、俺は料理というものがそこまで得意ではない。フランス料理や割烹料理を作れる腕はないし、俺ができるのは至って普通の料理だ。


 一人暮らしをしている一般男性の料理スキルといったところだろう。


 だからこそ、初めに水瀬の料理スキルがどれくらいのものかを確認すべきなのだ。


 別に、学校で一番可愛い女の子の手料理を食べたいとか、そんな邪な気持ちではない。ああ、決して。いや、本当に。


 水瀬の手料理を食べることができる。それだけで、人気料理店以上に人が並ぶことになるのではないか。そんなことを真面目に考えてしまう。


 俺がリビングで座って待っていると、キッチンの方から少しの物音が聞こえてきた。


 こうして水瀬の料理ができるまで待っていると、新婚にでもなったかのような錯覚に陥る。


 やばいな、ただ料理を食べるというだけなのに、鼓動がうるさくなってきた。


「三月君! おまたせ!」


「え、もうできたのか?」


「言ったでしょ? 私、料理はそこまで苦手じゃないの」


 そう言って、自慢げなドヤ顔と共に俺の前に現れた水瀬は、水色のシャツの上に桃色のエプロンをかけていた。


 シンプルながらに家庭的な服装になった水瀬の姿に、思わずドキリとしてしまう。


 その俺の反応を見てか、水瀬は悪だくみをするかのように口元を緩ませた。


「んー? もしかして、三月君はエプロン姿の女の子が好きなのかな?」


「ち、違うし。別に、何とも思ってなんかないし」


「本当にぃ? じゃあ、聞き方を変えてみようかな。三月君、このエプロン姿どう思う?」


 それは以前に、俺に服が似合うかどうかを聞いた時の水瀬の質問の仕方だった。当然、その時にどう答えたのかは覚えているし、水瀬が何を言わせたいのか分かる。

 

 それでも、こんな姿を見せられたら他に言葉なんて思いつかなかった。


「……可愛いと思うよ」


「えへへっ、そっか、そっか。エプロンじゃなくて、エプロン姿って聞いたのに可愛いかぁ」


「あ、引っ掛けたな!」


「三月君が勝手に引っかかっただけだもーん。もしかして、引っかかってなかったりして?」


 以前は服が似合うかどうかを問われた。しかし、今回問われたのはエプロン姿。それに対して、可愛いと答えたということは水瀬本人に可愛いと言ったのと同義になってしまう。


「ちがっ、くはないけど」


「え? え、えっと、~~っ」


 別に、以前だって水瀬本人が可愛いという意味を含んでいなかったわけではない。だから、強く否定する理由もないと思ったのだが。


 俺の返答を受けた水瀬は、俺の反応が意図したものと違ったのか小さく驚くような声を出した。


 そして、恥じらうように顔を赤らめた水瀬からは、余裕のあった笑みが消えていた。


 エプロンの裾をキュッと握る仕草に、心までも掴まれそうになる。


「いや、自滅するようなからかい方はどうなのよ」


「……三月君の好きな服装を着せられて、三月君にローアングルから覗かれたってみんなにーー」


「水瀬が立ってて俺が座ってるからそう見えるだけで決して覗き込んだわけじゃやめてくださいよお願いします何卒」


 ただ構図的に俺が下にいるからって、その捉え方はどうなのかと思います僕。というか、エプロンの着用は強要してないだろうに。


 それでも、クラスでの平穏な生活を守るためには頭を下げるしかないのだ。さすがに、あんな事を言われてしまっては、教室に入った瞬間にみんなから石を投げつけられてしまう。


「あ、それよりも料理はどうなった?」


「それよりもって……まぁ、いいけどね。はい、私の得意料理」


 水瀬は俺の発言に少し眉を潜めたが、すぐに機嫌を直したようだった。水瀬は得意げな声色でそういうと、片手に持っていた皿を机の上に置いた。


「ほう、これが水瀬さんの得意料理」


 俺の元に置かれた皿の上には、新鮮な野菜が盛られていた。緑を中心とした野菜達と、その隣にはミニトマトが二つ並んでいる。そして、すりおろしたオニオンのようなソースがかけられておりーー


「水瀬さん。サラダは料理じゃないぞ?」


「へ? そ、そんなことないよ! ちゃんと野菜洗ったりしたもん!」


「強調するところがそこなのか」


「あー! サラダを馬鹿にしてるでしょ! 食べてごらんよ、二度とそんなこと言えなくなるから!」


「いや、別にサラダを馬鹿にしてはないけども。てか、なんでサラダでそんな強気になれるんだよ」


 なぜか自信満々な水瀬に当てられて、俺はあまり気ノリでない状態で運ばれてきたサラダを食べることにした。


「……あれ? うまいな」


「ほらっ、言ったでしょ! 私のサラダは美味しいんだから!」


「いや、これってドレッシングが旨いんじゃないか? 普通のドレッシングとは違うな、少し高いのかな?」


「え、まぁ、サラダってドレッシングを食べるようなものだもんね。だから、ドレッシングにはこだわってみたり?」


「水瀬さんが一番サラダを馬鹿にしている気がする」


 斬新なサラダに対する考えを持つ水瀬だが、それでもサラダが一番の得意料理らしい。


 さすがに、これはボケなのだろうか?


 そう思って、水瀬にそんな意思が伝わるように視線を向けた。すると、水瀬は俺の視線からふいっと逃れるように視線を外した。


 ……凄い嫌な予感がする。


「水瀬さん、冷蔵庫の中見せてもらってもいいかな?」


「え、いいけど食べるものは入ってないわよ?」


 掃除。それはまだやり方を覚えて、その通りにすれば大抵の人ができるものだ。しかし、料理というのは、経験年数がものをいうものだと思う。


 要するに慣れることが重要なのだ。


 ただ水瀬の場合は、もしかすると料理の経験値がほぼゼロの状態なのかもしれない。まさか、一人暮らしをして全く料理をしないなんてことはないとは思うが、先程のサラダを見せられてその可能性がぐっと高まった。


 俺はキッチンにでると、水瀬家の冷蔵庫の扉を開けた。


「はぁ、まじか」


「ね、別に食べるもの隠してたりはしないわよ。三月君、お腹空いたの?」


「違うわ、いつから俺は食いしん坊キャラになったんだよ」


 まさかとは思ったが、どうやら俺はその可能性を引き当ててしまったらしい。キッチンが綺麗だった理由も納得できるものだった。


「水瀬さん、確認だけど調味料はどこにあるの?」


「ソースと醤油、あとワサビとからしとドレッシングがそこにあるわね」


 冷蔵庫の中にはボトルに入った飲み物や野菜ジュース、それと水瀬が言った調味料があるだけだった。


 つまり、他の者が何も入っていないのだ。


「他の調味料は?」


「他の?」


 水瀬は可愛らしくきょとんと首を傾げ、言葉の意味が分からないような表情をしていた。


 これは、掃除の時以上に大変なことになるのではないか。


 俺は驚愕の表情で水瀬を見ていた。しばらく固まって動けなくったせいで、自然と目と目が長時間合ったせいだろうか。


 俺の視線をどう受け取ったのか、水瀬は照れたような笑みをこちらに向けていた。


「えへへっ、三月君どうしたの?」


 そんな馬鹿みたいな笑顔は、こちらの考えなど微塵も伝わっていないようだった。

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