国境の現実

 一瞬にして、辺りは大騒ぎになった。

 散らばる瓦礫の中、血まみれの人たちが折り重なって倒れている。


「警備兵! 警備兵を呼んで!!」


 誰かが叫ぶ。すぐさま、周りにいた人たちが何人か駆けていった。

 ほとんど同時に、アレクシスも手押し車を置いて現場へ走っていった。集まってきた街の人たちに混じって、瓦礫を除け始めている。皆、異様に手際が良い。

 私も何かしなきゃ――とは思うけれど、思うだけだ。手も足もすくんで動かない。そもそも、何をしていいか分からない。怪我の手当は専門外だし、石や煉瓦をどけられる腕力もない。他に手伝えること、何があるだろうか。

 何もできずに立ち尽くしている間にも、街の人たちは大きな声でなにごとかを言い交わしている。


「ちょっと、そこのお兄さん」


 私に言われているのだと、わかるまでにしばらくかかった。小太りのおばさんに肩を叩かれて、皺に埋もれそうな目でにらまれて、ようやく気がついた。


「私ですか?」

「あれ、ズボン履いてるのに女なのかい。どっちでもいいけど、目の前がこんな状況なのに、あんた、見てるだけなのかい?」


 何をしていいかわからない……なんて、言えるわけもない。


「す、すみません。気が動転してしまって……何か、手伝えることないですか」

「いっぱいあるだろ。傷口を洗う水を汲んできたり、治療術師様を呼びに行ったり」

「場所がわからなくて……私、ここの人間じゃないので」

「はぁ?」


 おばさんの声が、おそろしく低くなった。にらみつける視線ともあいまって、威圧感がすごい。


「ってことはあんた、帝国の人間かい?」


 トナイの機械術師……と答えようとして、やめた。たぶん、余計に話がややこしくなる。


「少なくとも、敵ではないです。手伝えること、なにかありませんか」


 言えば、おばさんは無言で、私の手に木の水桶を押し付けてきた。


「ついてきな。中央の水場へ行くよ」


 早足で歩き出したおばさんの後を、あわてて追う。

 広場から通りに入ると、空間は急激に狭苦しくなる。両側から迫る漆喰壁の隙間を、石畳のでっぱりに足を取られそうになりながら、走る。道がだいたいまっすぐなのは幸いだった、これで曲がり角まで多かったら、あっという間に迷ってしまいそうだ。

 やがて、さっき爆発したのと同じ形の石塔が、二つ並んで見えてきた。こちらも片方は火、片方は湧水のようだ。

 集まっている人々へ向けて、おばさんが大音声を張り上げる。


「皆、水を持ってきて! 西の種火塔が帝国の連中に壊された、怪我人が出てる!」


 ざわめきが広がる。けれど、あまり動揺している感じはない。すぐさま何人かの人たちが、桶を水でいっぱいに満たして、私たちが来た道を逆走していく。……ずいぶん状況慣れしてる感じだ。

 壊された、ってことは……あの爆発はテロなんだろうか。それも、犯人が誰なのか誰にでも分かるくらい、よくあることなんだろうか。


「何してるんだい。ここに来た理由も覚えてないのかい」


 おばさんに小突かれ、私はあわてて、石塔に水を汲みに行った。

 石塔には四方に窓が開いていて、中に大きな水盤がある。水盤の真ん中に、青白くキラキラ光る四角い石の台があった。誰かが向こう側から桶を台に乗せると、上から水が自動で注がれてきた。水は、光を受けて輝きつつ、桶をちょうど満たして止まった。

 私も持ってきた桶を置いた。ぴったり一杯分だけの水が、注がれて止まる。……どういう仕組みなのか興味はあるけど、今はそんな場合じゃない。

 私はおばさんと共に、もといた「西の種火塔」に戻った。周りにはずいぶん人が増えていて、瓦礫を片付ける人手もずいぶん増えていた。

 石塔の残骸から少し離れた道端で、白いローブをまとった一団が怪我人を診ている。傍らに水桶を置くと、ローブの人たちの表情が少し緩んだ。


「助かります。清浄な水で傷口を洗浄しないと、治療術の施しようもありませんから」


 白ローブのお姉さんが、私の桶から水を汲み出し、砂埃で汚れた傷口を洗っていく。痛そうにうめく怪我人に向けて、別の白ローブさんが手をかざした。

 淡い光が辺りを満たす。水に混じって流れ出ていた鮮血が、次第に細くなって止まった。


「……応急処置は終わりました。ただ、重傷の方々は治療院へ搬送する必要があります」


 白ローブさんの数人が、道の脇に放置されていたアレクシスの手押し車に寄ってきた。荷台に乗っていた魔導人形たちが、無造作に投げ捨てられる。


「搬送にちょうどよい車があって、助かりました」


 空いた荷台に、怪我人がふたり乗せられて運ばれていく。あとには、道端に転がる二体の魔導人形だけが残された。……この状況下でほったらかされた人形が、なんだかいたたまれない。


「ここにいたんだ、フミカ。工房に戻ろう」

「もう、お手伝いは必要ないの?」

「怪我人の応急処置も終わったし、あとは現場の検分や瓦礫の片付けだから。僕たちの役目はここまでだよ」

「……みんな、ずいぶん慣れてる感じだね」

「まあ、よくあることだから」


 平然と言いつつ、アレクシスは道端の魔導人形を抱え上げた。二歳児くらいの丈がある人形は、かさばって持ちにくそうだ。

 私も、もう一体を持ってみた。……それなりにずっしり重い。私の体力だと、休み休みでないと運べなさそうだ。

 アレクシスの後をついて、細い路地を二、三百メートルほど行ったところで、思ったとおり息が切れた。人形を下ろし、倒れ込むように石畳へ腰を下ろすと、アレクシスが足を止めて見に来てくれた。


「大丈夫? ひょっとして、フミカは身体が弱い?」

「トナイのSEは、あんまり身体動かさないからね……夜遅くまで働いても能率落とさないとか、そういう方向の体力なら自信あるんだけども」


 言うと、アレクシスは目をぱちくりさせた。


「フミカは女の人なのに、夜中に仕事をするのかい? 危ないよ? 特にここ最近は、フィーラー帝国の工作員が街に紛れ込んでて――」


 言いかけて、アレクシスは何かに気付いたようだった。


「そうか、トナイはここよりずっと安全なのかもしれないね。女の人が夜に出歩いても平気なくらい」

「……ひょっとしてこの街、かなり治安悪い?」


 アレクシスは軽く頷いて、元来た方を見遣った。


「ここは、フィーラー帝国との国境の街だから。うちの国エントヴォーフ王国と帝国、公式には不可侵条約が結ばれてるんだけど……帝国の連中、どうにかして攻めてくる口実が欲しいらしくて。工作員を紛れ込ませたり、盗賊団を雇ったりして、ここ半年くらい国境を荒らし続けてる。この街も含めて」

「……さっきの爆発も、もしかして」

「間違いないね。帝国の工作員の仕業だと思う」


 爆発の後、みんな妙に対応が手慣れていた理由、ようやく確証が得られた。やっぱりこの街では、テロが日常になってしまっているんだ。


「対策……何かないの? 帝国がやってるって証拠は――」

「状況証拠はありすぎるくらいなんだけど、奴らも巧妙でね。決定的な物証は絶対に掴ませない。犯人は何人か捕まってるけど、自白させたところで、向こうがでっち上げだと言い張ればそれまでだ」


 アレクシスは肩を落とす。


「こんな状況だからね、役に立たない魔導人形の研究になんて、人もお金も割けないんだ……トナイはきっと、ここよりずっと安全で、色々な技術を研究する余裕もあるんだろうね」

「いや!」


 思わず、私は声を張り上げていた。

 東京は確かに安全な街だ。けど何もなく安全なわけじゃない。他国と戦争をしていなくて、警察が機能していて、街並が綺麗に整備されていて、教育が行き届いていて――いくつもの要素があってこそ、治安の良さは保たれているんだ。

 そして、それには「技術」も欠かせない。

 防犯カメラや、道路・鉄道の中央制御室。安全を守る技術網が随所に張り巡らされていて、だからこそ都内の治安は保たれている。

 そのほんの一部でも、ここに持ってこられたりはしないだろうか。この子たちを「役立てる」道筋のひとつになりはしないだろうか。


「いくらトナイでも、水と安全はただじゃないよ。人と技術が支えてるからこそ、私が夜にお仕事しても出歩いても平気なんだよ。……だから」


 私は立ち上がって、一つ伸びをした。

 私の専門は警備系じゃないけれど、できることはきっと何かある。


「アレクシス。この子たちを使って、この街を少し安全にできるなら、皆、喜んでくれる?」

「……できるの?」

「できるかどうかの話はしてないよ。需要があるかないか、そこだけ訊いてる」

「需要なら、間違いなくすごくあるけど――」


 私はアレクシスの肩を、ぽんぽんと叩いた。


「オッケー、開発方針決まった。『この子たちを使って、この街をもうちょっと安全な所にする』――これが、最初の目標だね。まだもうちょっと粒度粗いけど」


 私は、魔導人形を抱え上げた。重いボディを子供のように抱き、アレクシスを見据える。


「さ、行こうか。方針が決まったなら、プロジェクト開始はできるだけ早い方がいいからね」


 アレクシスは戸惑いながらも、自分の人形を抱え、ゆっくりと歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る