プログラムの三要素

 かつりかつり。かつかつかつり。

 固いものが石畳を踏む音が、微妙にずれた和音になって響き渡る。

 大小合わせて五体のマネキンが、大きく腕を広げて、三方から迫ってくる。

 一体なら平気かもしれないけど、取り囲んで迫ってこられると不気味だ。思わず数歩後ずさりすると、左右のマネキンたちは、追尾するように胴体の向きを変える。

 と、その時、左の一体が急に倒れた。

 石畳の隙間に足を取られたらしい。派手な音を立てて、頭から石畳に突っ伏した。人間なら鼻の頭に大怪我をする倒れ方だ。けれどマネキンは平気らしい。うつぶせに倒れつつ、じたばたと手足を動かし続けている。

 倒れた一体に、さらに二体がつまずいて倒れた。三重に積みあがったマネキンの足先が、さらにもう一体を引っ掛け、倒れる過程で最後の一体も巻き込む。

 あっという間に、マネキン五体が山になった。


「この程度なんだよ」


 アレクシスが、乾いた笑い声をあげた。


「この子たち――魔導人形ができるのは、本当に単純なことだけ。『何かの居場所を確認する』ことや『指定した場所を目指して移動する』ことはできるけど、『途中の障害物を避ける』ことさえできない。それはそうだよ、移動する時の障害になるものなんて、世の中には無限にある。全部への対処方法を網羅することなんて不可能だ」


 折り重なったまま手足を動かし続ける、マネキン――魔導人形たちを、アレクシスは悲しげに見つめた。


「それでも、やれるだけはがんばったんだけど……最初から無理な話だったんだ。大河の水を桶で汲むくらいに、ね」


 大きな溜息をひとつつき、アレクシスはまた厳かな声で言った。


『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。止まれ』


 マネキンのじたばたが、すうっと止まる。

 最後に転んだ一番小さな人形を、アレクシスは引きずって山から離した。そして、例の金属ヘラの先端を胸の部分に当てた。人間でいえば心臓の位置に、蓋のような継ぎ目がうっすらと見えた。


「何の役にも立たないんだよ、この子たちも僕も。決まりきった命令を繰り返すしかできない木偶でく人形も、そいつらの動かし方しか知らない無能研究者も!」


 ヘラの先端が、継ぎ目の隙間に差し込まれる。

 鈍く輝く細長い金属が、心臓を貫くナイフの刀身にしか見えなくて、思わず目を背ける。

 痛い。なんだかすごく痛い。この状況、なんとかできないんだろうか。「言われたことしかできない」何かに、「命令を工夫してなにかをさせる」技術者として。

 せめて、魔導人形の命令セットの仕様さえ分かれば――


「アレクシス!」


 思わず、叫んでいた。

 今にも泣きそうな表情のアレクシスが、こちらを振り向く。金属ヘラの先端が、蓋を跳ね上げたところで止まった。


「どうしたんだい」

「魔導人形がこなせる命令って、どんなのがあるか……よかったら教えてくれない?」

「たくさんあるから、全部は挙げられないけど。歩いたり物を持ったり、弓矢を射たり――」


 うん、確かにそれらも大事そうだ。でも、私が知りたかったポイントはちょっと違う。


「全部を挙げる必要はないよ。私が知りたいのは三つだけ。まず一つ目……これはたぶん大丈夫だと思うんだけど、『与えられた命令を順番に実行する』ことはできる?」


 アレクシスは、きょとんとした表情で首を傾げた。


「それは当然。命令の『呪式』を順番に書けばいいだけだよ」

「じゃあ次。『与えられた命令を繰り返して実行する』ことはできる?」

「できるよ。『呪式』の書き方が、ちょっと特殊になるけどね」

「最後に。『条件次第で、与えられた命令のどちらかを選んで実行する』ことはできる?」


 首を傾げながらも、アレクシスは確かに頷いてくれた。


「『呪式』が複雑になるから、あんまり使いたくないんだけど……やろうと思えば、できなくはないよ」


 私は、内心でガッツポーズを作った。それだけあれば、十分だよ!


「わかった、ありがとう。……アレクシス、あなた、この子たちを『使える』子にしてみたいとは思わない?」

「だからそれは無理だよ」

「無理とか無理じゃないとかじゃなくて。やってみたい?」

「できるわけないじゃないか」

「私が訊いてるのは、アレクシス、あなたの意志。できるできないじゃなくて」


 なぜかとても悲しそうな顔で、聞こえるか聞こえないかのかすかな声で、アレクシスは呟いた。


「それは……できるなら、そうしたい、けれど――」

「オッケー。アレクシス、あなたの心はわかった」


 私は大きく胸を張った。腰に手を当ててふんぞり返りながら、あえて大きな声で笑ってみせる。


「言ったでしょ、私、都内でSEシステムエンジニアをやってるって。SEってのは自動機械を扱う専門の術師でね、『トナイ』ってのは機械使いの聖地なの。そこには何千人もSEがいてね、みんなが日夜、機械魔術の研究に励んでるのよ」


 相手にわかりやすいように、多少脚色を入れてるけど、まあ許容範囲だろう。

 それよりも、大事なのは。


「で、SEとして断言させてもらうけど。魔導人形の命令セットには、必要な要素がちゃんと揃ってる。つまり、命令を順番に実行する『順次処理』、繰り返す『繰り返し処理』、分岐する『分岐処理』――」


 そう、つまりはプログラムの三大要素。これが揃っているのなら、やれることは無限にある。

 プログラムなら、大学でも社会に出てからも、ずっと書いてきたんだから。引き受けた業務は、それで全部こなしてきたんだから。


「――この三つがあれば、天下が取れる。SEが言ってるんだから間違いはないよ!」


 アレクシスはぽかんとしている。たぶん、私が言っていることは三割も理解できてないと思う。

 今はしょうがない。だから今は、意志だけ見せて。


「ただね、私は言われたことしかやらない。誰も望んでない作業なんて、やっても無駄骨なだけだから。でも、一度引き受けたら、何があってもやりとげるよ。……だから、アレクシス」


 私は、アレクシスの目を真正面から見つめた。


「依頼をちょうだい。この子たちを『使える子』にしてほしいって。あなたが八年やってきた成果を、無駄にしたくないって――引き受けたら、絶対、やりとげてみせるから」


 アレクシスは少しばかり目を泳がせて、でも最後には私の目を正面から見つめ返して、言った。


「……フミカ。この魔導人形たちを、誰かの役に立ててほしい。ガラクタではない、有能な何かにしてほしい」


 低く小さな、けれど、はっきりした言葉だった。

 青い瞳が揺らいで見えるのは、溜まった涙のためだろうか。


「八年間ずっと、僕の研究が役に立ったことなんてなかった。予算を沼に棄てるようなものだと、何度も言われた。でも――」


 そこから先は、涙声で聞き取れなかった。

 私はアレクシスの背を撫でながら、何度も何度も頷いた。


「大丈夫、トナイのSE様がついてるから。大船に乗ったつもりでいるといいよ。この子たちを活かす道、必ず私が、見つけるからね」


 脳裏に、またも社長の嘲り顔がちらつく。

 言われたことしかできない――それのどこが悪いのか。人も機械も、言われたことを正しく実行しているからこそ、毎日世界は回っているんだ。

 それを、ここで証明してやる。

 この世界がどんな世界なのか、私はまだ知らない。見たのはこの廃棄物置場だけだ。

 けれど、私は私のできることをする。大丈夫、そこにプログラムがあるのなら、必ず道は開けるはずだ。

 私は右手で拳を作り、強く握り締めた。アレクシスは、まだ、泣いているようだった。

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