君が猫の瞳を覗くとき、猫もまた君を見ている  作:皐月メイ

 皆さんは外出中に、ふと視線を感じたことはないだろうか? 偉大なる好奇心とちょっとの勇気を持った人ならば、その視線を辿ったことがあるだろう。そういった時、高確率で猫がいたと思われる。そう、猫だ。人間を惑わせるような愛くるしい見た目をした四足歩行の毛玉生物だ。その愛玩動物としての性格は動物界一であり、古くは西暦の始まる前、古代エジプト文明の時代には既に人間社会に忍び込んでいたと伝えられる。

 今日は皆さんに一つ、苦言を呈しに来た。“wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.” 読者諸氏はこの言葉を聞いたことがあるだろうか? これはドイツの大哲学者、ニーチェ先生の名言である。その意味を文字通りに訳すならば、「深淵を長く見つめる時、深淵もまた貴方を見ている」となる。

 もう一つ、ニーチェ先生の言葉を挙げる。「しかし、言ってみよ、わが兄弟よ、獅子さえもなしえなかった何事かを、子供はさらになしうるのか?」これは、欲しいものを全て力で手に入れる「獅子」が、既成の概念や価値観に打ち勝って自由な創造を行う、忘我のまま無垢な遊戯に打ち込む子供となるべきという論説である。

※  ここで一つ、思い出してほしい。獅子とは何科の動物だったであろうか? そう、「ネコ科」なのだ。つまりこの言葉は、「愛嬌」という最大の武器を十全に用いて人間に取り入っていた「獅子」たちが、ついには人間を乗っ取ろうとしている、という警鐘を孕んでいるのだ‼ これは何たる発見‼ 急いで皆に知らせるためにこの拙文を認めているわけだ。

 猫はよく我々を見ている。その証拠として、あなた方の記憶を遡ってほしい。きっと、猫と目が合った経験があるはずだ。奴らは我々をよく見ている。静かに、じっと、我々のことを監視している‼ 聡明なる読者諸氏よ、覚えておいてくれ。


我々が猫の瞳を覗くとき、猫もまた君を見ている。



※ この文章はあくまでジョークです。ニーチェ先生の晩年が確かに少々狂っていたとしても、ここまで酷くはありませんし、もっと論理的です。上記した文章を信じることのないようにお願いいたします。

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