第十六話 祟り神と巫女

 私たちが住む街から高速道路を使って五時間。辺鄙な山奥にその神社はひっそりと建っていた。周囲には人家が数軒立っているだけで、あとは深い森が広がっている。


 参拝者用の時間貸駐車場へ車を停めて長い石階段を登り、たどり着いた神社は打ち捨てられたような外観の建物だった。昔はきっと美しい色が付けられていたに違いなく、朱赤が柱や欄干に残っている。


 今日の七神は黒のカジュアルジャケットに白のハイネックシャツ、黒のチノパンにスニーカー。私は桜色のパーカーに白のハイネックカットソー。ジーンズに赤茶色のトレッキングブーツ。山の中を歩くと聞いていたから登山靴を用意したのに七神はいつもと同じ格好。少々気負い過ぎたかもしれない。


 手水舎は意外と整えられていて、真新しい竹の柄杓が二つ置かれている。七神に習って手と口をすすぎ、本殿へと向かう。


 驚いたことに、七神は賽銭箱へ万札をためらいなく入れた。

「どうした?」

「えーっと、御賽銭ってどのくらいが相場なのでしょうか……」

 手にした硬貨が少額すぎて、投げ入れるのはためらう。


「気持ちでいいだろう。……ああ、そうか。私の場合は訪問する際の手土産が基準だが、もっと少額でも構わないだろう。無しでも構わないが、この場所を維持する費用は必要だ」

 訪問する際の手土産……そう考えると札になる。流石に万札は無理なので、そっと最少額の札を入れた。これまでの最高額の御賽銭は、かなり衝撃的。


「冬登さんは、何をお願いするんですか?」

「お願い? いや。挨拶だけだが」


「え? 凄い高額の御賽銭で、挨拶だけなんですか?」

「日本の神は対価を求めない。金や物をこれだけ捧げたから、願いを叶えてくれるということはないな。特に気に入った者の願いを叶えることはあるが、その場合はそもそも神社に参らなくとも常に守護している」


 二十六年生きてきて、知らないことが多すぎてびっくりした。神社に祀られる神様には基本的に挨拶と感謝、自分の決意を述べるのが一般的らしい。


「で、でも、ほら、お参りしたら縁結びとか宝くじが当たる神社ってありますよね?」

「神によって、得意不得意はあるだろうな。挨拶に来た人物が気に入ればもっと運をあげてやるなり加護をつけるし、気に入らなければ無視だ」

「え……それって、心狭くないですか?」

 神様はもっと心が広いものだと思っていた。私の顔を見て、七神が笑う。そんなに変な顔をしていただろうか。


「人と同じで、神にもいろいろ性格や感情はある。普段は優しい神も、突然怒り狂うこともある。誰でも節度を持って敬われれば悪い気はしないだろう?」

「そ、そうですね……」

 恐ろしい怨霊を祀り上げて神様にすることもあると思い出したものの、理解できるかと言えば難しい。


「神が人に手助けしてやれることは限られている。人が何かを成し遂げたいと思った時、具体的にこれを叶えたいと言われれば運を授けてやれる。あやふやな願いや決意では、たとえ運を授けても分散されてしまうから願いは叶いにくい」


「願いを叶えるという点だけを見れば、神社で願うより、常に自分を守護する存在に願う方が確度が高い。それが神なら叶う確率はさらに上がる」

「神様に守護して頂くには、どうしたらいいんでしょう?」


「日本の神が求めるのは、金や物、人の命ではない。たゆまぬ努力と生きる心の美しさだ。自己研鑽を続け前を向いて生きる者を神は好み、運を与える……とは言うが、結局は好みの問題だ。ろくでもない者でも、神が好意を持てば守護される」

「こ、好みの問題なんですね……」

 最後の最後で肩の力が抜けていく。神頼みが叶うのは、神様に好かれているかどうかと聞いてしまうと、初めて訪れた神社で願い事をするのは無謀に思えた。

 

 それでは今、私が神の前で述べるべきなのは何か。すっと心に響いたのは『私は文葉の魂を探し出し、蘇らせます』ただそれだけ。挨拶と感謝を神に捧げた後、決意を心の中で告げる。


「土地神への挨拶は済んだ。これから……」

 七神が視線を向けた先、石の階段を登ってきた紺色の作務衣姿の老人と目が合った。にこにこと笑う老人は登り慣れているのか大して息を乱していない。

 

「めずらしくお若い方々のお参りですなぁ。どうです、よろしければわしがこの神社の成り立ちなどお話しましょう」

 急がなければと思いつつも、気の良い老人の厚意を無にすることはためらわれる。


 軽い挨拶を交わすと、老人は村長だとわかった。どうやら神社の監視カメラは村長の家に繋がっているようで、私たちは怪しいと思われたのかもしれない。


「昨今流行りのパワースポット巡りですかな」

「……は、はい……すいません。気軽にお参りしてしまって」

 本当の目的とは違うけれど、誤解されているならそのままでいい。村長は私の言葉を信じたのか、態度をさらに軟化させた。


「たとえ流行りであっても、人が大勢訪れてくれれば活気で神様が喜んで下さると言いますからな。後は神様に失礼の無いようにして頂ければ」

 写真は撮らないのかと聞かれて、撮るつもりはないと言うと何故か村長が喜ぶ。SNSで映える写真を撮る為に、神社のあちこちに土足で踏み込む人間もいるらしい。……だからわざわざ石階段を登って来たのか。


 上機嫌の村長は神社にまつわる話を始めた。

「この神社には、〝あめふらし〟の巫女様の伝説が残っておりましてな――」


 八百年前、雨乞いをすると必ず雨雲を呼ぶ巫女がいた。〝あめふらし〟様と呼ばれ、近隣の村々からも敬われていた。


 ある時、村に祟り神が現れた。村を流行り病が襲い人々が次々と倒れる中、巫女がその身を捧げて祟り神に嫁ぎ、油断させた所で祟り神を護り刀で刺してその力を奪った。


 巫女は死に、祟り神は力を失って弱りながらも完全に死んではいなかった。残された人々は祟り神の体を七つに分け、七剣星の力を借りて祟り神を封じ、この神社に祀った。


「三十年程前に代々この神社を守ってきた神職の血が絶えましてな。それ以来、村で管理しておったのですが人手が回らず、二年前に祟り神様が盗まれてしまいました」

 村人はあの御札を〝捕縛者〟ではなく、〝祟り神〟と呼んでいるらしい。ここでは封じられた神が主体であって、捕まえている御札は物でしかないのか。村長は話しながら私たちを本殿へと誘う。


 木で出来た格子戸の中に入ると、外観から受けるうち捨てられた雰囲気と違って、綺麗に掃除されて整えられていた。


 室内には段差が設けられていて、参拝する場所としての外陣がいじん、一段上が内陣ないじん、奥に見える御扉みとびらの内側が神様がいる内内陣ないないじん


「心無い者たちが御扉を勝手に開け、中に祀ってあった祟り神様を持ち去ってしまいましてなぁ。ほれ、あのカメラで録画はしておったんですよ」

 御扉には真新しい立派な錠前が掛けられ、村長が指さした柱の上に小型のカメラが設置されている。


「二十四時間見張っておるわけではないですし、これまでは鍵を掛ける必要もありませんでしたからなぁ。年に一度の公開日には見張りはなくても、祟り神様に手を出す者などおらんかった」


「盗まれて半年後に犯人全員が判明したが、全員死んでおったそうです。祟り神様も行方知れず。祟り神様を粗末に扱ったんでしょうなぁ。お怒りになられたのでしょう。ほら見ろ、罰があたったと村では一時期評判になりましてな」


「祟り神様をお探しにはならなかったのですか?」

「元々の神様はいらっしゃるので、わしらとしては探すより、いつでもお戻りになれるように準備をするだけですな。気が向けばお戻りになるでしょう」


 呵呵と笑う村長の姿はおおらかで、まさか七神のポケットに入っているとは言えない。何となく後ろめたい気持ちを抱えながら、私も笑う。


 私が村長から話を聞いている間、七神は緊張した表情を見せていた。早く話を切り上げた方がいいのかと思っても、村長の話は止まらない。


 内陣の右側の壁の上部に、古びた木の板が掛けられていて、黒い手形が残っていた。墨か何かで捺した手形を誰かが奉納したものなのか、手相が読み取れるくらい鮮明。


「あの手形は〝あめふらし〟の巫女様の物と伝わっておりましてな。祟り神を倒す力が欲しいと神様に請願した際の血判だとか」

 黒い手形は墨ではなく血と聞いて、ぞっとしながらも、私はその手相に注意が向いていた。


「変わった手相でしょう? あれは〝ますかけ〟と言って、感情線と頭脳線が一直線になった非常に珍しい手相でしてな。しかも両手となれば、なかなかおらんでしょう」

 老人はそう笑うけれど、実は私自身が同じ手相であることは言えない。微笑みを返しながら、不自然にならない程度に手のひらを隠す。


 予想もしていなかった奇妙な一致に、胸がどきどきしてしまう。祟り神を殺した巫女のことが気になってしかたない。神を殺した女性。私が見続けている神殺しの夢が頭をよぎる。


「巫女様については、いろんな伝承が残っておりましてなぁ。実は祟り神様と恋仲で、駆け落ちしようとした所を許婚に殺されたという話もあれば、巫女様は許婚に騙されて祟り神様と霊力で戦うことになったという話も残っておるのですよ」


「騙された……ですか?」

「巫女様の許婚というのが、当時のこの神社の神職でしてな。不思議なことに家系図からは名が抹消されておるので、その理由を皆が勝手に想像して創作したのでしょうな」

 許婚に騙された。その一言が、何故かずしりと心に響いた。


「神職も結婚されるんですね」

「血を残さなければなりませんからな。当時の神職が何らかの理由で消え、遠縁の者が継いだということですな」

 

「神職の家系図も興味深いものでしてな。なんと先祖は蛇神様だと書かれておるのです。蛇神様と人間が結婚して血を繋いでいたというのですな。どうです、我が家にその家系図が残っておるのですよ」

 嬉々として話す村長の話はさらに長くなりそうで、私たちはやんわりと断って神社を後にした。


      ◆


 清々しい緑の中を、七神と並んで歩く。木々の手触りと土を踏む感触が懐かしいと思うのは何故なのか。神社で私が村長の話を聞いている間、七神は終始無言だった。今も無言のまま、どこかを目指して歩いている。


 シャーッという音がして、何かと顔を向ければ木の枝に巻き付いた茶褐色の蛇がこちらに向かって頭をもたげていた。


「こちらが騒がなければ襲ってはこない」

 そう言って七神が私を庇いながら歩く。蛇は動きを止めたまま、何事もなく過ぎ去った。


「この辺りは蛇が多い。……先程の神社も、遥かな昔は蛇神が祀られていた。ところが途中で別の神が加わり、いつの間にか祭神が替わっていた」

「祟り神に替わったのですか?」


「いいや。祟り神でも蛇神でもない別の神だ。時代が移り変わる中、人々が信じる神も変わることがある。人々が忘れ去った神は力を失い、ただ消え去るのみだ」

 その声は苦々しく、そこはかとなく寂しさを感じる。


 森の中を歩き続けて岩山が現れて洞窟の入り口が見えた時、空気がひやりと澄み渡る。まるで水の中へと入ったように空気が体に絡みつく。


「……息が……」

 息ができない。口を開けても空気が入ってこない。慌てたのは一瞬だった。七神が私の手を握ると、すっと息が通った。


「大丈夫か?」

「はい。大丈夫です。……あの、どうして息が出来なかったのでしょう?」

「……あの洞窟は昔、祟り神と呼ばれた神を祀っていた。その結界の名残だ。普通の人間は、この光景を見ることもできないし、立ち入ることもできない」

 今、私が見えているのは、七神が隣にいるからだろうか。

 

「神社も鳥居も何もないんですね」

 どうやって祀っていたのだろうか。私の疑問に答えることなく、寂しそうな顔をした七神が私の手を引いて歩き出す。


「昔は先程の神社の巫女が年に二度酒を届けていた。今では神もいなくなり、忘れ去られた場所になっている」


 洞窟はさほど大きな物ではなく、上部にいくつかの穴が開き日光が差し込んでいるので、内部は明るい。


 一番奥には、火鉢のような形をした黒い岩が中央に置かれていて、何かを燃やしたような跡が薄っすらと残っている。


 七神の手は私の手から離れ、ポケットから取り出した数枚の和紙を丸めて岩のくぼみへと放り込む。ぱちりと指を鳴らすと、和紙が赤い炎をあげて燃え始めた。


「……蓮乃。もう後戻りはできない。覚悟はできているか?」

「はい」

 静かな七神の声に頷いて答えると、七神は微笑んだ。文葉を助ける為に命を掛けるのは怖い。それでも、私に何かが出来るというのなら後悔しない為に挑んでみたいと思う。


 七神はジャケットの内ポケットから和紙に包まれた〝捕縛者〟を取り出し、一枚ずつ炎の中に落としていく。御札は焼ける事無く、炎の中、頭を上にして立ち上がった。


 くべられた〝捕縛者〟たちが、赤い炎の中で踊り苦しんでいる。くるくると笑いながら回る者、その体をくねらせる者、悲鳴を上げる者と様々な姿は、残酷で恐ろしい。


 白い糸が次々と切れ、踊る御札が断末魔の叫びを上げ次々と炎に飲み込まれて黒い炭へと変わっていく。


 炭が崩れ落ちた後、艶やかで白い蛇の皮に似たものが現れて、今度は青い炎に包まれて焼けていく。炎の中、潰された頭部らしきものが見て取れた。すべてが焼けると火が消えて雷鳴が轟いた。


 洞窟の天井から見える空、黒い雲が瞬く間に覆い、稲光が走る。


 緊張した面持ちの七神が重々しく口を開いた。

「〝捕縛者〟が封じていた力を私は取り戻した」

「私?」

 御札が封じていたのは、祟り神の力。それを取り戻した? 意味がわからない。


「……蓮乃、どうか私の真の姿を見ても、怖がらないで欲しい。友人を助ける為だと我慢してくれ」

 七神の全身が黒い影に覆われて、その姿が変化した。

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