矢風の咎人

@korgkp3

鏑矢



 若い男が、安宿の質素なベットに、腕を枕にして仰向けに寝転がっている。

 その男にはある筈の左腕はなく、銀色の髪は伸び放題でぼさぼさ。顔には表情はなく、琥珀色の瞳はただただ天井の蜘蛛を追っている。

 男はまだ現実を受け止めきれていないのだ。

 この男の名はラース。最低のスクラップハンターから二階級上のシルバーハンターにたったの三年であがり、矢風の双剣士と名を轟かせた。だがニ週間前の悲劇で男は全てを失った。

 隻腕になり、入っていたパーティーも、ハンターの資格も自ら捨ててしまった。

 男に残ったのはなけなしの硬貨と、子供の落書きの様な龍が刻まれた金属片、そして契約武器である汐凪だけだ。 

 だが男は、その残った大切な物さえいっそ捨ててしまいたいと思っていた。もし捨てる事ができたならきっと。

 結局男は寂寞に包まれた部屋でまた眠りにつくのであった。

 これは惰眠ではない。一度死んだ男は胎児へと戻り、また産まれようとしているのだ。




 適当に飯を食って、糞して、部屋に戻った。

 そしていつも通りベットに寝転ぶ。

 今日も気分が酷く落ち込んでいて、何もする気が起きない。こんな自分に嫌気がさしてどんどん憂鬱になる。

 無意識のうちに左手で、胸の辺りにあったハンターの証であるバッチに触れようとしている事に気がついた。だけどやはり左手もバッチもない。

 幻影肢か………。

 虚しさと悔しさが胸から込み上がって思わず唇を噛む。そして毛布の中に潜って蹲った。

 今でも鮮明に覚えている。きっとこの記憶は脳に焼きついて消えないのだろう。

 あの日のダイアダは、いつも通りの陽気でみちていて、今日もきっといい一日になるんだろうと思っていた。


 無事一仕事を終えて、ギルドでかなりの報酬を貰った後、浮かれた気分で行きつけの酒場に仲間と行った。

 テーブル席に四人で座り、一息ついてウェイターを呼んだ。

 俺から見て右にいる高身長で切れ目の益荒男がギギ。左に居る、まる眼鏡に黒髪の大人びた男がクシャナ。正面にいる癖っ毛で赤毛のボケーと頬杖をついている男がバザールだ。

 クシャナと今回の仕事の反省点を話しながらウェイターを待つ。そして程なくして誰かが駆けつけた。


「すみません遅くなりました」

 

 振り返ってみると、童顔で目のぱっちりとしたショートヘアの女と視線があった。


 この女の名はココ。北の方にある漁村から、出稼ぎのために来たらしい。

 年下の癖に生意気だけど、明るくて素直だし、なにより胸がデカいからずっと狙ってたんだが、もう今の俺では釣り合わなくなってしまった。


 体を後ろに向けて、テーブルに背を貸す。そしてココに向けてにかっと笑顔を浮かべた。

 

「よお。元気?久しぶりに飲みにきたぜ」

「勿論元気だけど?

 あ、そういえば私、火の玉作れる様になったんだよ。それに比べて矢風の双剣士とかいうハンターはマッチの火みたいなのしか作れないんだとか」


 ココは悪戯っぽい笑みを浮かべた。そして辺りを数回キョロキョロと見ると、こちらに近づいて掌に炎の球体を作り出してみせた。それをニタニタしながら隠すように見せつける。

 こちらも煽る様な笑みを浮かべて応戦する。


「なんだよ。会って早々すげえあからさまに俺のこと煽るな。そんなに寂しかったか?」

「なわけ」


 ココは照れ隠しかの様にぷいと視線を逸らし、掌の炎を消して数歩下がった。

 え、もしかして脈ありか!?

 思わず赤面しそうになったので、どうにか感情を抑える。だが口を開いてみると、上手く呂律が回らない。


「へっ。まぁ、明日にでもさ、習得して朝の挨拶がわりに一発かましてやっからよ。特大のさ、そのー火の玉を」


 なんだか気まずくなって、顔を逸らした。ココの表情が気になるので、盗み見るように横目を向けると、未だに視線を逸らしている事が伺えた。


「期待しとくわ。もしできなかったら金貨一枚ね」

「おう………」


 だが習得する気はなかった。何故なら魔法には〈力〉〈電気〉〈熱〉〈光〉〈物〉〈生〉の七系統があり、俺の得意な風魔法は〈力〉に属するが、爆破魔法は〈物〉に属するからだ。

 得意でない魔法は、相当鍛錬を積まないと習得できないし、〈生〉に至っては才能が無いと使う事すらできないからな。


 ココは流石にもう仕事に戻らないといけないので、ベルトのポーチから注文表の束と鉛筆(整形した黒鉛を木の板で挟んだ物)を取り出した。そして接客モードの控えめな笑顔で「ご注文はと?」と尋ねた。

 俺はまだ平静になれてないが、みっともないし、ココに悪いので普通の態度で振る舞う。


「とりあえずビールと乾燥肉で良いよな」


 横目を向けて仲間に聞くと、「ああ」と皆が即答した。


「かしこまりました。ビール四つと乾燥肉が一つですね。以上でよろしいですか?」

「あっ、僕、蠍の素揚げを一つ」


 バザールが蠍を注文すると、ギギはやはり眉を顰めた。

 ギギは幼い頃に蠍に刺されてから、見るのも嫌なくらい毒虫が嫌いらしい。


「お前またそれか。あんなもんよく食えんな」

 

 ギギが不機嫌そうな口調で言ったが、バザールは平然と会話をする。


「生ゴミみたいな臭いがして、反吐が出るほど不味いけど、あれ食べると故郷を思い出すんだよ。それに栄養食だしね」

「ああそう……」


 ギギが呆れ顔で呟いたが、バザールはまたも気づかない。

 鈍感なのか、自己中なのか。どちらにせよ困ったものだと肩をおとした。


「注文は以上ですか」

「ああ」


 ココが去っていくと誰かが肩を叩いた。

 勿論一瞬驚いたが、誰がやったか予想はついていたので振り返りはしない。


「おいそよ風の双剣士」


 背後から聞こえたのは、にやついた顔が容易に想像できる声だった。


「その声はフェイだな。久しぶりだな。そういえばお前まだブロンズなんだって?」


 ニヤついてそう言った。

 フェイは同じ試験でハンターに受かった同期で、あっちは俺の事をライバルと思っているらしいが、俺はこんな奴眼中になかった。


「それがよーつい先日シルバーに上がったんだぜ」

「ヒューーやっちゃうの?」


 ギギがニヤついた顔で囃し立てた。  

 他の連中もやっちまえって顔をしている。


「やろうぜ!!」


 振り返ると、活気を宿したエメラルドグリーンの瞳と視線があった。

 派手な金髪に派手な耳飾り。やはりフェイか。

 フェイはえらく興奮した表情でこちらを見ている。

 そんな表情で見られたら、流石に断わり要がない。まあ断る理由もないが。


「まあ約束だからなあ……。腕折れても知んねえぞ……」


 俺は勿体ぶるように言って、席を立った。

 フェイはバザールに席をどいて貰って、俺とテーブルを隔てて相対した。そしてテーブルに肘をついてお互いの手を握り合い、視線を交える。



 二人の腕と手は、長さや大きさにはたいした差がない。しかし一点大きく相違する。それは筋肉の作りだ。

 フェイのは一眼見て、相当鍛えている事がわかる立派な筋肉だと言える。

 だがラースのは異質。その一言に尽きるほどの、まるで刻みこまれた様な凹凸の筋肉。それは鍛錬によって培われるものの域を超えており、言わば天性によってできた物であった。


 

「相変わらず化け物みてえな腕してやがる」


 フェイはあからさまに動揺しながら言った。

 無理もあるまい。俺の契約器物である汐凪と潮凪は、前者は二キロほど、後者は三キロ以上もある。

 それで毎日欠かさずに三時間も素振りをすれば、異常に発達した筋肉にもなるだろう。


「怖気付いたか?」


 舐めた口調でフェイを煽る。


「ぬかせ……」


 だがフェイは嘲笑を返して見せた。


「おい皆。これから二人が勝負するから賭けやろうぜ!!」


 ギギが周囲の客を囃し立てた。だが誰も反応せずに食事を取っている。


「けっつまんねーの……」


とギギは不満そうにぼやいた。

 バザールがギギを平坦な声で宥める。

 

「まあ、短剣を使わない双剣士は腕力が異常に強いからね。それにうちのはアタおかだし」


 するとクシャナが大勢に聞こえる声で話だした。


「まあな。でもこれじゃ面白くない。だから俺が一人でフェイにかけるよ。俺が勝てば参加者から金貨一枚ずつ。逆に負ければ、俺が参加者全員に金貨一枚ずつあげることになる」


 クシャナは後ろを振り返って、集まった視線と向き合う。そして


「で、どうする?やる?やらない?」


と皆に問うた。すると、


「「やるにきまってんだろ!!」」


と、どっと活気にあふれた喧しい声が、店を包み込んだ。

 皆席を立ったり、拳を突き上げたりして、昂った感情を表にしている。

 あちらさんがたはいいだろうが、此方は非常に良くない。

 たった一枚だが、金貨には人一人一ヶ月どうにか暮らせる程の価値がある。その上、丁度仕事終わりで混み合う時間なので客も多いい。下手したら俺達の財布からも払う事になるだろう。

 久しぶりに高え酒買いてえから釘をさしとかねえとな。

 鋭い視線を向け、怒りのこもった声で、


「おいクシャナ。こんだけ人いんのに払えんのかよ」


 と問うが、クシャナは振り返って


「これでちょっとね」


と、すました表情でカードを切る仕草を真似してみせた。

 きっと賭博で勝ったんだろう。

 クシャナは見た目通り勤勉な人間だが、真面目とは言い難い。女遊びだって普通にするし、賭け事は日常茶飯事。一日中魔法の勉強をしていると思ったら、次の日には一日中ギギと賭博をしている。

 

「おいもう始めようぜ!!」


と若い男が急かしてきた。

 するとそれに乗じてだんだんと皆が急かしだして、店内は騒然とした。


「わかったって。静かにしろ。でも始める前に言わないといけない事がある。ルール追加だ。流石に俺だけ不平等過ぎるだろ?

 では、フェイは八秒間静止できても勝ちとする。文句はないな」


 予想外のルール追加に驚いて、クシャナに視線を向けた。


「おいクシャナ」

「ん、なに?」


 表情でそれは不味いだろと伝えるが、クシャナは誤魔化す様な笑みを浮かべた。そして席を立って、その場から立ち去る。

 フェイの怒りの矛先が自分に向いてる事に気づいてるんだろ。ていうかそれを最初から分かっていながら。


「おい待て!」


と声をかけるが、クシャナは全く無視して離れた席へと移った。

 あいつ………すこしはフェイの気持ちを考えてやれよ。


「まあフェイだから大丈夫だろ」「そうだな」「まあねフェイだしね」「相手はあの矢風の双剣士だぜ。五秒も耐えられねえよ」


 外野がフェイを逆撫でする様な事を口々に言う。

 不味い事になったと思って、フェイをフォローしようと前を向き直すが、時すでに遅し。フェイは俯いて力んでいる。

 たくっ。俺は知らねえからな。

 フェイは握り合っている手を離して、勢いよく立ち上がった。

 あーあ。

 見たくもないし、俺には関係ないことなので、視線をそむける。


「このクソどもが!!俺のことどんだけ舐めんてんだ!!俺だって、俺だってなぁーー!!同格のシルバーハンターなんだぞ!!」


 フェイは荒々しい口調で外野に向けて叫んだ。

 店内は静まり返って、気まずい空気が満ちる。

 だがその空気はギギの


「でもつい最近なったばっかなんだろ」


という、たった一言で無様に崩れ去った。

 フェイは無言で席につき、また肘を置いて手を握った。

 やっと腕ずもうができると安堵して、溜息を零そうとするが、


「ラース!!」


 フェイの突然の叫びに遮られてしまった。

 フェイの射殺す様な視線に心臓がびくつく。握っている手からは微かに熱が伝わってきた。


「え、なに?」


 なんなんだよ急に。俺は全く悪くねえだろ。


「勝ったら俺が名乗っていいんだな!!矢風を!!」


 至近距離で叫ぶな馬鹿。しかも鬼の形相で。


「あ、それ?別にいいけど。他人が勝手に言いだしただけだし。じゃ、そろそろだな」 

「ああ!!どんときやがれ!!」


 横目で乾燥肉を必死に齧っているギギに合図を送り、片手を掲げさせた。


「じゃ、初め!!」


 そして大きな合図と共に腕が振り下ろされると、二人は腕と腰に全力で力を入れた。

 蔦のような血管が浮き出る程の力が込められた二人の腕は、小刻みに震えるが微動だにしない。

 フェイは前より驚愕するほど強くなっていた。


「いけーーやれーー」「いける!!いける!!」「叩きつけてやれ!!」


 店の客と店員までもが観客となって、熱い歓声をあげる。

 その熱に高揚して微笑み、手には力がこもる。


「うぉーーー!!」


 雄叫びを上げて、力を腕に更に込めた。

 フェイの腕が右へと傾く。だが程なくして止まった。

 店内を緊張が包み、重い沈黙が続くと思いきや………


「この野郎………や、やべえ手が……」


 突然フェイが苦悶し始めた。


 この時、俺の左手は万力の様な握力で、フェイの右手を握り潰そうとしていたのだ。だがそれに気づかなかった。


 あまりの痛みに耐えかねたフェイは、腕の力が抜けて一気に手の甲をテーブルに打ち付けてしまった。

 きっと想像を絶する痛みだっただろう。


「わ、悪い……つい力み過ぎた」


 やっと強く握り過ぎた事に気づいて、誤魔化すような笑みを浮かべながら謝った。

 するとフェイは急に手に力を込め始めた。

 てっきり怒らせてしまったのかと思って、顔を苦悶に歪ませながら再び謝る。


「悪かった。頼むから離してくれ」


 だがフェイはそれを全く無視して、手を離す何処か更に力を込める。


「ラース。そこから離れろ!!」


 流石におかしいと思った時、クシャナが叫んだ。

 するとそれに呼応する様に、甲高い悲鳴が店に響いた。

 血相を変えた仲間を訳がわからなそうに一瞥し、前を向き直す。すると、フェイの胸から葡萄酒より赤い液体が溢れているではないか。

 あれは…………血だ。


「フェイ………」


 ボキ、ボキ、ボキ。

 突然鳴ったのは痛ましい音であった。

 自分の手が握り潰されたのだと思ったが、視線を下げてみると潰れているのはフェイの手だった。

 俺の体は無意識に怒っていたのだ。

 脳が状況に追いついていないが、とりあえず退いて右手に契約器物である汐凪を呼び出す。

 渦を巻く風と共に、錆びて今にも朽ちそうな銅剣が生成された。



 ''契約器物''とは、文字通り契約することで所持者の人体の一部と同化した道具である。

 契約器物が傷つくと同化した体も傷つき、また逆に同化した体が傷つくと契約器物も傷つくという、デメリットがあるが、それをかき消す程の恩恵を齎す特殊効果があるので、大体のハンターはこれを使っている。



 こちらを虚な表情で見るフェイの背後に、誰かいるのが少し見えた。

 血が出るほど唇を噛み、手には自然と力がこもる。

 脳が状況に追いついた。

 たった今友がやられたのだ。大切な友が。

 目標はただ一つ。フェイの弔いの為に、命をかけて外道の素っ首を落とす事だけだ。

 だが怒りのままに戦いはしなかった。何故なら奴は無属性魔法であるネクロマンシーを使ったからだ。

 ネクロマンシーを使える者はごく僅かで、何故か使える者は尋常ではない魔力量を保持しているものが多い。となれば奴がゴールドハンター並みの、いや、並みのゴールドより強い可能性が十分にありえた。

 こちらは最近調子がいいとはいえ、所詮はワンランク下のシルバー。とても勢いで勝てるような相手ではなかっのたのだ。

 


「こいつはかなりの手だれだ。そういえば店主はいるか?」

「どうした?」

「すまないが今日で酒屋は廃業だ。生活費は俺がなんとしてでも払う」

「おい。ちょっと待てどう言う意味だ」


 店主は困惑した口調で尋ねた。

 たが顔も見らずに、


「説明は後だ頼むから逃げてくれ」


とぶっきらぼうに言葉を返した。

 俺の頭の中にあるのは、すでに殺意だけだったんだろう。

 

「もしかしてあれをやる気か?」


とギギが質問してきた。


「ああ。同業にも邪魔になるから逃げるよう伝えてくれ」


 バチ、バチ、という耳につく音と共に、紫電がほと走り、フェイの右手に静電気を纏う白銀の槍が生成された。

 フェイはテーブルに上がって、槍をこちらに向けた。こちらも構えて剣を向けた。

 確かフェイは、槍の長いリーチと、足の速さを活かして相手と一定の距離を保ちながら段々と電気を溜めていく、長期戦向けの戦い方をしていた。ならば突然強力な電気を放ったりは恐らくできないので、正面から突っ込んでも問題ないだろう。

 こちらが前進するのと同時に、フェイは刺突をくりだした。

 目線の上からくる槍を、剣を振るってはじき、さらに前進した。そして左手でがら空きになった脇腹に刺突をくりだす。

 フェイの腹わたをえぐった瞬間、手に生々しい感触が流れると、不意に涙が溢れてきた。

 今は駄目だ。躊躇があってはいけないのだと言い聞かせて、緩くなった涙腺を引き締めた。

 左手を薙ぎ払って腹を横に裂き、鮮血が舞う。

 重心が崩れたフェイは、赤黒い臓物を腹からはみ出しながら倒れていった。

 手が血で汚れたが、気にもせずに前を見据える。

 テーブルの先にいる者はローブを纏っているので、顔がわかりずらいが、胸の膨らみと、髪の長さから女とみた。

 ローブを纏った女はニヤリと歯を見せて笑った。

 女だろうが外道に容赦はしない。

 テーブルを蹴り飛ばして前進し、剣を袈裟がけに振るって、テーブルごと女を叩き切る。

 だが女は宙へと軽やかに舞って攻撃を回避し、俺の頭上へと鞭を振るった。

 顔を逸らして鞭を避けながら、瞬時に頭の中で魔唱文字を数十文字並べた。

 そして鉄塊の様に重くなった剣を振るう。



 魔法というものは確かに便利だが、特別使い勝手がいいものではない。何故なら魔法は、魔唱文字という特別な文字を、規則にそって正しく並べ、そして魔力を精密に操作しなければ、そもそも発動出来なかったり、狙った通りにならなかったりするからだ。

 それに加え、一部の契約器物は"呪鎖の刻印''という魔法が刻まれている。それは、なんらかの良い作用を齎すが、同時に制限やリスクなどの負の作用も齎す。

 俺の場合は、契約器物である潮凪、汐凪を振らないと、風魔法が発動できない上に、その振るう時に魔法の強さに合わせて武器が重たくなる。その代わり魔法の威力を高めてくれるのだ。



 すると強風が巻き起こって、女が吹き飛ばされた。

 今のうちだ。

 少し後退してフェイの腕を掴み、背後へと投げた。

 そして仲間に視線を向けて、状況を把握する。


「全員逃げたか!!」

「ああ」


 前を向いて今度は女の状況を確認すると、床に倒れて今立とうとしている事が伺えた。

 やるならいまだな。


「ギギやれ!!」


 状況が整ったので、後退して仲間の元へと行った。


「巨大膨張爆発(ビックバン)!!」


 ギギはそう叫んでフェイの死体を女へと投げた。


「帷……」


 そしてバザールが〈音の帷〉を発動した瞬間、あたりは眩い光に包まれたと思うと、けたたましい轟音が鳴り響いた。

 

 〈巨大膨張爆発(ビックバン)〉、この魔法は死体に宿りし魔力を、全てエネルギーに変換して巨大な爆破を起こす。魔力量によっては、小さな町一つぐらいなら吹き飛ばせる程の威力をだせる。


 焼けた土の匂いが鼻腔くすぐる。恐らくさっきの爆発で土がまったんだろう。

 目をそっと開けて、辺りの様子を伺う。

 もうだいぶ暗い上に土埃がまっているので、視界がはっきりとしないが、瓦礫や木材などの家屋の残骸が散乱している事がわかる。


「全員無事か」


と辺りを見たまま言った。


「「ああ」」

「やれたのか?」


とギギが質問した。


「いや………」

 

 さっきから辺りを見渡しているが、あの女は見当たらない。

 今度は死体の一部がないか目を凝らすが、有るのはやはり瓦礫や木片だけだ。

 

「いないな」

「消えたのか?」

 

 皆、困惑した表情であたりの様子を伺っている。なのでバザールに〈地獄耳〉という魔法で探ってもらおう。


「バザール。頼む」


 俺は何処に何か無いかなと、前へと歩く。


「ああわかった」


 大きな木の柱が落ちている。どかしてみるか。

 柱を蹴って乱雑にどかした。そして首を屈めてなにか無いか確認するが、やはり何の跡もない。

 まあそうだよなと、肩を落とした。


「バザール何言ってる」

「お前なんか様子がおかしいぞ」


 何やら後ろが騒がしいので、振り返って声をかける。


「ん、どうした」


 すると二人の何処か深刻そうな表情が此方に向いた。


「バザールがさっきからおかしいんだ。死んでるだのなんだの言っててさ」

「そうなんだよ。なんか深刻そうな表情してるしよおー」


 確かに、目を閉じながら、苦虫を噛むような表情でなにかぼやいている。

 バザールはあまり表情が豊かじゃないので、俺達でもこんな顔を見るのは初めてだ。


「とりあえず起こそう」


 前へと歩き、そしてバザールの肩を掴んで乱暴に揺さぶる。するとバザールは目を開いて、困惑気味の表情をこちらに向けた。


「あ、ごめん。ちょっと予想外の事があって。えーとそれより、そうだ!敵だ!!後ろの建物の屋根に敵がいる!!」


 瞬時に振り返って、屋根の上へと視線をやる。するとそこには一人の男がいるではないか。

 その男はこちらが困惑している内に、掌を向けて魔法陣を展開するが、


「貫光・一条鼠穴」


 クシャナが魔法を発動した次の瞬間、一条の眩い光に足を貫かれた。そして男は血を撒き散らしながら屋根を転げていって、地面に落ちた。


「死んだのかな」


とクシャナは言うと、死にかけの男に右手を向け、そしてその掌に魔法陣を展開した。


「どっちにしろあと数分とたたないうちに御陀仏だろ。らくにしてやれ」


 クシャナは俺の言った通り、さっきと同じ魔法で男の頭部を撃ち抜いた。


「でもこれ本当に殺してよかったのか」


とクシャナが尋ねると、


「問題ない。既に死んでる」


とバザールは平然と答えた。

 それに皆驚いてバザールに視線が集中する。


「どういうことだ」


とバザールに尋ねる。


「フェイと同じさ。ネクロマンサーに操られてたんだ」


 そしてバザールが返答すると、


「マジかよ。じゃあの女やっぱ生きてんのかよ」


とギギは驚いた。


「多分ね。でもまだ驚くにははやいよ」


 ギギが、「はぁ?」とバザールの意味不明な発言に首を傾げるが、


「直に分かるさ」

 

とまたもバザールは意味不明な事を言って、視線を上に向けた。

 ガタッと突然上の方から物音が聞こえた。

 なにかと思って視線を屋根に向けると、またも人が一人、いやもう一人、また一人と増えていく。


 これはなんだ!?


 あまりの動揺で心拍は速まり、思考が鈍くなる。

 そしてとどめを刺すかの様に、ガタッと一斉に立ち並ぶ店の扉が開いた。そしてそこからぞろぞろと列を成して人がでてくるではないか。

 ギギはそれに酷く驚いて、叫びを上げ、クシャナが宥める。

 

「どうなってんだ!!横からも来てるぞ!!」

「叫ぶな喧しい。落ち着け」


 そしてバザールが


「もう終わりだよ。あーあ婆ちゃんより先に死んじまうとはな」


と憂鬱そうにぼやいた。

 すると頭にどっとなにかが込み上げてきて、心臓が平静を取り戻した。

 バザールに睨む様な視線を向けて、


「バザール……弱音は酒のつまみに吐け。俺達はハンターだろうが」


と、静かに窘めた。


 ハンターは仲間が死のうと、数十匹の群れに襲わようと、士気を下げる様な発言をしてはいけない。何故なら負けを考える様な者は、もう狩る側ではなく狩られる側になってしまうからだ。


 バザールは少し苦笑気味の笑顔を浮かべて口を開く。


「そうだね……。じゃあどうします?」


 するとギギがニカニカしながら


「一世一代の狩りだ。ド派手に行こうぜド派手によ」


と、言った。

 ギギの目の前に、子供の身長をゆうにこえる、巨大な黒鉄のハンマーが炎と共に、クシャナの左手に、太陽が描かれたグリモアールが光と共に、鈴の音がなったと思うと、バザールの右耳に鈴の耳飾りが生成された。


「そうだな。この街を消しとばすぐらいの勢いで行こうぜ」


とクシャナは愉悦を浮かべた。


「ああ。で、どうする」

「この道を真っ直ぐ北に進んでギルドに行こう。ギルド長がきっといる筈だ」

「よし、じゃっそれで決まりだな!!」

「「おう!!」」


 返事と共に、皆北へと向かって走り始めた。

 一番足の速い俺が最前線となって、たちはだかる敵を切り捨てていく。

 

「ギギ建物に火をつけろ。こいつ等バカそうだからきっと巻き込まれるさ」


とクシャナが提案した。


「は!?」

「大丈夫だどうせ誰も生きてねえよ。それに派手にいくんだろ。まあでもギルドの近くにきたらやめろよ」

「わかった。燃やしつくしてやるよ!!」


 ギギはクシャナの指示通り家屋へと火を放ち始めた。

 確かに良い策だ。だが....

 先にある脇道から骸の群れがぞろぞろと現れたではないか。

 どうやらそんなことを悠長にしてる暇はない様だ。


「僕がやるよ」


 チリンと鈴の音が騒がしい夜によく響いて、寂寞をもたらした。そして心が休まったと思うと、目前にある骸どもの障壁が弾け飛んだ。

  

「蛇緋光」


 今度はクシャナが魔法を発動した。

 次の瞬間、首筋に熱い物を感じ、突然目の前を赤い熱線が飛んでいった。


「クシャナ!!」


 振り返って、クシャナに怒号を浴びせた。だがあいつは涼しい顔をしている。


「いいだろ別に当たってないんだから」

「たくっ、外すなよ!!」

「外す訳ねえだろ。俺の熱線は何人であろうと逃しはしない。俺達は神に選ばられし天才だろ」

「痛々しいこと言うな馬鹿。吐くぞ」

「死にたいなら吐くといい」

 

 目の前を熱線が次々と飛び、曲がりくねって敵の足の関節や目、脊髄などを正確に撃ち抜いていく。

 緋光は操作性が良いが、威力が低いため、殺傷しにくい。なので敵の動きを確実に封じれる場所を狙っているのだ。

 後から、突然爆発音が響き、辺りが揺れた。

 恐らく巨大膨張爆発だろう。

 俺も派手に行きたいが、もしもの為に魔力を温存しておこう。



 必死の逃走をして、疲労困憊しながらもギルドのある広場の目前までたどり着いた。

 希望を前にして、全身の疲れが吹き飛んだ。足は急かされる様に前進を求める。

 あ、あと少しだ!!あそこにはギルド支部長の地割りのルイカルという、昔はこの国のハンターの中でも五本の指に入ると言われていた、音魔法の達人がいる。きっとあの人なら………。

 広場に出て、足を止めた。そしてキョロキョロと辺りの様子を伺う。


「誰も、いや………」


 前方に背の高い人影が一つ、いや、彼方此方から微かな騒めきが聞こえる。もしかして骸共が……


「あ、あの長い髭はもしかして、ルイカルさん……」


と呆けた様にギギが言った。


「え……」


 辺りを見るのをやめて、視線を目の前の影に集中させる。

 二メートルほどの身長に、胸の辺りまで伸びた髭、右手には、とても片手では持てぬクレイモアが。しかし左腕はない。だが紛う事なきルイカルさんだ。かつてこの国で、五本の指に入るといわれた。

 希望に目を膨らませ、声をかけようと一歩踏み出すが、


「ルイカルさん生き...」

「死んでる」


 バザールの遮る様な信じ難い宣告に邪魔された。


「まじ?」

「嘘じゃない。心停止している」


 バザールが言い切った瞬間、俺は左手に潮凪を呼び出した。そしてルイカルさんだったものを、双剣で次々と無心で切り裂き、血を浴びた。

 地面に散乱した真っ赤な死体を少しの間眺め、顔を上げた。

 希望は潰えた。だがしかし、


「バザール、ギギ、クシャナ!!どうする!!」

「「答えはさっきでてるぜ!!」」


 此処で諦める様なら俺達は数年前にもう死んでいる!!


 弾き飛ばされたように、四匹は分かれて骸の群れへと走り出した。

 群れの目前に来たところで、高く前へと跳躍した。

 下には手を伸ばす骸の群れ。まるで亡霊が助けを求めているみたいだ。

 いいぜ。全員ぶっ殺して解放してやる。

 剣を豪快に振り上げて、


「颶風斬!!双子三日月!!」


 豪快に振り下ろすと、一つがいの風の塊が創り出された。そしてその塊は骸を吹き飛ばして群れの中に小さな穴を作り出した。

 その穴へと着地し、双剣を右肩へとやる。そして片足を軸にして、ぐるりと回転して剣を振るうと、一輪の風が巻き起こって、辺りの骸が虫ケラの様に一斉に吹き飛ばされた。

 今度は双子三日月と同じ様に、豪快に双剣を振り上げて豪快に振り下ろす。



 振り方は全く双子三日月と変わらない。だが一点違う所がある。それは剣の重さだ。

 この時の剣の重さは、元の重さの一〇〇倍以上に跳ね上がっていた。

 両碗の小高い山の様な力こぶから、何百キロもの剣を片手で持ち上げる異質な腕力が伺える。



「颶風螺旋斬!!」


 そして一つがいの斬撃が飛んでいき、途中で交差して螺旋を描がく。螺旋の斬撃は高速旋回し、敵を削いで飛ばして蹴散らしていった。

 

 風は魔法の中でも最も殺傷能力が低い。なので今の実力では三日月も、辺りの敵を飛ばした竜一転も臓腑を削ぐまでは至らない。だが颶風螺旋斬は臓腑どころか骨をも削るのだ。


 もう一振りと、同じ様に剣を振るって颶風螺旋斬を飛ばし、また飛ばし、そして飛ばし、体が死ぬと訴え様とも更に飛ばす。

 最初の一振りの時点で、既に腕に違和感を覚えていた。だが死に直面した状況での体の訴えなど何の意味がある。

 ほんの数分振り続けて、腕を止めた。

 骸供はまだ彼方此方に居る。

 だが魔力はあと一発分。体力は既に限界を超えていた。

 疲れた脳を揺さぶる轟音に、目に焼き付く、燃え上がる家屋。

 歩み寄る骸どもは、その身を焼かれようとも足を止めない。

 ああ地獄だ。俺は今、地獄にいるみたいだ。

 脳を意外にも巡るのは、快楽と懐かしい記憶。

 

 笑え。辛い時ほど笑え。


 ああ。あの人の言葉だ。思い出した。


「ああ笑ってやるさ!!」


と、にやりと笑みを浮かべて叫んだ。

 

 神様は、時には獣や罪人にすら気まぐれに味方し、時には善人や聖人にすら気まぐれに罰を与える。

 その気まぐれを、どうかこの獣にお願いします。それともまだ虐めたりないっすか?

 

 重くなった剣を振り……上げ、る!そして思い切り振り下ろすが、そのまま地に力尽きる様に倒れた。

 体に力を入れようとしても、うまく力が入らない。もう限界か。

 地面から冷気と、沢山の音が伝わっててくる。

 ビックバンの轟音や、家屋の燃える焚き火に似た音、そして骸共の歩みよる死の音。

 五月蝿い筈なのに妙に静かだ。いや、一つだけ喧しい音が、いやこれは声か。


「起きろ!!起きろ!!起きろラース!!まだ何も……何も成し遂げてねえーーだろ!!」


 クシャナの怒号に目を覚まして、顔を上げる。するとそこには、旋風を纏った潮凪と汐凪があるではないか。

 遂に表れた希望、いや勝利の確信に目を大きく開く。そして体を起こして双剣を拾った。


「神様は鬼畜じゃないか」

 

 まったくあんたの言う通りだよ。

 今の体で双剣を扱うのは非常に困難だ。なので汐凪をなおす。そして潮凪を天に向けた。

 すると背後から強い風が吹き出して、形容し難い匂いが鼻をくすぐる。



 この魔法の名は神風。何処からともなく変わった匂いのする風を呼んで、強力な風魔法を無制限に使える力をくれる。

 どんな書物にも類似したものが書かれていない上に、魔唱文字を必要としない異質な魔法だ。

 前窮地に追いやられた時に一度勝手に発動しただけなので、発動条件は分かっていない。



「やっと来てくださった!!神風が!!」


 そう叫ぶと、


「まじかよ!!」

 

とギギも叫んだ。

 ありがとう神様。これからも殺生を重ねて精進します。

 剣を担いで、骸共を睨む。

 迫り来る骸の中には顔見知りも多くいる。だからこそ胸の中の怒りは烈火の如く燃え上がって、筋肉は躍動を求める。

 俺は颶風を纏いながら走り始めた。

 嵐の吹き荒ぶ風の如く地を駆け抜け、一振りで敵を塵の様に吹き飛ばし、燃え上がる家屋を大破して火を吹き消す。


 あの時、己を己と認識できなかったのは、きっと神風が本当に人智を超えていたからだろう。

 あの風は前より悍ましいほど強くなっていた。


 俺は途中から意識が吹き飛んで、目が覚めると朝になっていた。

 辺りを眺めると、今まで過ごしてきた街はない。あるのは死骸と崩れた家屋だけだ。

 自分は全て壊してしまった。

 仲間と過ごした、故郷でもある街は面影すらのこっていない。きっと好きだったあの子も、もうこの世にはいないだろう。

 だが泣いている暇は無い。きっとまだ本体は生きている。


「泣もしないのかい。やっぱあんたあいつにそっくりだねぇ」


 声に驚いて振り返ってみると、そこには艶然と佇むはだけた姿の女がいるではないか。

 ぱっちりとした目には底なしの黒い瞳。腰まである長い黒髪は、逆に鉱物の様に艶めきながら靡いている。

 亡霊の様な肌の白さもあいまって、神々しささえ感じ、言葉を失った。


「あなた………あの人の言葉全部覚えてる?」

「誰のことだ!!」


 剣を構えて、女を睨む。だが女はどこ吹く風と言わんばかりに喋り出した。


「神様はどっちつかずで薄情。だけど鬼畜じゃない。頑張ってたら偶には味方してくれる。

 でも……ケチだから気をつけろ」

 

 途中まで聞いた事のある言葉だったが、最後の所は全く聞き覚えがなかった。

 突然、左肩に激痛が流れた。

 左肩に視線をやると、宙に浮いている漆黒の球体と、そこから伸びる獣の脚が目に映った。

 その脚は血を纏った俺の左腕を、持ち去っていったではないか。


「え………」


 頭が真っ白になった。

 愕然とした表情で女を見据える。


「まったくあの人の言う通り。神様は救いをくださるけど、しっかり対価を貰っていく」


 女もこちらを見据えて、底なしの瞳で俺を飲み込もうとしている。いや自ら飲み込まれようとしていたのか。

 一度視線を逸らして、女の奇術を振り解いた。


「あれもお前の……」

「違うわ。あれはちゃんと生きてる獣。那由多の猫よ。

 那由多離れた何処からの来訪者。亜空間を自由に移動し、獲物の大切な物を奪っていく嫉妬深い泥棒猫。

 流石にあんな化け物傀儡にできたらずるすぎでしょ?」


 那由多の猫。それは神話や御伽噺に出てくる大型の猫の様な見た目をした幻の獣で、時空や空間を司る事ができると言われている。

 そんな存在しない、存在してはいけない様な獣を、さも当然の様に実在するものの様に語った女に衝撃を受けた。


「なにを言っている。那由多の猫は幻獣だぞ」


 でも実際に神話と同じ様に、黒い亜空間を創り出していた。それにあの脚は間違いなく猫のものだった。

 まあどうでもいいか………。

 思考を投げ捨てて、汐凪を右手に呼び出す。そして女に剣の先を向けた。


「やめときな。別にあなたを殺しにきた訳じゃないからさ」

「心配するな。片手が無くとも剣は振れる。それに体が軽い。これはこれでなかなかいいぜ」


 無理矢理頬を引き攣らせて笑ったが、胸は高まらない。逆に血の気が引いてく様な不快感を覚えた。


「辛い時こそ笑えか。でもお前のその顔、笑ってはおらんぞ。ただ頬を引き攣らせているだけだ」


 図星をつかれてしまって、何も言えずに視線を下げる。だが直ぐに女を見つめ直した。


「そうだな。でも此処で引く事は許されねえんだ」


 俺はどんな状況でもハンターとして、狩る側でありたかった。だから頭に下がるという選択肢はいつだってなかった。

 女の言葉を全く無視して、剣を体ごと大きく下げて重心を後ろにやって構える。そして投擲武器を投げる様に剣をつく。


 これは最近思いついた技でまだ未完成だった。

 なのに何故かこれを使った。きっと俺は勝てなくてもいいから最後になにか成し遂げたかったんだろう。


 だが地面に転げた。片腕が無くなって、体の重心が変わってしまったのだ。

 地面に転げたまま、顔を上げて女を見据える。

 女は漆黒の瞳でこちらを眺めながら、歯を出してにやりと笑った。


「終わりは始まりだ……。頑張れよ」


 女の終わりという言葉が脳内に反響する。

 う、五月蝿い。黙れ。

 あまりの恐怖に、体を凍えたかの様に揺らし、俯いて地面を引っ掻く。

 

「待て……。待て……待ってくれ……頼む……」


 そして何かに怯えて縋り付く様にそう言った。

 その実怯えていた。仲間と顔を合わせるのが、死よりも恐ろしかった。


「待てよクソ女……」


 鋭利な声が辺りの空気を一変した。

 一瞬だれか分からなかったが、直ぐに予想がついた。

 声が聞こえた方へと恐る恐る視線を向けると、やはりそこにはクシャナがいた。


「クシャナ………」


 勇敢な立ち姿が映った目から、涙が思わず溢れる。

 遠い。眩しい。何故だ。あんなに近かった筈なのに。何故こんなにも遠い存在に感じるんだ。

 これじゃあまるで幼かったあの頃と同じじゃないか。やっと、やっと追いついたのに。


「テメェが向かうのは家じゃ無くて、くっせえ豚箱だろうが………」


 クシャナが殺意満々で言ったが、女は眉一つ動かさない。完全に馬耳東風だ。

 突如女の後ろに、大きな穴のような黒い何かが表れた。恐らくあの獣が手を伸ばしていた球体と同じ物だろう。

 女は後退して闇の中に入って姿を消す。そしてそれと同時に闇も姿を消してしまった。

 完全敗北だ。結局街もこの有様だし、目の前にいた元凶も逃してしまった。

 辺りを寂寞が包んでいる。

 クシャナは悔しそうな横顔で、女の居た方をまだ見据えている。そして


「逃げやがった……。ふざけやがって」 


 とぼやくと、こちらに視線を向けた。

 クシャナと視線が交わる。その視線から紛れもない同情を感じて、涙はさらに勢いを増した。


「クシャナ………俺……俺……」


 クシャナに泣き顔を見せたくないから、俯いて涙を拭いながらそう言った。


「わかってる。何も言うな……。とりあえず止血しよう」


 俯いたままなのでクシャナが何をしているか明確には分からないが、こちらに寄り添ってきた事が感じ取れた。


「なんだこれ。凄い綺麗な断面だな。あの女に切られたのか」

「猫に……切られた……」

「猫!?」

「ちょ、ちょっと待て、えーーと、まあいいとりあえず止血だ止血。悪いが焼くぞ」


 微かな魔力の力を側から感じた。

 切られた腕の断面に痛が走り、それと同時に屈辱を感じた。

 怒りと悲しみが頭の中でごちゃ混ぜになって、痛みを感じる隙もなくなった。

 そしてその葛藤の中、俺はいつの間にか意識を失った。クシャナがどんな表情で傷を焼いてくれたのか分からないまま。


 



 この後、隣町の教会(この国に病院はなく、代わりに教会や寺院などがその役目を担っている)へとギギが担いで運んでくれたそうだ。


 病室のベッドで目覚めると、腕の傷は塞がっていた。だがやはり左腕はない。

 ふと横に視線を向けると虚ろな表情のバザールが居た。

 バザールは俺と目が合うと、咄嗟にニコッと微笑んで、「おはよう」と言った。

 なんだか気まずくなって、「お、おはよう」とぎこちなく返してしまった。


「そういえば俺どんぐらい寝てたんだ?」

「一日ぐらいかな。案外寝てないよ。神父が治癒魔法で治してくれたからね」

「そっかならよかった」

 

 なんだか妙だ。こんな辛気臭い雰囲気に一度もなった事なかったからな。

 バザールは「皆を連れてくるから」とその場から立ち去る。

 その立ち去っていく背中を見えなくなるまで見送った。まるでもう会えなくなるかの様に。

 自分一人になった、ベットが整然とならんでいる病室を眺める。

 静かだ。心が柔らぐ。でもらしく無いなと、溜息をこぼした。

 


 それから直ぐに仲間が神父を連れて部屋にきた。そこで身体の容態の説明を色々と受けた。

 そしてその後、神父が部屋を去ってから、腕を失った理由、その時の状況を仲間に説明した。

 皆、静かに黙って説明を聞き、俺は淡々と説明を続けた。そして説明を終えたが皆沈黙したままだった。

 無理もないだろう。話があまりにも非現実的すぎる。

 俺はどうにも居た堪れなくなって、これからの事について話を切り替えた。



 俺は後日退院した。

 まだ体調は優れていなかったが、傷は治っていたし、やらなきゃいけない事があったからな。

 まず俺達は街に戻った。

 街は人が全く居ないかわりに、焼け跡や瓦礫、死体などが彼方此方にあって、この世の終末の様な酷い有様だった。

 自分達の住んでいた家ももう倒壊して、何もかもがぐちゃぐちゃになっていた。

 きっと俺が壊してしまったんだと、自己嫌悪に落ち入りそうになったが、クシャナが「また建てればいいさ」と気を遣ってくれたおかげで、少し楽になった。

 この家のどこかに蓄えていた金がある筈なので、皆で探す事にした。

 かなり大変だったが、頑張った甲斐もあってかなりの金が出てきた。俺達は最近調子が良かったから、普通の若者の数倍は稼いでいたからな。

 そして隣町に戻って、宿に泊まった。

 その翌日酒場で夕食を取っていると、役人が訪れて中央国家事務所に来るようにと、通行費と誰かの名前が書かれた紙を渡された。

 中央国家事務所。それは王都にある全ての役所を束ねる所だ。

 そんな所に呼び出されたのだから只事ではないのだろう。

 せっかく少しは飯が食えていたのに、嫌な想像をして食力が無くなってしまった。


 その翌日、馬車を借りて王都へと出発した。

 馬車は当然一つなので、一人の時間は一切ない。何故かそれがたまらなく辛かった。

 それから数日して王都についた。

 まだ昼間だったので、宿に馬車を預けて中央国家事務所へと向かった。

 クシャナ以外誰もこの街を歩いた事がない上に、そのクシャナですら幼い頃に数年住んでいただけなので、ほぼ道を忘れていた。

 聳え立つ豪奢な建物に驚き、都会の喧騒に揉まれ、入り組んだ迷路のような道に戸惑う。それでもどうにか人に尋ねたりして、目的地についた。

 俺達は中央国家事務所庁舎を目の前にして、息を呑んだ。

 なんと城のように大きく、ただの事務所だというのに要塞の様な威圧感を放っているのだ。

 

 正門から中に入り、入って直ぐの所にある発券所で、役人から貰った紙を受付嬢に見せた。


 中央国家事務所は国の機密情法なども扱っている所なので、おいそれと外部の者を中に入れる訳にはいかない。なので部外者は出入許可証が発行された者しか入れないようにしているのだ。


 するとその受付嬢は少々お待ちくださいと言って、後ろにある鉄の管の前へと行き、そしてその管を通して何かやりとりを始めた。

 四人揃って呆けた表情でそれを見ていると、やりとりを終えた受け付け嬢は俺達が困惑している事に気づいて、「ああ、これですか。これは伝声管です。遠くの部屋と繋がってて、その部屋と通話出来るんです。なんか凄そうですけど、ただの鉄の管なんですよ」と、説明してくれた。

 許可証を受け取り、「では北棟の階段を上がって三階の特務課事務室に行って下さい。あと怪しい行動が見られた場合、強制退出、逮捕、最悪その場にて警備員、または警備監督責任者の判断よる危険因子の排除が執行されますので行動にはどうかおきおつけて」と、指示と注意を受け、その場所へと向かった。

 指示された部屋に着くと、職員にさらに奥にある部屋に案内された。

 その部屋は小さく、奥にある机には山積みの書類があり、それを整理している偉そうな壮年の役人と、若い秘書の女がいた。

 まず挨拶ををかわし、そして軽く自己紹介と世間話の様な物をした後、本題に入った。


「街を襲ったネクロマンサーと戦って見事勝利し、首をとったいう事にしてください」

「は?……もしかして」


 とギギが血相を変えて怒鳴ろうとすると、


「ギギ。………わかりました」


 クシャナが窘めて、同意した。

 すると役人の男は笑みを浮かべた。

 ギギは不快そうにしていたが、俺は別にどうも思わなかった。何故なら別に嫌な笑みとかではなく、ただ気を遣ってした様に見えたからだ。


「じゃあ悪いですけどまだお願いがあります。

 今回の騒動がかなり世間で色々と話題になってるので、表彰式を開く事になりました。

 すみませんがそれに出て頂きたいんですが………」 


 と男が引き気味に頼んだが、


「それはいくらなんでも無理です。流石にそこまで厚顔無恥になれません」


 とクシャナが一刀両断した。


「でも上がそう申しているので」

「適当に理由つけてどうにかできませんかね?」


 とクシャナが尋ねると、男は顎に手を添えて少し考えた後、


「まあ一度検討してみます」とだけ言った。


「あの……」とクシャナがまた口を開いた。


「なんでしょうか?」

「今回の死霊使い。野放しにするんですか」

「いえしませんよ。流石に一夜にして街を滅ぼすネクロマンサーなんて放っておけません。ですが誰がいったいやったかさっぱりでして。でもその裏にいた人物は大方予想がついていますが」

「だれなんですかそれは?」  

「これ以上はお答えできません。そういえば話変わりますが、まだ十八歳だそうですね。凄いですね驚きましたよ。よくあんな状況で生き残れましたね」


 背筋がゾワっとして、男の笑みが急に嫌な物に変わった。

 完全に油断していた。絶対に聞かれるとわかっている筈だったのに。

 どうする。潮凪と汐凪の事を言う訳には……

 皆口籠もって焦りを見せるが、クシャナだけは平然と相手を見据えて口を開き、


「いえ運が良かっただけです。ダイアダにはルイカルさんもいましたし」


と何の戸惑いも無く返事を返した。

 すると、


「運がよかったですか………」


と男は何か言いたげに呟いた。


「なにか?」

「いえなにも……」


 結局クシャナ以外、ほぼ喋らないまま話は終わった。

 ギギは廊下を歩きながら、ぐちぐちとなにかぼやいていたが、皆気にしなかった。


 結局、表彰を受けずに済んだ。

 上に頼んだらあっさり許してくれたらしい。



 そして街へ帰る前日。朝起きてクシャナの部屋に行くと、部屋は空室とかしていた。

 ギギは探そうと言ったが、バザールは「無駄だよ」と神妙な顔で言った。

 するとギギはため息をついてこちらに視線を向けた。

 恐らく肯定して欲しかったんだろうが、


「流石にこんなでかい街で探すのは無理だ。とりあえず今日は此処で帰ってくるのを待とう」


と言った。


「確かにそうだな。まったく気分が落ち込んでんのは分かるけど、置き手紙ぐらいして欲しいぜ」



 結局クシャナは帰ってこなかった。

 その夜、俺達は酒場のテーブル席で酒を飲みながらどうするか話した。

 ギギは酒を片手に頭を抱え、バザールは顔を隠すかの様に俯いて、グラスを揺らしている。

 この数日間で俺達の積み上げてきたなにもかもが、砂の城の様に容易く崩れようとしている事に皆気づいているのだ。


「明日探してみるか?」


とギギが尋ねてきたので、


「ああ一応探してみよう」


と同意した。


「なんだよ一応って、もしかしてもう帰ってこないと思ってんのか?あいつがそんな無責任な事する訳ねえだろ」

 

 とギギが言うと、「いやありえるよ」とバザールが真顔で否定した。


「なんでそんな事わかんだよ」

「少しクシャナの顔が暗かったから心音をきいてみたんだ。

 あいつの心音ってさ、一定なんだずっと。

 唯一変わるのはとても激しい運動をしたときだけ。でもその時は違った。ずっと誰かに脅されている様な小太鼓の様に速い音だったんだ。

 きっと今の精神状態は尋常ではないよ」

「だからって……」

「なあラースってクシャナと子供の頃からの仲だったんだろ。何故居なくなったかなんとなく分からないかな?」


 グラスを手に取り、一気に酒を飲み干してからバザールの質問に答えた。


「多分俺の腕を奪った奴を探しに行ったんだと思う。あいつは何かが嫌になって逃げ出す様な奴じゃない。なんにせよ何か目的がある事は確かだ」

「まさかそんな事あり得るかよ」

「確かにあり得ない。でも現にあいつは帰ってきてないだろう」  


 皆静かになった。

 ギギは僅かに残った酒を飲み干して、グラスをテーブルに置いた。そして席を立って、


「そうか…ならもういい。街へ帰ろう」

「俺もそれでいいと思う。帰ろうと思えば、金持ってるから帰れるだろうしな。

 バザールもそれでいいな」

「うん」




 次の朝、俺達は王都を出発した。

 そしてその日は、皆必要最低限の事しか喋らないまま夜を迎えた。

 みんな寝静まった中、俺は起きていた。何故か途中で目が覚めたのだ。

 馬車の幌の隙間から月明かりがもれている。

 それを呆然と眺めていると、外の景色が見てみたくなって、幌を上げた。

 辺りは何もない平野だ。遠くを眺めようとしても暗くてなにも見えない。まるで自分のこれからを見ているみたいだ。

 後ろを振り返ってみると、やはり皆寝ている。

 もしクシャナが帰ってこなかったらどうなるんだろうか。

 隻腕になった俺はこいつ等にいつか置いてかれるんじゃ無いか。

 俺は一体なにに狙われたんだ。俺は仲間を巻き込んでしまったんじゃ無いか。こんな奴と一緒にいて大丈夫なのか。

 次から次へと不安が募って、胸が苦しくなる。

 もう何も考えたくない。誰も干渉することのない無の中にずっといたい。

 でも仲間に惰眠を貪る姿なんて見せたくなかった。あいつ等の前では突き進む男でありたかったんだ。

 もういっそ………。

 


 葛藤繰り返した末にに辿り着いた答えは、逃避だった。

 

 物音を立てない様、慎重に馬車を降りる。そして此処から離れようと一歩踏み出すが、なにかが胸の内でそれを拒んで、それ以上進めなくなった。

 左手が無意識の内に動いて、なにか冷たい物に触れた。

 だが左手はもう無い筈。これが幻影肢というやつか。

 胸についたシルバーバッチを一瞥する。そして右手でそのバッチを握った。


 そうか。そうだよな。


 バッチを外して後ろを振り返り、馬車の幌へと手を伸ばす。そして中にそれを優しく置いた。

 その場から逃げる様に走り出して、馬車から離れる。そして息が苦しくなってきた所で、やっと足を止めて振り返った。

 辺りは真っ暗で何も見えず、その上静かで、孤独感がする。だがなんだろう。風が心なしか心地よいような......。

 ふと見上げると、漆黒の空に煌めく沢山の星々が目に写った。そしてその星々に呆然と立ちすくみ、お前等は不滅なんだろと嫉妬した。

 


 俺は無心で歩いて王都に戻り、安宿に駆け込んで、惰眠を始めた。

 そしてあっという間に日々は過ぎていって、今に至る。





   





 後書き



 ラース・イエラキー


 年齢19歳 身長182.5センチ(未だに伸びてます) 体重86.6キロ

 趣味嗜好 筋トレ ロッククライミング 狩 酒 レバー

 契約器物 潮凪・汐凪 属性・風 契約部位 両腕

 身体能力は一番。魔力量はニ番目とハイスペックすぎる男。


 バザール・ヒュエロナ


 年齢20歳 身長173.4センチ 体重56.9キロ

 趣味嗜好 読書 魔法学 薬学 金 バッタの唐揚げ

 契約器物 鈴の耳飾り 属性・音 契約部位 脊髄

  一番華奢です。でもそこそこ動けます。音魔法と重力魔法が得意です

 


 クシャナ・テオス


 年齢19歳 身長180.9センチ 体重78.9キロ

 趣味嗜好 ギャンブル ロッククライミング 魔法学 狩 薬物 酒 

 契約器物 太陽のグリモアール 属性火・光 契約部位 脳 

 魔力量が一番高いです。

 


 ギギ・シルロース


 年齢20歳 身長191センチ 体重93.4キロ

 趣味嗜好 ギャンブル ストリートファイト キャンプファイヤー 狩 酒 熊の心臓の丸焼き

 契約器物 黒鉄のハンマー 属性・火 契約部位 右腕

 無属性であるネクロマンシーの才がちょっとだけあります。

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