たどり着けなかった花々
陋巷の一翁
プロローグ
創造主の被創造物であるクリエにこの惑星で課せられた17兆5778億3412万9672項目の命令の実行はつつがなく完了した。そのためにクリエはこの惑星中を移動し尽くした。海を渡った。空も飛んだ。そして果たすべき役割を終えた今クリエは創造主である彼らの前に立っている。
「これでマスターに課せられた命令はすべて完了しました。マスター。次の命令を」
声を出してクリエは言う。声を発した相手は繭玉の様な不定形の球体で、なかにいくつもの人のような存在の影がうつりかわり映っている。繭玉と直接話すときにマスターは、クリエに声で受け答えするように命じていた。
「そうか、ご苦労様」
鷹揚に繭玉のような球の中から声がする。クリエのマスターの言葉だ。
「私はその言葉を理解しません。マスター。どうか次の命令を」
「もう命令は終わりだよ、クリエ。この惑星で我々がすることはもう何一つない」
別の声色で繭玉の中の人影は答えた。
「?」
いぶかしげに首をかしげるクリエ。長い黒髪がほわり、と揺れる。
「これから私たちは別の星で新しい命を育むため旅に出る」
「星々を渡り次々と命を育んでいくのが我らの使命」
繭の中から複数の声がする。揺れ動く人型とおぼしき影。繭の前に立つクリエもまたその影に似た姿をしている。そしてクリエが大事に育て上げたこの星の霊長たる人類の姿も、クリエや繭玉の中の人影とほぼ同じ形をしていた。クリエは言った。
「では私もお供いたします。マスターと共にあること。それが私の喜びです」
しかし創造主の返事はクリエの望みを叶えるものではなかった。
「すまないクリエ、君は我々のように星々を渡るように作られてはいない」
「そうですか……残念です」
それから少し沈黙が流れた。クリエはこれからどうなるのかわからず創造主の言葉を待つ。創造主の言葉はまたしても意外なものだった。
「だからクリエはこの星に置いていく。この惑星であとは自由に生きるがいい」
「……自由?」
クリエはその言葉の意味を図りかねて首をかしげる。
「そうだ。何もかもお前自身が決めてお前自身で好き勝手に生きるんだ。クリエ?」
諭すような声で繭玉の中の人影が言う。
「それは……、よくわかりません……」
クリエの迷いを感じたのだろう。少し厳しめの繭玉の声が言った。
「……。消去すべきなんだろうな。本当は」
「役割がすんだ機械は停止しなくてはむしろかわいそうだとも思う」
「はい私も、可能なら、それを望みます」
言葉を次々放つ繭玉にクリエは当然のことのように言った。
「だがな、またこうも思うのだ」
また別の今度は優しい声色で繭玉は言った。
「……」
「私は君に役割を果たさせるだけで何も与えられなかった。だから君に贈り物をしたいんだ」
「それが、……自由?」
クリエが答える。
「そうだ」
「むずかしいです」
「いやか?」
「いや……というよりよくわからないです」
「ならば権能をあげよう。君が行える奇跡を一つ、この世界に残していく。この惑星の擬似的アカシックレコードに介入して因果をねじ曲げ、思ったことを何でもできる力だ。ただし一回だけだ。それ以上はせっかく作ったこの世界の摂理が壊れてしまう」
「……」
かわるがわる変化する繭玉の声。無言で唇をかみしめるクリエ。
「この星で作った人間と呼ばれる存在であれば喜ぶ提案だと思うが、クリエには難しいか」
創造主の問いかけにクリエは少し迷って答えた。
「……。はい、難しいです。消えるのは寂しいことだと思います。でも同時に自由に生きることもまた寂しいと思うのです。私は、あなた方のために働くことが一番の幸せでしたので。それがもう叶わないことが、ただただ悲しいのです」
「泣かないでくれ。君のことを大事に思っているんだ。愛しいとすら思う。可愛いとすら思う。繭越しに頭を撫でてあげたことがあっただろう」
「はい、マスター」
「また撫でてあげよう。こっちへおいで」
「はい」
クリエが繭玉に近づくと繭から人のような手が伸びてクリエの頭を優しくさする。クリエはされるがままにしていた。しばらくの間、彼らはそうしていて、やがて繭の手は離れた。
「私たちは行かなくてはいけない。そしてここへは二度と戻っては来ない」
「わかりました、マスター」
「もういちど言う、自由に生きろ」
「……できるでしょうか。私に」
心細げなクリエの声。
「できるさ。クリエなら」
「クリエ、達者でね」
「クリエ、頑張って!」
「クリエならできるさ!」
「遠い宙の先で応援してるよ、クリエ」
まだ迷うクリエの声に様々な声色の声が繭玉からして。
「ありがとうございます」
促されるように、とうとうクリエは頭をぺこりと下げた。
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