春にさよなら
暗黒星雲
第1話 ハルの思い出
「おかあさん。ちょっと出かけてくるね」
「また桜を見に行くの? もう花は散ってるんじゃないの?」
「少し葉が出てるけど、まだ花は咲いてる」
「そう。あの子はもう来ないと思うけど」
「わかってる。でも、満開が終わって葉が出始める頃にって約束だから」
「その約束はずいぶんと守られていなかったんじゃないの」
「きっと何かあったんだよ。五年目の今日、私は彼が来るって信じてる」
「仮に会えたとしても次は無いわ」
「うん。これで最後にする」
私は大きな三角定規と名刀肥後守を掴んで部屋を出た。
目指すはあの川沿いの小道にポツンと一本だけある桜の木。
ここはとある研究施設の敷地内。
だから、この桜を見に来る子供はみんな同じ立場のはずなんだ。
何十人かいた子供たち。
私はその中で飛びぬけて背が高かった。
〝女のっぽ〟って言われて揶揄された。
私は悔しくて、私をからかう連中を追っかけて蹴ってやった。時にはグーパンチをくれてやったこともある。みんなより背が高いだけで、どうして馬鹿にされなくちゃいけないんだろう。とても理不尽だと思ってた。
でも、そんな私に唯一優しく接してくれた男の子がいた。
彼は背が低かった。私と一緒にいたら余計にそれが目立つだろうに、そんな事は全く気にもかけていない彼は、いつも私と遊んでくれた。
川で魚を取ったり、エビを捕まえたり、カブトムシの幼虫を掘ってみたり、アゲハチョウの蛹が羽化する様子を観察したり。
そんなある日、彼は唐突に宣言した。
「僕はね、ハルちゃんよりも背が高くなる」
これにはびっくりした。だって、20センチくらい身長差があるのに、将来逆転するのは無理じゃないかって思った。
「えーっと。ナツくん、本気なの?」
「本気の本気、大マジで」
「じゃあ、期待して待ってるね」
「任せとけ」
それから私たちは桜の木に印をつけることにした。二人の身長を、ナイフで幹に傷をつける事で刻んだ。桜の花が散って葉が出てくる頃に、必ず刻もうって約束した。
最初の三年間は二人で背の高さを刻んだ。私はまあ、すくすくと身長が伸びていたのだが、彼、ナツくんはあまり伸びていなかった。
「ははは。そのうち一発逆転で起死回生のスーパーズギュンを見せてやるからな」
「うん。見せてね」
彼が強がって嘘をついているのか、それとも本気で信じているのか私にはわからなかった。でもそれで良かった。彼、ナツくんと一緒に楽しい時間を過ごせていたから。
思い出に浸りながら十分ほど歩くと、あの桜の木にたどり着いた。幹を確認してみると、去年まで私が刻んだ傷跡がくっきりと残っていた。合計七本。その横に、ナツくんの刻んだ傷跡が三本。
私は三角定規を頭のてっぺんに当てて、その直角部分が当たっている幹に目印をつける。それから名刀肥後守を使ってゴリゴリと傷が目立つようにちょっと深めに刻んでいく。
去年よりも1センチくらい伸びていた。最後にナツくんと一緒に測った時からは20センチくらいかな。
あれからナツくんは何センチくらい背がのびたんだろう?
うん。伸びてなくてもいいよ。
ナツくんが元気で、私だけにあの素敵な笑顔を見せてくれるなら。私は何があっても幸せなんだと思う。
私はナツくんとの楽しい思い出に浸っていた。そんな事が出来るのは、多分今日でお終いだから。ずっとずっと、彼の笑顔を思い出していたかった。
ピピピ!
携帯端末から着信音が響いた。
ペンダントのトップを触ると、目の前にホログラムでメッセージが開いた。
「出発の準備をします。すぐに戻って来なさい」
差出人はお母さんだった。
わかってる。わかってるよ。
わかってるんだけど、私はここを動きたくなかった。ひょっとしたら、彼、ナツくんがここに来るかもしれないって思ったから。
でも、私は行かなくちゃいけない。
それが私の仕事だから。
それが私の存在している理由だから。
そのために、私は多くの、本当に多くのデータをインストールした。普通の人間の1000倍以上の容量のデータ。
敵、味方、艦艇や機動兵器、戦術・戦略データ。
それらが私の頭に詰まっている。
私は人型コンピュータ。
機動兵器の演算用ユニットとして組み込まれる。
今日の夕方、私は旅立たなくてはいけない。
ナツくんが来るかもしれないこの桜の木を離れて。
涙がこぼれて来た。
でも、行かなくちゃいけない。
私は涙をぬぐいながら歩き始めた。
いつか、生きて帰って来ることができたなら、必ずこの桜の木に印をつけます。私は生きているよって。ナツくんも元気でいてねって。
【続きます】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます