02. 小川太陽  小川です。助けてください。

To: Niban Senji


 二晩 占二 先生


 いつも大変お世話になっております。

 K大学の小川です。例の論文の共同執筆者に加えていただいております小川太陽です。


 突然のメール、失礼致します。

 まだこの端末の操作に慣れておらず、先程は空のメールを送信してしまい、誠に申し訳ございませんでした。

 お手数ではございますが、そちらは削除いただきますようお願い致します。


 さて、地球滅亡まで秒単位のカウントダウンとなる中、急な申し出となり大変恐縮でございますが、是非とも先生にご助力願いたい事案が発生しております。


 お忙しいところ誠に恐れ入りますが、一旦まな板から離れ、お手持ちの包丁をそのへんに置き、本文にご注目いただけますでしょうか。それとも兄さんは今もまた叶いもしない作家志望のデザイアに心酔しながらキーボードをがちゃがちゃ鳴らしていらっしゃるのでしょうか。


 今日の充電は十分でございますでしょうか。


 あああ、申し訳ございません。最初に謝罪いたします。私の書いている文章は先生からすると、奇妙珍妙でとりとめもなくて変人めいてグダグダで今すぐゴミ箱に破棄してしまいたい衝動に駆られておいでかもしれません。


 しかしながら、これは決して私の頭がとち狂って変になった訳などではない事を念頭に置いていただきたく存じます。破棄しないでください。


 これは時間と空間の歪みによって混乱した脳みそを何とか活用しつつ文章を紡いでいることに所以しているのです。


 ああ、どうか、どうか破棄しないでください。


 お見苦しい点も多々あるかとは存じますが、ご容赦いただければ幸いにございます。いえ、ご容赦くださいませ。何卒。



 ところで、このメールはちゃんと先生の元へ届いているのでしょうか?


 何せ不安なのです。時空を超えた弾みで全く別の何かに置き換わっていたりしないでしょうね?

 先生と全然関係のない赤の他人のLINEノートだとか、某匿名掲示板のスレッドだとか、どこぞの小説投稿サイトだとか。


 いえ、しかし。

 しかししかし。


 私には信じる以外に手段がないのです。

 例えネットニュースのヘッドラインに掲げられていようと、このメールが先生に届いていると信じるしかありません。


 なので話を戻します。是非とも先生にご助力願いたい事案が発生しているのです。文章がとっ散らかっている理由は順を追って説明致します。


 事態は数日前までさかのぼります。


 私からすると数秒前のようにも数年前のようにも前世のようにも感じるのですが、しかしながら改めて概算致しましたところ、おそらく先生の世界では数日前の出来事のはずです。


 なので、数日前までさかのぼります。


 私は突然、妻に離婚届を突きつけられたのです。いえ、初デートで見事にフラれたのだったでしょうか。それとも茶屋であのクソ生意気な小娘に熱湯をぶっかけられたのでしょうか。


 いえいえ、離婚届です。離婚届を突きつけられたのです。

 あの日、仕事から帰宅したばかりの私に向かって、妻は離婚届を突きつけたのです。まだ靴すら脱いでいない、玄関先で。


 驚愕でした。


 結婚して数年、いえ十数年、いえ数十年、申し訳ありません、今の私には正確な年数を思い出すことが困難なのですが、とにかく長い結婚生活において妻からは一切の不満を聞いた覚えがありませんでした。


 何事にも責任を強く持ち、自らも働きに出ながら陰では夫をサポートし、子供たちの教育にも熱心な、良妻賢母だと思っておりました。


 しかしながら。

 理由を尋ねれば尋ねるほど、問いただせば問いただすほど、妻の口からは育児に対する不満や、家事に対する不満や、性に対する不満や、悪癖に対する不満や、果ては朝起きてから夜眠るまでの私の生理的行為一切合切についての不満が、次から次へと溢れ出てきたのです。


 要するところ、妻は私が息をして心臓を動かし脳を代謝させている、ただそれだけで吐き気を催すほど、結婚生活に限界を感じていたのです。


 私は絶望しました。

 弁明は不可能なように見受けられました。


 おしとやかで気の弱い妻の目には強い決意の色が映っていました。いえ、きっと、おしとやかで気の弱い妻だということすら、私の思い込みだったのでしょう。


 絶望の淵で、しかし、私はこの事態から逃れる方法をひとつ思い至ったのです。



 そうです、先生と私の、例の共同研究です。



 某ジャーナルからは手痛いリジェクトを言い渡されましたが、論文に記した作成式も考察も、すべてが正しいことは、我々にとってまごうことなき真実でしょう。


 あの装置さえ使えば、周囲の空間を一瞬にして圧縮し、ブラックホールをその場に生成することが可能だ、という仮説は見事に立証されたのです。


 そしてそれはただのブラックホールではない、ボーリングの球ほどに小さなブラックホール、原始ブラックホールになるだろう、という先生の考察も、的中していたのです! おめでとうございます!


 私は装置を自前の腕時計にはめこんでガジェット化すると、即座に起動して小さなブラックホールを生成しました。先生の設計は寸分の狂いもなく、ブラックホールは確かにその場に存在しているものの、装置の力によって引力は制限され、周囲の物体を無作為に吸い込むようなことはありませんでした。


 それを確認した私は、迷いを棄て、威勢よくそのブラックホールの中へ飛び込みました。


 いえいえ、自殺ではありません。


 別の世界へ、そう、ブラックホールの奥に鎮座すると噂されるワームホールをくぐり抜け、パラレルワールド、すなわち別の世界軸へ逃げ込もうと考えたのです。



 妻に離婚届を突きつけられない、別の世界軸へ。




[メッセージの一部が表示されています]


xxxx年yy月zz日 07:41 <taiyou.ogawa@xxxx.xmail.com>

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