瞬く天体だけを踏みしめながら

 お父さんはおにぎりを三角にできないの。

 ちち、と顔がゆがんで、指の隙間からお米粒、ぽろぽろ。星雲に混じる。紛れる。


 まんべんなく白い粒にまみれた手で、お父さんは紙皿の上にそうっと、いびつなおにぎりを置く。斜めに巻いた、味付け海苔。透けて見える、アンドロメダ。


「そのおにぎり、誰が食べんの?」


 って、妹。偉そうににらむから、お父さん、泣きそうな顔。流れ星。普段、頭ごなしに怒鳴られてばかりだから、仕返しね。ここぞとばかりに声を低くして。


 といいつつ、実は妹も料理初心者。いったい何度、卵焼きを焦がせば気が済むんだろ。いい加減、だし巻きは諦めて普通のにしなよ。


 カセットコンロはひとつしかない。お母さんは、お父さんのすぐ隣。ちょっと微笑んで、火星の真上。

「まあまあ」と妹をたしなめる。塩水で手を濡らして、土鍋から炊きたてご飯を掬って、うん、きれいな三角おにぎり。さすがです。


 せまい台所。銀河はこんなに広いのに。

 立つ場所がないから、仕方なくわたしは後処理係。お父さんの落としたお米粒を拾い集める。妹の焦がした卵焼きをブラックホールに放り込む。


 

 ご覧の通りわたしたちの家は、宇宙の星々に囲まれている。



 ただいま、ピクニックの準備中。電気もガスも使えないから、カセットコンロと土鍋でご飯を炊いたの。

 妹が焼いている卵は、生ぬるい冷蔵庫に入ってたやつ。傷んでいないか気になるけど、多分、大丈夫。何回か試験済み。

 

「よしよーし、じゅんび、かんりょーう」


 やっと完成した妹の卵焼きを弁当箱に詰めて、お母さん、陽気な声。こんなに明るい人だったのね。

 いつも下むいて、眉間にシワ寄せて、パート先の愚痴ばっかり言っていたのに。素敵な笑顔。恒星に照らされて、お日様みたい。


「時間通りだな、みんな、よくやった」


 お父さん、偉そう。妹がスネを蹴る。

 お母さん、笑っている。


「今日は、何処まで行く?」とわたし。


 行き先を決めるのは、お母さんの役割。お父さんはもちろん、わたしも妹も、このへんの緑地には詳しくない。みんな仕事に、学校に、飲み会に、部活に、ゴルフに、遊びに、忙しくって。自然と親しむ機会なんて、ほとんどなかった。

 もちろん、家族でピクニックだなんて。


「そうね、今日は百岳ダムの公園まで行ってみましょうか。ちょっと遠いけど」


 その提案に、運動嫌いの妹は嫌な顔。だけど反対とは言わないんだね。

 ほらほら行くぞ、と妹のフードを引っ張りながら、お父さん。連れ立ってみんな玄関へ。


 靴を履く。

 ドアを開ける。



 カラっと晴れた青い空に、万天の星。



 遊星の隙間を抜けて、わたしたちは坂道を登る。

 アスファルトは透明すぎる。ほとんど見えない。

 家から遠ざかれば遠ざかるほど、あいまいになる。


 ダムの外壁がぼんやり見える頃には道なんてくなっていて、わたしたち一家はまたたく天体だけを踏みしめながら、自然あふれる公園を目指す。


 唐揚げ食べたいな。

 お母さんのお尻を見つめながら歩いていて、急に、そう思った。じゅわ、と肉汁の感触を、口の中で思い出す。

 明日は頑張って、揚げ物しようかな。

 カセットコンロの火力で、作れるのかな。


 ――明日。


 明日が来ることを、わたしは疑わない。

 厳密げんみつに、それが明日と呼んでいいものなのかどうかは、わからないけれど。



 わたしたち家族がまだ宇宙に浮かんでいなかった頃。

 ニュース速報が、地球の最後を報せた。


 コンビニの深夜バイト明けで頭が働かないわたしは、夢見心地でその文字列を眺めていた。

 妹は彼氏にフラれた直後で、まだ傷心から立ち直れていなかった。

 お父さんは過労のストレスのせいか、テレビ画面に向かって怒り吠えていた。

 お母さんは速報の字幕をチラ見しただけで、再び誰も聞いていない職場の愚痴をつぶやき続けた。


 わたしたち家族はみんな、現代社会に疲れていた。みんな、生きるのに疲れ切っていた。


 そんな折に、たまたまやってきた地球の最後。

 っきな彗星が、わたしたちの頭上に迫っていた。激突まで、早ければ一週間、とコメンテーターが言った。


 学校は一斉に休校になった。

 仕事もどんどん休みになっていった。


 わたしは喜んで休日を受け入れたけれど、遊びに行く場所も、ゲームやアプリを提供する会社も、スマホの運営さえも、みんなみんな休みになって、何もすることがなくなって絶望した。


 妹はヤリチンの彼氏をはるかに上回るスケールのショックに、とつぜん失恋から立ち直った。


 お母さんは、パートに行かなくなって、日に日に愚痴の頻度が減っていった。


 お父さんは、納期がスケジュールがお得意先が、と毎日嘆いていたけれど、電力会社やガス会社すら供給を停止する頃になると、ようやく世界の終わりを受け入れた。



 みんな、静かに、終末を家で過ごすようになっていった。



「ピクニックに行かない?」


 お母さんがそう言いだしたのは、肉眼でもくっきりと彗星が見えるようになったある日のことだった。


 それが、地球最後の日。


 災害時用のリュックサックからカセットコンロとミネラルウォーターを引っ張り出してきて。

 慣れない土鍋で、お米を炊いて。


 わたしたち家族は力をあわせて、お弁当作りをはじめた。


 お父さんはおにぎりを三角にできない。妹は初心者のくせに難しいだし巻き卵に挑戦する。お母さんはにこにこ笑っている。


 穏やか。こんなに穏やかに家族が過ごすなんて、はじめてのことだった。


 出来上がったお弁当を大事そうに抱えて、わたしたち一家は庭に出た。迫りくる彗星の風圧で、桃の木がしなっていた。


 家の庭なんてピクニックじゃない、と妹はごねたけど、残念。時間がなかったの。


 でもね、楽しかった。

 ビニルシートの上で、四人、輪になって座って。


 お父さんの歪なおにぎり。

 妹の黒焦げ卵焼き。

 お母さんの笑顔。


 みんなで食べて、みんなで笑って。

 そしてわたしたちはみんな、思ってしまった。


 ああ、こんな日が毎日続いたらいいのに、って。

 こんな風に、毎日過ごしていればよかったのに、って。



 青空を彗星が埋め尽くして、暴風がすべてを吹き飛ばして、轟音で悲鳴すら聞こえなくなっていく、そんな中で。



 だからわたしたちは、こうして残ることにしたの。

 地球崩壊後もこの場に留まることにしたの。

 幽霊になって、毎日、しあわせな日々を繰り返すの。


 地球があった場所に、家族ごと、お家ごと、幽霊になって。そうして、地球最後の1日を、毎日毎日繰り返すの。しあわせな、あの1日を。


 地縛霊じばくれいっていうの?

「死」が認められない幽霊。怪奇現象の特集番組なんかで見てた地縛霊じばくれいは、みんな眼が血走っていて怨念たらたらだったけど。

 わたしたちは、違うよ。


 しあわせな幽霊。


 それでね、星。

 それでね、宇宙。


 見てる? 聞いてる?

 わたしたちのこと。

 ちゃんと、覗いててよ。自慢してんだから。


 いいでしょ、コレ。

 わたしの家族。

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