曖昧トライアングル ~同性を好きになってしまったときの対処法~
六条菜々子
第一章 出会い
第1話 あたしの親友
人が他人と出会うきっかけなんて、そんなたいそうなものじゃない。今でこそ親友だとはっきりと言える加奈との関係も、席替えでたまたま隣同士になったからというちっぽけな理由だった。
「あたし、
「
あたしは加奈の堅苦しいあいさつに、思わず吹き出してしまった。
「ごめんなさい、林原さん。ちょっと笑ってしまったわ」とあたしは謝った。
「いいえ、わたしこそごめんなさい。初めての人と話すのが苦手なんです」と加奈は言った。
加奈とあたしは当時、中学一年生だった。あたしは転校生で、新しいクラスでの出会いだった。あの日の出会いがなければ、こんなにも大切な友達を得ることはできなかったと、あたしはいつも思っている。
あたしと加奈の関係はそれ以降も続いて、いつのまにか高校生になっていた。そのあいだにあたしは彼氏ができたり、彼女ができたりしたけれど、加奈は恋愛にあまり興味がないみたいだった。
「誰か紹介しようか?」と聞いたこともあったものの、とんでもなく丁寧に断られた。どうもそっちの方面には
あたしは彼女と別れたけど、加奈は変わらず独り身だった。加奈はいつだってあたしの味方で、何かあれば必ず助けてくれる。そんな加奈がいつか幸せになってほしいと、あたしはいつも願っていた。だからこそ、あたしは加奈と恋敵になるだなんて想像もしていなかった。
高校に入学したあとすぐにボランティア同好会、通称ボラ部に入部して、放課後の時間を自由に過ごしていた。自由過ぎて裏庭の草むしりを一週間で終わらせてしまったくらいに。部員はあたしを含めて三人いることになっているものの、実際に活動しているのはあたしと図書委員を兼ねている中津さんだけだった。
そんなあたしとは正反対に、加奈は放課後を持て余しているらしい。加奈は少し前まで文芸部に所属していて、部室で小説を書いていることが多かった。けれど、いつからか彼女は文芸部を辞めて放課後は学校にある図書室に籠るようになってしまった。なにがあったのかは分からないけれど、本ばかり読んでいて暇じゃないのかと思ったり。
「加奈、ほんとに本好きだよね」と聞いてみたこともあった。すると彼女は、
「ミステリー小説はいいよ。謎解き大好き」と返してきたので、諦めて引き下がった。
そんなある日、あたしはいつも通りボラ部の活動の一環でグラウンドの白線引きをしていると、後ろから声をかけられた。
「ボラ部の人? 一人で大変じゃない?」
あたしは振り向いて、声をかけてきた男の子を見た。さっぱりとした短髪で、少し小柄な体格。体操服が似合っている、クラスメイトの一年生だった。何というか、まだ子どもっぽい雰囲気があった。彼の名前は、
「いつものことだし、慣れてるよ」とあたしは笑って答えた。すると彼は、少し周りを見回しながら、
「あの、林原さんってどこにいるんですか?」と聞いてきた。
あたしはちょっと驚いて、彼を見つめた。なんで加奈を知っているんだろう。それに、あたしの親友の名前を呼ぶために声をかけてきたということは、もしかして二人の間には何か関係があるのかもしれないと思った。けれど、ここで追及するのもなんだと思い、あまり興味がない素振りをすることに徹した。
「知らないけど、たぶん今日も図書室にいるんじゃないかな」
あまりに素っ気なかったのか、彼は消化不良だと言いたげな表情をしてじっと立っていた。
「加奈のこと、何か用?」とあたしが聞くと彼は、
「いや、なんでもないです」と答えた。
あたしは彼の様子が変だなと思ったけれど、それ以上何か聞いても答えが帰ってこなさそうだったので、しばらく黙って作業を続けた。そうしていると、神田くんから声を掛けられることはなく、走り込みに戻っていた。いったい、なんだったんだろう。
図書室に行って加奈を探してみようかと考えたけれど、今日はなんとなく面倒だった。結局、あたしはもうすぐ日が暮れるからという冷たい理由で帰ることにした。
ただなんとなく、あたしは神田くんのことが苦手だった。同じクラスの女の子に彼のことを聞いてみると、そろってイケメンだの成績が抜群だの、さらにはスポーツも万能という聞くだけで疲れる優等生だった。直接的に言えば、彼に対して少し嫉妬混じりの感情を抱いていた。しかし、グラウンドでの清掃や整備をするたびに、あたしは彼に声をかけられた。
「ボラ部……ちょっと考えさせてくれ」と彼は言った。
どうやら考える時間が欲しいらしく、いったんこの話は眠ることとなった。それもそうかと思っていた。彼はただでさえ運動部から引っ張りだこな存在で、ボラ部に時間を割くのは現実的でなさそうだった。
ある日、ボラ部での活動中に、あたしは神田くんが不機嫌そうな顔をしているのを見つけた。なにか気になることでもあるのかと思ったあたしは、話を聞いてみた。
「いやな、部活動に参加することで自分の将来について考えるきっかけを探しているんだが、どれも微妙なんだ」と彼は言った。
彼は自分が何をしたいのか、どういう人間になりたいのか、それが分からないままに過ごしてきたのだという。
たかが部活くらいで考え過ぎじゃないかな、と心の底では思いつつもあたしは彼に、
「ボランティア活動を通じて自分自身を知って、そこから成長につなげることもできたりするんじゃない?」と説明した。
我ながらこじつけが過ぎたかとも思ったけれど、ここで踏み込まないと彼がボラ部に入ることはないだろうと気づいていた。なんというか、彼は誰に対しても優しいのだろうなと分かっていたから。
「ボランティア活動なんてしたことないからなあ」と弱気な発言をするので、あたしはダメ押しをするしかないと、
「本当にやりたいことを見つけるためにも、まずは幅広い経験を積むことが大切だと思うよ」とアドバイスをした。そう言い切ったあとに、あたしはその場を離れた。これ以上そこにいても意味がないと理解していたこその行動だった。
神田くんを勧誘する理由はたった一つ。ボラ部存続の危機が迫っているというものだった。
幽霊部員を入れて、現状のボラ部には三人しか所属していない。同好会としての運営条件ぎりぎりだった。そんな最中、幽霊部員がいるということが漏れてしまったのか、ボラ部顧問の千里先生が教頭先生から、同好会ではなく部として活動することを条件として付け加えられたとのこと。つまり、ボランティア同好会を存続させるためには五人の部員を集めて、同好会ではなく部への昇格をしなければいけないという苦しい条件を提示されているらしい。
そんなのありかよ。あたしは怒っていた。やっとのびのびと過ごせる場所が見つかったと思いきや、教頭からの横やりが入ったからだった。しかし、単純に教頭先生と話し合ったところで解決する問題でもないことは把握してたので、こうして部員集めに励んでいた。
「……あ」
そこであたしはあることに気がついた。加奈がいるじゃないかと、そんな当たり前のことに目を向けていなかった。居ても立っても居られず、少しだけ小走りで図書室へと向かった。ボラ部の仕事がまだ残っていたけれど、今はそれどころではない。
心のどこかで、あたしは加奈がボランティア活動に興味を持ってくれると嬉しいなと思っていた。そんなことあるわけないと理解していながらも、あたしは加奈からきっぱりと断られることを恐れていた。彼女はああ見えて厳しいところがある。優しいふうに見えて実はお堅い。
図書室のドア付近にある『開館中』の文字を確認して、あたしは引き戸を開けた。自分の背の高さほどある本棚を横目に奥のほうへ進んでいくと、加奈は席に座って本を読んでいた。あたしはそっと近づいて、彼女を呼びかけた。加奈は少し驚いた様子だったが、すぐにいつも通りの優しい笑顔であたしを迎えてくれた。余計なことは言わずに、
「加奈、ボラ部に入らない?」とあたしは聞いてみた。すると、加奈は驚いたように目を見開き、しばらく考え込んでから、
「私、できるかな?」と答えてくれた。
あたしはその返答が予想外のあまり、声にならない声を漏らしていた。ほんの少し前まで、あたしは加奈から「入るわけないでしょ」というような冷たい返答が来るものだと思い込んでいた。だからこそ、その可能性に賭けたかった。
「できるよ、大丈夫。そんなに難しいことはしないし」
「…紫織ちゃんが部長なんだよね? それならわたしも入りたいな」と加奈は続けた。しかし、その直後に彼女の顔は曇り始めた。なにか不味いことを言ってしまったかなと思ったけれど、特にこれといった心当たりは思いつかなかった。
「どしたの?」
「いや、どうして今日急に誘ってきたのかなって思って」と人差し指を頬に当てながら、不思議そうな顔をしていた。変にごまかしても意味がないと思い、
「部員が足りなくて、ボラ部が部活動に昇格しなきゃいけないんだと。それで、あたしが部長として仕切って、部員を少しでも集めて活動することになったんだ」とそのままの現状をあたしは説明した。
加奈は少し考え込んだ後に、
「やっぱり……やめておこうかな」と呟いた。
現状のボラ部は幽霊部員を含めて三人、神田くんと加奈の勧誘に成功すれば五人の基準を満たすことができる。だからこそ、ここは粘りたかった。この機会を逃すと、もう加奈を誘える勇気がもてないと分かっていた。
「そういえば、加奈って神田くんとなんかあった?」
ずっと気になっていた。神田くんと初めてまともに会話したあの日、なぜ加奈のことを聞いてきたのか。そして、加奈は神田くんとどういう関係なのかを。
「神田くんって、あの神田くん?」
あの神田くん以外の神田くんを加奈が知っているのかが気になったけれど、今はそんなちっぽけなことを気にしている場合ではなかった。言わなくても分かるだろうと、あたしはなにも言わず頷いた。
「ううん。特になんにもないけど」
それがどうかしたのと言わんばかりの表情で、じっとこちらを見ていた。どうやら本当になにもないみたい。
「もしボラ部に入ったら、神田くんとも一緒に活動できるようになるかもしれないよ。ボラ部に入るかもしれないから」とあたしは加奈を説得するように言った。
加奈はしばらく考え込んだ後、静かに本を閉じ、
「わかった。そういうことなら、わたしも入る」とすっきりとした様子で答えた。
あたしは内心でホッとした。ボラ部の存続は彼女のおかげで守られることになった。
「やってみる。一緒にがんばろう」と、加奈は微笑んで言った。
次の日、あたしは加奈と一緒に神田くんをもう一度誘うことにした。神田くんを加奈が入部する理由にこじつけた以上、なんとしても入部させなければという決意を固めていた。
いつも通りにグラウンドへ行くと、神田くんは目を丸くしていた。あたしの隣に加奈がいたせいだろう。なぜ一緒にいるのと言いたげな表情をしていたけれど、あたしは彼に向かってボラ部に入るように念押しした。悩む隙を与えると、断られるかもしれないと分かっていたゆえの行動だった。
数分間粘った結果、神田くんはついに折れてボラ部に入ってくれることになった。ただし、条件つき。
「入ってもいいけど、ボラ部だけじゃなくて、陸上部も兼部させてくれ。走り込みしないと気持ち悪くて仕方ないんだ」と辛そうな顔で渋々承諾してくれた。
加奈と神田くんが入ったことで、ボラ部はついに部活動に昇格することができた。ボランティア同好会とは、これでおさらば。千里先生にそのことを伝えると、
「ん、え? 部活動に昇格って、私のすること増えちゃうじゃなーい……」
というなんとも頼りない返事が返ってきたことは、二人には伝えないでおこう。千里先生はきっとこのままボラ部がなくなっちゃうと思っていたんじゃないかな。けれど、このゆるい環境を整えるのに頑張ったあたしの努力をそんな理由で消し去りたくはなかった。どうせ同じことをするなら、楽しくやりたい。ただそれだけが二人を誘った意味だった。
計五人となった、ボランティア部。幽霊部員が二人いるので、実質三人だけの部活。そう考えると、ある疑問点がより明確に浮かび上がっていた。それは、神田くんと加奈のあいだには、やはりなにかあるのではないかという疑問だった。
あたしはその疑問を素直に加奈に聞いた。すると加奈は、
「神田くんとわたしが? なーんにもないけど、どしたの急に」
とあっさりと否定した。神田くんに対しては、ただの友達としか思っていないという。しかし、あたしには彼女の表情がどうも納得いかなかった。本当にそうなのかという疑いは、まったくはれなかった。
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