ヒュプノポリス〜夢がリソースの睡眠都市。眠らぬ人種「無眠者」は、都市を追われ夢を求めて抗い続ける〜

我道瑞大

それはまるで夢のような プロローグ

「サヤ! サヤ!」


 何度も呼ぶケイジの声。

 サヤは


「お兄、……、ちゃん」


 ケイジは今にも消え入りそうな声にショックを受けながらも、返事が返ったことに安堵のため息を漏らし、もう一刻の猶予もないことを覚悟しながら


「待ってろよ、サヤ、今、いい夢を見せてやるからな」


 そう言って、胸元から取り出したマッチに、火を灯した。

 ーーそのマッチの光を見たものは、この上なく幸せな夢を見るという


 様々な色の混じり合った極光のような灯火が、天井の低い棺桶のようなアパートメントを優しく照らし出す。


 ケイジは、眠りの神に祈るように目を閉じ、その瞬間を待った





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





第2節 それはまるで夢のような



「いたぞ、追え!」

 遡ること3時間。

 怒声を背中に確認しながら、ケイジは盗んだマッチを手に、酒と吐瀉物の臭いが充満する路地裏を駆け下っていた。


 ガタガタと揺れる視界の端はもの凄い速さで後方に流れ去っていき、朽ちかけたコンクリートの暗い灰色と、切れかけたネオンの赤い点滅だけが陰気な残像を残していた。


 追っ手の数はおそらく四人。


 全員が拳銃で武装しているはずだが、さすがに街中でおいそれと発砲をするはずはない。


 人権などないに等しいスラムとはいえ、何度も発砲が行われれば身の危険を感じた住人たちが暴動を起こし厄介なことになるのは目に見えていた。


 睡眠都市の外縁に無秩序に広がるスラム、無秩序貪食都市スプロール・タナトスには、有眠者の計算リソースで稼働する夢人機ドローンの類は配備されてはいない。

 いかに睡眠都市ヒュプノポリスの大富豪ラウ・チェンに雇われた私兵とはいえ、このスラムで騒ぎを起こしたくないのは明白だった。


 撃つ時があるとすれば、それは確実に当たるという確証がある時。


 口を開けた物乞いの横を擦り抜け、

 蓋の開いたゴミ箱を蹴っ飛ばしてケイジは走り続ける。

 黒いスーツの四人は弾き跳んだゴミ箱をものともせず、すぐ後ろに迫っていた。


 スラムの路地を幾度も幾度も曲がり、追っ手を少しでも混乱させられるよう願ったが、地力の違いか、食ってるモノの違いか、奴らは一度曲がるたびに着実に距離を詰めてくる。


「くそ、たかだかマッチの数本にムキになりやがって――」


 腹立ち紛れに呟いたものの、ケイジは自分の盗んだ『マッチ』が少しも「たかだか」ではないということはよく分かっていた。


 スラムに住む自分たちでは、一年分の稼ぎを費やしたところで一本の『マッチ』も買えやしない。


 だからこそ、ケイジはせっかく見つけた割の良い中心都市での仕事を放り捨ててまで『マッチ』をくすねてきたのだ。


 病床の妹を安らかに眠らせてあげたくて、


 こんな狂った世界を忘れさせてやりたくて、


 人生でせめて一度くらいはいい夢を見せてやりたくて、



 その時視界がぐらり、と揺れたのは、何日も食べていない空腹のためか、それとも数十分の全力疾走のせいか、

 

 いずれにしろもう限界だった。


 呼吸が焼け付くように熱い。心臓が叩きつけられたかのような早鐘を打っている。もう、

 

 もう、

 走れない……。

 

 そしてその時、ケイジの耳に一発の銃声が響いた。


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