第三話 前半 『草履屋の巳之吉』

 さてさて、「花のお江戸は八百八町」とか申します。

これはその広い広いお江戸の一角にある、小さなお稲荷さんのはなしでございます。


 この稲荷、正式には「花房山稲荷神社」と申しましたが、誰もそんな名じゃぁ呼んだりいたしません。

なんでもかんでも願いがよく叶うってぇんで「叶え稲荷」と呼ばれておりました。


 ◇ ◇ ◇


 「人ってもんはね。」 

 

 オサキ様は居並ぶ管狐くだぎつねを見渡して言った。


 「皆、わかっているだろうけど、もう一度言っとくよ。

人ってもんは、物言いや様子だけではかれるもんじゃないよ。」


 弁天様のごとき笑みを浮かべたオサキ様は、この花房山稲荷神社の稲荷神の使役キツネである管狐くだぎつねの元締めである。

今日も後ろ姿は裕福な町屋のちょいとばかり小太りで粋な女将さんだが、前から見ると顔はキツネというオサキ様のお気に入りの姿である。


「……人の本性ほんしょうというものは、うまいこと隠されていることも多いものさ。」


 それから目の奥に閻魔さんの炎を宿らせて続けた。


「ひねくれ者ってのはね、日頃自分を役立たずの昼行燈ひるあんどんに見せといて、その裏で鷹の爪、狐の爪を研いでたりするもんだ。

だからね、おまえたち!

夜も見通すそのまなこを見開いて、草に隠れた鼠の気配も聞き逃さないその耳をしっかり立ててよくよく見極めるんだよ。

けっして、己の弱みなんざ握られるんじゃぁないよ。」


 ――確かにうわべだけで人を決めつけちゃいけねえな。


 そう分かっているつもりでも、ついつい忘れちまうもんだ。

人あたりが良いからって、それがそのまんま本人って訳でもない。

同じく人づきあいが悪いからって、まんま悪い人間って事もない。

善人と見えて善人あらず、悪人と見えてこれまた悪人にあらずってのが人ってもんだ。


 そんな人間の外面そとづらに惑わされることなく、その人の本質ほんとうを見極める。

これもまた取り立て屋にとっては大事なつとめなんだろう。


 ――しかしこれから取り立てにいく相手ってえのも、そうなんだろうか? 


 確か今回「恩を取り立てる」のは草履屋、丸輪屋まるわやの当主。

名前は巳之吉みのきちと言ったか。


 丸輪屋は浅草の北、隅田川沿いの花川戸と呼ばれるところにある。

春になると八代様はちだいさま(将軍吉宗公)肝煎りで植えられた桜でつつみはたいそう美しい。

ここいらは履物だけではなく羽織り紐やら、帯締めやらの小物問屋が集まっていて、桜がなくとも年中華やいだ風情のあるところだ。


 丸輪屋ある花川戸の北は猿若町。

とくら、芝居好きにはたまらない。

中村座・市村座・森田座の猿若三座を筆頭に、有象無象の芝居小屋が所狭しと立ち並んで、賑やかこの上ないんである。


 猿若町の端っこに小屋をかけている山村座。

実はオサキ様には内緒だが、この山村座がワシの大の贔屓先である。

ちいせえ芝居小屋なんだが、二年ばかり前に河竹西伝ってえのが座付き作者になってからは連日大入り。


 ここ山村座で一年ほど前に花房山稲荷、通称叶え稲荷を舞台にした『華山神社氷雨袖振はなやまじんじゃひさめのふりそで』ってぇ芝居ががかかったことがある。

「華山稲荷」が恋の願掛けの舞台になった芝居だ。

身分違いの恋に翻弄される町娘をやった志方屋小伝次しかたやこでんじが大うけに受けて、あの中村座に引き抜かれそうになったって話だ。

あれは見ているもんの涙を誘ういい芝居だったよ。


 あのあと急に叶え稲荷に多くの参拝客が来るようになった。

初めて賽銭箱が満杯になって、オサキ様が驚いていたっけ。

それまで閑古鳥が鳴いていたのが、いっぺんに賑やかになった。

人が手を合わせてくれると、稲荷の神の力も増すとオサキ様も喜んでいた。

願いを叶えて欲しいってぇ願い事も増えて、ワシらの「恩の回収」もやたらと忙しくなった。

とは言っても忙しいのはほんの二月ふたつきほどで、また静かな宮にもどっちまったんだが。


 脱線しちまったな。

話を元に戻すとだ。

この猿若町界隈には芝居に関わるあれやこれやの店も軒を連ねていて、その中には鼻緒職人たちの長屋もあった。

巳之吉の父親は腕のいい鼻緒職人で、初めて履いても鼻緒ズレがなく吸い付くようでいくら履いても緩みが出ないてぇんで役者衆や花街からも注文が絶えなかった。


 さて巳之吉はここの三男なんだが家業を手伝うわけでもなく、日がな一日芝居小屋に入り浸り、そうでなければふらりとどこかへ行っちまって家に居たためしがない。

このまんまじゃいけねぇ、家庭でも持てば落ち着くんじゃねえかってんで、中に立つ人がいて娘しかいなかった丸輪屋に婿に入ったって寸法だ。


 ところが人ってえのはそう簡単には変われねぇ。

婿に来てしばらくは大人しく帳場に座っていたものの、客の顔も知らねぇ、商売もわからねぇ。

いつの間にやら商売は女将さんと番頭任せでまたふらふらし始めたって事らしい。


 丸輪屋は草履屋とは別におたな裏に長屋をいくつか持っている。

店がダメならと巳之吉は裏長屋のこと任されたようだが、結局それも差配人任せになっちまっているようだ。


 ちょいちょい花房山稲荷に来ているのを見かけるが、とてもなにかを隠しているようには見えない。

いつも境内のどっかに腰を掛けてぼーっとしていことが多い。

身なりこそ大店の旦那風にきちんとしていなさるが、なんというか全身からにじみ出やる気のなさというか、ともかくうだつの上がらなさそうな人物なのだ。


 ありがてぇオサキ様の忠告だが、今回はちと考えすぎのような気がする。


 ――しっかしなぁ。


 ワシはお寅いや違う、お久婆さんの煮売り屋に一月に二回通わないといけねぇし、毎月初めの戌の日には長吉が家族連れてやって来るんで出迎えなきゃなんねえし、けっこう忙しいんである。

これ以上面倒は抱えたくないんだがなぁ。


 「はあぁぁぁぁぁ。」


 ――行きたくねぇなぁ。

 

 かくしてワシは憂鬱と尻尾をずるずると引きずりながら、浅草の先にある草履屋に向かうのだった。



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