会えない気持ち

鷹橋

会えない気持ち

 薄暗い部屋の中でパソコンの画面の光だけが皓々と光っている。ぼくはキーボードを叩いてはバックスペースを押して消して、叩いては消してを繰り返していた。偶像崇拝って怖いな。死んでしまった人間を小説として蘇らせるなんてタブー以外の何物でもない。


「私、二十歳になるまでに死んでしまいたいの」


 彼女の明るい口調でいう、暗い口癖が頭の中に響き渡る。岩に染み入る水のように浸食していく。ぼくは、ぼくはどこで間違えてしまったんだろう。あれは冗談だったのかも知れないが、彼女こと佐藤美優は十八歳になる前日に自殺した。あの夏の日のことをよく覚えている。突然来た夕立のような死だった。彼女は学校の屋上から飛び降りた。そこにいたのはぼくじゃなくて、同級生の国見という学生だった。それだけ。ぼくはただの彼女の恋人。


 ぼくにとって彼女は過去の人であり、思い出であり、現在進行形でとりつかれている亡霊のようなものだ。


 彼女と初めて出会ったのは高校一年生の春のことだった。桜の花びらが舞い散る中、僕ら新入生は入学式に参加していた。高校の体育館に集まった新入生たちは緊張した面持ちで、おのおの思い思いのことをしていた。ぼくのとなりには、女子生徒が座っていた。ちょこんっていう擬音がちょうどいいような座り方。ぼくが思わず笑ってしまうと、彼女は困ったようにこちらを見た。


「なにか?」

「なんていうか、かわいかったからかな」

「……はじめてです」


 そう彼女はほおを赤らめて言った。

「ぼくもこんなこと言うのは初めてかな」

 反応がまた面白くてお互いに見合ってぷっと吹き出してしまった。


「ぼくの名前は東条 悟です」

「私の名前は美優。佐藤美優」


 佐藤さんはまた前を見た。もうそろそろ式が始まるからか、またぼくに関心がなくなったからか。おそらくその両方だろう。ぼくは退屈になったし、眠くなってきたので寝ることにした。


 式が終わるとクラス分けが発表された。A組から順に自分の名前を探していく。B組に佐藤さんの名前が見えた。ぼくもB組だった。


 確認を終えて教室に入るとまだ誰もいなかった。窓際の席に座ってぼーっとしてると佐藤さんが来た。「あ……」

どうやら彼女も同じことを考えていたらしい。お互いの顔を見て微笑む。


「これからよろしくね」

「うん、こちらこそ」

 最初の会話は短かった。


 これが僕と彼女が交わした初めての会話である。それからぼくらは一緒にいる時間が増えていった。授業のときはもちろんのこと、食堂でも一緒だし、帰るときも一緒だった。ぼくたちはまるで双子の兄妹みたいに仲良くなっていった。


 夏休みに入る少し前、彼女は突然ぼくの家に泊まりに来たいと切り出してきた。なんでも親御さんの都合とかなんとか。正直ぼくの家はあまりきれいではないし、狭いけどそれでもよければということで「いいよ」と伝えた。


 彼女は本当にやってきた。昼過ぎにチャイムが鳴る。扉を開けるとそこにはいつも通りの笑顔があった。


「こんにちは、東条くん」

「こんにちは、佐藤さん。入って」


 佐藤さんを部屋に招き入れると彼女は興味津々といった様子で部屋を見渡している。


「あんまりじろじろ見られると恥ずかしいよ」

「ごめんなさい。男の子の部屋に来るの初めてだからつい」


 佐藤さんは椅子のないぼくの部屋のベッドに腰掛けた。彼女がいつも自分の部屋でそうしてるからだと思う。


 そういうものなのかと思いながら麦茶を出す。佐藤さんはコップに入った麦茶をじっと見つめている。


「どうかした? 変なものは入れてないよ」

「ち、違うよ! ただ、これって間接キスになるのかなって思っただけだよ!」


 顔を真っ赤にして声を出す彼女に少し驚いてしまう。


「ぼくは気にしないけどなぁ。付き合ってるわけじゃないし。そもそも毎回洗ってる」

「……気にしすぎだよね」


 彼女は残念そうに見えた。なんでそんなことを言ったのかわからなかった。


「私ね、一番幸せなときに死にたいなって思ってるんだ」

「と、唐突にどうしたの」


「死ぬなら今みたいな状況が一番幸せだなあって。好きな人と二人っきりでベッドの上で話してるんだよ。これ以上の幸福はないと思うなあ」


 何も言えなかった。それはきっと彼女の願いであり、同時にぼくに対して、未来への呪いでもあったから。きっと彼女はこのままでは満足できないんだろう。自分の幸せを享受できないんだろう。哀れに思えた。だから、


「今じゃないよ」


 突き放すつもりで言った。彼女からの呪いが解けるように。しかし、彼女はそれを聞くと泣きそうな顔になって


「やっぱりそうだよね」


と言った。


 彼女はそのあと夜までぼくの家でゲームをして遊んだ。ご飯を食べて風呂に入ってテレビを観ていたらもう十時になっていた。明日は高校があるから帰らないとまずいんじゃないかなと思ってそのことを伝えると彼女は悲しそうにした。


「今日はぼくの家に泊まっていけばいいんじゃないの?」

「でも迷惑でしょ」

「全然大丈夫だけど。それに、ぼくはもう少し君と一緒に居たいんだ。だめかな」


 ぼくの言葉を聞いた彼女は嬉しそうに、でも困ったように笑った。


「ありがとう、東条くん。じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」


 それからは二人でいろんなことを語り合った。今までにあったことや将来の夢についてなどだ。気がつけば深夜一時を過ぎており、もう寝ようということになった。ぼくは床で寝るつもりだったが、美優はそれを許さなかった。


「……なら、一緒に寝よう」


 ぼくはため息をつく。折衷案でこんなことを言ったが、ぼくも男だ。これは告白のつもりだった。


 美優は目を輝かせて、

「うん。絶対今日は一緒に寝てもらうからね」


 ぼくは観念して布団の中に入る。美優はぼくの腕にしがみつくようにして眠る体勢に入る。


「おやすみ」

「おやすみ」


 こうしてぼくたちの長い一日が終わった。


 朝起きると目の前によく見ていた美少女の顔があって安心した。


「おはよう」

「ん……? ああ、おはよう。昨日はよく眠れた? 私変な寝言言ってなかったかな?」

「なんにも言ってなかった、と思うよ。睡眠についてはまあまあかな」


 本当はぐっすり寝られていた。ぼくがそう答えると彼女は安心したような表情を浮かべた。


「ねえ、私たち付き合わない?」

「いいよ」


 ぼくは即答していた。この感情はおそらく恋ではない。愛でもない。ただの依存だ。それでもぼくたちにはそれでよかった。心地よいと思った。


 それからぼくらは付き合うようになった。学校ではぼくたちはいつも通りだった。放課後になるとどちらかの家に行くことがほとんどだった。そして、その度に身体を重ねた。セックスというよりかはHって感じ。あまりにも拙く、子供がするような行為だった。それでも僕らは満たされていた。


 ある日、ぼくらは屋上に来ていた。理由は特になかった。なんとなく、ここに来なければいけないと感じたのだ。


「東条くん」

 美優はいきなりぼくを抱きしめ、背伸びをして強引に唇を合わせた。


 お互いの唇と唇を離すと、呼吸が乱れた。


「突然どうしたの」

「伝えたくなっただけ。私の気持ちを」


 美優はぼくの目を見て言う。ぼくも見つめ返す。すると彼女はぼくの首に手を回してくる。ぼくも彼女を抱きしめる。


「ずっと一緒にいようね」

「うん」


 ぼくは彼女の耳元でささやく。

「好きだよ」

 彼女は一瞬体を震わせてから返事をする。

「私もだよ」

 彼女は泣いているように見えた。だから、

「泣かないでよ」

 とぼくは言った。彼女は涙を拭うと笑顔で言う。

「東条くんが変なこというから」

「ごめん」

「いいよ、許すよ。だから……」


 今度はぼくから口づけした。舌を絡ませる。お互いの唾液を交換しあう。そのまま押し倒す。彼女は抵抗しなかった。むしろ、受け入れてくれた。それから何度も体を重ねあった。


「大好きだよ、東条くん」

「ぼくもだよ、美優」


 これがぼくらの最後の記憶。そこで交わって寝ていて気づいたら彼女は身を投げていた。ぼくが寝ているときに国見と美優になにがあったのか、うやむやにされてしまいぼくが知る由がなかった。


 ぼくは彼女の葬式で一言も話せなかった。


 クラスメイトの何人かがぼくに声をかけてくれたがぼくは無視して下を向いていた。彼女の両親はぼくに謝っていた。そんなことは求めていないと伝えたかった。悪いのはあなたたちじゃないと言いたかった。しかし、それを言葉にすることはできなかった。ぼくは彼女の死を受け入れられなかった。


 それからしばらく経った。ぼくは相変わらず美優のことを考えてしまう。でも、少しずつ美優のいない生活に慣れてきた。ぼくは美優に縛られるのではなく、自分の意志で生きていこうと思い始めていた。そんな矢先に彼女から手紙が届いた。差出人は書かれていなかったが、間違いなく彼女の字だと確信した。ぼくは急いで中身を確認する。


『東条くんへ これを読んでいるということは私はもうこの世にはいないでしょう。

本当は直接伝えようとしましたが勇気が出ませんでした。

なので手紙という形で残します。

まずは謝罪させてください。

ごめんなさい。

私が死んでしまったのはあなたのせいではありません。

すべて私の責任です。

でも、どうしても納得できなかったんです。

だから私が選びました。

東条くんは何も悪くないのに、勝手にいなくなって本当にごめんなさい。

あなたに会えて良かった。

一緒に過ごした時間は短かったけど楽しかった。東条くんと初めて会ったとき、運命を感じたんだよ。

これはきっと神様がくれた最後のチャンスなんだなって思った。

東条くんのことが好き。

多分これは愛だと思う。

だけど、こんな形で伝えることになってしまったことを悔やみます。

東条くんはこれからの人生、幸せになってください。

さようなら』


 ぼくは初めて彼女のために涙を流した。これは美優の死に対する悲しみではなく、美優の複雑に絡み合った想いに気付けなかったことへの後悔の涙だった。


 ぼくは決心する。

 美優の分まで生きよう。

 そして、いつか美優のところに行こう。

 どんな形になるかわからないけれど。

 ぼくは美優を愛し続けるだろう。これからもこのくそったれな世界で。

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会えない気持ち 鷹橋 @whiterlycoris

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