第30話 再起編(二)講堂

 地下鉄東西線早稲田駅の出入口から四分ほど歩き、キャンパス外に建てられている校舎を通り抜け、右方向を見上げると壮大そうだいな時計台がそびえ立っている。講堂を兼ね備えたこの時計台とはじめて邂逅かいこうしたのは、達也が受験浪人していた時のことであった。予備校の帰りに途中下車し、息抜きにちょっと見学でもしてみようと思い立ち寄ったのである。かつて同じこの場所で、青いスタジアム・ジャンパーを着て、受験参考書がぎっしりと詰まった鞄を肩にかけた純真無垢じゅんしんむくな青年は、この時計台を凝然ぎょうぜんと眺めていた。その青年が、時計台の前に立ったちょうどその時、夜八時を知らせる鐘が鳴ったのを聞いて、まるで自分を招いているかのような感覚を覚えたことが、この大学を受験するきっかけとなった。


―この時計台を、どれほど見てきたことか―


 達也は卒業後もたびたびこの場所を訪れていた。発端ほったんは、上司のパワハラによって会社を退職した時のことだった。時計台は、全てを包みこむかのように重厚じゅうこう粛然しゅくぜんとそこに聳え立っている。この前ここを訪れたのは、母親を連れ荒葛江に引っ越して介護をはじめた時であった。


―あれから八年も経っているのか、早いものだ―


 青年の幻影をすりぬけるように時計台の前の正門に足を踏み入れて、キャンパス内に入り図書館へと向かった。ほとんどの校舎は新しく建て替えられて、キャンパスの雰囲気は達也が在籍していた頃とは見違えるほど変わっていた。狭い、うるさい、汚い、と言われていたキャンパスが、いつの間にか小奇麗こぎれい閑静かんせいなキャンパスに様変わりしていたのである。


 大学図書館の閲覧室は、パソコンが使用できるエリアと使用できないエリアにわかれている。パソコンが使用できるエリアは、ノートパソコンの端末を叩いている学生で混雑していたが、使用できないエリアは、公務員試験や司法試験の資格取得に励む学生がぽつぽつと座っているだけであった。


 今の学生がノートパソコンを使用して勉強していることに初めて気づき、ちょっとしたジェネレーションギャップを感じながら達也は閲覧室のなかに入って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る