第21話 家族編(八)鬱症

 貯金が無くなった時のことを考えると、恐ろしくて夜もろくに眠れない日々が続いた。ひとりで認知症の母親の介護を行うことで、達也の精神はしだいにむしばまれていき、ストレス発散のためアルコールに依存するようになる。何をするのも面倒で、歯を磨くのですら面倒であった。風呂にほとんど入っていなかったため、爪で頭をかくと小雪が舞い落ちるようにふけがはらはらと落ちてくる。自炊も出来なくなって、カップラーメンや安いコンビニ弁当ばかり食べていたため栄養不足になり、母親のために診療所に行ったにもかかわらず、自分自身の体調が悪くなって点滴を受けて帰ったこともあった。そんな達也の事情を察した主治医は、区役所の福祉課に行って相談することを達也にすすめた。


 翌日、福祉課に行って相談してみると、「最近同じような相談をしに来る人が多いですね」と言いながら、職員はなんのためらいもなく生活保護を申請するように勧め、達也を生活課に案内した。


 生活課の相談員は、人工知能を搭載した蝋人形ろうにんぎょうさながら無表情な顔貌がんぼうをした中年女性だった。分厚いファンデーションと真紅しんくの口紅は、余計に無表情さを増しているように思える。


 相談員は、マニュアルを棒読みするような話し方で、生活保護が受けられる条件を淡々と述べていた。その中年女性の態度を見ていると、生活保護は受けられそうにないと感じられる。


 相談員からは、貯金や生命保険などの財産があると生活保護は受けられないとのことで、まずそれらの財産で生活してほしいと言われた。


 門前払いされた達也は、後日加入していた生命保険をすべて解約する手続きをとった。その受け取った解約金で、駅前の牛丼屋で牛めしを食べたが、その時ほど自分がみじめだと感じたことはなかった。


 貯金が残り僅かになった頃に、もう一度生活課に行ってみた。相談員は一回目の相談員と同じ中年女性だった。その時も、貯金が少しでもあると生活保護は受けられないと言われ、門前払いをくらってしぶしぶアパートに帰って行った。


 三度目に生活課に行ったのは、貯金がすべて底をついた時であった。またあの中年女性だ。


「就職活動はしているんですか?」


 仕事ができる状況ではないし、採用されないとわかっている達也は、当然就職活動をしていなかったが、


「しています」


 と弱々しい声で答えた。するとすかさず相談員は、


「それじゃあ、ハローワークの求人票のコピーでも見せてください」

「……」

 達也は何も返答できなかった。


「貯金が無くなったから生活保護が受けられると思っているようですが、そんな甘いものではないんですよ」


 相談員は介護の実状をまったく理解しようとしていなかった。ようするに、如何にして生活保護を受けさせないようにするか、それが相談員の最も重要な役割なのだろうと達也には感じられた。区の地域包括支援センターへ相談しに行った時に、達也自身が病気や怪我けがをして、仕事が出来ないという医師の診断書が取れない限り、生活保護は受けられないかもしれないと言われたことを思い出した。


 認知症末期の患者の介護は、一日中ひとが家に出入りするため、アパートで待機していなければならない。また、患者の容態をつきっきりで見ていなければならないのである。どのようにして仕事が出来るのか。さらに相談員は、特別養護老人ホームに入所させれば、生活保護を受ける必要はないと主張していたが、介護者がいる場合特別養護老人ホームには入所出来ないのが実状であった。達也も何度か入所の申請をしてみたが、順番待ちの対象にもならなかったのである。生活課の相談員は、介護についての知識が皆無かいむのように思われた。


 とにかく、今は当面の生活費を何とか工面くめんしなければならない。富山の英子伯母さんに連絡したところ、現金で二十万円送金してくれた。その後、達也が生活保護を申請していることを知ったケアマネージャーが、一緒に生活課へ行ってくれると言うので、後日生活課に行くことになった。

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