第10話 血族編(九)血筋
達也が自身に異変を感じたのは、父が亡くなってから数ヶ月経ってからである。人前で話したり苦情を受けたりすると
母親や姉も、何か得体の知れない恐怖を感じていたようで、母は、自宅で習字教室を開いていたがすぐに辞めてしまい、毎日仏壇に向かってお経ばかり唱えるようになった。達也は、母親のためにも習字教室は続けた方がいいと言ってみたが、母は自分にも責任があると感じていたのか、無心にお経を唱えるばかりであった。姉は、中山家の先祖が
達也は信心深い方ではなかったので、先祖の行いが良いとか悪いとかなどということは信じていなかった。自殺の家系はあくまでも、医学的な遺伝によるものだと思っていたのである。「自殺は遺伝するのか」これは達也にとって恐ろしくもあり、また、関心のあることでもあった。(ある研究者は論説している。人間の脳には、感情に影響をおよぼす物質が存在しており、その物質が減少すると
中山家が自殺の家系であることを達也が知った時、自分は生涯結婚しない方がいいのではないかと思いはじめていた。結婚相手に母のような苦労をかけさせたくはなかったのである。また、かりに子供を授かったとしても、その子供は生まれながらにして自殺の遺伝子を受け継いでいることになるのである。祖父と父親が自殺したことで、達也自身が
結婚を断念しようと思った理由はそれだけではなかった。父親と過ごした日々を顧みると、家庭をもつ気にはなれなかった。
達也は、浦和の長男強一が、父のお通夜の日に母親を怒鳴りつけているのを見た時、これは中山家の血筋であると確信した。
中山家の血筋は、気が弱いくせに気が短い。
父はとにかく生真面目で、冗談が一切通じないひとであった。そのためか、他人と一緒に行動することを好まなかったのである。
父の趣味は、パチンコと喫茶店めぐりをすることであった。達也が小学低学年の頃のことである。父親は達也を自転車の荷台に乗せると喫茶店へと向かった。コーヒーを注文した父親は、じっと下を向いたまま黙々とコーヒーを飲んでいた。まるで時間をつぶしている外交員が、ひとりで座っているかのように。たまに手と手をこすりつける動作以外は身じろぎもせず、喫茶店にいる間は一言の会話もなかった。さらに達也が
これもまた、小学生の頃のことである。一度だけ達也の方から「キャッチボールをやろう」と父親を誘ったことがあった。玄関前の道路脇に出て二人はキャッチボールをはじめた。ところが三回ボールの投げ合いをしただけで、「手が痛い」と父親が言いだしたのである。
父親はグローブをはずして庭に置いてある自転車にまたがると、逃げ去るように駅の方角に向って行った。きっとパチンコ屋に行ったのだろうと、その時達也は察した。その日以来、達也から父親を誘うことはなかった。
中山家の血筋は、達也にも脈々と受け継がれていた。父親と同じ性格を、達也自身にも秘めていたからである。達也は、妻や子供に対して、父と同様のふるまいをしないことにも自信がもてなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます