第3話 血族編(二)素生
達也が小学五年生の時、江戸川区の北小岩にあった会社の社宅に住んでいた家族は、東小岩の新築の家に引っ越した。一戸建ての家を持つことが念願であった父親は、東小岩に
達也の家族は両親と姉の四人で、二階の二部屋に姉と達也、一階の寝室に父と母が
父親は設計の仕事を生業としていた。実家が貧乏であったため、家族経営の零細企業でアルバイトをしながら夜間大学の建築科に通っていたらしく、母から聞いた話では、その零細企業に頼られて就職活動をせずにそのまま社員になったらしい。そもそもその時から歯車が狂いはじめていたのかもしれなかった。
達也が中学三年生の時にその会社が解散したのである。業績悪化により社長が退任した後、その息子が後を継ごうとしなかったのであった。他に有望な社員はいたのだが、息子は誰にも代表取締役に就任させようとしなかった。大黒柱であった父親は、その
その後、自宅を仕事場にして独立し、図面を書いて何とか普通の暮らし向きになったのだが、達也が大学に入学した頃になると、知人の紹介で家から自転車に乗って二十分ほどの距離にある工務店に勤めはじめた。
中学を卒業した達也は、中堅の私立大学付属高校に入学した。レッド・ツェッペリンやディープ・パープルといった、当時全盛期であったヘビーメタルに
その付属高校では、大学に進学出来なかった者は浪人するか、専門学校に行くか、
大学に進学した達也は安気な学生生活を送っていた。入学当初は経済学を学ぼうと意気込んでいたが、二次方程式や二次関数程度の数学知識しかない達也はすぐに挫折してしまう。元来がものぐさな性分であった達也は、履修科目を教科書持ち込み可かあらかじめ試験問題を教えてくれる科目ばかり選択し、講義は出欠をとる講義のみ出席して、比較的自由な時間を居酒屋のアルバイトに充てていた。
幼少期の頃から絵を描くことが好きだったという理由で、美術サークルに入ったものの、四年間を通じて描いた絵はほんの僅かなものであった。渉外という役を担当し、他大学の学生と積極的に交流を図っていたが、渉外としての活動は、年一回開催される合同展覧会を開くことだけであったため、会合があると称しては飲み会ばかり開いていたのである。
達也が所属していた美術サークルは、数あるサークルのなかでは珍しくキャンパス内に部室があり、部室に行けば誰かしら遊び相手がいたため、大学に通っていたというよりも部室に通っていたようなものであった。そのような、怠惰で
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