page.30 神聖暦457年 冬(2-4)
「あなたには、僕が死ねる方法を見つけてほしいのてます。」
「……っ。」
イングリッドの目が見開かれる。
――死ぬ方法を、見つける。
「……私に人殺しをしろ、……と言いたいのかしら。」
とイングリッドは恐る恐る確認する。
「はい。」
「……っ。無理よ……。」
ぎゅっと目を瞑り、イングリッドはエリアスから視線をそらす。
――それでもわたしにとって、エリスは大切な友人なのよ。
睡眠を取るようにと心配をしてくれた。試作品の問題点を丁寧に教えてくれた。困っているときは手を貸してくれた。
「……冬の出兵とイングリッド部隊の初陣が重なることも、計算に入れていました。そして、そのことで貴女が傷つくことも理解していました。」
春の時点で、問題点を指摘することは、何時でもできた。何度も彼女の元を訪れ、その度に、実践で精霊石の扱いを叩き込まれたエリアスにとって、容易なことである。
しかし、それではいけないのである。
開発する期間が縮まれば、イングリッドはエリアスを恩人と感じ、情も湧くだろう。そうなると、死なせてくれ、などとお願いしても、その愛着心が尚更、彼女を邪魔するであろう。
アルデンヌ領の状況が良くないのは事前に知っていた。長年の勘で、おそらく冬までは持たないだろうと感じ取っていた。だから、開発がぎりぎりに終われば、冬に導入されるだろうと踏んでいた。そのため、敢えて秋まで手を出さないでおいた。
そうすれば、知識を持っていたのに教えなかったなどなんて薄情なのだ、もっと早くに教えてくれれば冬に出兵さずにすんだはずだ、と疑念や憎悪をエリアスに向ける可能性が十分にある。
「これでも僕を、良い友人と思いますか。」
「……たしかに、あなたはひどいことをしたわ。でも、私を気遣ってくれたじゃない。」
涙を浮かべ、イングリッドはエリアスを見据える。今にも泣きだしそうな感情を何とか抑え、じっと見つめる。
「……それは、殺す方法を探す人に、死んでもらっては困るからです。死んでしまっては、元も子もありませんからね。」
「……っ。」
「……エリスっ。」
イングリッドを支えていたラインハルトが声を荒げ、
「これ以上、インガーを傷つけることは、僕が許さない。」
とエリアスに忠告をする。しかし、彼は少しも表情を変えることはなく、
「……では、貴方が変わりに方法を見つけて、僕を殺してくれますか。そうすれば、これ以上、イングリッド様が傷つくことはありません。」
とラインハルトに問いかける。
「……っ。」
答えられず、ラインハルトは俯く。どんなに愛しい許嫁を守るためだとしても、直接手を下してこない人間を殺すことには抵抗がある。
「人間を殺す、という行為には抵抗がありますよね。」
ラインハルトの心を読み取ったかのように、エリアスは、ラインハルトが考えていることを言葉にする。
「ならば、精霊を殺すための方法を探す、と考えてください。そうすれば……」
「やめろ、エリス。」
ヴェルナーがエリアスの肩を掴み、エリアスが話を続けようとするのを制止させる。
「……あなたには何もできませんよ。」
「わかってるさ、そんなこと。俺には学がない。」
と言い、ヴェルナーはエリアスの肩を掴む手に力を込める。
「なあ、エリス。そろそろ俺たちに対しても、自分に対しても、嘘をつくのは止めろ。」
ヴェルナーも膝を付き、エリアスにできるだけ視線を合わせる。
「お前さん、わざとお嬢さんたちを怒らせようとしているだろう。」
ヴェルナーは、途中から違和感を感じていた。冬に合わせて行動をしていたのは本当かもしれない。しかし、彼はもしもの場合の対策を取っていた。もしも武器の軽量化に間に合わなかった時のために、兵士たちの筋力トレーニングに率先して参加していた。このことは、少なからず、イングリッドに、安心感をもたらしていただろう。本当にただ生き延びさせ、憎ませたいのであれば、どうせ採用されない代替案のために尽力はしないであろう。
そうだ、とラインハルトは何なを思い出したかのように呟く
「……君は、僕を元気づける必要はなかったはずだ。」
ラインハルトも、イングリッドが研究する際には必要になりえる人間ではある。もしも外国語の文献や古文書を読む際には必要だからだ。
一方で今回の開発において、ラインハルトは命の危険を感じるほど無茶をするような行動を取っていない。これは一重に、イングリッドが更に働かないようにするためだ。ラインハルトが無茶をすれば、もっと頑張ればならないといけないとイングリッドが感じ取り、更に無茶をするからだ。それゆえ、エリアスがラインハルトに気を配る必要はない。
「でも、君は僕に、僕はきっとインガーの心の支えになっているはずだ、と励ましてくれた。」
「……エリス……なぜ……。」
とイングリッドは呟き、不思議そうに、エリアスを見つめる。エリアスが少し困惑した表情をみせ、俯いてしまう。
「……エリス、」
と声をかけようと、イングリッドがエリアスに手を伸ばす。すると、エリアスが急に立ちがった。驚いて、ヴェルナーが尻餅をついてしまう。
「……どうしても……。」
とエリアスは声を絞り出すように出し、続ける。
「……どうしても、叶えてくれませんか。……僕はもう、こんな人生、……懲り懲りなんです。」
彼のその、中性的な声は少し震えて、上擦っている。
「……お願いです、もう、終わりにしたい……。」
他の人と同じように死ねるようになりたい。
他の人と同じように老いたい。
他の人と同じように語り合いたい。
他の人と同じように名前を呼び合いたい。
か細く、懇願するように言葉を漏らしたあと、それ以上はエリアスは声を発さなかった。銀色の瞳からは涙がぼろぼろと溢れ落ち、嗚咽を漏らすのを我慢するかのように、唇を噛み締めている。強く噛み締めすぎたためか、そのうすい唇から紅い血が滴っている。
エリアスは暫くイングリッドたちを見つめた後、イングリッドたちを押しのけて、見張り塔を降りて行ってしまった。イングリッドたちは、そんな彼を呼び止めることは出来なかった。
丁度、エリアスとすれ違いざまに交代の見張り番の兵が来た。ここで何をしているんですか、とエリアスとイングリッドたちを見比べて、その兵士は不思議そうに訊ねて来た。イングリッドたちは、流石に見張り番に怪しまれるといけないと考え、渋々と三人で塔を降りた。
雪はどんどんと深まり、ヴォルテンブルグを銀世界へと姿を変えていった。
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