page.28 神聖暦457年 冬(2-2)

 暫く何かを考えていたような素振りを見せていたエリアスはふと、ラインハルトの方を向いた。

「少し話は逸れますが、ラインハルト様は迷い人、という伝承を知っていますか。」

「なんだそりゃ。迷子のことか。」

 エリアスが問いかけた単語に聞き覚えがなく、ヴェルナーが顔をしかめる。

 その横でううん、とラインハルトは暫く考える。イングリッドに頼まれて、色々な文献を読み漁ってはいた。但し、可能な限り、精霊という言葉の書いてある文献を読むようにしていた。其処には迷い人という記述は無かったような気がする。

 ――迷い人。

 ――まよい……

「……っあ。たしか、そんなものもあったと思う。」

 ふと、一つの文献を思い出し、答える。ああ、もしかしてあれのことかしら、とイングリッドも声を上げた。そして、

「でも、今回の開発には関係がないから、放っておいたのよね。」

 とイングリッドはラインハルトに確認すると、確かそうだよ、とラインハルトが答える。イングリッドも迷い人に関する翻訳は一度読んだことがある。しかし、古文書にしては珍しいほどに、精霊の記述が出てこない文献であり、魔鉱石との関連は無さそうであったため、その文献は研究対象から外したのだ。

「まあ、そうでしょうね。あれには精霊石の調合のようなことは書いていませんから。」

 と述べるエリアスの言葉を聞き、そうよね、とイングリッドが呟いた。そして、

「私はあれ、精霊が新月の夜になると偶に見える、という伝承だと思っていたわ。」

 と自分なりの意見を伝えた。ラインハルトも、僕もそういう話かと考えていたな、と答える。一人だけ話についていけず、ヴェルナーは慌てふためき、

「……っ。俺だけわからない会話を、三人だけでしないでくだせえよ。」

 と声を荒げた。後で教えるからね、となんとかラインハルトが落ち着かせたが、ヴェルナーはとても不満そうだ。

「……まあ、伝承を読んだだけだと、普通はそう思いますよね。」

「違うのかい。その、先生とやらに習ったのかい。」

 エリアスの発言を不思議に思ったラインハルトは、その真意を訊ねる。ううん、とエリアスは暫く考え、

「…………そうですね。それに近いです。」

 と、答えた。

「なんだかぱっとしない答えね。」

 釈然としないエリアスの言葉に、イングリッドは怪訝そうに呟く。 

「僕は身をもって、体験しただけですから。ちなみに、誰かをに忘れられたのは、先生で初めてではないですよ。そのうちのひとり、というだけにすぎません。」

 とエリアスは静かに、語りかけるように三人に伝える。

「……体験……て何のよ。」

 理解ができず、イングリッドは顔をしかめる。ラインハルトとヴェルナーも言葉の意味を考えているようだった。しかし、はっとヴェルナーは目を見開き、

「……まさか、お前さんが、その迷い人とやらの当事者、という意味なのか。」

 とひとりごとのように呟いた。イングリッドとラインハルトは驚いたようにエリアスの方を見る。エリアスは、一番会話について行けていなかった筈のヴェルナーをまじまじと見て、

「ヴェルナーは思っているより勘がいいですよね。」

 と関心した声で言う。

「本当なのかい。」

 肯定と捉えられるエリアスの言葉にラインハルトは驚きを隠せないでいた。

「はい。僕は先生と、二十回くらい、初対面の人間として会っています。」

 一回目は冬の森の中で彼女に拾われたときだ。

 二回目から二十回くらいまでは自分から彼女の元に訪れた。

 最後のときは、老衰した先生を看取るために会いに行った。

「それで……。」

 迷い人の伝承では、新月の夜に拾われ、その翌日に、その迷い人は忘れられていた。ということは、エリアスは忘れられる、という体験を身をもってしたことになる。そしてそれは先生が初めてではないという。

「本人が亡くなってしまった五回目を除き、先生は必ず、僕の名前どころか、僕の存在自体を忘れてしまいました。一回目は冬に知り合って、春には他人でした。」

 イングリッドたちは声を出せず、息を呑む。

「……え、嘘だろ。」

 信じられず、ヴェルナーが絞り出すような声を漏らす。

「本当です。……もう何十回、何百回と経験してきましたから。」

 と言うと、エリアスは空を仰ぎ、瞳を閉じる。冷たい風が体を包む。風の冷たさが、あの頃の、先生と歩いた、懐かしい雪原に吹く風を彷彿させる。ラインハルトがふと、でも、僕たちはエリスを覚えているよね、とイングリッドに持ちかける。ラインハルトの言葉に、イングリッドははっとする。

 ……ちょっと待って頂戴。

 先生とやらにいちばんはじめに会ったのが冬であり、忘れたのが翌年の春である。即ち、最長で三月か四月程度で忘れられてしまったことになる。しかし、イングリッド達は春の頭に出会い、既に七月以上経っている。つまり、人の記憶からエリアスが消えるきっかけは、日数ではない。他のなにかなのだ。

「その、あなたが忘れられてしまうことに、規則のようなものはあるのかしら。」

 とイングリッドがエリアスに、恐る恐る、訊ねた。

「他の迷い人の人に会ったことがないので、迷い人全体で共通の規則なのかとは言えませんし、共通の規則というものがあるのかもわかりませんが、僕にはありますよ。」

 あっさりとエリアスが認める。

 ――では、僕たちは、何時まで彼を覚えていられるのだろうか。

 とそのような思いに駆られ、

「いったい、どんな規則なのかい。」

 とラインハルトが緊張した面持ちで問う。

「春を迎えると、僕という存在は皆さんの記憶から消えます。なので、最長一年です。」

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