page.06 神聖暦457年 春(2-2)
三日目以降は呼ばれた班のみが工房で実験し、残りの班は練武場で弓の訓練をすることとなった。但し、他の班にも合間時間での工房見学は許可していた。そして、今日は第五班、ヴェルナー、エリアス、ヴィム、エッポ、フランク、マルクの六名が実験担当の班であった。
「イングリッドお嬢様。」
とベンノが大きな声でイングリッドを呼んだ。手元には、試作品第一号の甲冑がある。イングリッドはヴェルナー達の方を向き、活き活きとした声で、
「ええと、ヴェルナーでいいや。ヴェルナー、仕事の時間よ。」
と呼んだ。
いつも工房に訪れている面子が、エリアスとヴェルナーという凹凸コンビである。背が高すぎるヴェルナーと、背がイングリッドより低いエリアス。そのため、敢えて試用の防具も大きめと小さめを特に多く用意してもらっていた。それが早速できたのである。
「まじすか。やっと俺も仕事に参加できるんすね。」
まだ槍の試作品ができていない上、彼は弓を射ることもままならないため、見学だけをしていたが、飽きていたのだろう。うきうきとした足取りでイングリッドの後ろを付いてくる。
「じゃあ、着せるから、じっとしていてね。」
イングリッドは大量の布を抱えていてそう言い、ヴェルナーの横で屈む姿勢を取る。
「え、その布、何に使うんですか。」
「甲冑の下につけるのよ。危ないからね。」
何故危ないのか、少しも説明がない。
「……あのう。」
布でぐるぐる巻きにされた上に甲冑を巻かれているヴェルナーは思わずイングリッドに声をかける。せっせと甲冑を仮止めしながら、なによ、とイングリッドは返す。
「甲冑はどうやって評価するんでしょうかね。」
「小回りや重さといった着心地と、動き回ったときの耐久性、あとはどれだけの衝撃に耐えられるか、ね。」
仮止めを終え、よし、と呟いてイングリッドは立ち上がる。
「ええと、因みに、一番最後のやつはどうやって測るんですかね。」
「え、甲冑の下に大量に布を巻いておいたでしょう。」
イングリッドの真意を全く理解できず、ヴェルナーは、傍で解読作業に勤しむラインハルトの方に助言を求める。
「ああ、通常の鈍器や刃物で試すらしいよ。」
ラインハルトはさらりと恐ろしい発言をする。
「ちなみに、その試し切りなんかはエーデルシュタインのお坊ちゃんが担当ですかね。」
「いや、僕じゃあないよ。」
え、じゃあ誰が、と呟くやいなや、背後から寒気を感じ、ヴェルナーは振り向く。亜麻色の髪を高く結い上げ、質素なドレスに身を包んでいるイングリッドが、その姿に不釣り合いな少し大振りの剣を持っている。
「イングリッドは僕と違って、体を動かすのが得意なんだ。」
にこにこと許嫁の少女を自慢するラインハルト。いやいやいや、とヴェルナーは必死に突っ込みを入れる。イングリッドもいい笑顔をしている。
「昔、兵士を鍛錬するための教書を読んでね。本当にそんなことが理に適っているのか気になって、検証したことがあるのよ。」
そう言いながら、ぶんぶんと剣を試し振りする。ヴェルナーは恐ろしくなり、後ずさった。
「じゃあ、じっとしててね。」
「……っ。」
思わず目を瞑ったヴェルナーは若干の衝撃を感じた。
「ん――。ちょっといまいちね。」
ゆっくりと片目を開けると、イングリッドが片手で剣を持ち上げ、その刃の歯を見ながら感想を述べている。そして、もうちょっと、歯が欠けるくらいの硬度がほしいわね、と呟く。その腕には、薄っすらと筋肉が付いているのが見える。よく見れば、貴族の娘にしては体が引き締まっており、肌も少し日焼けしていた。
「……本当に貴族のご令嬢かよ。」
ヴェルナーがぼそっと呟くと、何か言ったかしら、とイングリッドが振り返る。慌ててぶんぶんと頭を左右に振る。
「着心地はどうかしら。」
「ちょっと重いですね。」
「そう。わかったわ。一旦休んでいていいわよ。」
ぶつぶつと何か呟きながらイングリッドはベンノの元へ向かう。その様子を見ながら、ヴェルナーはラインハルトへ声を掛ける。
「……エーデルシュタインの坊っちゃん。」
「なんだい。」
ラインハルトは本を捲りながら応える。
「あのお嬢さん、いつもあんな感じなんですか。」
ラインハルトは手を止め、ベンノと何か会話しているイングリッドの方を見る。
「うん。そうだね。かわいい娘だろう。」
「何処がですか。何考えてるのかよく解んないですし、突拍子もないこと言い出しますし。」
ラインハルトはにこにこと聞いている。
「インガーは僕と違って天才肌だからね。ちょっと理解しづらいところはあるかもね。」
「……坊っちゃんはよく耐えられますね。自分より頭がいい女なんて嫌じゃないんですか。」
ラインハルトは愛おしそうにイングリッドを見つめる。イングリッドは再び調合作業に戻っていた。解読した書籍を元に仮説を立て、配合を決め、さらには調合、試用の立ち会い、ベンノとの打ち合わせをきびきびとこなしている。
「嫌じゃないよ。僕は平凡だけど、偶々いい家の生まれで、長男だからね。女性という理由で自由に身動きが取れないインガーを自由にさせてあげることができる。」
「相思相愛ってやつですね。」
ヴェルナーの感想に、ふふっとラインハルトは微笑んで見せた。政略婚約と聞いているが、二人は本当に仲が良い。性格的な釣り合いも取れていて、相性も良さそうだ。お転婆なイングリッドと、穏やかなラインハルト。きっと誰もが羨むおしどり夫婦となるに違いない。
「……ん。じゃあ、その文字の解読ってやつもお嬢さんのためにできるように勉強したんですか。確か、お嬢さんは苦手なんですよね。」
的を射た指摘に、ラインハルトは顔を真っ赤にした。
「……冗談だったんですが、まじですか。かなりお嬢さんに入れ込んでますね。」
「……理論周りは敵わないからね。というより、そこらのちょっとした学者で敵う人はいないと思うけど。」
イングリッドはどちらかいうと、用意された材料を元に推論をするのを得意とする。貴族が必須としている外国語は話せないことはないが、あまり流暢とは言えない。尚更、必須ではない言語には疎くなってしまう。
「いやあ、とってもめろめろじゃあないですか。」
うるさいよ、と言いながら、ラインハルトは恥ずかしそうに本で顔を覆った。
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