朔の夜は春を待つ

花野井あす

PROLOGUE


 それはとおい、とおい昔のはなし。


 肌寒く、真っ暗な新月の夜のことであった。


 その者は突然、村の者たちの前に現れた。


 村に住む者たちに、彼を知る者はいなかった。


 そして彼自身も、自分が何処から来たのか、自分が何という名なのか、知らないと言う。


 そのような彼を憐れに思った村の者どもは、彼を村に迎え入れた。


 翌朝になると、彼は忽然と姿を消した。


 しかし、村に居た誰も彼も、彼が本当にいたのか訝しんだ。

 誰も彼も、彼の姿を覚えていないのだ。


 次第に村の者どもは、彼のことを、朔の夜の迷い人、と呼ぶようになった。

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