第27話 真っ白で穢れがなくて純粋で

 俺は十三歳になった。


 身長も伸びたし、筋肉もついてきた。

 以前に比べ、かなり成長したと思う。

 今、俺は半ば鍛錬場と化した崩れ森にいた。

 目を閉じ、精神を集中する。

 暗闇に浮かぶは灰。

 そこには存在しないもの。

 それを明確に存在するものとして認識し、感触、ニオイ、視覚的存在、重さなどなど、灰そのものを目の前に生み出す。

 それは妄想であり、空想。

 だが確かにそこにあると俺自身が信じる。

 ひらひらと落ちてくる灰の花びらを、俺はそっと手ですくった。

 カッと目を見開くと、同時に剣を振るう。

 無駄な風音は一切ない、渾身の一撃と共に、刀身に生まれたのは無数の灰の刃。

 それは塊となって目の前の大木を無残に切り裂いた。

 灰刃(はいば)は伸縮自在な巨大な剣となる。

 触れたものを破壊し、溶かし、あるいは切り裂く。


 灰化の技巧。

 【灰化の斬撃】である。


 綺麗に寸断された大木は、ズズッと滑り、傾いて地面に落ちた。

 腹に響く重低音が崩れ森中に響くと、俺は口角を上げた。


「で、できた」


 喜びと共に俺は振り向くと、オリヴィアさんの慎ましい笑顔が出迎えてくれた。


「よくできましたね、リッド。あなたは灰化の最初の技巧を習得しました。たった一年でここまでやるとは、素晴らしいですよ」


 嬉しそうに小さく頷くオリヴィアさん。

 真っすぐに褒められると素直に嬉しかった。


「灰化は奥が深いです。灰を用いて攻撃したり、あるいは存在する物質を灰と化したり、灰を色々な用途で使う技巧です。今後も精進し、灰化を極めてください」

「はい!」


 俺は姿勢を正して、師匠たるオリヴィアさんに向き直った。

 結局、師匠と呼ぶことは一度もなかったけど。


「それと今日はあなたに伝えておくことがあります。少しお待ちください」


 オリヴィアさんが森の木陰に移動していった。

 なんだろうか。もしかして技巧を習得したお祝いに何かくれたりして。

 キャライベントでは仲良くなると、アイテムをくれることがある。

 現実のカオスソードでも同じだったりして。

 まあ、ロゼやエミリアさんが、プレゼントしてくれたことはないけど。

 いやロゼは毎日のように差し入れしてくれるし、剣もくれた。

 それに、エミリアさんはお見舞いにお菓子作ってくれたりはしたか。

 俺が内心でわくわくしていると、オリヴィアさんが戻ってくる。

 手には長物を持っていた。


 ということは!?

 アイテムか!? アイテムなのか!?

 あの形状は多分武器だ。袋に入っているから見えないけどほぼ間違いない。

 うおおお、武器だ! 武器だぞぉっ!!

 俺は高揚を隠せず、鼻をふんふんと鳴らした。

 新武器を手に入れる時、ゲーマーは心が躍るものなのだ。

 オリヴィアさんから貰えるってことは、あの武器かな?


「これをあなたに」


 オリヴィアさんは袋から取り出した武器を、差し出してきた。

 それは刀。

 真っ白な鞘と柄の刀だった。

 美しい。見るだけで価値の高さがうかがえる。

 美術品と言われても俺は信じるだろう。

 俺は震える手でその刀を手にした。

 この刀は。


「純白刀(じゅんぱくとう)です。なにものにも染められない、白に染められた刀。純粋なあなたにぴったりなものかと。灰化との相性もいいですし、錆びず、汚れず、折れず、欠けず、そして何より、切味は抜群です。油断すれば己も切り裂くほどの無邪気さがあるので、気をつけてお使いください」

「あ、ありがとうございます。オリヴィアさん。抜いても?」

「ええ、どうぞ」


 俺は流れるように刀を抜いた。

 音叉のような美しい音がリンと鳴り響く。

 刀身さえも純白だった。


「すごく綺麗です」


 俺の声は震えていた。

 緩慢に刀を納めると、俺は感慨に打ち震える。

 これは、オリヴィアさんの特殊イベントをクリアすると貰える刀だ。

 そのイベントは隠しイベントとも言われ、特定の条件下でのみ発生する。

 ゲームではある程度の好感度がある状態で、崩れ森に行き、そこでオリヴィアさんを見つけた後、イベントを進行していけばクリアできる。

 確かにイベント場所は崩れ森だったが、まさか今の段階でクリアできるとは。

 しかしイベント内容はまったく違っていた。

 現実であるこの世界では、俺はただオリヴィアさんと一緒に修行していただけだが、ゲームではオリヴィアさんの因縁の敵を倒すという内容だったはずだ。

 これは一体どういうことだろうか。

 喜びと不安が俺の中で渦巻いた。

 ゲームとは違うイベントが起きたという事実に、俺は一抹の恐怖を覚えたのだ。

 俺の意図しない状況で、もしかしたら何かしらのフラグが立っているかもしれない。

 気づかない内に、別のルートに入っている可能性だってある。

 もしかして俺は選択を間違っているのかもしれないと思うと、不安でしょうがなかった。

 好き勝手にゲームのサブキャラに関わるべきではなかったのだろうか。

 俺はそんな不安を抱えていた。

 だが。


「おめでとう。リッド」


 師匠からの再びの祝福。

 オリヴィアさんは本当に嬉しそうに目を細めて俺を見ていた。

 まるで母親が息子を見るような慈愛がそこにはあった。

 その一言を聞き、その表情を見るだけで俺の不安は一気に払しょくされた。

 まあ、いいか!

 オリヴィアさんの笑顔が見れたし、楽しかったし、強くなれたし、灰化の技巧も覚えた。

 このルートが厳しいものだったとしても、もうどうしようもないのだ。

 必ず、クリアは出来るはず。

 例えその道が困難でも、それは間違いない。

 だったら悩む必要はない。悩んでも無駄だからだ。

 もっともっと強くなって、シース村襲撃イベントをクリアする。

 まずはそこを目標とするのだ。

 そのためにはオリヴィアさんに師事する必要がある。

 独学では限界があるし。


「ありがとうございます、オリヴィアさん! これからもよろしくお願いします!」


 俺がガバッと頭を下げると、鈴の音のような綺麗な声が上から落ちてきた。


「残念ながら、今日でお別れです」

「え? お別れ? ど、どこか行くんですか?」

「シース村を出ます。さすがに長居し過ぎました。所詮、私は流浪の身。一所に留まるつもりはなかったのですが、野に咲く蕾を見つけ、つい足を止めてしまいました。ですがそれもここまで。すでに花開き、美しい花を咲かせています。私の手はもう必要ないでしょう」

「そ、そんな。俺はずっとオリヴィアさんに……」


 俺は自分の言葉にはっとした。

 オリヴィアさんの人生を、俺が縛るつもりなのかと気づいたからだ。

 確かに俺には大きなメリットがある。

 だがオリヴィアさんに俺を育てるメリットなんて大してない。

 精々が、猪鹿亭での会計を俺がしているくらいなものだ。

 それで十分だとオリヴィアさんは言ってくれているが、実際、彼女の時間を沢山奪ってしまっているのも事実。

 もう師匠離れする時期なのかもしれない。

 俺はしかめた顔を精一杯、笑顔に変えた。


「わかりました。オリヴィアさん。今までありがとうございました!」


 俺は勢いよく頭を下げる。

 精一杯の感謝と思いを乗せた一礼だった。

 寂しい。悲しい。そんな気持ちが胸中を巡り続ける。

 だが俺は笑顔を絶やさずにいた。

 別れは笑顔で、悲しみはいらない。

 また会えるはずだ。

 だって、俺は彼女の未来を知っているのだから。

 ……そう俺は知っている。彼女がこれからどうなるのか。


「こちらこそありがとうございました、リッド。とても楽しい時間でした」


 俺は頭を下げたままだった。

 顔を上げると胸の内の思いが溢れてきそうだったからだ。


「きっとあなたはもっと強くなる。私よりももっと。その時は……」


 逡巡している気配を感じた。

 声音に彼女の持つ、いつもの真っすぐさがなかった。

 数秒後、声は再び落ちてきた。


「その時は、私を助けてくださいね」


 俺は彼女が何を言っているか知っている。

 その時がいつなのかも。

 だが今の俺は、それを知るはずもない。

 だがら俺はただただ頭を下げ続けた。

 悲しい顔を見せないように。

 そしてすべてを知っている自分のことを省みないように。

 そっと頭に柔らかな感触が伝わってくる。

 少しだけ頭を持ち上げられていった。

 オリヴィアさんが何をしようとしているのかわからず、俺は思わず頭を上げた。

 と。


「んむ?」


 口を何かが塞いでいる。

 眼前にオリヴィアさんの長いまつ毛があった。

 そこから美しい灰色の瞳が現れ、大きく見開かれた。

 それは驚愕の感情であることは間違いない。

 そして俺も同じ感情だった。

 キスされた。

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