第19話 白灰の戦士オリヴィア

 一年と半年後。

 俺は十二歳になった。

 日々を鍛練と、酒場での仕事で費やした。

 最近では剣術に加え、弓術の訓練も行っている。

 本当は馬術も訓練したいんだが、馬がいないんだよなぁ。

 身体は引き締まり、貯金もある程度増えたところだ。

 今日、俺はいつも通り猪鹿亭で仕事をしているところだった。


「リッド、これお願いね」

「わかりました」


 空になった皿を受け取ると、俺は洗い場へと向かう。

 その後ろをエミリアさんがついてくる気配があった。


「……敬語じゃなくていいのに。それに名前も。さんづけはやめてよ」

「そういうわけにはいきませんよ。先輩ですし、年上ですし」


 不服そうにしているエミリアさんに、俺は苦笑を向ける。

 『カオスソード』のプレイヤーにとって、エミリアさんはエミリアさんなのだ。

 さんをつけるのが当たり前で、呼び捨てなんてできるわけがない。

 もうそういうキャラなのだ。

 未亡人で子持ちで哀愁漂う女性ってキャラになるのだから、そういう立ち位置なのは仕方がないのだ。

 喧騒が漂う酒場。

 俺はこの雰囲気を好きになっていた。

 客は全員顔見知りで、すでにかなり仲が良くなっている。

 二年前とは雲泥の差だ。

 最初はもうひどいものだったからなぁ。

 そんな身内感の強い空間に、一つの亀裂が走った。

 入店してくる一人の女性に、誰もが自然と目を奪われたのだ。

 真っ白な女性。

 髪もまつ毛も肌も服も、そして背に背負う大太刀でさえも純白に染められている。

 肢体はなまめかしく、太ももを露にしている。

 豊満な胸は女性らしさを表し、蠱惑的だった。

 一歩前に進むだけで衣服は揺れ動き、しなを作っているように感じる。

 圧倒的な存在感と魅力に、全員の視線が釘付けになっていた。

 俺もそうだ。

 美しいという言葉をそのまま体現したような女性だった。

 覚悟はしていた。

 だが実際に見るとこれほどの威力があるとは。


 俺は彼女を知っている。

 彼女は、白灰(しろはい)の戦士、盲目のオリヴィア。

 異様に長い柄と刀身を持つ、大太刀と呼ばれる特異な武器を扱う戦士だ。

 その幻想的で儚げな容姿と、不釣り合いな大きな武器を振るう姿は、多くのプレイヤーを虜にした。

 ゲーム内人気キャラランキングで、いつも上位に顔を出しているほどだ。

 ちなみに俺もかなり好きなキャラである。

 ロゼも好きだけど、オリヴィアさんもかなり好きだ。

 エミリアさんはゲーム内では名前がなかったけど、それでもかなり魅力的に感じていた。

 つまり三人とも好きってことだ。


 ……あれ? なんか寒気がしたけど気のせいか?

 隣を見ると、エミリアさんが俺をじっと見つめていた。

 表情は笑顔だが、瞳の奥に言い知れぬ恐ろしい感情が含まれている気がした。

 そんな中、オリヴィアさんは空いているテーブル席に座った。

 彼女は盲目だ。目をうっすらと開けているように見えるが、実際は何も見えていない。

 だがあまりに迷いなく歩いているため、所見では盲目と気づけない人もいるだろう。

 流れるような所作で大太刀を置き、姿勢正しく座っている。

 まるで絵画だ。後光が射している気がする。

 俺を凝視するエミリアさんを見なかったことにして、オリヴィアさんの席へ向かった。


「いらっしゃいませ、ご注文は何にしますか?」

「……では、エールとおすすめの品を」

「本日のおすすめは猪と鹿のステーキミックスです。そちらでよろしいですか?」

「ええ、構いません」

「かしこまりました。それでは少々お待ちください」


 俺がお辞儀すると、オリヴィアさんはピクッと眉を動かした。

 俺はそれに気づかない振りをして、キッチンに戻ると注文を通す。

 エミリアさんは視線を俺に送り続けるも、笑顔のままだった。

 しばらくしてバイトマスターが作った料理をオリヴィアさんのテーブルに運ぶ。


「おまたせしました」


 俺はオリヴィアさんの正面左にナイフを、右側にフォークを置いた。


「お客様の右側にエールを、ナイフとフォークは正面に置いています。目の前に、ステーキの入った大皿がありますが、すでにある程度は切り分けております。もしもまだ大きいということでしたら、ナイフをお使いください」


 またしてもオリヴィアさんは眉をピクリと動かした。

 だが表情はまったく変わらない。


「……お気遣いありがとうございます」


 流麗に頭を下げるオリヴィアさんに、俺は笑顔を返す。


「いえ、それではごゆっくり」


 俺は頭を下げて、そのまま洗い場へ戻った。

 初対面の対応としてはこれで正解なはず。

 余計なことは言わない。

 深く踏み込まず、自分の仕事を全うする。

 そして、彼女の所作を観察する。

 これらを完璧にすることがオリヴィアさん攻略の鍵となる。

 なぜ攻略するのかって?

 彼女が生粋の技巧の使い手だからだ。

 そして序盤にシース村に登場する唯一の師匠枠でもある。

 まあ、ゲーム内ではオリヴィアさんが登場するのはもっと先なのだが、その際にこういう会話がある。


『私は五年前にシース村に滞在していました。けれど途中で村を発ったのです。村が魔物の襲撃にあったのは、そのしばらく後でした……』と。

 オリヴィアさんが話していたことを思い出す。

 その五年前が、つまり今だ。

 俺は彼女がシース村を訪れるのを待っていたというわけだ。

 彼女に師事するために。

 だが、いきなり師匠になってくれと言っても絶対に断られるし、むしろ嫌われる可能性がある。

 だから、徐々に距離を詰める必要があるのだ。

 彼女は物腰が柔らかく、魅力的な容姿を持ち、人を惹きつける空気を醸し出している。

 本能的に彼女に近づきたくなるのだが、それは決してしてはいけない。

 だがそんなことを知るはずもない一人の若い村人が、いきなり席を立った。

 鼻息を荒げながら「俺は行くぜ」と宣言し、オリヴィアさんの席へと向かう。

 俺は皿洗いをしながら嘆息し、その様子を横目で見ていた。


「な、なあ、あんた。どうしてこんな辺鄙な村に来たんだ?」

「…………」


 オリヴィアさんは若者を完全に無視しながら黙々とステーキを口に運んでいた。

 氷の対応。表情もまた冷たい。

 だがそれが妙に彼女の色気を増幅する。

 若者は隣の席に座り、オリヴィアさんに話しかけ続けた。「一人か?」「その剣はなんだ?」「戦士か冒険者か?」「あんた綺麗だな!」などなど。

 質問したり、褒めたりと、色々な手を尽くしていたが完全に無視されてしまう。

 明らかに撃沈していたが、若者の友人たちが馬鹿にするように笑うと、苛立ちを表に出し始めた。

 あ、まずい。


「なあ、おい。人が話しかけてんだ。女ならもっと愛想よくしたら――」


 美しい音の波紋が屋内に響き渡る。

 あまりの速さに何が起きたのか、俺もほとんど見えなかった。

 恐らく、他の人たちも同じだろう。

 若者の喉には、ナイフがピタッとつけられていた。

 オリヴィアさんが左手に持ったナイフを、くいっと動かす。


「無粋ですね。食事中なのがわかりませんか?」

「あ、ああ、あ、あっ」


 若者は怯え切って何も言葉にできない。

 震えながら喉のナイフを凝視することしかできない。

 オリヴィアさんはすっとナイフを手元に戻すと、何事もなかったかのように食事を再開する。

 怖い。ああいう性格なのは知っていたけども。

 若者は怯えていたが、やがて怒りに顔をゆがめた。

 男の安いプライドを傷つけられたらしい。


「こぉの、クソがぁッッ!!」


 若者が立ち上がり、オリヴィアさんに拳を振るおうとした。

 オリヴィアさんの目が薄く開かれ、彼女は立ち上がろうとした。

 それはほぼ同時に行われ、そして。


「お待たせしましたー!」


 俺の快活な声が店内に響き渡った。

 一触即発の空気の中、俺の素っ頓狂な言葉がすべてを弛緩する。

 若者は振りかぶった拳を止め、オリヴィアさんは立ち上がる前の中腰状態だった。

 俺は用意していたエールをオリヴィアさんの前に置く。


「どうぞ!」

「……頼んでませんが」

「シース村に来てくださった旅人の方にはサービスしてるんです」


 俺は白い歯を見せてニカっと笑った。

 オリヴィアさんは少し思案していた様子だったが、すぐに再び席に座った。

 村の若者は上げていた手を気まずそうにゆっくりと下ろす。

 俺は若者に同じ笑顔を向けた。


「どうです? エール頼みませんか?」

「…………貰うよ」

「はい、喜んでぇっ! エール入りまぁす!」


 俺はキッチンに戻りながら明るく振舞った。

 張り詰めた空気が弛緩し、いつもの喧騒が戻ってくる。

 若者は自分の席に戻り、友人たちにたしなめられていた。

 いや、君たちのせいでもあるんだけどね。

 対してオリヴィアさんは黙々と食事を進め、エールで喉を鳴らしていた。

 危ない危ない。どうやらなんとかなったようだ。

 オリヴィアさんはかなり喧嘩っ早いのだ。

 というか多分、どこに行っても男に絡まれたり、声を掛けられたりして、うんざりしているのだろう。

 ゲーム内でも最初は態度が滅茶苦茶悪い。毛嫌いされているし、むしろ何かあったら殺すという空気さえある。

 さっきも危なかった。もしかしたらあの若者は殺されていたかも。

 そうなったら何もかもが、おじゃんだ。

 しかし俺が何もしなくともさっきのイベントは進んでいた。

 もしも俺がいなかったら……あの若者は殺されていたのだろうか。

 いや、五年後の彼女の口ぶりだとそんな感じはなかった。

 謎だが、ゲームとこの世界は全く同じではない。

 そこら辺は予定調和という奴だろう。


「リッド、よくやったな。いい対処だった」

「ありがとうございます、バイトマスター」

「ただ、サービスしたエール代はおまえが出せよ」

「……ですよねぇ」


 しっかりしているバイトマスターである。

 豪快に笑われると苦笑を返すしかない。

 ぽんと背中を誰に叩かれ、振り返る。

 エミリアさんが笑顔で立っていた。

 さっきまでとは違う、優しい笑顔だった。


「かっこよかったよ」


 素直に褒められ、俺は素直に照れた。

 この空気が俺の心を温かくしてくれる。

 俺はシース村が好きになっていた。

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