第9話 ロゼちゃんは、おませさんなようで

「百! 百一! 百二!」


 今日も今日とて素振りを続ける俺。

 新リッドになってから二か月が経過していた。

 素振りは快調。以前に比べてかなりできるようになっている。

 視界の隅にちょこんと座っているのはロゼだった。

 俺から少し離れた場所にある芝生に座って、俺の様子を眺めている。

 彼女の横には食べ物が入っているバスケットが置いてある。

 俺が目覚めた当初は最初は小ぶりなバスケットだったと記憶している。

 だが今はその倍、いや三倍はあるような気がする。

 一体、なぜバスケットが巨大化していっているのだろうか。

 しかも中身も徐々に豪勢になっていっている。

 最初は干し肉などの保存が利く食料と、サンドイッチなどのすぐに食べられる料理が入っていた。量は少なく、節約しても数日持つかどうかというところだった。

 それを一週間に一回差し入れてくれていたのだ。

 当然、会うのも一週間に一回で、差し入れを渡したらさっさと帰ってしまっていた。

 だけど、今は毎日のように俺に会いに来てくれている上に、差し入れは巨大化し、さらに結構長い時間、一緒にいてくれるようになった。

 最初の頃は数十分だったが、最近では俺が鍛練を終えるまでいてくれるようになったのだ。

 いつも用事があると言っているロゼだが、俺のために時間を割いてくれているのだろうか。

 これはつまり、俺への好感度が上がっているということなのか?


 俺は素振りをしながらロゼに視線を移した。

 バチッと目が合うと、ロゼは慌てて目を逸らす。

 ふむ、嫌われてはいないがそこまで好かれてもいないらしい。

 もしも好意的に思っていたら、笑顔で手を振るくらいはしそうなものだ。

 だが悪い印象はないように見える。

 このまま好感度を上げ続ければ、いつか俺を真っ当な幼馴染や友達として見てくれるだろう。

 もっと頑張れ、俺!


「二百! にひゃくぅいちぃっ! ぜはぁっ!!」


 限界まで素振りを続けたが、腕が痙攣して動かなくなってきた。

 くっ、軟弱な身体だ。

 いや、待てよ。

 十歳の割には十分動けているんじゃないのか?

 素振りが二百回できている時点で上出来なのでは。

 まあ、木刀は子供サイズだし、そこまで重くはないけれど。

 俺は息を荒げながら、地面に座り込んだ。

 すると、慌てた様子で手にタオルを持ったロゼが駆け寄ってくる。


「だ、大丈夫? お疲れ様」

「はぁはぁ、あ、ありがと、ロゼ」


 俺は辛いながらも笑顔を浮かべてロゼからタオルを受け取った。

 ロゼは一瞬だけ目を見開き、唇をきゅっと引き絞る。

 あわあわと狼狽えながら、手をわたわたと動かしていた。

 何をしているのだろうかと首をかしげると、余計に動きが激しくなった。

 ふむ、わからん。ロゼが何を考えているのか。

 まあ、いいか!

 俺はタオルで汗を拭いながら、考え込んでしまう。

 まだ鍛練を始めて二か月だが、筋力も少しはついてきた。

 鍛練目的なら木刀のままでもいいが、魔物を倒すことを考えると早い段階で剣を使った方がよさそうだ。

 猪鹿亭で働いているため、一か月分の給料は受け取っている。

 もちろん食費や生活費で必要なのですべては使えないが、それでも安物の剣くらいは買えるだろう。

 ただこの村には鍛冶屋も武器屋もない。

 カオスゲームでは鍛冶職人の数は少なく、神出鬼没だ。

 やれ死の山だとか、霧の丘だとか、ドラゴンの棲家だとかに現れたりするのだ。

 あの人たち、命知らずにもほどがない?

 まあ、大きな都市にはいるんだけど、シース村から近い都市でも馬車で一か月はかかる。

 移動料金は結構な額で、簡単に払えるものでもない。

 剣一つのために行くわけにもいかないし、シース村に来る行商人は非常に少なく、稀にしかこないと聞いている。

 近い内に来るという噂はあるんだけど、あくまで噂は噂だ。


「うーん、そろそろ剣が欲しいんだけどな……」

「え? リッドちゃん、剣が欲しいの?」


 無意識の内に思考が口から出ていたらしい。

 ロゼが驚いた様子で俺を見ていた。

 ま、隠すこともないけど。


「ああ、うん。木刀だと戦うには心もとないからさ。ちゃんとした剣が欲しいんだけど」

「そ、そっか。わかった。じゃあ持ってくるね」

「うん、お願い……って? え? 持ってくる?」

「お父さんが何本か剣持ってたから。大人は護衛用に持ってるんだって」

「で、でもロゼのお父さんが俺に譲ってくれるかな?」


 ロゼの両親に会った記憶はほとんどないが、嫌われていることはわかる。

 大体、あの子と関わるなと何度も言われているし。

 俺の言葉に、ロゼは困ったように眉根を寄せた。


「だ、大丈夫。あたし、頑張ってみるね! お父さん、あたしに甘いし、いけるよ!」


 子供ながらに中々な計算高い発言である。

 女の子は現実的な上に、男に比べて成長が早いからなぁ。

 しかし、本当にいいのだろうか。

 俺はロゼに沢山のものを貰っている。

 それなのにまた甘えてしまっていいのか?

 逡巡する俺の視界に、ロゼの顔がひょっこりと入ってくる。


「リッドちゃんのために何かしたいの……ダ、ダメかな?」


 可愛らしい声音で上目遣いをしてくるロゼ。

 なんというあざとさ。

 天然である。これが計算だったら現実に絶望して、俺は舌を噛んで死ぬ。

 しかし本当にこの子は俺のことが嫌いなんだろうか。

 いや、勘違いするな俺。

 ロゼは優しい子なのだ。

 態度が軟化したからといって、思い違いをしてはいけない。

 どちらにしても、無力な子供の俺に選択肢はない。

 だが。


「……わかった、お願いするよ」

「やた! うん、任せて!」

「ただ、俺もお願いに行く」

「え!? えええぇっ!? い、一緒に来るの!?」

「ああ。俺の頼みなのに、ロゼに全部任せるのは申し訳ないし、筋が通らない。ご両親には一度挨拶するつもりだったし」

「あ、挨拶!? え!? ど、どど、どうして!?」

「ロゼの傍にいるためには、ご両親の許可を貰わないと」

「そ、そそ、それって!? え、え!? で、でも……さすがにお父さんとお母さんに会わせるのは……だ、だって二人ともリッドちゃんのこと、その……あんまりよく思ってないし」


 食料の差し入れ、おすそ分けをいただいている上に、大事な娘さんと関わらせてもらっているのだ。

 俺のような悪童と娘が関わっていると知っているのだから、不安でしょうがないだろう。

 気が気ではないながらも、娘の意思を尊重してくれているのだ。

 優しいご両親なのだと思う。

 そうでなければロゼがここまですることを許しはしないはず。

 きちんとご挨拶するのは当然だ。

 そしてロゼに感謝を告げることもまた、重要なことだ。

 俺はロゼの手をそっと握った。


「ロゼ、いつもありがとう」

「リ、リッドちゃん……? ど、どうしたの、突然」

「言えてなかったから。改めて、ロゼの優しさに感謝したいと思った。今までありがとう。これからはロゼの優しさに報いるから。俺はもっとしっかりする。だから、ご両親に挨拶させてくれ。二人の未来のために」

「み、み、未来のため!?」


 ロゼは狼狽えに狼狽え、首も目もぐるんぐるん回していた。

 まるで酩酊状態だが、大丈夫だろうか。


「挨拶させてくれるな?」

「ひゃ、ひゃい……わ、わかりましゅたぁ……」


 今にも気絶するのではないかと思うほどに希薄な声量だった。

 疲労が溜まっているのだろうか。

 最近は鍛錬に付き合わせたりして、無理をさせてしまっているかもしれない。

 ロゼは色々と忙しいらしいし、合間を縫って俺に付き合ってくれているのだろう。

 ロゼは今にも倒れそうだ。

 足に力が入っていない。


「ひゃぅーーーっっ!?」


 俺は咄嗟にロゼの身体を持ち上げた。

 いわゆるお姫様抱っこである。


「リ、リリリ、リッドちゃん……ッ!?」


 羽根のように軽いとはまさにこのことだ。

 俺はロゼを抱えて、家へ向かった。


「ど、どどど、どこに、い、行くの? 家? え? え!? ま、まさか」

「休憩しよう」

「休憩ッッ!!?」


 ロゼは悲鳴のような大声を上げた

 目を両手で隠しながらカタカタと震えている。

 それほどまでに疲れているのだろうか。

 俺はあばら屋の扉を開けた。

 中は以前と比べてマシになっている。

 バイトマスターに貰った毛布や、自作のベッドやクローゼット、テーブル、椅子などがある。

 空いた時間にコツコツと作ったり、買い集めたものだ。

 以前が馬小屋なら、今はさもしい一人暮らしの部屋くらいにはランクアップしている。

 俺はロゼをベッドに横たわらせた。


「あ、あた、あたし、あたしね、リッドちゃん」

「ああ、大丈夫。何も言わなくていい」


 ロゼが息をのんだ。

 ロゼは手で顔を隠したままだったが、ピンク色の顔が指の隙間から見える。

 綺麗な瞳は潤んでいた。

 俺はそっとロゼの顔に手を伸ばす。

 ロゼは怯えながらもその場から動かない。

 俺の手がロゼの頬に触れた。


「お、お母さん、お父さん、ご、ごめんなさい……ロ、ロゼは……お、大人に、な、なりましゅぅ」


 ロゼは意を決したように、顔を隠していた両手を下げて、ぎゅっと目をつぶった。

 愛らしく唇をとがらせ、ぷるぷると震えている。

 俺はロゼの頬に触れていた手をそっと動かし。

 ロゼの目尻に溜まっている涙を拭った。


「じゃ、俺は鍛錬に戻るから」

「う、うん、鍛錬に戻って……え?」


 ロゼは大きな目をさらに大きくして俺を凝視していた。

 驚愕そのものを体現したような顔だった。

 何を驚いているんだ?


「えっ!? だ、だって休憩って」

「いつも用事があるって忙しそうだろ? それなのに俺に付き合って疲れてたんじゃないのか?」

「えっ? えっ!? じゃ、じゃあ、全部あたしの、か、勘違い……」


 ロゼの顔は真っ赤になった。

 今まで何度も見た赤い顔だったが、今日は輪をかけて赤かった。

 赤よりも紅だ。

 ロゼは毛布を頭まで被ると、バタバタと暴れ出した。

 毛布の中から小動物のような、きゅぅーっ、という鳴き声が聞こえる。

 ロゼは一体どうしたというのだろうか。

 理由は判然としないが放っておいた方がよさそうだ。


「お、俺、外にいるから」


 俺はロゼの様子が気になりつつも、家の外に出た。


「ふむ、お年頃って奴か? よくわからないな」


 首を傾げながら、疑念を晴らそうと思考する。

 だがまったく解は浮かばず、結局俺は気を切り替えて鍛錬に励むしかなかった。

 ロゼのご両親に挨拶するのは後日でいいだろう。


「さて続きは、スクワットにするか」


 手製の背負子に石を乗せて、スクワットを始める俺。

 普通のスクワットだと回数が膨大になってきたので、重りを背負うことにしたのだ。


「一! 二!」


 俺は勢いよく膝を曲げ、そして伸ばした。

 筋肉の悲鳴が聞こえ始めると、気分も爽快になっていくのだった。

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