その二三 スナップエンドウの種、収穫!

 スナップエンドウの種を収穫。

 『実』ではなく『種』である。

 さっそく、同じ場所に蒔いた。

 実は、エンドウ豆はずっとつづけて栽培した方がいいらしい。というのは、このエンドウ豆、根っ子から植物の生長を妨害する物質を出しているそうなのである。そうやって他の植物の生長を妨害しておき、自分だけ生長しようというわけだ。なかなかいい性格である。まるで、人間のよう(笑)。

 しかし、ではなぜ、自分は平気なのかというと、妨害物質と同時に、妨害物質を分解する物質も出しているそうなのだ。自分だけは大丈夫なように。

 ますますいい性格である。

 ただし、栽培が途切れてしまうと分解物質が失われるので、妨害物質が土中で固定化されてしまう。そうなるともうエンドウ豆自身にも分解できなくなる。つまり、自分自身の成長も妨害されてしまうわけだ。

 『自分の生んだものに苦しめられる』

 というわけで、『フランケンシュタイン』のテーマをはるかに先取りしているわけだ。ますます、人間っぽい。そして、すごい。

 と言うわけで、エンドウ豆は途切れることなく栽培しつづけ、分解物質を出させつづけた方が良い結果が出る……と言うことらしい。

 そこで、さっそく、蒔いたわけだ。

 まあ、エンドウ豆は冬のものだから夏場は暑さに負けてほとんど育たないのだけど。少なくとも、我が家のベランダ菜園においては。

 ……夏の厳しさが半端ないからねえ、うちのベランダは。

 それでも、分解物質目当てに蒔いておく。

 本命はもちろん、11月になってから蒔く冬蒔き春採り。春の味覚だし、付け合わせにちょっとあると便利なのでよく育って欲しい。

 で、なんでわざわざ自採りの種を蒔くのか。

 エンドウ豆の種なんてどこでも売っているし、市販品を蒔いた方が確実なのは決まりきっている。それを、なんでわざわざ自分で採るかというと、採っては蒔く、をつづけていると、段々とその場の風土に馴染んで良い結果が出るようになるそうなんである。

 これは言わば『獲得形質の遺伝』に当たるはずだから生物学的には否定されるのだろう。きっと。しかし、ずっと自採り栽培をつづけている農家の言っていること。私は研究室に籠もっている頭でっかちの学者の言うことより、日々、現場で実践している農家の言葉を信じる。

 と言うわけで、我が家のベランダ菜園でも自採り栽培をつづけていればいずれ、この環境に適応した新品種が生まれることであろう。

 我が家生まれの新品種めざし、種を採る!

 まあ、結局は買ってきた種の方がよく育つんだけどね。


 ちなみに、若い種は紐のようなものでちゃんとさやの内側と繋がっている。この紐を通じて水と栄養を受け取り、育つのだろう。

 植物にもヘソの緒ってあるんだなあ、と、妙に納得。

                 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る