拝啓 レフ・ダヴィードヴィチ

オカザキコージ

拝啓 レフ・ダヴィードヴィチ



拝啓 レフ・ダヴィードヴィチ

―革命過程方法序説―


 こうして手紙をしたためるように、そうショートメールではなく、ラインなんてメソッドも思い浮かばずに長々と、それも取るに足らないエッセイ風になってしまったことをまず、お詫びしなければなりません。いくら泥まぎれの錯綜した野戦に、この身を置いていたとしても、周りをぐるりと身なりのいい卑しい奴らに、囲まれていたとしても、優しい言葉をかけて来る目や鼻の辺りに少し手の入れた若い女に、誘われたとしても、そんなコトどもが言い訳になるはずもなく、ただバツが悪いだけで、顔向けできないだけで。もっと真摯な姿勢で、そこまでいかなくても、平常心でことに当たっていれば、素直に自分を出していれば、こんなことにはなっていなかったのでしょう、きっと。

 だからと言って、ここで立ち止まって振り返って、猶予を請うなんてこと、そんなぶざまなこと、微塵も考えておりません。あなたの時代にはなかった、想像すらできなかった事象や思考形態、感情の流れに対応するため、多くの時間を割いて、やっと対処できる、なんとか生き永らえる、という過酷な情況なのです。同情や哀れみに甘んじようなんて思いもよらず、ただ多様化・複層化・擬態化していく此岸の円環に忙殺されて、凌辱されるままに、ほんとうに仕方なく、仕様がなくて…。微かな兆しに、仄めかしに、シーニュに、明るいとは言えなくとも、一筋の光彩に希望を託せるのなら、どれだけ気も休まることでしょう、たぶん。

 そうこうしているうちに、時が過ぎていき、隔たりが充たされるなら、それに越したことはないのですが、ときに時空間が歪んで見えたり、異次元へトランスポートしそうになったり、果ては彼岸の扉の前で逡巡するどころか、ビヨンドしていく、超えていこうと、そんな稚気に戯れているかぎり、どうしようもないってこと、わかっているつもりなのですが。刻々と肉体が、細胞が死んでいくのを、それにともなって精神が、意識が解き放されて自由になっていくのを、他人事のように眺めているって、やっぱり。

 とうのむかしに、起動しているはずの、そうでなくても外れている、剥がれてしまっている、分裂して増殖している? ほんとうにそうなら何も心配いらないのですが、そう簡単にいかないこのプロセスで、実際にはベクトルが進むべき道と逆方向を示している、後退していることも十分考えられるわけで、のんきに構えている場合じゃないのかもしれません。でも、考えようによっては常に動いている、流動しているだけでも、それがノマドのようであっても、信頼に値しなくとも、少なくともそのプロセスは認めてもいいように思われて。だいぶゆるい考えですし、あなたに負のイメージは似合わない、それは承知のうえで、一縷の望みを。

 どこかで踏み止まらないと、流れを止めて、それこそ固化させて、しっかり象らないと、そうカタチにしないと、何も始まらないことくらい、わかっているつもりでいたのですが。けっきょく死へ向かうのが怖くて、いつか無くなってしまうと考えるだけで、そう願っていたはずなのに、意気地がないというか、ほんとうに情けないかぎりで。でもこうなれば、グリップを効かせて、背筋を伸ばして対峙していくしか方途はないと、自分に言い聞かせて、追い込んでいくしか、ここまで来ると、そうするしかないかと。決死の覚悟には見えないでしょうが、それ相応の思いで、ことに臨むつもりでいるのですが、どうか。

 見習うことが多過ぎて、どこから手をつければいいのか、ためらっていても仕方ないのですが、あなたに纏わる、周縁のコトどもも含めて稚拙にも精査して、その理論と実践を体現する、さらにこの世に引きつけて、変わらぬ日常に沿わせて、その意味を、なかんずく意義をも導き出す…。言うに易し行いに難しどころか、正直そんな芸当、持ち合わせているはずもなく、せいぜいあなたの言葉をなぞり、拙く見当違いに解釈するのが精一杯、といったところなのです。そう、予めどうしようもない限界があって、遠く時空が隔たっているだけでなく、常に不安がつきまとうプロセスの中で、試されているのを十分意識しながら、卑下することなく、自分なりの革命にまつわる意識を持って、ということなのでしょうが、いまだに。

 何よりも肝心なのは、少しでも核心へ近づこうとする、あなたの実直な姿勢、その思いを、文字通りその身をサクリファイスして貫いた、言葉は悪いですがある意味“神聖な思い”をしっかりつかみ、受け止めて、拙いこの身に引きつけて。高度化する一方の社会が隠微する諸矛盾を純化すべく決起する、もうそうするしか、遅ればせながら、とっくに周知のことなのですが。布教活動のように、つつしみ深く漸進的に、純粋で悪辣な意図を隠しながらやっていくべきなのでしょうが、ここは一世一代、公明正大に正面から当たっていく、思考停止して非連続の連続からはみ出して、ごまかしの円環から抜け出して。同時に、虚弱なガイストを、消耗した精神を、打ちひしがれた魂を鍛え直して生まれ変わるしか、そうした道筋しか、峻厳なプロセスしか残されていないということぐらい…。

 ここぞとばかりに、心身の合一を求めて、合体ロボットが起動するように、動き出さないことには何も始まらないってこと、分かっているつもりなのですが。有機体の枠の中で、そう、そこには精神も含まれているわけだから、そこから抜け出そうと思わずに、まず内側を充たすことに傾注して、不規則な突起物に、無数の襞に沿いながら、少なくとも吸収を妨げないように、栄養を運んでいく、やはりそうでないと。もうこれ以上、細胞を太らせる必要はないけれど、DNAの変異を含めて質的向上を、ヒューマンの進化として、きわめて遅い歩みの尻をたたくように、微弱な一つのエレメントとして、虚無に戯れがちな己を働かせなければなりません。見かけの体躯を超える、透過する、トランセンデンスする、漂い出す気息を、彼方へ浮遊していく精霊を、桃源郷まで引き寄せて、開拓させるまでに変異させて…。

 あなたが終生、両者のあいだで苦悩し、試行錯誤の末に、後世に一つの答えを与えてくれた、かの理論と実践の問題。最適な解を引き出すには相当な覚悟と、融通無碍で鋭利な能力が必要であるだけでなく、実現性が低いゆえに感度を麻痺させる、その屈辱に耐えられる精神を育んでおかないと。わが身を顧みず犠牲にして理論を、理想を最後まで追い求めた、あなたの足跡を、いばらの道を辿っていかなければなりません。だからと言って実践を、結果を副次的に、それこそ因果として疎かにしていいわけはなく、そこに重きを置く姿勢に変わりはないのですが。絶妙なバランスの中で、ぎりぎりのところで、ことを動かすために、あとへ続く者のために、やっていかないと、これから先は。

 そびえ立つ現実の壁を、動かし難い堅牢な構図を前にして、怯むことなく、ときに感度を落として、愚鈍になってまで、落としどころを探していく、忌み嫌っていた、カタチにしていく、そうでないと。たとえ挙手空拳であっても、むやみやたらにぐるぐる腕を振り回して、肩がはずれるのもお構いなしに、破れかぶれに、そう見えたとしても。セオリーはアポステリオリ、理論は後からついてくる、その程度の気構えでないと、ことは成就しないってこと、わかっているつもりなんですが。いまさらながらに、大人になって、青さを抑えてやっていかないと、すべてを無駄にしてしまう、きっとそうなんでしょう。あなたも苦しんだ、この情況をおのれに引き寄せて、不甲斐ないこの身に、そこが肝と。

 理論と実践の、精神と肉体の、深層と表層の、それこそ内と外の合一や一致ではなく、二律背反の、二項対立の、乖離の、いやそこまでいかなくても、ずれを、軋みを、不協和音をしっかり捉えて、相乗効果とはいかなくとも、二者関係を超えて、少なくとも触媒にして、新たなリレーションシップを築く、変革への起爆剤となるような関係性を打ち立てる、そこまでいってはじめて…。投げ込まれた情況の中で、ダーザインとして、見紛うことなき現存在として、立ちはだかるモノどもコトどもに対し、一つひとつ丁寧に向き合うことで、コペルニクス的な転回でなくても、たとえ手応えがなくとも、すっとすれ違うようであっても、漂う気息を取り入れることで、関係性を充たしていく、過不足があったとしても、そうじゃないと…。

 アンガージュマンを恥ずかしがらずに、時代遅れのエクリチュールから引き上げて、コンストラクションのくびきから逃れさせ、エゴを成仏させないことには、そう流動させないと。魂が揺さぶられるような、たとえ古い感覚と言われようと、多少上滑り感があったとしても、モノどもコトどもと接するには、いわゆる恍惚と不安が内側を占めようとも、冷静に根気よく関係性を取り結んでいく、複雑なプロセスを描くのでなく、あくまでシンプルにベクトルを一方向へ、狙い定めるのではなくて。とにかく心身を投げ出す、投企する、そこは死を意識して、それこそ決死の思いで、生との別れを、それが関係性の前提になるとの思いでないと、あとは野となれ山となれと、無闇やたらと、どうにでもなれと、無責任にやっていかないと、そうして情況の中へ入っていかない、きっとそうに違いなく。

 だからと言って、カオスをものともせずに、器用に身をかわしながら、というわけにはいかなくて。その摩擦のすごさに、大気圏へ突入するときのように、たとえ身も心もバラバラになったとしても、もうここに至ってジタバタしても。だから、流れに棹さすのでなく、逆流に歯向かうのではなくて、流麗に、そんなきれいにいかなくても、どうにか波に乗って、溺れないようにしっかり顔を上げて、必死に脚をバタつかせ、文字通り水面下で流動しながら、一体化できなくとも、不可能ごとであっても。どんどん下っていく、河口付近へ、それでも海へ流れ出るわけにはいかず、円環状にぐるぐる回って、螺旋状にせり上がるでもなくて、せいぜい対岸へ流れつくだけで。

 一つの有機体として、リアルな構造をもって、潜在力を秘めながらエラン・バイタル(生命の飛躍)に望みをつなぐ、そうなればと祈っているのですが。でも、ガイスト(精神)と、それこそプシュケー(魂)とうまくやっていかなければ、と思うだけで気が遠くなって…。生体の諸細胞と、とくに脳-神経系のセル、フラクションと、プラーナ(気息)やスピリット(精霊)など漂うモノどもコトどもとの関係性に、そこいらの科学や論理ではどうしようもないプロブレマティーク(問題設定)に、どう向き合っていけばいいのでしょうか。ここはやはり得意のエポケー(判断停止)で猶予をいただき、いずれ顕在化するだろう、実践の糧となるかもしれない、ことを動かす流れを引き込む、そんなエクセレントなプロセスの端緒を媒介にして、核として、しっかりつかみ、生かしていかなければならない、ということなのでしょう、そうでないと。

 けっきょくのところ、心構えということなのでしょうか、行為というもの、実践ってものは。そう短絡させてもいいのかもしれません、そうでないと覚せい剤を打って敵艦へ飛び込む特攻隊と変わらない、きっとそうなんでしょう。ことを成就する、関係性を成り立たせる、外側から回り込んで内側を充たす、ずれや軋みをそのままに、それこそ無視してやっていかないと。たとえ遅れや隔たりがあったとしても、時空間に歪みがあったからといって、ただちにプロセスに、真ん中を貫くベクトルが弛んだり、はじけ飛んだりしない限り、たいして影響はないと腹をくくって、ことに対処しなければならないのでしょう、きっと。プラクティスって? と問うたり、構えたり、逃げたりするのはやめて、しっかり向き合って、そこに死を、生との界(さかい)を感じながら、スパイラルに少しずつでもせり上がって、上向き加減に、進んでいくべきなのでしょう。ほんとうに遅ればせながら、あなたの足元にも及びませんが、とにかく実践…。

                 ◆

 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたは彼らの理論に忠実でした。それは経済にしろ、政治にしろ、もちろん哲学に関しても。多分に漏れず、コミュニズムに触れたことで、その後の人生が大きく変わり、充実したものになった、革命家として、それこそ自己実現を果たせた、と言うことなんでしょうか。たとえ結末が不幸だったとしても、けっきょく激烈な内部闘争に敗れて、ヘゲモニーを握れなかったとしても、あなたの素晴らしいプロセス全体からすると些細なこと、そう思うのですが。たしかに本望を遂げられなかったかもしれませんが、われわれ後世の者たちに残した足跡は大きなもので、その遺志は脈々と受け継がれてきました。死の代償としての側面もあるのですが、あなたが賭したものに対し、それに対する真摯な姿勢に敬意を表するにとどまらず、その人間的な魅力に親愛の情を示さずにはおられない、そんな思いです。

 あなたを駆り立てたもの、そのバックボーンはどこにあるのでしょうか。生い立ちから家庭環境、コミュニティーや属する国家体制まで、さまざまな要因が働いているのでしょうが、核となるのはやはり、共産主義思想、なかでもマルクス=エンゲルスでしょうか。確かに帝政末期の政治体制が、桎梏にいたりつつあった経済制度が、身分制度の矛盾が露呈した文化状況が、有機物として少しは上向きつつあった精神構造が、あなたの思考形態に、行動様式に作用したことは間違えないでしょうが、でもそれだけでは…。やはり、この二人の存在が、その理論的実践が大きな原動力に、新しい社会へ向けた道標に、あなたの描く未来の構図に相乗し影響を与えたのは、それも濃密にあなたの内側を占めて、外側へ出力する大きな契機になったのは、これも間違いなくて…。

 なかでも、どの辺りがあなたの内側に強く響いたのでしょうか。いわゆる初期マルクス、社会変革への可能性を哲学的に分析した、希望溢れる、内側へぐっと来る、理論的に美しい部分でしょうか。下部構造に規定された人間とか、物質的労働と精神的労働の矛盾とか、もっと身近で抽象的に自由とか、理想社会とか、それこそ具体的にはあの、必要に応じて能力に応じて、というあるべき労働の基本形、自己実現につながる考え方でしょうか。働くことイコール人生でやりたいこと、やらねばならないこと、そんな理想的な生き方を求めていたのでしょうか。きっと無意識に、己を貫くなかで自然とそうなった、ということなのでしょうか。羨ましいかぎりですが、それもあなたの全的な能力の為せる業なのでしょう、きっと。

 では、少し理論的な話に入りますが、主要概念のひとつ、剰余価値(G-W-G´)についてです。いわゆる労働価値説、それこそ労働力という商品がG´の秘密を、普通の商品(道具)でないそれが介入することで価値増殖が実現する、その肝の部分。いまで言う付加価値の創出とは微妙にニュアンスが異なる、機械や設備、システムの更新とはわけの違う、重要なプロセスです。無機質なものにはない、有機質の奥深い何ものか、もっと言えばミラクルなもの、労働力とはそういうものなのでしょうか。労働力の本質、そこに焦点を当てた彼らの功績は言うに及ばず、G´が搾取される、その構図を理論的に明らかにし、資本主義社会に潜む矛盾を詳らかにした天才に心からの敬意を示すとともに、あなたをはじめとする後に続く者たちへ課せられたものの大きさにたじろぎ身が引き締まる思いです。理論的な深化と実践への道筋。この課題へ向け、けっして歩みを止めるわけにはいきません。

 すなわち、労働と資本の問題。キャピタリズムに生じる、典型的な二項対立。二律背反するも密接に関連する、システマティックに組み込まれた構造。必然的にあらわになる搾取の構図、高度化した奴隷と間接化した使用者、直接向き合うことがなくても、表層をあげつらおうと、水面が穏やかに見えようと、生死をかけた暗闘が、それも一方的な、力関係に基づく、過酷な構造にそって、繰り広げられる、底なしの深みの中で。関係性の進展なのか、退行に過ぎないのか、プロセスを経るごとに、日常の些末な道行きの中で、断絶を得ようとしても、非連続の連続の中で、がんじがらめに身動きできない、そんなコンストラクションに対峙するにも。そこに政治が、権力が介入してきて、対立構図を煽りながら資本側に、暴力を使って加勢する、それだからこそ…。こんな体たらく、あなたの嘆きの声が聞こえてきそうで、不甲斐ない後に続く者に、あきらめ顔のわれわれに。ほんとうに情けなくて、会わす顔がなくて。

 下部構造のエッセンスから上部構造の枝葉へ、というわけではありませんが、少し心理学の領域へ外れるかもしれません。そう、利害問題についてです。ピンと来ないかもしれませんが、思いを成就するには欠かせないし、特に実践面で重要な観点と言えます。ひとっ飛びに労働者と資本家の利害の調整にあたるわけでなく、根本的に人と人とのあいだの、くだけて言えば損得勘定をいかに調整していくか、その考え方についてです。利害とは利益と損害、そのまま訳せばそうなりますが、最近よく言われるステークホルダー、利害関係者と言えば企業などの組織が活動を行うことで影響を受ける関係者、株主を筆頭に経営者、従業員、顧客、取引先などが挙げられます。利益を上げて分配するだけでなく、同じように損害を被る可能性のある運命共同体と言ったところでしょうか。人間の思考・行動様式を規定する概念と言えます。


■利害の落しどころをめぐって


 利害には、個別→特殊→共通の別があり、それは矢印でつながるプロセス、一方向のベクトルで示されます。それぞれ個人のレベルで、家族・学校・会社など属する組織で、お隣同士や自治会など地域社会・コミュニティーで、それらを統合・排除する国家へと変遷していきます。それは、一部を残して高まっていく、いや見方によれば退行していく、そう利害が権力へと姿を変えていく過程と言えるかもしれません。ここで肝心なのは国家で終わらせてはならない、ということです。将来の、未来の道筋としては、国家の死滅へ向かって、最終ステージへと、皆が追い求めてきた理想社会へ、その実現のプロセスを確かなものにしなければなりません。そうした中で、そこいらで、あちらこちらで錯綜する、数限りない利害をどう調整していくか。暗黙の了解で、話し合いで、多数意見の集約で、最終的には議会で、個別利害や特殊利害を共通利害へ、公共と言われる最大公約数へと、そこに実践の正当性を求めるしかないのでしょうか。

 たんに議会主義を否定するだけでなく、究極には国家の死滅を、権力自体を亡きものにする、そうでないと、すべての者が能力に応じて必要に応じて、の世界、求める桃源郷は実現しないでしょう。そのプロセスは紆余曲折どころか、至る所に地雷が敷設されていて、ぐるりと反対勢力に囲まれて、つねにこの身が危険にさらされて、精神が圧し潰されて、という情況に耐えて、跳ね返して、そう、激烈な死闘を繰り広げて、はじめて手にできる理想ということでしょうか。反議会の姿勢を取るわけですから、権力側との死闘は覚悟しておかねばなりません。街頭で頭を打ち砕かれようが、隠れ家を急襲されて撃ち抜かれようが、不意を突かれて背後から刺されようが、後悔しないように、無駄死にしないように、ある意味用意周到に事に当たらなくてはなりません。しっかり武装して、ゲリラ戦を仕掛けて、遊撃隊の一員として、権力側の兵隊を一人でも殺らない、殺られる前に、その瞬間は目をつむってでも、ということなのでしょう。

 事を成し遂げるには、成果を上げるには、暴力礼賛とまではいかなくても、人殺しを肯定せざるを得ない状(情)況に、肉体を、精神をどう向かわせればいいのでしょうか。それこそ死を意識しながら、恐怖に打ち震えながら、厳粛なリアルを実感しながら、できれば立つ鳥跡を濁さず、でこの世から立ち去れるならば、と。無様であっても、道端に屍を転がされようと、穏やかに土へ還れなくても、仕方ないのでしょうが、暴力を肯定するとはそういうこと、死を賭すとはこういうこと、そう、ヘゲモニーをめぐって死闘が繰り広げられるのです。一つの駒にすぎない主体として、虫けら以下であっても、至上命題のために全力を尽くすことが、変化を促す一助になるのならと、思考をそちらの方へもっていかなければなりません。穴という穴から蛆虫が湧いて出てくる、そんな状況を、たとえそれが自分の屍であっても、と自然の摂理と受け止めなくてはならないのでしょう、当然のごとく。


■レーニンの秀逸なプロセスに


 こと実践に関しては、あなたの同志、ともに革命を成し遂げたウラジーミル・イリイチに触れないわけにはいきません。あの前頭葉の発達した、特徴的な禿げ上がった頭の中で培ってきた理論を、目の前の現実に、流動化する現状に、革命前夜の状況に当て嵌めて、見事に実践へ繋げていった、その手腕に改めて敬意を表するとともに、人間業とは思えない働きに、率直に驚きを隠せません。党派間の、自党のうちの、執行部内での、最後は人と人との、複雑に絡み合った関係性を整序して、一定の方向性へ引っ張り持って行った、その指導力にはただただ脱帽です。それゆえの職業革命家ということなのでしょうが、改めてその稀有の能力に、けっきょくは忍耐強さなのかもしれませんが、事を処す力能に、それこそ清濁併せのむ姿勢に憧憬するとともに畏敬して止みません。権力を奪取することの意味、このあとに続くコンプレックスを極めるプロセスを思いやるなら、そこへたどり着くまで以上の、心身への負荷を覚悟しなければならないのでしょうが。

 いわゆるディクタツーラ、執権、独裁の問題。労働者階級が権力を掌握するとはどういうことか。人類が直面したレアケース。王や皇帝、征服者、資本家に代わる権力ホルダーとしてうまくやっていけるのか。前衛として他の階級をリードし、まとめ上げてそれぞれの利害を調整する能力が問われてくる。複雑な問題が途切れることなく生じてくる現場をどう動かしていくのか。階級としての力量が試される状況の中で、全体を俯瞰し情勢を客観的に分析し、個々の状況を正確に把握して迅速に施策へ反映させる、問題解決を図っていく、その繰り返しの中で、卓越した指導力を発揮しなければなりません。その一方で、地政学的な事象への対応もなおざりにできず、まわりをぐるりと敵対勢力に囲まれている中で、国際政治をはじめ貿易など経済も適切に管理・運営し、貧困の解消に努める必要があります。加えて、国内の反対勢力を、武装している場合は力で抑えつけなければならず、内外ともに少しの猶予もない、厳しい状況への対応を強いられます。まさに、ひと時も気を抜くいとまがない緊張状態が続きます。

 ウラジミール・イリイチに引き付けて考えてみますと、1917年の二月革命、それに続く十月革命でボルシェヴィキ(ロシア共産党)が権力を掌握するわけですが、いわゆる戦時共産主義体制がこのあと、長く続くことになります。前述のとおり、内外の状況は革命後も変わらず逼迫しており、史上初めて実現した社会主義政権の行方は文字通り前途多難で、そこいらじゅうにカオスが、一つ処理を間違えれば揺り戻しが、あちこちに反革命の狼煙が上がってもおかしくない状況だったのです。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたはその当時、軍事部門の責任者として軍用列車で国内各地をまわり、紛争の芽を摘んで行きました。その手腕は見事というほかなかったのですが、一番困難な仕事を、誰もやりたがらない実践そのものを、理論に優れた鋭利なあなたが、現場に合わせて愚鈍も厭わずやり遂げたのは、ソビエト(評議会)にとってどれほど大きなことだったか、比肩すべきものがないほどです。

 イリイチの見る目が確かだったのは言うに及ばず、あなたの類まれな能力、理論を実践に昇華させる力能にはただただ頭が下がる思いです。国内の流動化というより、内戦に近い状況にも怯むことなく、容赦なく武力を投入する怜悧な姿勢に畏れを覚えるとともに、ある意味、誠実さすら感じます。目的を達成するには、事を成就させるためには、確固としたものが、鋼鉄の意志が必要なのでしょう、間違いなく。軍用列車で行く手をたびたび阻まれても、モスクワからの不条理な指令に対しても、うろたえることなく、厳しい状況に合わせて最適解を導き出す現場力というのでしょうか、ケースバイケースで淡々と事にあたる姿に感銘を覚えるのです。一方、権力中枢ではイリイチを中心に、ソビエト・ディクタツーラを揺るぎないものにするために、前衛としてボルシェヴィキの勢力拡大に力を注ぐとともに、反対派の排除・粛清に手を緩めず確実にステップを踏んでいく、革命のプロセスを進めていく、その見事な実践…。

 イリイチは、何らかの成功が獲得されるたびごとに、自分に言い聞かせるようにこう言っていました、あなたは手記で振り返っています。―まだ何も達成されていない、まだ何も保証されていないのだ、と。決定的な勝利の五分前には、武装蜂起を起こす五分前と同じ警戒心とエネルギーと決意をもって事に当たらなければならない。勝利の後の最初の五分間に、まだ歓喜の叫び声が鳴りやまぬうちに、もう一度自分に言い聞かせなければならない―われわれが獲得したものはまだ確実なものではない、一分たりとも時間を無駄してはならない、と。これこそイリイチのアプローチであり、行動様式であり、方法であった。そしてこれが、彼の政治的性格、彼の革命的精神の有機的本質だった。さらに続けて、創造的想像力という言葉を使って、イリイチの類まれな資質について言及しています。想像力の中で最も価値あるものの一つは、人々や物事や諸現象を、それらを直接には見ていない場合でも、その実際の姿をありありと思い浮かべられること。生活の全経験と理論的装備とを利用し、個々の小さな情報を一瞬のうちに把握して結合し、それらを分析し、統合し、照応関係の何とも定式化しがたい法則によって補い、かくして人間の生活の一定分野を具体的に再現すること。それが革命期の立法者、行政官、なかんずく指導者に必要な想像力である、と。イリイチの強みは、圧倒的にこの現実主義な想像力にあった、と言えるでしょう。


■ロシアでただ一人のひと


 ところで、ソビエトが緒に就いたばかりの国内の政治・経済状況はどうだったのでしょうか。メンシェヴィキなど反対派の勢いが衰えたとは言え、それを抑え込みながら権力を維持するのは並大抵のことでなかったでしょう。広大な領土のあちこちで生じる不穏な動きに対し、顕在化を防ぐには相当な労力が要ったでしょうし、ときに、いや頻繁に強制力を行使しなければならなかったでしょう。ソビエト(評議会)で意見集約する限界を感じながら、革命の深化へ向けて施策を一つひとつ実現していく、革命後も前衛の意識をもって労働者を、農民を、プチブル意識が抜けない商人連中をリードしていくのは途方に暮れるほど骨の折れる作業だったことでしょう。百年の時を超えて、七千五百㌔の空間を隔てて、極東の果てから、こうして当時に思いを寄せるしかないのですが、少しでもあなたの、イリイチの気概に、強靭な精神力に、ある意味愚鈍でさえある忍耐力に、ただ触れたくて…。

 このほか、あなたは『プラウダ』などでイリイチの類まれな能力、直観力について触れています。革命を目的に歴史的規模で行動するには、明確な科学的体系―唯物弁証法―に加えて、直観と呼ばれるところの隠れた想像力が必要である、と。すなわち、現象をすばやく評価する能力、本質的で重要なものを偶然的でくだらないものから区別する能力、眼前の構図に欠けている部分を想像力で埋める能力、他者、特に敵の力量を推し測る能力、そしてこれらすべてを結合させて、打撃の定式が頭に形成されると同時に打撃を与える能力―これが行動の直観である、と指摘しています。それは、ロシア語で「したたかさ」と呼ばれるものと結びついている、と。さらに、イリイチの天賦の才にも言及しています。その革命的眼差しを前方へしっかり据えて、主要なもの、基本的なもの、最も必要なものを把握し指摘すること、これこそイリイチに最高度に備わった才能だとしています。

 発展への道を切り拓き、動揺することなく進んで行く、プロレタリアート自身の偏見がこの途上における一時的な障害となる場合でさえ突き進む、そうした指導者だけが労働者階級によって評価されるのでしょう。あなたは、イリイチの強靭な思考という天賦の才に加えて、揺らぐことのない意志という、もう一つの天賦の才についても触れています。まさにこれらの資質が結合することで、真の革命的指導者が、すなわち勇敢で不屈の思考と揺るぎない鋼鉄の意志とが融合した指導者がつくられるのです。だから、五歳の女の子まで彼のことを“ウラジーミル・イリイチ・レーニン、ロシアでただ一人の人だった”と振り返るのでしょう、彼の死に際して。


■後進国・ロシアでの革命の意味


 マルクス=エンゲルスの予想とは異なり、後進国のロシアで社会主義革命が実現したこと、その意味は小さくありません。資本主義体制の矛盾から、その桎梏をくぐり抜けて、制度や因習を脱構築して、必当然のプロセスとしてコミュニズムへ移行するはずが、よりによって欧州の辺境・帝政ロシアで、というわけなのですから。皇帝を戴いていた封建国家が、資本主義を経ずして一っ飛びに共産主義へトランスポートしたのですから。その衝撃は、モスクワや周辺都市にとどまらず、広く地方へ、農村までおよび、歓喜を呼び起こすとともに困惑を生じさせたことでしょう。地方が、中央の動きに対して右往左往するのは仕方のないことで、特に農村では社会主義の意味もわからず、革命の実感もなくて、ただ押し寄せる変化にうろたえるばかりだったのでは、と想像できます。あなたが地方視察で見た状況は、相も変わらず素朴な農村の風景だったのでしょうか。いわゆる農奴として、いくら働いて報われない封建制度の中で疲弊する姿だったのでしょうか。

 そこから農業の集団化へ、コルホーズ(組合)やソフホーズ(国有)の形態へ、搾取のない公平・平等な分配の実現へ…。自由主義経済のアンチテーゼとして国有化をベースに計画経済を推し進めていく、最優先の重要施策として万難を排して理論を実践へ移していく、革命後を占う、その成就を規定する下部構造の大転換を図っていく…。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたはイリイチとともに、その可能性の中心にいました。壮大な試みである共産主義への過程、社会主義の端緒で、その真ん中で、労働者・貧農のために心血を注ぎ、理想社会を追求しました。一方で、ゴスプラン(国家計画委員会)による中央管理の弊害は、その当時から、早い段階から予想していたのでしょうか。人間の本性にかかわる、性善説では済まされない、根底にある負の部分を等閑視した、あえて見ようとせずに理論化を急いだからでしょうか。そのあたりが、このあとのプロセスに大きく影響してくるのは周知の通りです、それは七十余年後、そう一九九一年のソビエト崩壊の致命的な要因になってくるのですから。

マルクス=エンゲルに責めを負わせても仕方ないのですが、例えば小麦など農作物の収穫の対価をどう配分すればいいのでしょうか。貨幣にせよ、何らかの現物にせよ、関わった農民に対し等分に配るのか、寄与度に従って、それぞれの収穫量に合わせて比例配分すべきなのか、それとも抱える家族の多さや、提供した器具や設備なども考慮して、ということなのでしょうか。本来なら、あのマルクスの“必要に応じて能力に応じて”なのでしょうが、そう簡単にいかないのが現場です。当初から制度的にインセンティブを働かすのは難しかった、いやソビエトのプロセス中、課題のままにスルーされて、理論との兼ね合いでけっきょく実現されずに終わってしまいました。現有の中国やベトナムなど、ほとんど資本主義と変わらない経済体制の是非はともかく、プロレタリア革命初期のソビエトで経済にインセンティブ制度を導入する意味は低かったでしょうが、資本主義諸国との国際競争の中で、どこかの段階で採用して慢性的な経済停滞から起死回生を図るべきだったのかもしれません。

 それはともかく、ウラジミール・イリイチ亡き後のあなたが辿った足跡、吞まされた苦杯に、理不尽な仕打ちに触れないわけにはいかないでしょう。そう、後継争いのことです。いまでは悪名高きスターリンも革命当初はレーニンのもとで、ボルシェヴィキの中核を担う一人の幹部党員でした、ソビエトを真の意味で支えていたかどうかは別にして。ここがソビエトにとって、世界の共産主義を信奉する者たちにとっても、大きな岐路になったといっても過言ではありません。たんなる主導権争いにとどまらず、その命運にかかわるターニングポイントだったと言えるでしょう。イリイチが病に倒れたことが直接の原因ですが、それまでにあなたの知らぬところで、内外の課題解決に奔走しているうちに、多くの事がスターリンをはじめエピゴーネンたちによって密やかに、それこそ陰謀ひしめくなかで、アンダーグラウンドで流れがつくられていた、ということなのでしょうか。多くの組織で見られるように往々にして跡目争いは、刃物のように鋭利で秀逸な者が排されて、取るに足らない愚鈍な者が他を制するものです。


■スターリニズムとトロツキーの暗殺


 哀しいかな、とか、そんな情緒的な言いぶりで済まされない、コミュニズムにとって致命的な、不幸にも構造的な負のエレメントが露呈して、不可避の悪辣なプロセスへ入っていく―。そう、スターリニズムです。表面的には、一国社会主義か、世界社会主義(永続革命論)かの路線争いに見えたでしょうが、その内実は理論的なイニシアティブ争いを超えて、というより、そんなレベルの高いものでなく、魑魅魍魎(ちみもうりょう)とした嫉妬や疑心暗鬼がうごめく人間の醜い面が全体を覆う、そんな低い次元に堕した体たらくでした。よく言われるように、スターリン個人の、小心で猜疑心の強い性格が、ぶざまでみっともない事態を招いたのは確かですが、ウラジミール・イリイチからヨシフ・ヴィッサリオノヴィチへの権力移譲はもちろん、それだけで起こるものではありません。国際派のレフ・ダヴィードヴィチ、あなたが目指す方向へ、その準備と情勢が海外のみならず、国内でも整っていなかったからでしょうか。インターナショナリズムへの理解が、理論先行的とでも思われたのでしょうか。まずは国内にじっくり腰を定めて、矛盾や課題と向き合ってということなのでしょうか。

 あなたはけっきょく、多数派を形成できずに失脚した、亡命を余儀なくされたのですが、やはりその過程が問題です。いわゆる大粛清の端緒に、スターリズムの代名詞となる官僚化・偶像化・衆愚政治が凄まじい勢いで革命を、コミュニズムを後退させていきます。それこそハリネズミのように、体制を脅かす周りの資本主義諸国などに対抗するため軍事力を強化するとともに、国内の反体制派に対する締め付けを強化、恐怖政治を敷いていきます。スターリニズムの本性が露わになったかたちです。イリイチがもっと生きていたら、あなたが多数派を形成していたならば、と後を継ぐ誰もが思ったことでしょう。上意下達の官僚主義がはびこり、イリイチ生身の蝋人形化に象徴される偶像化、それに労働者の、民衆の創意工夫を滅却する衆愚政治…。一国社会主義の名のもとにすべてが陳腐化されていく、見るに堪えない状況が続きます。まさにコミュニズムの自殺行為です。

 特殊に防腐処理されたイリイチの遺体は、赤の広場のレーニン廟で永久保存(エンバーミング)され、今も好奇の目に晒されています、利用価値がなくなっても見世物人形として、残酷にも。これも偶像化の一つだった、モスクワやサンクトペテルブルクなど各地のレーニン像が七十数年後、イリイチの愛した民衆によって引き倒されました。彼に罪はないのに、スターリンをはじめ出来の悪い後継者が無能で、ただハンドリングがまずかっただけなのに。権力を握った者の、ある面で悪魔に魂を売った者の、そう内戦を含めて戦争ということで思考停止し、他人の命を奪った者の享受しなければならない運命なのかもしれません。亡くなった後もさらし者になる覚悟をもっていたのでしょうか、イリイチにしてみれば、それが共産主義への道の、厳粛なるプロセスの一環ならば、と条件をつけたことでしょう。革命を成就させるためには手段を選ばない、イリイチは間違いなくそう思っていたのですから。

 一方、レフ・ダヴィードヴィチ、あなたの最期も穏やかだったとは言えません。トルコ、フランス、ノルウェーと亡命先を転々した挙句、メキシコでスターリンに送り込まれた刺客によって暗殺されました。あなたは、一国社会主義が必然的に官僚の特権とその既得権防衛のための専制体制へと堕落する、と見通していました。あなたの唱えた永続革命論は、労働者階級の前衛党を重視し、社会主義革命という最終目標のもと、労働者階級の日々の要求の媒介となる過渡的綱領・過渡的要求による大衆の革命への組織化、ソビエト(労働者評議会)権力による絶えざる社会革命と国際革命の有機的結合によって、資本家の搾取を廃止する社会主義の建設を目指しました。また、世界社会主義革命を目指す単一のインターナショナル組織の建設と、それを媒介にする労働者階級・被抑圧民族の国際連帯の形成、社会主義への過渡期経済では市場をも利用し、資本主義・帝国主義との競争に耐えられる経済建設も提唱しました。

 でも、そうした真っ当な共産主義へ向けた社会主義の道筋は、短期的な見通しにもとづいた短絡的な諸施策によって脇へ追いやられました。目先のことばかりに気を取られて、コミュニズムの肝の部分をなおざりにして済まそうとしたのです。あなたと同じように、イリイチのそばで一応ボルシェヴィキの一員だった者が、ある意味まったく逆の方向へ、労働者や農民を置いてけぼりにして、わが身の専制体制を固めようとするなんて、コミュニストとして失格であるばかりか、正気の沙汰でない、権力をはき違えた精神を病んだ男としか見えません。こうしたスターリンのような者がイリイチ亡き後、ソビエトを率いることになった不幸、革命にとって共産主義にとって致命的・絶望的な道行き、もうこの段階でソビエトの命運は尽きていたのかもしれません。このグルジア出身の凡庸な男が権力を握った、この事実は否定的な意味で極めて大きな出来事でしたし、夢なら覚めよ、とコミュニストなら誰もが思ったことでしょう。

 スターリニズムの弊害としてもう一つ、挙げておかねばならないのが、官僚制についてです。あなたは著書の中で振り返っています。「大衆と革命の出来事の前では二流の人物でしかなかったスターリンが、テルミドール(反革命派)官僚の争う余地なき指導者として、その層の第一人者として登場した」と。特権的官吏らが反動的、反革命的な人物、スターリンの登場を待望し、それに応えて権力を握った俗物が大衆へ刃を向けた、二つの要素が混ざり合ってテルミドール的作用を起こし、悪臭を放ち革命を致命的に後退させた、ということ。官僚権力はスターリニズムに反対する党内グループを、ボリシェヴィキ党を打ち破っただけでなく、国家機関が社会の従僕から支配する主人に転化することに警鐘を鳴らしていたイリイチの政治綱領まで反故にしました。労働者国家で強制力は本来、搾取者的傾向の強さ、もしくは資本主義的復活の危険度に正比例し、社会的連帯と新しい体制への全般的信服の強さに反比例します。そこで官僚は、特殊な種類の強制、大衆が行使できないか、あるいは行使を望まないような、すなわち何らかのかたちで大衆自身へ鉾先を向けるような種類の強制を体現したのです。

 

■いわゆるトロツキストの不幸


 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたの考えに共鳴し、不屈の姿勢に敬意を示す多くの後継者たち、いわゆるトロツキストと総称される者たちの不幸についても触れざるを得ません。不当にも貶められた、という表現そのままに後世に傷跡を、共産主義のプロセスに禍根を残すデマゴーグたちに強く反対し、対峙しなければなりません。レッテルとしてのトロツキストの問題です。権力サイドの容赦のない誹謗中傷、反革命分子や帝国主義の手先など恣意的なレッテル張りが横行しました。しだいにトロツキスト=裏切り者、各国でイニシアティブを握る共産党に従わない反党分子を、トロツキー思想の影響化にあるとして非難し、排除しました。挙句の果てに、その存在自体を抹殺する、あなたのように影響力の大きいコミュニストをことごとく。そういう負の歴史が、コミュニズムのプロセスに必然だったのでしょうか、不可避な濁った部分として自己矛盾、それこそ必要悪として避けられなかった、前衛と称する有機的組織であっても、ということなのでしょうか。

 マルクス=エンゲルスのロジックを云々する前に、人間の本性について掘り下げて、社会科学に止まることなく脳科学、人類学、それこそ相対性理論や量子論など物理学、もちろん哲学も加えて総合的に人類の知を結集して、人間というものを分析しなければなりません(これについては後で詳しく触れるつもりです)。先進的な思想のコミュニズムに、時代がついて来なかった、二十世紀初頭にはまだ早かった、人類はそこまで進化していなかったということでしょうか。それとも共産主義思想はマルクスが言うような科学ではなく、一つの思想、イデオロギーに過ぎなったのでしょうか。今となってはどう判断していいのやら、立ち止まり暗い気分になってしまいます。もし、あなたがイリイチの後を継いでソビエトを率いていたならどうなっていたか、少なくともこんな無様な結果にはなっていなかった、そこへ至るまでの数々の具体的事象、そのプロセス自体が変わっていたでしょう。未来への道筋をぐっと引き寄せて共産主義社会の戸口まで、われわれを連れて行ってくれていたに違いないと思うのですが。

 事の重要性から言って、あなたの世界観から見て、ちょっと蛇足になるかもしれませんが、極東の小さな国で生じた、幼稚でお粗末な諸事象にも言及すべきでしょう。あなたの思想、行動様式をはき違えた左翼セクトの話です。日本の新左翼の功罪、そう問題提起すると“功”なんてあるのか、と聞き返されそうですが、もちろん“軽罪”がほとんどなのですが、トロツキストとレッテル張りされた彼らの道行き、プロセスも無視できません、たとえそれが稚拙で惨めなものであっても。一般には蔑みの意味を込めて、反議会主義・教条主義・冒険主義・暴力主義などと形容されて、その過激性・硬直性のほか稚拙さ・杜撰さ・底の浅さ・自意識過剰のみっともなさなどが特徴とされています。ほんとうにいいところはないのですが、唯一フォローできるのは、それも好悪があるでしょうが、純粋性ということでしょうか、一応初心に清らかなところがあったのですから。日本では戦後、議会主義を採る、腰の引けた左翼政党が、自党から分離した労農派をトロツキスト呼ばわりしたのが始まりと言われています。

 その後、いわゆる六十年安保時には、日和見な左翼政党から分派した学生中心の共産主義者同盟(ブント)などをトロツキストとしてレッテル張りし、近親憎悪も相まって左翼冒険主義と口汚く批判、ある事ないこと騒ぎ立て、姑息にも一般社会との、大衆との分断を図ろうとしました。いわゆる新左翼の登場ですが、このあとトロツキズムを乗り越えた新しい体系? そう“反スタ・反純トロ”、すなわち反スターリン主義に加え、真の意味でのトロツキストを標ぼうする過激派セクトが現れます。七十年安保のころです。結論から言うと、レッテルを取り払おうと、それを否定しようと、レフ・ダヴィードヴィチの純理論に、あなたの十月革命前後の行動様式に習おうとしたのかどうかはわかりませんが、けっきょく無様に自壊していきました。レッテルとしてかどうかは別にして、いずれにしても世間的には、自らトロツキズムを葬り去ったと映ったことでしょう、公安も呆気にとられるほどに。銀行強盗に郵便局襲撃、ハイジャック、人質をとった立てこもり、山間ベースでのリンチ殺人、そして過激派の代名詞にもなった内ゲバ…。反論の余地はどこにもありません。それどころか、トロツキズムを信奉する多くの者にとって害悪以外の何ものでもなく、その罪は極めて重いと言えます。

 ただ、あまり知られていませんが、彼らの一部が唱えた前段階式武装蜂起論と国際根拠地論には少し触れておく必要があるでしょう。赤軍派の名称の由来にもなったのですが、六十年代末の日本の状況を革命的高揚期から革命情勢への過渡期にあると定義、それに対応するため、暴力革命の原動力となる赤軍を組織し、武装しなくてはならない―簡単に言えば、これが前段階式武装蜂起論です。今から見れば、時代認識に欠け、客観的な情勢分析が甘い、もしくは誤っていると言われるでしょうし、だからこの状況を打開するには暴力革命が必要であり、それには赤軍の組織化が、というのはあまりに短絡的と言わざるを得ません。一方、国際根拠地論とは先進国の階級闘争と、第三世界の民族解放闘争、それに労働者国家の官僚独裁制打倒を同時並行に遂行するというもの。一考に値する、戦略的な理論に思えますが、実現性に困難を伴う、実践するには途方に暮れそうな論理と言えます。ただ、発展段階の違う三つのフェーズ、その各エリアの課題に対し重層的に闘争を仕掛けようと姿勢は評価されていいと思うのですが。

 また、社会的現象の一つとして過激派セクト間の殺し合いにも少し触れておきましょう。かの中核派と革マル派との内ゲバです。根は同じで分派した両者の近親憎悪は凄まじいもので、理論的な争いを置き去りに暴力沙汰に終始、と言っても当初は素手や角棒で殴り合う程度だったのですが、しだいにバールやナイフを持ち出すようになり、話が違っていきます。ある意味牧歌的な暴力レベルから、相手の息の根を止める殺し合いへエスカレーション、セクト間の争いの域を超えて殺りく合戦の様相を呈していきます。ここまで来ると、もう社会的にも見過ごせない状況なのですが、そこは公安、表面的に取り締まるふりをして、殺し合いを放置し自壊を促します。左翼過激派の行き着く先はこのざま、と不敵な笑みを浮かべて言うでしょう、時代を読み間違った愚かな者たちの夢の跡、そこには何も残らない、と。こういうことで七十年安保をもって、いわゆる学生運動は終息していきます。

 哀切感を漂わせ、眉をひそめて、というわけではないのですが、両派の特徴、主張するところを一言でいうと、反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命を標榜するのは同じなのですが、中核派は大衆運動・武装闘争を重視。一方、革マル派はプロレタリア世界革命の一環として日本革命を位置づけ、特に理論・組織面に重きを置きます。いずれにしても、国家独占資本主義や新自由主義政策は最後のあがきに過ぎず、資本主義・帝国主義の完全打倒、プロレタリア世界革命の完遂と階級社会の廃止、真の人間的な共同社会、共産主義社会の建設を目指しました。中核派は、革マル派について反帝・反スタの綱領を閉鎖社会的に経文化する反動的ドグマ化に陥り、階級運動との生きた交流を自己切断する誤りを体質化させていると批判、街頭闘争から距離を取り成田空港建設反対闘争からも排除され、他の新左翼系過激派集団と敵対、孤立無援の状況になった、としています。

 これに対して革マル派は、本来論理的に同時的な戦略である反帝・反スタ主義を中核派は地理的・時間的に切り離して反帝を優先する論理的な誤りに陥っている、と指摘。その街頭行動主義は、自己目的化のプチブル急進主義への転落に過ぎないと批判します。第三者から見れば、どっちもどっち、おのれに都合よく相手方を解釈し、それぞれ論理の一部を曲解・批判しているだけに映るでしょう。ただ、両派が罪深いのは象徴的な意味で、レッテルとしてのトロツキズムを、その表層的な見方を派手な意味の薄い行動で不本意にも膾炙したということ。トロツキズムの本来の意味を、反帝・反スタをはじめ永続革命・世界革命に加えて現場に即した秀逸な軍事論、その前提として労働者階級の前衛重視、加えて文学に長けたあなたへ敬意を表して純化路線の凝集性とか、理論的な美しさ、実現不可能性への美意識、創造力・想像力の広がりなど、もっと言えば遺伝子レベルでの人類への寄与、豊かな人間性の増進、希望の醸成、可能性の追求、未来への信頼…。これらを日本において無に帰した、その罪は途方もなく大きいと言わざるを得ません、かれら過激派セクトの原罪です。


■功罪の“罪”が大きい毛沢東


 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたの思考・行動様式は、東洋の大国に、驚くことに中華思想の国にも少なからず影響を与えました。毛沢東の中華人民共和国です。建国は戦後の1949年10月、それから76年9月まで実に二十七年もの間、彼は権力の座にいました。その長さだけを考えても、到底問題なしとは言えない、具合の悪いこと、それこそ熾烈な権力闘争、血で血を洗うヘゲモニー争いなど、嘔吐を誘うような事象が繰り返されてきた、と容易に想像できます。「東風は西風を圧倒する」。57年11月、彼がモスクワ訪問時に語った有名なフレーズです。いわく、社会主義勢力は圧倒的有利に立っている。戦争が始めれば地球の人口の三分の一、いや多ければ半分は失われるだろうが、半分は生き残る。結果、帝国主義は抹殺され、すべて社会主義になるだろう。数年経てば人口はもとに戻る、と。この恐るべき楽観主義というか、見方によっては思慮浅くも図太い構え、その自信はどこから来るのか。日本や韓国のほか東南アジアの一部地域を除いて、ソ連邦とともに広大なユーラシア大陸の大半を社会主義化した自信からでしょうか。

 情勢認識というより、その大局観には大国を率いる指導者としての懐の深さを感じさせます。それと、アジア特有の、ある意味合理主義を排した、西洋のロジックに当てはまらない事の運びというか、東洋的な落としどころを、それが暴力を使った強制力を伴っていようと、中国式の社会主義体制の未来を見据えたものであるならば、という融通無碍な強さを覚えます。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたの意志の強さと、ち密な現状分析能力、それに大胆な行動様式を思い起こしてしまいます。無理に両者を引き付けるつもりはないのですが、革命家として、それも理論と実践を合致させる能力に長けた、まさに革命を成就させた者同士として、こうしてエクセレントな二人を結び付けたくなります。大幅に理論を崩すことなく、それぞれの現場にフィットさせる能力、さらに一歩か半歩かは別にして、地道に未来へ向かう、適切にベクトルを定める能力に感嘆してしまうのです。

 毛沢東は次のようなフレーズ、名言を残しています。「革命とは、客を招いてごちそうすることでもなければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そんなお上品でおっとりした雅やかなものではない。革命とは暴力である。一つの階級が他の階級を打ち倒す、激烈な行動なのである」。まるであなたが十月革命前後に、労働者を前にして演説した言葉のようです。何の説明も、何も付け加える必要もない、革命の本質をつく素晴らしいテクストで、しぜんと何度も読み返してしまいます。きれいごとでは済まされない、気の抜けないプロセスの中で、無産階級を守ろうとする断固とした意志を、気迫を感じさせます。それに、いまさらながら権力を獲得し維持することの困難さ、何事も楽観視することなく、常に脇を締めて事にあたることの重要さ、まさに油断大敵、常在戦場とはこのことです。あらためて肝に銘じるとともに革命への意欲をかき立てられます。

 ただ一方で、功罪の“罪”にも触れざるを得ません。1966年から十年にもおよぶ文化大革命についてです。一般には、毛が自らの権力を固めるために仕掛けた大衆運動、復権するための大規模な権力闘争、資本主義化しようとする党内の派閥に対する原理主義・教条主義的な闘争―などと定義、総括されています。当初は、封建的文化や資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しようとする文化改革運動として始まりましたが、実際には大躍進政策の失敗で国家主席の座を失った毛自身の復権策動にすぎなかったとの見方が定説になっています。功罪相半ばというより、罪の方が際立つ、批判が大半の事象、それこそ関連する推定死者数が四十万人とも数千万人と言われるジェノサイドとして、この文化大革命は中国人民の暗黒史として刻印されています。後の為政者によってある程度、真偽の操作が施されたとは言え、清濁併せ持つコミュニズムの否定的側面が露呈した最悪のプロセスだったと言えます。

 農村へ下放され過酷な労働を強いられた人民にとって、毛は悪魔のような存在だったでしょうが、そのユニークな思考・行動様式や気取らない風貌、個性的な人間性は長らく大衆から好感をもって受け止められました。エピソードとして一つ上げるならば、その夜型の習慣、革命当時に身につけ終生変えなかったルーティンについてです。党幹部との会議や、ときに外国首脳との接見も執務習慣に合わせて深夜に行われる場合が度々だったとし、また人民服でなく、体を締め付けないガウンのようなゆったりした服を好み、深夜の会議や党幹部の報告もベッドの上でその服装まま聞いたということです。おまけに、そのガウンが破れたりほつれたりしても繕い直させ、パッチワークのようになるまで着ていたと言います。そのために専用の縫製ラインを作ったということですから驚きです。このほか、水泳を好み(毛専用の別荘には必ずプールがあった)、歯磨き粉しか使わず(チューブ入りの練り歯磨きは汚れの落ちが悪いとして)、息抜きに麻雀(漢方、紅楼夢[清朝中期の古典長編小説]とともに三大発明と位置づけて)を囲みました。いずれにしても、東洋的なカリスマ性と西洋発のコミュニズムを融合させて、アジアにおける社会主義の道を切り拓きました。


■民族自決を重視したホー・チ・ミン


 もう一人、アジアには傑出した革命家がいます。ベトナム民主共和国の建国の父、ホー・チ・ミンです。親愛の情を込めて“ホーおじさん”と呼ばれ、人民から愛されました。彼は何よりも民族自決、ベトナムの独立を優先させ、共産主義の実現よりも、当時フランスの植民地であった母国の解放に身を捧げました。理論よりも実践重視、論理は事を運ぶための手段、そのスタンスは徹底していました。レフ・ダヴィードヴィチ、ここにもあなたの道行きをトレースし、新たなベクトルを示して人民を引っ張っていった革命家がいます。彼はけっしてコミュニストとしてエリートとは言えず、1911年船の見習いコックとして渡仏、一時イギリスに移住していましたが17年にパリへ戻り、ロシア革命の影響を受けて19年にフランス社会党へ入党します。そこで安南愛国者協会を組織し事務局長におさまり、同年開かれたパリ講和会議へ同協会代表として出席、国際的舞台でデビューを果たします。八項目からなる請願書「安南人民の要求」を提出、すべての政治犯の釈放、報道・言論・結社・集会の自由の保障などを要請しました。

 20年7月、レーニンの「民族問題と植民地問題に関するテーゼ原案」に感銘を受け、フランス共産党の結成に参加。23年ソビエトへ渡り、コミンテルン第五回大会でアジア担当の常任委員に選出されます。30年にはイギリス領香港で組織されていた3つの共産主義組織を統一し、ついにベトナム共産党を創設します。ところが、あくまで民族自決を優先したため、コミンテルンの不興を買い、権力の中枢から外されることに。でも、時の流れ、事態の変化が彼に味方し、35年のコミンテルン第七回大会で反ファシズム統一戦線に路線転換、民族問題が重視されるようになり、ホー・チ・ミンは第一線に復帰しました。このあと、フランスに代わり宗主国となっていた日本の敗戦に伴い、民衆蜂起で全土を制圧、ベトナム民主共和国を成立させて首相・外相に就任します。これまた彼らしいというか、共産党を取り巻く現状を鑑みて建国の際、閣僚15人のうち共産党員6人、非党員9人の構成でスタート、前衛党が前面へ出ることを避け、51年のベトナム労働党の結成(共産党再建)まで公然とした共産党の活動を封印しました。

 それは憲法にも表れていて、社会主義国家に見られる共産党組織による国家の指導規定を設けず、人権規定や私有財産権についてはフランスや合衆国の憲法を参照するなど、漸進的に社会主義化を進めようとしました。55年には首相職を後継へ譲り、主席としてソ連や中国など友好国との交渉、フランスや米国との駆け引きなど外交問題に専念します。また、ベトナム戦争時には「抗米救国檄文」を発表し、独立と自由ほど尊いものはない、と人民を鼓舞し、持久戦の末、米軍を追い払いました。個人崇拝につながる墓所や霊廟の建設を望まなかったにもかかわらず、その意向は無視されてホー・チ・ミン廟で永久保存、一生を通じてベトナムの民族自決と国家の独立のために戦いました。その姿勢はときに、国際共産主義運動のなかで階級闘争を無視する「右派」的態度とみなされ批判されましたが、スターリン、毛沢東、金日成と違い、独裁的にならず、腐敗や汚職に無縁で、禁欲的で無私な姿勢を貫きました


■偶像化を徹底的に排したカストロ


 もう一人、偶像崇拝をことさら嫌った革命家にフィデル・カストロがいます。スターリンや毛沢東など社会主義政権の最高指導者に多く見られる、自身の巨大な肖像写真や銅像を一切作らせず、個人崇拝を強く拒みました。1959年のキューバ革命後、共産党による一党独裁を敷き、党第一書記、国家評議会議長に就任。最高指導者として強いリーダーシップを発揮する一方で、その強引な手法が西側諸国から独裁体制と批判されました。彼は、経済苦境に陥ったとき、次のような言葉を残しています。「革命家は年金をもらってまで生きるようなことはしない。わたしは地獄へ落ち、そこでマルクスやエンゲルス、レーニンと出会うことだろう。地獄の熱さなど実現することのない理想を持ち続けた苦痛に比べれば何でもない」と。また、その厳しいスタンスは土地国有化の際にも表れ、実家の農園も例外とせずに徴収し、実母から絶縁されたほか、カストロ体制に不満を持つ亡命者の中に娘がいたことなどから、身内も特別扱いしない姿勢は徹底していました。

 フィデルの存在の大きさ、妥協を許さない革命精神を表す逸話として、暗殺計画の回数を挙げることができます。2006年に弟のラウル・カストロへ権限を暫定的に移譲するまでに計638回、命を狙われたとされており、その回数でギネスブックへの掲載が決まっているほどです。このうち大半はCIAなど米国政府によるものと言われていますが、革命によりハバナでのカジノの利権を奪われたマフィアからも暗殺の標的になったということです。ある米国のジャーナリストのインタビューで暗殺について問われて次のように答えています。「人は死ぬときは死ぬ、それが運命だ」と。さらに常時防弾チョッキを着用しているとの噂についてはシャツのボタンを外して「着ていないよ、モラルっていうチョッキは着ているけどね、これがあれば強い」と返したと言います。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたに負けず劣らず、死をも恐れぬ、革命精神に富んだコミュニストがここにもいます、あなたの後をしっかり引き継いで。

 フィデル・カストロと言えば、独裁者というイメージが米国を中心に西側諸国で増幅されていますが、実像は独裁国家によくある公共の場での指導者賛美のプロパガンダを排し、Tシャツやイラストで描かれることすら嫌ったと言います。このため、キューバでは特定の政治指導者が偶像化されるのを避けるため、存命中の人物のモニュメントを公開・展示するのが法律で禁じられています。コミュニズムに対する真摯な姿勢は揺るぎなく、権力への執着心も共産主義を実現するためでしかなく、意志が強固で有能な後継者への権力移譲を淡々と進めました。米国の『フォーブス』誌が世界長者番付の「君主・独裁者部門」で9億円の資産を持つとして七位にランキングしたときは、反論すること自体、馬鹿々々しく気分が悪くなるとしたうえで「もし誰かが、わたしの口座が国外にあって1ドルでも預けてあると証明するなら、わたしは議長を辞める」と切り捨てています。

 また、フィデルのアイコンとして葉巻と髭を挙げることができます。キューバ最大の特産物である高級葉巻をふかす姿と、特徴的なふさふさとしたあご髭はトレードマークでした。ただそれにもいわれがあって、葉巻も髭も元々は山奥でのゲリラ戦時に寄って来るアブやハエから顔を守るためだったと言います。ちなみに葉巻に関しては、自身の健康と国民に喫煙の害を説くため89年に禁煙宣言、小さいことですが、ここでも意志の強さを示しました。このほか、長時間の演説も有名です。普通でも二、三時間はざらで、かつて党大会で十時間にも及ぶ政治報告を行いました。このほか、親日家であり野球好きだったのは有名です。自宅に日本庭園を造営し、2003年の来日時には広島を訪問し原爆ドームを見学、慰霊碑に献花し「人類の一人として、この場所を訪れて慰霊する責務がある」との言葉を残しています。また、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でキューバチームが日本チームと対戦した際、日本の野球に敬意を表するとともにそのレベルの高さを賞賛しました。彼の人間性の豊かさを表すエピソードはこのかぎりではありません。

 

■基底で共産主義を支えるヘーゲル


 コミュニズムをもっと深い観点から、共産主義を哲学・思想的な視点からアプローチするのも、理論と実践を有機的に結びつけて実効性をもたせるために、革命を成就させるために必要なプロセスです。少しのあいだ、マルクス=エンゲルスに還り、それこそヘーゲルへ遡らねばなりません。いわゆる唯物弁証法、弁証法的論理学です。一般的な形式論理学を乗り越えようと、真に正しく現実的な論理を求めているうちに、数学的論理学とは親和性が高くない、その対極とも言える仏教や、その当時は発見・確立されていなかった量子力学や相対性理論の考え方も取り込む結果となりました。論理構造の豊かさはそこいら辺りにあり、真理に近づき得るのだと。具体的(より抽象的かもしれませんが)に言うと、質と量の中間項ないし止揚理念として「限度」「度量」「度合」の概念を打ち出して、単純な二分法的思考内容を退けます。より俯瞰的・包括的な次元へと高め、新たな段階へと総合的な概念を提示します。

 ヘーゲルの中心概念である、アウフヘーベン、止揚へのアプローチです。廃棄する・否定するという意味と、保存する・高めるという二様の意味が混ぜ合わされて「正」→「反」→「合」のプロセスを踏んでいきます。古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのではなく、積極的な要素が新しい段階として保持される、矛盾する諸要素を対立と闘争の過程を通じて発展的に統一する、いわゆる「否定の否定の法則」「らせん的発展」です。こうした論理は、自然や社会、思想・思考の発展過程で広く作用しています。これを19世紀半ばの英国はじめ欧州の現状に応用したのがマルクス=エンゲルスで、ヘーゲルの弁証法に歴史性と客観性、物性を組み合わせて理論化したのが史的唯物論です。人間社会にも自然と同様に客観的な法則があり、無階級社会から階級社会へ、階級社会から無階級社会へと、生産力の発展に照応して生産関係が移行していくとしています。

 この考えは、いわゆる下部構造論へとつながっていきます。人間は、その社会的生産において一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりその物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を取り結ぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくり、これが現実の土台となり、その上に法律的・政治的上部構造がそびえ立ち、また一定の社会的意識諸形態はこの土台に対応します。このように物質的生活の生産様式は、社会的・政治的・精神的な生活諸過程一般を制約することになります。人間の意識が、その存在を規定するのではなくて、逆に人間の社会的存在が、その意識を規定する、下部構造が上部構造を規定するのです。また、社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現に過ぎない所有関係と矛盾するようになります。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態から、その桎梏へと一変します。そのとき社会革命の契機、気運が生み出されるのです。

 ヘーゲルが、論理を現実に沿わせて矛盾、問題点を導き出して未来へ光を当てた功績はいくら強調しても足りないほどですが、下部構造を強調するあまり人間性というか、主観、その内側の非論理的な部分を置き去りにしているのではないか。それこそ視認できる表層的な客観的事象に目を奪われて、肝心なものをおろそかにしていないか。革命が成し遂げられた後に問題となる社会の硬直性、人間の創造性を無視した共産主義的管理の弊害、下部構造を掌握した官僚たちの跋扈を許すことになったのではないか。これについては後で詳述しますが、いずれにしても土台とする経済機構と、それを反映する法律制度・政治構造、さらにその上で文化や思想などの精神諸形態が有機的につながらず、アンバランスに、負のベクトルへ引き寄せられるように齟齬をきたす、その根本的な要因が下部構造論、その重視にあるのではないか、そう思うのですが。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたはその辺りに誰よりも敏感で、特に革命後、満を持して? 必然的に? コミュニズムの負のプロセスとして台頭してきた官僚たちの振る舞いに、いたるところで警鐘を鳴らしました。おのれの利得に、既得権益にしがみ付くばかりで、労働者や貧農を置き去りにする、その反革命的な行動様式は強く批判されなければなりません。

 その反省のもとに、上部構造の最たるパーツ、肉体のうちに精神を持つ人類をもっと深く、その思考・行動様式を詳細に分析し、その本質を突き止めなければ、共産主義思想は科学から、ただのイデオロギーに転落したままでしょう、それも資本主義と変わらず、俗悪な臭気を漂わせて。下部構造論を過信した結果、人間の奥深い構造を、清濁併せ持つ本性を、多様で複層的な精神の動きを、正にも負にも良にも悪にもなる感性の襞を軽くみた結果、七十数年後に破綻をきたすことになったのです。もっと人間の複雑性に、細心の注意を払って丁寧にアプローチしていたら、ソビエトが前衛として人類の進化に揺るぎなく寄与していたならば、コミュニズムをもっと前へ進めて行けたでしょうし、二十一世紀にこんな無様な恰好を見せずに済んだことでしょう。その一方で、人間の本性を究めつくせるわけはなく、ただ出来ることは下部、上部を問わず諸構造を、現実に、客観情勢に合わせて正確に捉えて、人類の進化に、コミュニズムの促進に生かしていく、このプロセスをシークエンスにやっていくしか、つねに初心に戻って、前衛的精神で…。


■主体性の真理を明らかにしたキルケゴール


 この答のない、エンドレスの旅路でまず出会うのはキルケゴールではないでしょうか。意外に聞こえる向きも多いでしょうが、かれの抗ヘーゲル的なスタンスから得られるものが多いと思えるからです。キルケゴールと言えば実存主義の創始者、主著『死に至る病』で知られています。現実世界でどのように理想や可能性を追求しようとも、死によってもたらされる絶望を回避できない。だからと言って、神に救済を求めても、キリスト教を信じてみたところで救われない。世界や歴史全体を記述しようとしたヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史に還元できない固有の本質がある、と唱えたのがキルケゴールです。個々の有限的な人間存在が直面する様々な否定性・葛藤・矛盾は、ヘーゲル的な抽象論で解決されるものではなく、それは歴史、現実における人間の活動の外側に立って、それを記述するときにのみ有効としています。歴史の内部において自らの行く末を選択し決断しなければならない現実的な主体にとって、ヘーゲル的な抽象論は役に立たない、意味のないものと切り捨てます。

 いわゆる逆説弁証法として、有限的主体が自らの否定性に直面したとき、それを抽象的観点から止揚するのではなく、その否定性、矛盾と向き合い、それを自らの実存的生において真摯に受け止め対峙しなければならない、とまさにヘーゲルの逆を行く論理を展開します。ずばり主体性を重んじる実存主義の立場、考え方がストレートに表現されていますが、キルケゴールの次のフレーズはことさら含蓄のあるもの、論理的には二律背反であるにもかかわらず真実を伝えるものです。“主体性は真理であり、主体性は非真理である”。主体性が、ヘーゲル的な意味での絶対的真理の源泉であるというのではなく、実際には主体はつねに絶対的真理から隔てられている、という論理、いや矛盾を抱える人間の内奥に巣くう非論理、それゆえに真理を表しているのではないでしょうか。ここまで来ると、付いていけない部分があるのですが、ニュアンスとして、感覚的にはすっと内側へ入って来るのが、何とも不思議です。

 キルケゴールを表す言葉として、死、不安、絶望、虚弱、不条理など神経症的な暗いイメージが挙げられますが、逆に彼ほど未来を見通した哲学者・思想家はいないのではないか。たんに闇から一筋の光が、というのではなくて、見通せない未来を広く照らす光を導いていくような、はっきりと隔たる両極を媒介するような、一つの重要な触媒役を果たしているように思えるのです。なぜなら、外と内とか、客観と主観の、それこそ下部構造と上部構造の狭間でただよい、たゆたい、さまよいながら真実を、真理をつかもうと、諸矛盾を抱えた虚弱な人間として、その本性と正面から向き合っているからでしょうか。人間を含めた全体のプロセスは、経済的なエレメントを基盤としてではなく、あくまでその一要素として、政治的・社会的な要素とともに、精神的な諸事象など文化的な要因も含めて複層的に絡み合っています。ときに正のベクトルに乗って、またあるときは負のベクトルによって引き下げられながら、ときに一気に、またあるときは緩やかに進んでいきます。

 この過程のなかで、キルケゴールはその橋渡し役として主体性を、人間の実存の重要性を説きます。どうしようもない、不可避で不可抗的な、多くの場面で厳しい、いや残忍とも言えるリアルを前にして、頼りになるのは主体性であり、そのコンテンツというか、内包するエレメントの豊かさにかかっている、と。おのれを取り巻く環境、すなわち経済的・政治的・社会的・文化的な外的要因にいかに対するか、どう関わっていくか。このあと出てきますが、ハイデガーが言う現存在、現実に投げ出された個人が、主体性をもっていかに生きていくか。たとえ、取るに足らない、凡庸で不可能に満ちたプロセスであろうと、わずかな光を求めて、自己実現へ向けて、おのれの可能性にかける、そこで主体性を投げ出して…ということでなくては。なにも主体至上主義を信奉しているわけではないのですが、これも後で出てきますが、いわゆる構造主義のように静態的に、コンストラクションのなかでただよい、たゆたい、さまよっているだけでは、事は成就しないと思うのです。


■個のレベルで変革を促すハイデガー


 次に、存在と時間について画期的な論理を打ち立てたハイデガーに力を借りようと思います。かれは、存在への意味を追求し、次のような問いを発しました。なぜ何もないのではなく、何かがあるのか、いかにしてわれわれは世界と具体的かつ非論理的な方法で遭遇するのか、いかにして歴史や伝統が我々に影響を与え、我々によって形成されるのか、事実上いかにして我々はともに生きているのか、いかにして我々は言語やその意味を歴史的に形成するのか、と。そこで、ハイデガーは「存在論的差異」という概念を打ち出します。ただたんに、あるだけの存在的なあり方とは区別された存在論的なあり方、それは存在という問題に向き合いながら存在することを意味します。理論的な知識が表現するのは、ある志向的な行為のうちの一種に過ぎません。それが基づいているのは周囲の世界との日常的な関わり方(約束事)の基本形態であって、それらの根本的な基礎である存在ではないのです。実存を、実存それ自体に即して了解する実存的了解と、何が実存を構成するかについての理論的分析を分けて考えなければなりません。

 そこで見出されるのがダーザイン、現存在という概念です。構造的には世界=内=存在と言い換えられます。人間の行為に関するいかなる分析も、われわれは世界の中にいる、という事実から始めなければならない。人間の実存に関して最も根本的な事柄は世界の内に存在するということ、人間もしくは現存在とは世界の中で活動する具象的な存在、デカルト以来の主観-客観、その二元論を拒否し、意識や自我、人間といった用語の利用も避けなければなりません。存在者が我々にとって意味をなすのは、存在者がある特定のコンテクストの中で使用できるからであり、それは社会的規範によって定義されます。でも、こうした規範はみな偶発的で不確定なものであり、その偶然性は不安という根源的な現象によって明かされます。この不安の中へすべての規範が投げ出され、モノどもコトどもは本来の無意味さの中に、とくに何ものでもないものとして開示されるのです。同時に、不安な経験は現存在の本来的な有限性を顕わにします。

 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたがヘーゲルはともかく、キルケゴールやハイデガーを読んだかどうか定かではありませんが、史的唯物論ですら本来の意味で解せない権力者らに、人間の本質について、その真理に関して理解を促すのはどだい無理な話だったのでしょう。スターリンのお抱え御用学者に、革命のプロセスに資する哲学や思想を説いたところで無駄な骨折り、無意味であることは、あなたが身に染みて感じていたことでしょう。コミュニズムを体制維持のために都合よく曲解し、おのれの利得に執心する輩に、国家の廃絶につながるような、特権や搾取のない平等な理想社会を、だれもが能力に応じて働き必要に応じて受け取る、そんな社会への移行を説いてみたところでせんない事です。あなたが権力の中枢から離れ、脇へ脇へと追いやられていったのも、残念ながら不幸にも自然な成り行きなのかもしれません。スターリニズムによって、革命で得たものが台無しにされ、本来そこから延びる輝かしいコミュニズムの道筋がふさがれてしまったのですから。そんな反革命的なプロセスにあなたの居場所はあるはずはなく、それがソビエトの最大の不幸だった、そう絶望的に解釈せざるを得ません。

 歴史を改変することはできませんが、もしあなたがレーニン亡き後、ソビエトのヘゲモニーを握っていたならば、とどうしても考えてしまいます。もちろん、革命後の厳しい内外情勢で、あなたでさえ紆余曲折、理想を追求する前に現実の対応に忙殺されて、さまざまな妥協を強いられたことでしょう。あなたが唱え続けた世界革命の理想も、現実に引きずられて霞んでしまう場面も少なくなかったかもしれません。だからと言って、コミュニズムのコアな部分を、革命の真髄を見失うはずはなく、どんなに厳しい局面でもぎりぎりのところで踏ん張り、前衛の自覚をもって盛り返していたでしょう、間違いなく。国内では、放っておくと見境なく生えてくる官僚主義の芽を根気よく摘んでいくとともに、少しでも隙を見せればつけ込んでくるキャピタリズムの狡猾さに惑わされることなく、コミュニズムの真のプロセスを貫いていかねばなりません。

 それには、あなたの唱えた永続革命を、広範囲に、あらゆるモノどもコトどもに行き渡らせて、経済や政治の分野のみならず、人間の内側の、それこそ脳髄から神経系統の、精神をつかさどる人間の本性まで深く掘り下げて、実践に、革命のプロセスに生かさなければなりません。キルケゴールが言うように人間の主体性に、ハイデガーが説明するように世界=内=存在である現存在に力点を置いて、社会変革の原動力として、コミュニズムのシークエンスなプロセスなかで、アンガージュマン(投企)し、端緒を起動させなければ変革の戸口に立てない。革命の発火点を、燎原の火のごとく隅々まで拡げていく、それこそ極東の果てまで、コミュニズムの波を行き渡らせる。それには、地域それぞれの特性を、そのエリアの農業や工業の生産力に加えて、各地方行政の公共サービスやハード整備状況、住民コミュニティーの文化的レベル、それを規定する個々人の実践的な能力に至るまで、客観的に分析した上で、その原動力となる、そこに流れている精神構造の傾向をしっかりつかむ必要があります。

 このように主体性と周りの環境、投げ出されている現存在の可能性とそれを制約する客観的な条件、それは投企可能性と被投性と言い換えられます。不規則な双方向性というか、両者は融合すると同時に乖離し流動化しているのです。日常生活へ投げ込まれている被投という様態は、現存在にとってコントロールの効かない世界の中にあるということで、いわば絶望の淵に投げ込まれている、というに等しい。この状態は選択されたものではなく、責任を負わされるいわれもなく、選んだわけでもない事物に満ちている。にもかかわらず、現存在は行動し、選択し、責任を負う余地を残されています。投企とは現存在が自らにとってあれこれの可能性へ向かい、自らを投げ企てること。その潜在的可能性は現存在の一部になっています。でもその一方で、被投性が現存在の可能性の足を引っ張り、たんに何でも好きなものに投企できるわけではないのです。投企の周辺状況、現存在の技能や知能などが投企を制約します。結果、被投性と投企可能性の曖昧な闘争に制約される、現存在は底の底まで投げ込まれた可能性なのです。

 この両者のせめぎ合いが、革命のプロセスを規定する、それが成否を決するといっても過言ではないでしょう。それは円環上に、というより螺旋状に、スパイラルに上っていく有機的な前進というイメージでしょうか。投企可能性と被投性、この世に投げ出された現存在と、それを規定する、条件づける物理的・客観的環境のバランスというか。それは革命前夜の状況(情況)に応じてそれぞれに異なる比率で、両者のベストマッチを、流動化して予断を許さない、それこそ伸るか寄るかの情勢下で、最適値を導き出さなければならない、気の遠くなるような困難なプロセスです。ただ、どうしてもマルクス=エンゲルスの革命理論の、お定まりの定式に無思慮に従って、と言わぬまでも、安易に頼ってしまって、それぞれ異なる現状の分析を疎かにしがちで、ひとからげに下部構造を重視し、その分上部構造を軽視して、けっきょく情勢を見誤り、革命的気運を逸してしまう、そんな例はロシア革命前後、欧州でもアジアでも多く見られました。

 それでは、内側に封建制を抱えた後進国だったロシアでの革命が例外だったのでしょうか。無神論を主唱するコミュニズムが神業に頼って偶然実現したとでもいうのでしょうか、ロシア正教までが寄与して? 笑い話にもなりませんが、それにこんな言い草、レフ・ダヴィードヴィチ、あなたに失礼なのは重々承知しているつもりですが、その謎の解明はそう容易くはありません。いずれにしても、経済など客観なモノどもに、視認できる数値化しやすいコトどもに寄りかかりすぎて、安易に思考停止して、そこに秘められた内実というか、それを肉付けした、オペレートした、その基盤である、客観に対する主観(主体)に、肉体に対比される精神に、すなわち人間の本性にしっかりアプローチしなければ、けっきょくのところ革命を取り逃がす、そのプロセスを永続的に遂行できないでしょう。そうでないと、従来通りの道筋なら、不当に権力を行使して抑え込まないと、反革命分子の烙印を押して、容赦なく…。そんな不幸を繰り返してはなりません。

 初期マルクスをはじめエンゲルスにも、もちろんレーニンにも独自な哲学が、深遠で普遍的な社会思想があり、その理論ゆえにコミュニズムが実践に移されたわけですが、それですべてが、革命のプロセスが充たされるわけでなく、それこそ永続的に、シークエンスに、それぞれの状況(情況)に、その時代特性に合わせて、既成概念にとらわれることなく、あくまで動的に、革命の遂行に寄与するとの一点で革新していく、飽くことなくブラッシュアップしていかねばなりません。それにはマルクス主義哲学にとどまらず、広く上部構造を結集して、一見軽薄で内実のないようなテクストであっても分析して、革命のプロセスに寄与するかどうか、俎上にのせる度量が必要です。一見すると、反動的に思えるものでも、部分的に生かせるのなら、その可能性を検討してみる、そうした構えが求められるのではないか。革命のプロセスを外れないのなら、向かうベクトルが基本的に同じなら、広くフィールドを設定して、新たな考え方やアイデアを積極的に取り込んでいくべきでしょう、革命に寄与するものならば貪欲に。


■直観と生活世界を重視したフッサール


 ハイデガーほかサルトルやメルロー=ポンティら実存主義者に大きな影響を与えたフッサールは現象学を提唱しました。いかなる前提や先入観、形而上学的独断にも囚われず、現象そのものを把握して記述する、すなわち事象そのものへ―。一言でいえばそういうスタンスです。方法論的には現象学的還元、すべての解釈を遮断し、本質直観の必要性を説きます。存在の不断の確信と世界関心の枠組みを暗黙の前提としている自然的態度のもとでは、人間は自らを世界の中の一つの存在として認識するにとどまり、世界と存在者自体の意味や起源を問題としない、することができない。このような問題を扱うためには、世界関心を抑制し、対象に関するすべての判断や理論を禁止する、いわゆるエポケー(判断停止)することで、意識を純粋な理性機能として取り出さなければなりません。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたの理論に直接関係のない、実践からほど遠い脇道へ入っていくように見えるでしょうが、少しばかり我慢して付き合ってください、けっして無駄なことではありませんから。

 ここで、これからの論理展開を円滑にするため、哲学フリークには周知のイディオム、ギリシャ語の“見る”に由来するノエシスとノエマについて触れておきます。考える作用と考えられたもの、という意味ですが、意識は例外なく何かについての意識であり、志向性を持つ。したがって純粋意識の純粋体験によって得られる純粋現象も志向的なものです。意識の自我はつねに○○についての意識として、意識に与えられる感覚与件を何とか捉えようとします。その動きがノエシス、意識によって捉えられた限りの対象がノエマです。これを踏まえたうえでフッサール哲学の主要概念にアプローチしていきます。前述の本質直観とは、感覚的直観を超える直観、知覚された個別の対象をモデルとして、それを超えて諸対象に共通の普遍的な本質を取り出し、原本的に与える直観を言います。いわば、ノエシス・ノエマの概念を超え出る、見方によっては形而上学の最たるもの、超論理的な行き過ぎたものに見えるかもしれません。

 どこまで行ってもつかみ切れない人間本性に、その直観に信頼を寄せて、これまで先人が構築してきた論理を否定して(彼にしてみれば“乗り越えて”)独自のプロブレマティークを設定します。そこで、超越論的現象学というコア概念を提唱します。現象学的還元によっていったん遮断された自然的世界および全ての理念的諸世界の対象は、純粋意識の中で世界意識として構成される。純粋意識とは、すべてを超え出た超越的に純粋な意識ないし超越論的意識のことで、デカルト以来の二元論がもつ問題、主観的な認識主体が自己を超え出た客観的世界をどのように認識し得るか、という難問を解決したうえで、正しく認識論的に基礎づけることによって諸学の基底に、その根本に、ベースになり得るものです。そこで、超越論的現象学によってすべての客観的学問をエポケーし、生活世界を取り戻す必要性が説かれます。

 古代ギリシャにおいては、学問以前に日常的に直観される生活世界の基礎のうえに真の学が成立していました。ところがガリレオ・ガリレイによって物理学の基礎付けに数学が導入されて以降、自然は数式によって理念化されて数学的・記号学的理念の衣によって被われてしまう。フッサールが言う、ヨーロッパ諸学の危機です。こうした時代的要請もあって、超越論的現象学による、すべての客観的学問のエポケーが、生活世界の取り戻し、回帰が求められたのでしょう。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたとウラジミール・イリイチは実践を重視しました。もちろん、ベースにコミュニズムの理論があってのことですが、工場での、農村での、労働者の、貧農の生活世界を基礎にして革命を成し遂げました。それこそ理論に反映されない、もちろん歴史に上らない、下層の、底辺の生活世界が革命を後押ししたのです。そこは、机上の論理が通用しない、生活に根差した、それこそ直観が、感性がものを言う世界、またそれゆえに内実のある、力強いエレメントなのです。こうした地に足のついた実力態を背景にしてはじめて、ロシア革命は可能だったのでしょう、後進国であっても、従来のマルクス=エンゲルスの言質を超えて。


■生命の飛躍で創造的に進化するベルクソン


 さらにもう一人、生の哲学の主唱者ベルクソンを取り上げようと思います。彼は、反主知主義、実証主義の批判で知られていますが、その基底に流れるのが「時間と自由」についての独自な解釈です。これまで時間と呼ばれてきたものは、空間的な認識を用いることで本来分割できないはずのものを分節化することによって生じたと批判します。そこで、空間的な認識である分割が不可能な意識の流れを、人称的な意味で“持続”と呼び、この考えに基づいて人間の自由意志について論じました。これも著作のタイトルとなっている主要概念「物質と記憶」についても触れておきます。物質と表象の中間的存在としてイマージュという概念を用いて心身問題にアプローチし、実在を持続の流動とする立場から心(記憶)と身体(物質)を、持続の緊張と緩和の両極に位置するものと定義、その双方が持続の律動を通じて相互に関わり合うことを立証しました。

 そのうえで、あの独創的で、それこそクリエイティブな「創造的進化」という概念を打ち出します。生物の進化は因果的であったり、目的をもって行われたりするのではなく、生物自身にとっても予測できないような飛躍によって進化する。ダーウィンの進化論における自然淘汰の考え方では、淘汰の原理に素朴な功利主義しか反映されない。実際に起こっている事態は、それよりはるかに複雑かつ不可思議な生を肯定し、生をさらに輝かせ進化させるような力、種と種のあいだを飛び越えるタテの力、上へ向かう力が働き、突然変異が起こる。生命の進化を推し進める、この根源的な力をエラン・ヴィタールと呼びます。いわゆる生命の飛躍です。普遍的なものが実在するという大胆かつ前科学的な立場を肯定し、中世的な実在論に身を置いているとの批判を物ともせず、生の哲学を主張します。エラン・ヴィタールとは、何と魅惑的な響きでしょう。ウラジミール・イリイチの人生を、革命を導いた、その源を言い表していないでしょうか。文字通り生命の飛躍を果たし、彼とともに人類初の偉業を成し遂げたあなたも含めて。

 革命家の素養にはこうした、これまでの論理にとらわれない、既成概念を打ち壊す創造的な力が備わっています。最大限に既知を、先人が築き上げた論理の数々を、取捨選択して貪欲に取り込みながら、目の前の事象に加えて、その基底にある、脇にある、それこそ裏側にある見えない部分も含めて看取し、真実を手にして、実践へつなげていかなければなりません。現実の表象をあげつらうだけでは、そこいらじゅうにはびこる矛盾を純化するどころか、目先の課題すら解決できないでしょう。事の本筋から外れた、そのあいだに隠れた、微妙なズレのような、取りに足らないモノどもコトどもまで見落とさずにかき集めて、革命のプロセスのなかで生かす能力が問われます。ただたんに、マルクス=エンゲルスの理論を現実に合わせるだけでは、少々の応用を施す程度では事は成就しません。たとえ辛うじて、カタチをつけたとしても、けっきょくは蟻の一穴で崩れてしまいます。もっと総合的な、事の全体を網羅する、それこそ下部構造論で副次的な扱いを受ける上部構造を広く深く解釈し直し、革命のプロセスに生かしていかなくてはなりません。そこで活躍するのがエラン・ヴィタール、生命の飛躍です。創造的進化イコール革命、そういうことなのかもしれません。


■エロースと共同を関係させたバタイユ


 ここで少しエピソード的に、性について、死と絡めながら触れておきます。バタイユの「エロティシズム」です。彼は、エロースと死を根源的なテーマに、文学や芸術、思想、文化、宗教だけでなく、経済学や社会学、人類学にもアプローチし、オリジナルでユニークなベクトルを示しました。エロティシズムを、われわれ自身の主観性の限界へ向かおうとする運動として、合理的世界を解体する侵犯行為として捉えました。この侵犯は束の間に終わるものですが、それはタブー(禁忌)を犯す行為と関わります。そのタブーは倫理的要請から来るものではなく、いわば聖なるタブーを侵犯する不可能性から、死にも肉薄するものとなります。また、エロティシズムは有限な個体に対してしか現れない。それは自己中心的であるが、われ知らず他者との共同へと促されているのを感じる。このように自己を失う危険を冒しつつ他者との共同へ、肉体的な共同へ、感じるものと感じられるものの共同へと身を溶け込ませようとします、それが快楽である、と。

 余談になりますが、彼は神秘主義に傾倒する前、共産主義を伝統的で制度的な至高性に対抗できる運動として称揚し、一時トロツキスト団体に所属していました。あの神秘主義者が共産主義を、それもトロツキーを信奉していた時期があったというのは興味深いことです。唯物論の、たんに公式的なコミュニズムに飽き足らなく、理論的に懐の深いトロツキズムに魅かれたのでしょうか。ある意味、バタイユらしいと言えるのかもしれませんが、人間の可能性を、自己という枠組みを超えて共同的なものへ、コミュニズムの理想郷へと誘われていく、彼の誠実な姿勢が読み取れます。表層的で合理的なものを、それこそタブーと言われているモノどもコトどもを侵犯する力、それが彼にとってエロースだったのでしょう。それが、広く捉えた革命のプロセスへとつながっていくのは自然なことのように思えます。いずれにしても、革命を成就するには、神秘主義やエロティシズムも含めて、宗教やスピリチュアルなものも無視することなく、人間の総体分析に加えて生かしていかなければなりません。経済や政治の理論だけでなく、人間の精神構造へ深く踏み込んだアプローチが求められてくるのです。


■停滞打破の手段としてのニーチェ


 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたと対極にある、コミュニズムを畜群の思想と忌み嫌った哲学者・思想家、ニーチェに触れることをお許しください。あのナチスに利用されるような者にアプローチする必要はない、と思われるでしょうが、ナチスの正式名は「国家社会主義ドイツ労働者党」。俗悪で破廉恥な行為に違わず、訳の分からない政党名を付けて民衆を惑わし騙す、ホロコーストの実行主体に弁解の余地はないし、ニーチェがこうした組織体に一時期、部分的にせよシンクロした事実は倫理的に正当化できません。だからと言って、彼が独自に編み出した思想体系、その哲学的な斬新性を、安易に切って捨てていいのでしょうか。ニーチェは、神・真理・理性・価値・権力・自我など既成の概念を、逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識・デカダンス・ニヒリズム・ルサンチマン・超人・永劫回帰・力への意志などの独自の概念によって、新たな思想を生み出しました。

 このうち、いくつかの主要概念を取り上げて、革命のプロセスに寄与できなくとも、飛躍へのヒントを、少しの可能性を示したいと思います。まずは、永劫回帰です。キリスト教が目標とするような彼岸的な世界や仏教が示唆する東洋的な前世、さらにはヘーゲルの弁証法をも否定し、ただこの世のみを考えて、それを生成の世界として把握します。それは、大して意味のない人生であっても無限に繰り返す世界、そこを生き抜くのが後に触れる超人思想なのですが、ここで問題となるのが弁証法との関係性です。かれは、弁証法を否定することによって、近代化そのもの、社会は良くなっていくものだとする西洋的な進歩史観そのものを覆そうと企てます。それは当然のごとく、コミュニズムを、共産主義思想を否定するものであり、あなたと百パーセント相容れない立場であるのですが、革命のプロセス全体に、その長い、もしかしたらシークエンスかもしれない過程に、たんに否定的に作用するものとして、まったく寄与しないものとして捨象するのはどうかと思うのです。

 人間は理性的生物ではない。ニーチェはそう言い切ります。特にキリスト教的弱者は恨みという負の感情、いわゆるルサンチマンによって突き動かされているとします。このルサンチマンこそが苦悩の原因であり、キリスト者だけでなく、コミュニズムを信奉する者をも、取るに足らない、出来損ないのクズ扱いにするのです。そういう恨み、妬み、嫉みに心を支配されている弱者は、生まれた時からの負け犬として、黙って超人思想を持つ強者に従っていればいい、と吐き捨てるのです。それは、彼らが本来の反動、すなわち行動によって反応するのを禁じられている、自ら禁じているため、たんなる想像上の復讐によってしか、その埋め合わせができない哀れな徒輩だから、ルサンチマンを抱く人間の行為は、抑圧や虐げへの反動として受動的であり、抑圧してくる外の世界の否定が先に来るから、それゆえに弱者であり、奴隷だと言うのです。ルサンチマンに満たされた人間の持つ価値、長らく西洋思想を支配してきた形而上学的価値は、現にここにある生から人間を遠ざける、だからそういう人間は、合理的な基礎をもつ普遍的な価値を手に入れられないのです。

 要するに、キリスト教主義、ルサンチマン的価値評価、形而上学的価値といったロゴス的なものは、生に相反するものであるとします。でも人間は、力への意志によって流転する価値を承認し続けなければならない、そういう悲劇的存在である、と。この流転する世界のなかで流転する真理を直視すること、それが可能なのは既存の価値から離れ、自由なる精神を獲得することによって、力への意志の行使によって実現されるのです。ニーチェが社会主義から共産主義への段階論、その発展的プロセスに嫌悪の念を抱くのも無理からぬこと。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたに同意を求めようとは思いませんが、こと革命のプロセスに引きつけてみると、ニーチェの狙いとは裏腹に、その思想を使える、応用できる場面がないとは言えません。革命後の教条主義的な、官僚主導の硬直的な国家運営にニーチェを対置してみればどうか。少なくとも流動化の端緒に、それを揺るがす一手段に、アンチテーゼとして変化を促すエレメントになるのではないでしょうか。

 別に、超人が訪れずとも、勝者の手を借りずとも、コミュニズムの前衛に、そうウラジミール・イリイチに率いられていたころに、あなたがロシア国内を飛び回っていた革命前夜に立ち返れば、その当時の意識に戻れば、初心を思い起こせば、迷い道へ入った革命のプロセスを、逆方向へたどるベクトルを、ぐっと手元へ引き寄せられるではないか。スターリニズムによって強いられたルサンチマンを、官僚のお追従主義によって敷かれた上意下達路線を、俗物の保存本能と卑しい拝金主義の常態化を改める、打ち破る契機が、少しの可能性がニーチェの思想に紛れ込んでいるのかも、と思うのです。邪道な論理展開は承知のうえで、コミュニズムを本来の道へ引き戻すためには手段を選ばない、そう思われてもかまいません。革命のプロセスを成就させるため、完結させるために、有限であるとは言え、人間の能力を最大限に活用して究極の目標を達成しなければなりません。


■神を共産主義に生かす道を開いたスピノザ


 ある意味、無神論や唯物論の先駆者と言えるのが17世紀中葉に活躍した哲学者、スピノザです。ヘーゲルやカント、ニーチェにとどまらず、ドゥルーズやアルチュセールら、つい最近の構造主義思想にも影響を与えました。主著「エチカ」では、倫理に関する独自のアプローチを試み、これまでの形而上学に新風を吹き込みました。この世のモノどもコトどもは、すべて神の現れであり、神は世界に遍在し、神と自然とは一体であると説きます。いわゆる、批判の多い汎神論です。神の人格を徹底的に棄却し、理性の検証に耐えうる合理的な自然論として捉え、無神論者ではなく理神論者として神をより理性的に論じます。人格神については、これを民衆の理解力に適合した人間的話法の所産であるとし、表象的な認識に依存した受動感情、動揺する情念を破棄するのは、必然性を把握する理性的な認識とします。外部にあるモノどもコトどもで定義されるような不十全な観念を去って、われわれ固有の能力によってのみ依存する、明瞭判然たる十全な諸観念を形成するのです。

 精神が、それ自らおよび身体を永遠の相のもとに認識するかぎり、必然的に神の認識を有し、自ら神の中にあり、神を通して考えられるものと知ります。人間は神への知的愛に達し、自己自身を認識して満足する無限な愛に神を参与させることで、最高の満足を得られるのです。だからと言って、個の自己保存衝動を否定しているわけでなく、各々が存在に固執する力は、神の性質の永遠なる必然性に由来するとします。欲求の元は、神に在りかつ働きをなす力に由来する個の自己保存のコナトゥス、衝動にある、と。でも、その各々が部分でなく全体と見なされるかぎり、諸物は相互に調和せず、万人の万人に対する闘争になりかねません。だから、この不十全なコナトゥスのカオスを十全な方向へ導くため、全体としての自然=神の必然性を理性によって認識すること、そこに自己の本質を認め、またこの認識を他者と分かち合うことが要請されるのです。

 スピノザは、デカルトの「われ思う故にわれあり」を「われは思惟しつつ存在する」と解釈します。思惟する私が存在するという自己意識の直覚、神即自然の概念に代表される非人格的な概念を提唱し、伝統的な自由意志の概念を退けます。それゆえに、無神論者として非難されることになるのですが、スピノザの真意は、神を超越的な原因とするのではなく、万物の内在的な原因とし、神とは自然であると説くのです。神が唯一の実体である以上、精神も身体も、神における二つの異なる属性として、思惟と延長に他ならないというのです。ここで心身合一に独自の見方を示します。精神の変化は身体の変化に対応しており、精神は身体から独立してあるのではなく、身体も精神から独立してあるのでもない。身体に先立って精神がある(唯心論)のでも、精神に先立って身体がある(唯物論)のでもありません。これを、同一存在における心身平行論と言います。思惟という一面から見れば自然は精神であり、延長という他面からすれば自然は身体になります。だから、精神を構成するところの観念と、その対象の二つの秩序は、同じ実体の二つの側面を示すことから一致すると言うわけです。

 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたがスピノザを意識して、自然と神との関係性を考慮して、あの秀逸な理論、永続革命論を構築したわけでないのは十分承知しているつもりです。無理に関連づける必要はないのですが、コミュニズムのヒントになるものがスピノザの中に、その思考プロセスに、世界革命に生かせるものがあるように思えるのです。それは、そこから派生した彼の国家論に引きつけて考えることができます。この点に関しては、特にユニークというわけでなく、一見常識論に則っているように思えますが、その政治思想は現実主義に貫けられています。政治への理想を保持しつつ、現実を直視する姿勢は、神と自然に関する独自の理論を展開した哲学者に思えないリアリストぶりです。人間はある程度、理性で感情を統御できる一方で、現実の多くの場面では感情に従属します。矛盾を孕んだ存在として利己的に目的を達成するため、他人を害することも厭いません。それが人間の本性と言えばそれまでですが、そこでスピノザは国家の必要性を説くのです。

 国家の死滅を目指すコミュニズムにとって、永続革命論を遂行するあなたにしてみれば、彼の国家論はたんにプロセスの一つ、通らねばならない過程にすぎません。そこを乗り越えてさらに高次の段階へ、もはや国家の強制が要らない、人類が全面的に開花する究極のステージ、たんに生命を維持するだけの労働でなく、自己実現を図る実践として、そう共産主義社会へ向けて進んでいけるのです。スピノザは、後の世でコミュニズムという概念が生み出されるとは、ロシア革命が起こるとは予想していなかったでしょうが、それにつながる無神論や唯物論の元になる考え方のほか、革命のプロセスを成就するに避けられない神に関わるスタンス、それと自然との関係性など、共産主義の理論形成に間接的にせよ、少なからず寄与したのは間違いありません。それどころか、コミュニズムを立て直すヒントを、この厳しい状況の中で革命の新たなベクトルを、その主体となる人間の重層的で有機的な分析手法を示すヒントを与え続けているのです。


■国家に加えて個人レベルでの永続革命


 ぐっと現代へ近づく前に、あなたの主著『永続革命論』から気になるフレーズを二、三取り上げて、次の展開に備えたいと思います。言うまでもなく、社会主義革命は永続的なものとして特徴づけられる。不確定の長期間にわたって、また不断の内部闘争を通じて、一切の社会的諸関係は刷新され、絶え間なくその姿を変えていく。社会改造の各段階は先行する段階から直接的に生じ、その過程は必然的に政治的性格を保つ。それは、社会のさまざまなグループ間の衝突を通じて発展していき、内戦および対外戦争の勃発と平和的改革の時期が交互に入れ替わる。経済、技術、知識、家族、日常生活、習慣における革命は、複雑な相互作用を通じて進行し、社会が均衡状態に達することを許さない。この点に社会主義革命そのものの永続的性格が示されているのです。

 次に、その国際的性格についてです。国際主義は抽象的原理ではなく、経済の世界的性格、生産力の世界的発展、階級闘争の世界的規模を理論的・政治的に反映したものに過ぎない。社会主義革命は一国的基盤で始まるが、それはその基盤の上では完成されない。プロレタリア革命が一国的枠内でとどまることはソビエト連邦の経験が示すように、たとえ長くつづくにしても一時的な体制でしかありえない。プロレタリア独裁にあっては、その成功にともなって内的および外的な諸矛盾も不可避的に成長していく。もし、その後もずっと孤立しつづけるならば、プロレタリア国家はけっきょくのところ、この矛盾の犠牲になって倒れざるを得ない。活路はただ一つ、先進諸国におけるプロレタリアートの勝利のみ。この観点からすれば、一国の革命は自足的な全体ではなく、それはただ国際的な鎖の一つの環に過ぎない。あらゆる一時的な下降や引き潮にもかかわらず、国際革命は永続的なプロセスなのです。

 国家の死滅と官僚主義に言及する次のフレーズも示唆に富みます。国家権力の諸機能の遂行そのものが全人民的なものになっていけばいくほど、この権力の必要性はそれだけ小さくなっていく。生産手段の私的所有が廃絶されることで、圧倒的多数者から少数者の財産上の特権を保護するという国家の主たる任務が失われる。国家の死滅は早くも、収奪者の収奪のあとの翌日に、すなわち新しい体制がみずからの経済的・文化的課題に取り掛かる間もないうちに始まりをみせる。それらの課題の解決の一つひとつがそれ自体、国家の廃絶の、社会主義社会への国家の溶解の新たな一段階を意味し、その度合が社会主義建設の深さと成功度の最上の指標となる。労働者国家で大衆によって行使される強制力は、搾取者的傾向の強さ、もしくは資本主義復古の危険度に正比例し、社会的連帯と新しい体制への全般的信服の強さに反比例する。官僚、すなわち特権的官吏と常備軍の指揮官は特殊な種類の強制、大衆が行使できないか、あるいは行使を望まないような、すなわち何らかのかたちで大衆自身に鉾先を向けるような種類の強制を体現するのです。

 革命のプロセスにはさまざまな障害が、予想もできない重層的でイレギュラーなモノどもコトどもが、次々と押し寄せ行く手を阻みます。国家のレベルでなく、一個人の日常に引き下げてみても、この身体だけで、その内と外で、その周辺で事足りる、とはいかない。ヒトのプロセスも、有機体であるがゆえに内的な劣化、すなわち老化に加えて、ウイルスや細菌など外敵に取り囲まれ、免疫力やワクチンなどでプロテクトを余儀なくされる。肉体を健康に養い、精神を健全に育むには、その身単体では心もとなく、人生というプロセスを全うし、成就することはできない。もちろん、けっきょく死へ向かうわけだから、個体にとって永続的なプロセスとは言えないが、人類として次の世代へ引き継いでいく連鎖に重きを置くならば、自己の周辺の、パートナーをはじめ家族、地域のコミュニティー、広く社会との関係性が問われてくる。革命のプロセスに対して、それを規定する広義の、人間総体の、日常の細々した事象でも永続的な革命が必要となってくるのです。


■無意識を革命へ応用するフロイト


 人間総体へのアプローチ、その分析を通じた革命のプロセスへの応用を、少しばかりの理論的実践を、現存在のちょっとした投企を行いたいと思います。下部構造と大きく隔たった、上部構造の最たるものと言える形而上学、なかでも意識に並行する、潜在する、ときに抗する無意識を発見したフロイトから。人間には、自我を認識している意識と、普段はそれを意識していない無意識が併存している。正常か異常かを問わず、人間の心理は共通同一の原理で働いており、人の行動には無意識な要素が作用している。フロイトは、無意識が意識に比べて記憶を豊富に蓄積していると考え、無意識の働きを重要視する。無意識下で抑圧された感情が原因となり、神経症などを引き起こすとし、精神分析を駆使した心理療法を確立した。精神分析は無意識に関する科学であるとし、エス・自我・超自我の三つの機能が影響し合っているとする。それらのバランスが崩れると精神疾患が起こる、とそのメカニズムを明らかにしました。

 フロイトはまた、自我が意識と無意識のあいだに存在し、両者を調整する役目を果たし、外界で耐え難い出来事が起こると、自分を守るために無意識下でその記憶と感情を抑圧状態にすると考えました。この無意識との関連で強調されるのがリビドーの概念で、それはさまざまな欲求に変換可能な元になる心的エネルギーだと言われる。リビドーは性にまつわるだけでなく、人間の生全体に、心身の起動に、飛躍を与える本質的な力、豊饒な泉とみることもできる。その何ものにも囚われない、自由なベクトルは既成の論理や概念を打ち破る根源的なもの、まさに変革の可能性を秘めたものと言える。半面、リビドーの充溢は暴力的で危険なものと見なされ、自我が、とりわけ超自我がこれを抑え込もうと、ソリッドな道徳・倫理観を押し付けようと、社会適応性を植え付けようと躍起になる。性をはじめ人間の本性を、豊潤で可能性に満ちた生全体を、骨抜きに、取るに足らないものに隷属化し、家畜同然にするのです。

 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたとリビドーを結びつけるのは無理があるのでしょうが、その内側にある、沸々とした革命へのベクトルは、その永続的なプロセスは、リビドーの豊かで飛躍的な、それこそ流麗でさえある、激烈な力を借りて遂行されます。ときに暴力的な側面を、悪しき滞留に、官僚主義という悪弊に、度を越した個人的利害に対置し、それらを掃き清めなければなりません。コミュニズムの理論に、マルクス=エンゲルスの論理展開にけっして上って来ない心理的なエレメントを、もっと言えば非科学的でさえある観念やアイデアの類を、すなわち無意識やリビドーなどの流動する浮薄な概念を、安易にメーンストリームへ注ぎ込むべきではないと思うことでしょう。でも、革命のプロセスをシークエンスに進展させるには、どうしても必要な要素なのです。それは、個々の内に秘めた、潜在している能力を開花させる契機になり、創造的なフィールドを拓くことにつながっていきます。

 フロイトのもう一つの主要概念、エディプス・コンプレックスにも触れておくべきでしょう。一般には、男子が母親に性愛感情をいだき、父親に嫉妬する無意識の葛藤感情のことをいい、ギリシャ神話のエディプス王の悲劇的運命になぞらえる。彼は父親を殺害して母親と結婚するという運命を担っているが、一般に男の子は三歳から六歳にかけてエディプス王と同じように父親に敵意をいだき、母親に対して愛情を求めようとする性的願望を持つ。ここで、父・子・母(精霊)の三角形が形成され、三位一体の原型もしくは変型が成立する。二者関係から三者関係への移行です。子にとって心地よい胎内の延長である温順な環境から、名実ともに外へ、初めての対外関係が形成される。その触媒になるのが、それを媒介するのが、子と母の二者関係に介入してくる、敵対的存在としての父なわけです。それは子にとって初めての社会であり、セオリーやエチカを強制する装置となります。

 この関係性はさまざまな場面で、いろいろなモノやコトに応用可能です。社会の原型というか、良きにつけ悪しきにつけ基底をなすもの、恒常的に多様で複層する関係性を規定する起点となります。それは絡み合って輻輳する、矛盾を孕んだ厄介な関係性を解くカギにもなる。社会の中で、ヒトどもモノどもコトどもが錯綜するのを前に立ち尽くしてしまうとき、シンプルにその関係性へ戻ってみる。そうすると、間違った思い込みへ陥っていたことに、複雑に見えた関係性を解きほぐす契機に気づき、最適解を導き出せなくとも、その近傍に行き着けるのではないか。エディプス・コンプレックスという精神分析の一概念に、こうした大きな役割を割り当てるのもどうかと思いますが、複雑化の一途をたどる社会を解明する一助に、もっと言えば論理を超えたところにカテゴライズされる、その概念にプロセスの可能性を託すのも一考ではないかと思うのです。


■言語の関係性を構造化するソシュール


 そろそろ現代思想へシフトして行こうかと思いますが、先にポストモダンについて少し触れておきます。現代を、近代が終わった“後”の時代として特徴づけようとする言葉で、後に出てくるフランスの哲学者、リオタールによって提唱されました。近代で通用していた、信じられていた理性・真理・正義・道徳といった、歴史の大きな物語を彩る、啓蒙主義的な進歩思想を支える言葉や概念を拒絶し、多様化・複層化の一途をたどる社会を反映した多元主義的、相対主義的な思想潮流を取り上げて強調する。もともとはニーチェやフロイト、ハイデガーらの思想を源泉として、近代的な主体概念に対し構造主義が提起した批判が背景にあると言われる。マルクスの上部構造/下部構造、生産力/生産関係といった構造的な諸概念を実体化し、近代的な主体概念を実体視していると批判する。無意識的・潜在的な構造的規定要因によって、主体そのものやその判断およびその可能な選択肢が構成され、あるいは少なくとも制約されている。ポストモダンは、主体偏重の啓蒙主義をひっくり返す装置として現代で有効に作用しています。

 構造主義の祖と言われるのが、言語学者のソシュールです。一方で彼は、構造という用語を使わず、自身の理論を言語学以外の分野に拡張するのにも慎重でした。従来の比較言語学のように歴史的側面を扱う通時言語学に対し、非歴史的・静態的な構造を扱う共時言語学、いわゆる記号論を対置する。そのうえで、言語を社会的側面と個人的側面に二分し、前者を語彙や文法など社会に共有されている言語上の約束事=コードとしてラングに、今日は暑いとか半袖でいたいとか個人的な言語の運用=メッセージとしてパロールに、それぞれカテゴライズする。言語=ラングは、記号=シーニュの体系であり、それはシニフィアンとシニフィエが表裏一体となって結びついた恣意的なものとされる。シニフィアンは「意味するもの」「指すもの」「表すもの」の意、それに対してシニフィエは「意味されるもの」「指されるもの」「表されるもの」とその対象化をいう。たとえば、海という言葉に関して言えば、「海」という文字や「うみ」という音声のことをシニフィアン、これによって意味されたり表されたりする海のイメージや海という概念ないし意味内容をシニフィエとしています。

 ソシュールは、音韻でも概念においても“差異”だけが意味をもち、それぞれ言語独特の区切り方を行っているとします。二重分節というもので、たとえば“ア”の音は、ア以外の音(イ、ウ、エ、オ…)でないものとして意味をもつ。また、概念も言語によって区切られて、“イヌ”はイヌ以外のすべての概念(ネコ、ネズミ、太陽、工場、川…)との差異で存立している。言語は意味を為そうとすれば、記号単体では成り立たず、それぞれの関係性の中で、一定の順列にそって起動し成就する。構造の中の差異を発見することによって、新たな思想潮流を生みし、画期的なメルクマールとなった。それは言語学の枠を超えて哲学や思想はもとより、文学や社会学、法学にも影響を及ぼし、さらには建築や意匠など広く芸術一般へと波及した。特に、差異概念はこのあと、ポスト構造主義の展開に際しても基底概念として、たとえばデリダの差延、ディファレンスなどの概念創出に大きな役割を果たしました。


■野蛮の思考を革命に取り込んだレヴィ=ストロース


 構造主義を言語学から人類学へシフトさせたのがレヴィ=ストロースです。主著の表題にもなっている「野生の思考」という、一見矛盾する概念を提示し、従来の野蛮(混沌)から洗練された文明(秩序)が形作られたとする西洋中心主義に対置する。混沌の象徴とされる未開社会においても一定の秩序・構造を見出せるとし、オリエンタリズム的な見方に一石を投じるとともに、のちのポストコロニアリズムへつながる知見を示した。それは、未開社会の婚姻制度や無文字社会の贈与問題など「親族の基本構造」の分析を通じて記号論的に解明された。当時流布していたサルトルらの実存主義を主体偏重と批判、主体そのものではなく主体間の構造、関係性こそが重要だと、フィールドワークから導き出した。主体が使う言語一つ取っても、共同体社会によって生み出された相対的で構造主義的なものであり、絶対的な主体ではありえない。どのような民族もその独自の構造をもっており、西洋側の構造を基準にその他の構造に対して優劣をつけたり、押し付けたりしてはならないと戒める。可能性を秘めた野生の思考を通じて、傲慢で卑しい文明を強く批判するのです。

 その一方で、のちにデリダによるポスト構造主義的な批判を受けることになります。デリダは、従来のパロール(話し言葉)中心の言語分析、いわゆるロゴス中心主義、音声中心主義に反対し、エクリチュール(文字)を重視する。その点、レヴィ=ストロースは音韻論を人類学に持ち込んだほか、社会が出来てから文字が成るという後成説を採るため、意図せずともロゴス中心主義に陥ってしまう。脱構築、ディコンストラクションの網にかかれば、レヴィ=ストロースも形無しですが、そうだからと言って、脈々と続いた、いや未だに続く近代のくびきから人類を新しい局面へ解放するきっかけをつくった功績は、けっして減じられるものではありません。このほか、トーテミズムを神秘的なまどろみのなかから、一定の理論性をもった為政者による部族団結の装置とみた斬新性は特筆すべきで、何ごとも野蛮へ押し込めようとする文明に対し、ここでも異議を申し立てる。特定の集団や人物、部族、血縁・血統に宗教的に結び付けられた野生の動物・植物の象徴を、まったく異なる視点から光を当て、思考の可能性を広げました。

 レフ・ダヴィードヴィチ、あなた亡き後、さまざまな革命家が、きら星のごとくとはいかなくとも、あなたほどではないにしても、何人か変化を促す者として現れました。それは政治分野に限らず、知の分野においても、文化革命というかたちかどうかは別にして、言語・文学・哲学・批評・絵画・音楽など文化の諸層で実践され、その秀逸なものは革命のプロセスに寄与した。下部構造を重視したマルクス=エンゲルスの革命理論に対し、人間の感覚や思い、それこそ負の感情を含めて、その精神構造を、上部構造の最たるものを分析対象とし、各分野で既成の概念や論理、時代遅れの感覚、凝り固まったイメージと闘い乗り越えながら新たな展開を模索した。そのベクトルは、放射線状に拡散するものもあれば、中心へ向かって凝集していくもの、なかには負の方向へ、さらには悪を孕んで、と細胞レベルから構成体を崩壊へ導きもしたし、人類の進化と言われる、正の方向と思われている、善とされるレベルを累加する場合もあっただろう。それらを含めての革命のプロセスとして、あらゆる動き、変化、そう進展も退潮も取り込んで、総合して、革命の成就を期さなければなりません。


■権力の狡知を暴くフーコー


 なかでも、これら知に内在する権力の働きを分析したミシェル・フーコーは、哲学の分野を超えて革命のプロセスへ身を寄せた一人です。主著の『狂気の歴史』や『監獄の誕生』では、権力の抑圧的体質をあぶり出し、真理を贋作していく過程、それを元に民衆をもてあそぶ様子など、その露悪的で卑しいオーソリティーズの本性を描いている。知と権力の関係を深く追求し、従来とは異なる、それこそ正反対の視点から分析することで、既成の概念を、その表裏を転倒させて新たな地平を切り拓く。フーコーは、狂気の歴史をさかのぼり西欧社会で神霊によるとされていた狂気が、現代において精神病とみなされるようになった経緯を解明、その社会が長らく伝統的に抑圧してきた、創造的な狂気の力を解放しようと努めた。また、監獄が誕生する過程を近代以前と以降で比較し、肉体的か精神的かの違い、権力行使の、強制力の質の違いに注目する。近代以前の刑罰は、権力者の威光を示すために犯罪者の肉体に対して与えられるもの、公開の場での四つ裂き刑、烙印、鞭打ちなどであったが、近代以降は、犯罪者を監獄に収容し、肉体の拘束のみならず、精神を強制させるのを目的とした。

 監獄への収容は一見、人間性を尊重した近代合理主義の成果と一般に思われるが、監獄へ入れられた人間は常に権力者の眼差しにより監視され、従順な身体であることを強要される。パノプティコン、一望監視施設と呼ばれる刑務所や監獄は、規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として役立つ。それは軍隊や学校、工場、病院にも応用され、兵士や学生、労働者、患者を監視するシステムとして大いに活用されている。監獄の誕生は、罪を犯した者だけでなく、放置すれば社会に否定的な影響を与えるとか、たんに政権側に都合が悪いとか、反対意見を表明するとか、その程度のことでも権力の恣意で身柄を拘束し、自由をはく奪する権利を与えることを意味する。このパノプティコン的機能は、戦場での兵士の逃亡や不満を抑え込む手段として活用できるほか、学校では権力側に都合のいい思想教育を施すための訓育に利用したり、工場内で労働者のサボタージュを監視したりと、権力維持に極めて有効なシステムとして生かされています。

 フーコーは、この新しい管理システムを裏打ちする考え方として「生の権力」という新しい概念を提起します。近代以前の権力形態、たとえば封建制では臣民の生を掌握し、抹殺しようとする君主の殺す権力が支配的だったのに対し、この新しい生の権力は、抑圧的であるよりも、むしろ生、すなわち生命や生活を向上させるように見える。伝統的な権威の概念では理解も批判も想像すらも出来ないような管理システムが、巧緻な権威を、抜け目のない権力機構を下支えする。たとえば、住民の生を公衆衛生によって管理・統制し、福祉国家という形態をとって権力温存の手段とする。支配形態の、ハードからソフトへの転換と言えば、権力行使の表現としてスマートすぎるが、そのスタイルが近代以前に比べ、ただ巧妙になっただけで、生を収奪する、搾取するという意味では、その本質は変わらず、質的にはより強化されたと言える。こうした権力の振る舞いに対し、フーコーは個人の倫理を発展させることによって、この生の権力の具体的な現われである福祉国家に抵抗するよう呼びかけた。こうして革命のプロセスを推し進めるのです。


■エクリチュールを改編したバルト


 ここでまた、言語論に戻ります。ソシュールの言語理論を受けてラングの概念を改めて導入し、あらたにスティル、文体の概念を提起したロラン・バルトです。ラングは、言語話者にとって世界の一部として認識されており、作家の創作を取り巻く環境そのものを指すのに対し、スティルは個々人が独自の経験によって形成した言語感覚を意味する。エクリチュールは、作家が言語活動においてラングとスティルを乗り越えながら選び取るものであり、書くという行為そのものへの態度を指す。これには、社会制度としてのラングへの態度が含まれており、同時に社会そのものへの態度も内包されている。バルトは、主著『零度のエクリチュール』で、エクリチュールを共同体の成員によって使用されるラングと、個々の作家の身体の奥から滲み出てくるスティルの中間に位置すると指摘。過去の文学的記憶、現社会に対して取る態度、歴史や経済状況、文学に対する姿勢などのせめぎ合いによって規定されていくとします。

 たとえば、常套や伝統を避けて行き詰ると、ランボーやマラルメのように沈黙へと至らざるを得ないオルフェウス的エクリチュールに、カミュに代表される中世的な無垢のエクリチュールに、社会的性格を失い文体がないという文体に、浮遊し頼るしかない。社会的意図を示唆する作家の手先がまったく見えないのが特徴で、それゆえに零度のエクリチュールと言われる。ある芸術作品を鑑賞するとき、その作品の説明を、それを生み出した作者に求めがちになり、作者の意図を正確に把握しようとする。バルトはこの発想を「打ち明け話」として批判、このように作者=神という発想ではなく、作品とはさまざまなものが引用された織物のようなものであり、それを解くのは読者であるとし、芸術作品に対してこれまで受動的なイメージしかなかった受信者の側の創造的な側面を強調した。彼の言う「作者の死」。主体性の否定どころか、精神を含めたその存在そのものを遺棄する。文体の一人歩きを放置し、自由に彷徨させるのです。


■幼児と父母の関係から言語学を革新したラカン


 もう一人、同じように構造主義的なアプローチを仕掛けたジャック・ラカンは、言語の発生を幼児と父母の関係性から説き起こしました。幼児は自分の身体を統一体として捉えない。成長して鏡を見ることで、もしくは自分の姿を他者の鏡像とすることによって、鏡に映った像が自分であり、統一体であると気づく。一般的に、生後六カ月から十八カ月の間に幼児はこの過程を経る。幼児は神経系が未発達であるため、自己が一個の身体であるという自覚がない、いわば「寸断された身体」のイメージの中で生きている。幼児は、鏡に映る自己の姿で自分の身体を認識し、自己を同定していく。この鏡とは、紛れもなく他者のことであり、他者を鏡にして他者の中に自己像=自我を見出す。これを鏡像段階論といい、ラカンは人類へ成るためのプロセスを、一般的な人間の成長過程を、鏡を通じて、他者を介して見る。幼児がこのあと獲得する主体性もけっきょく、対他的に、相対的に形づくられ、フリーハンドに、それこそ自己の意志どおりにならない。近代の主体概念へ疑問を呈します。

 人間それ自体は空虚なベース、エスそのものであり、自我とはその上に覆い被さり、その空虚さ、無根拠性を覆い隠す想像的なものにすぎない。自らの無根拠や無能力に目をつむって、この想像的段階に安住し、心地よく過ごしている。この幼児の状況が鏡像段階に対応する。でも人間は、いつまでも鏡像段階に留まることを許されず、成長するにしたがってやがて自己同一性や主体を持ち、それを自ら認識しなくてはならない。その際、言語の媒介、介入が不可欠となるが、それは必ずしも自己の意識や思い、感覚と一致しない。言語という表層的で構造的、もっと言えば副次的で二次的なエレメントに左右され、けっきょくは支配されてしまう、ずっと幼児ではいられない。言語の取得は同時に、生まれながらに持っていた、かけがえのない感性や能力の喪失を意味する。こうして社会へ投げ出され、生きる糧と引き換えに不純へ紛れていくのです。

 ラカンは、主体性が構造的に、現実界・象徴界・想像界の三つの領界もしくは機能からなるとします。父は、想像界に安住するのを禁ずる。その命令を受け入れること、それは社会的な法の要求を受け入れること、自分が全能ではないという事実を認めることを意味する。すべての子に割り当てられ、彼らの行為に一定の限界をもうける父性的機能。それはいわば象徴的な掟であり、これを精神分析学では去勢と呼ぶ。幼児の全能性であるファルスを傷つける去勢なくして言語活動は開始しない。一方、母子と言語の関係性も特異なプロセスをたどる。胎児として子宮の中で浮遊している、母体とつながっている状態で“ママ”という原初の言葉を持つ必要はない。だから言語活動は発生しない。さらに生まれてからも、乳児の口には象徴的に母親の乳房が詰まっていて、その必要をすべて満たし、全世界を支配しているかのような快楽の状態にある。だがやがて、口から乳房が去る、そこに欠如・不在が生まれる。ここで初めて、乳児は母を求めるなり、乳を求めるなり、欲求を充足するため、生きるために“マー”などと叫びをあげる。これが言語活動の発生というわけです。

 ラカンは、フロイトの精神分析学の手法を取り入れ、バルトとは違うベクトルで言語学を構造主義的に深化させた。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたが言語学に興味を持っていたかどうか定かではありませんが、革命のプロセスにとって、そう、理論と実践の進展には、言語学という分野における、こうした脱構築も必要なのです。ラング(言語)とスティル(文体)、パロール(話し言葉)とエクリチュール(書くこと)。これまでの静的で硬質な言語体系、その理論を、構造主義的な観点から、高度化し、重層化し、流動化した、そう、脱構築を施した。ソシュールを起点に、バルトとラカンは言語分野で既成の概念・論理を乗り越えて、新機軸を打ち立て、革命のプロセスを深化させた。人間と言語のあいだにある、ずれや隔たり、歪みや軋み、ざらつき感や違和感、不整合や不協和など、その関係性を基底で規定する、表にあらわれない、体をなさない、つかもうにも逃れてしまう、そんな流動体をつかもうと。そこに可能性を、変革の端緒を、それこそ革命のプロセスを前へ進める、成就させる方向性に、われわれを導いていくのです。


■構造主義的にマルクス主義を革新したアルチュセール


 認識論的切断、重層的決定、徴候的読解など数々の画期的な概念を創造し、マルクス主義に科学認識論的な視点を導入したのが、フランスの哲学者ルイ・アルチュセールです。マルクス主義を脱構築し、構造主義的に蘇生させ、可能性の中心にマルクス=エンゲルスを、レーニンを、そしてレフ・ダヴィードヴィチ、あなたを再設定し、取り戻そうとした。フランス共産党を内部から批判し、反スターリニズムに対してマルクス主義ヒューマニズム、初期マルクス、若きマルクスの疎外された主体性の奪還というテーマですべてを語ろうとする風潮に対し、警鐘を鳴らした。官僚主義に毒されたマルキシズムに対し、近代の主体主義をもってするのではなく関係性を重視、構造主義的手法を駆使してその改編を試みた。マルクスは、ヘーゲル的なプロブレマティークからの脱皮、その問題設定・問題系を転倒させ、新たな地平を見出した。現象―本質という二元論的な前提、プロブレマティークそのものを問い直し、経済的土台による規定と上部構造による反作用という別な問題、いわゆる重層的決定を行った。

 また、ある問題においての問いの不在、見えているがゆえに不可視となっているもの、こうした矛盾、二律背反を適切に見出す読み、いわゆる徴候的読解によって古典経済学へアプローチし、革新的な読みを実践しました。実践の哲学ではなく哲学の実践。哲学は、科学の信憑性を保証する科学の科学ではない、別のやり方で継続される政治である、学ははるか昔から続く、観念と観念の戦いである、と。それは、主体も目的もないプロセスであって、不均等な起源をもつ様々な要素が織りなす複合的な過程だとみる。歴史的過程の作動因を偶然の出会いと呼び、エピクロス的な原子の雨、その斜行が生む、偶然による原子の衝突―。一方、権力はこうしたイメージの諸要素を凝固させ、一定の持続力をもった一つの歴史的形態を作り上げる。マルクス=エンゲルスの正当な後継者たちは、こうした歴史の決定論を退け、独自の唯物論を展開させていく。スターリニズムによって正体を失ったマルキシズムを流動化させ、静態的で腐臭漂う、その負の歴史過程からマルクスを救い出そうとした。構造主義的手法を導入することで、死に体にあったコミュニズムを甦らせようとしたのです。

 それはしぜん、国家に対する強烈な批判へと、そのイデオロギー装置についての実践的分析を促します。抑圧装置としての国家は、軍事力・警察力など暴力による脅しのみならず、そのシステムの規定に従って、民衆を生産関係の一部に取り込むべく、情報メディアや教育・福祉施設、地域コミュニティー、家族などあらゆるカテゴリーへソフトな強制力をふるう。国家に従順な国民を訓育するため、イデオロギー装置の拡充・強化を怠らない。それは精神分析の分野にまで、無意識のレベルへと、人格をもコントロールしようと躍起になって仕掛けてくる。下部構造を掌握すればそれで済むわけでないと、十分承知のうえで、あくまでシビアに、冷酷にスタンスを保ち、上部構造を広く配下に置こうと抜かりがない。知らぬ間に脳髄や神経細胞を浸食し、長期的には遺伝子配列にも手を加えて、国家に、権力に従わせようと手段を択ばない。こうして強制・抑圧装置とイデオロギー装置を巧みに組み合わせて、支配を確立、強化していくのです。

 それは国家にとどまらず、権力をもつ団体・組織、それこそ左翼政党でも例外でなく、あらんことかイデオロギー装置を抑圧に利用します。スターリニズムや毛沢東主義の反革命性は言うに及ばす、70年代後半のフランス共産党も、前衛党にあるまじき転落の道へと、たんに支配構造を維持するためにイデオロギー装置を駆使し、挙句の果てにプロレタリア・ディクタツーラ(独裁、執権)を否定するまでになった、とアルチュセールは批判する。上部構造を恣意的に、思うがままにコントロールするイデオロギー装置を支配の手段に、コミュニズムの可能性を蹂躙し、人類の全的発展へのプロセスを阻害する。イデオロギー自体は、負でも正でも、悪でも善でも、何かに裁かれたり、価値を持たされたりするものではなく、いわばどの世でも、どんな体制でも無数に浮遊しているもの。手に取って悪用しないかぎり、装置に仕立て上げないかぎり、たんなる観念であり、思想であり、政治や制度に左右されるものではありません。

 それは自由に、社会の中で、個々のあいだを飛び回り、流動し、関係性を取り結ぼうと、またそこから離れようと、浮遊しさまよい、解き放たれます。そこに、人間の可能性を、革命のプロセスを推し進めるエレメントを、コミュニズムの成就へ向けた革新的なベクトルを、見なければならない。円環状に、正確には螺旋状に、スパイラルに漸進的にまわり上っていくイメージ。非連続の連続というか、流動時に事を起こし、静態時に事を収める、その繰り返し。こうして諸矛盾を弁証法的に相殺していく、シークエンスな真理の探究を、答えのない出口のないプロブレマティーク、問題設定に対して、真摯に向き合って、根気よくやっていく。固化することなく、流動しつづけて、ときに気化することも厭わず、そんなプロセスを甘受しながら、革命の端緒を織りなしていく、成就へ向けて地ならししていく。各人はその能力に応じて、その必要に合わせて、その関係性に沿って、その感性・思惟・イメージに従って、そう、自由に心身を投げ出して…。


■脱構築の詩的革命を起こしたマラルメ


 ポスト構造主義へ移る前に、フランスの象徴派詩人、あのステファヌ・マラルメに少し触れておきます。ディコンストラクションを実践する多くの者たちから支持され、死の新しい概念を創造したモーリス・ブランショも、マラルメを取り上げ、多大な影響を受けたと述懐している。マラルメは、日常的な言葉でなく、本質的な言葉、物事や情報を道具的に交換するための言語ではない、いわば意味になる前の、浮遊する言語をつかまえて、テクストとして縦横に駆使し解放した。本質的な言葉によって彩られた純粋な作品は、語り手・書き手が消滅して、語に主導権を譲るとし、こうした向き合い方、その斬新なスタンスは、従来の文学への構えに、文学理論に、詩作の場に、詩の実践に大きなインパクトを与えた。マラルメという革命のプロセスは、脱構築そのもの、ディコンストラクションの最たるもので、まさに言葉を超えて、言語体系を超越して、意味や論理をものともせずに、その枠をはみ出して、遥か彼方へ飛翔した。多くの者たちを置き去りにして、詩の真髄へ、そう死の意味するところへ向かって疾走したのです。

 初期詩編では、これまでの詩人と同じように、理想と現実の差異への葛藤と苦しさをテーマにしたが、後期では詩が書けないことそのものを問題系に、新たな詩の創造へ進んだ。生涯を通じて目指したのは、詩を創作するうえで生じる偶然を排した完全・完璧な美しい詩。イデアリストというより、ある意味究極のリアリストとして内省に従い、抽象的な、一般には象徴詩と呼ばれる、いやその枠を超えた秀逸な数々のテクストを残した。この世の一切が虚無であり、あらゆる存在の根拠が失われていく。キリスト教における神の死を悟り、ロゴスとコギトが解体されていく。何ものにも囚われずに、それこそ表現手段である言葉を、その論理を、その体系を超えて創造していく―。彼の詩作はいわば、革命のプロセスそのもので、詩を超越した、もっと言えば非詩、詩に非ず何ものか、もっと純度の高いエクリチュール、愛に満ちた透明なテクストと言えるのではないか。詩作という行為、その実践を非連続の連続へ、螺旋状の似円環へ、スパイラルのサイクルへ投げ入れて、詩を解き放った。思いのままに、自由気ままに浮遊させて、新たな展開を、思いも寄らぬ創造物をこの世へ送り出しました。

 代表作「イジチュール」は、文法も意味も極限まで拡散させた浮遊するテクスト、創造された何かあるもので、書く行為、エクリチュールが人間存在の根底に関わる所作であることを示しました。特に後期詩篇では、詩にまつわる様々な精神的事象を、詩そのもので説明するメタポエムが多く、文法が一般的なフランス語から乖離し、好んで難解さを求めたほか、物事を仄めかすことによって何かを伝えようとし、文法よりも詩的リズムを重視した。意図してかどうかは別に、論理から、意味から、ロゴス中心主義から離れようとした。たとえばバレエを、身体で描くエクリチュールと捉え、芸術の表象が記号として機能していると指摘。詩作を、ドローイングのように、メロディーラインのごとく、線描を図面に、音符を五線譜に乗せるように、ただ流動するだけの、創造そのものを現わし表わそうとした。ディコンストラクションを繰り返すマラルメの革命精神は際限なく、その真にクリエイティブな生のプロセスを表わしている。19世紀半ばに生きたマラルメは、ポストモダンを見通した、その先駆けと言えるのかもしれません。


■大きな物語の終焉を告げたリオタール


 それこそポストモダンの生みの親、リオタールは絵画のほか美学一般、芸術に強い関心をもっていました。芸術は、無意識のフィギュール(形象)を、この矛盾する二項の有り様を表わし、リビドー(性的欲動エネルギー)と同じように調和を解体する力をもっているとする。それは当然、ディスクール(言説)の次元にはなく、言語の外部を指し、そればかりでなく言語化に反発する。フロイトが焦点を当てたリビドー概念を、主著『リビドー経済』で取り上げ、精神分析から経済的事象へ、さらには政治諸制度、文化的エレメンツまで、その適用範囲を広げて深化させた。カテゴリーやロジックの壁を乗り越えて、図らずも革命のプロセスに巻き込まれながら新たな展開を見出した。現実のすべて、まわりのモノどもコトどもを“リビドー身体”として捉え、それをもとに世界を考察した。また、現代はマルキシズムに代表される「大きな物語」が消え去り、歴史の終焉過程へ入ったと指摘。普遍性が破壊されたこの状況下では、小さな無数のイストワール(物語=歴史)が、日常生活の織物をおり上げて、言説は多様化の一途をたどる、との見方を示しました。

 大きな物語とは、近代社会がそれ特有の世界観と人間観によって社会的、文化的コンテクストを維持・正当化するための物語のことです。モダンは、ある種の理念の達成を目的に支えられてきたと言え、科学による社会の進歩や利潤を追い求める資本主義、民族独立や労働の解放を目指す共産主義など諸理念を、曲がりなりにもそれぞれの立場から信じて進んできた。理念的で自律的な主体の合意によって真理と正義を共有しながら、進歩思想を中心に社会を運営し、人間の幸福を追求してきた。また、大きな物語は“メタ物語”とも呼ばれ、乱立する様々な理念を制して、その絶対的な優位性を保とうとする。大きな物語、近代の理念を裏打ちする特徴として、人間理性への信頼を挙げられ、どういうわけか近代理性によって社会をより良い方向へ導くという確信めいたものに執着するようになった。近代以前に乱立していた様々な思惟や論理など諸理念を正しい方向へ導く役割が、近代の理念にあると傲慢にも勘違いしてしまった。大きな物語は、その提示する理念に至高性を与えて、現実を劣ったものとして捉える、そこから人々を救い出す、唯一のプロセスだとするのです。

 それは、認識と平等主義によって無知と隷属からの解放を図る、啓蒙主義の物語へとつながっていきます。リオタールは、富の蓄積と経済発展という資本主義的物語と、搾取からの解放というマルクス主義的物語を並べ立て、資本の巧緻さや悪辣さ、労働の自由さや不可能さを、物語の恣意性から、偽善性から掘り起こす。19、20世紀の人間は、これら大きな物語に従って行為や思惟を制し、日常を営んできた。これに対して、近代以降は大きな物語がその自明性、信頼性を失い、崩壊の一途をたどっているとし、この状況を「ポストモダン」という言葉で言い表した。大きな物語亡き後、表舞台に出て来たのが“小さな物語”だとした。理性を獲得した人間が、真の共同体を形成しようと普遍的な歴史を語ろうとするのに対し、小さな物語はそれぞれの言説を語ろうと、表現しようとする。たとえば、西洋中心史観を否定する“ポストコロニアル”は、小さな物語の典型で、植民者が語る歴史ではなく、搾取され虐げられた原住民、被搾取者の視点から語り出され、真実に触れるのです。

 小さな物語は、大きな物語が前提にしてきた近代の理念を、その前提を疑問に付し、普遍的と思われていた歴史の自明性を否定します。その一方で、大きな物語の不信から自らメタ物語になろうとせずに、複数の言説がもつ異質性を担保し、かえってそのような言説群を増やそうとする。決定不能なもの、制御の限界、不完全情報の漂流、量子の拡散、フラクタル化、そして言語行為のパラドックス…。ポストモダンは自らの発展を、不連続な、カタストロフィー的な、修正不能な逆説的なものとして理論化する。全体化や統一化、整合化、一体化などロゴス中心主義的な、西欧的な偏向を許容する恣意的な纏まりを拒絶し、解体しようと試みる。そこいらじゅうに小さな物語が散逸し、関係性を取り結ぶものもいれば、なかには互いに反発し合い、離れていくものもいる。さまざまなエレメンツがひしめき合い、それこそ清濁併せ呑んで、善悪の別なく、正負のさかいもなく、ただ浮遊し彷徨うだけで…。近代においては、収拾がつかないと、制御できないと、厄介なもの嫌悪すべきものと、排除もしくは隔離されてきたモノどもコトどもが、ポストモダンで解き放たれていくのです。

 レフ・ダヴィードヴィチ、社会主義の行方は、あなたの想像していたようにはうまく行きませんでした。せっかくロシア革命で端緒をつけてくれたあなたには申し訳なくて、情けなく、顔向けできなくて…。マルクス=エンゲルスの理論に、レーニンの実践に、あなたの前衛的なスタンスに誤謬や齟齬があったわけではないのに、こんな体たらくに、無様な始末になってしまったことに、その遺志を引き継いだコミュニスト諸氏は、責任の重さに耐えられず脱落していく。大きな物語のなかへ、キャピタリズムとともにコミュニズムも入れ込まれたことに、けっきょく抵抗しきれずに、為すがままにされたことに、何とも複雑で居たたまれない思いをしているのは少数のマルキストばかりではありますまい。もともと小さな物語だったのが、大きな物語に転化してしまう多くのプロセスと同じように、マルキシズムもそういう道行きに、運命にあったのか。それとも、革命のプロセスは始めから大きな物語を胚胎していて、いずれ必当然に顕在化するシステムだったのだろうか。あなたが後進国のロシア各地で、革命の現場で、具体的な課題に直面しながら悪戦苦闘した、そのプロセスは間違いなく小さな物語、その積み重ねだった。それがどうしてこんな体たらくになってしまったのでしょうか。

 もしも、あなたの唱えた永続革命が、類まれな世界革命が継続していたならば、と事あるごとに考えてしまいます。それは、小さな物語を積み上げていく過程、それぞれが自由意志で自己決定していく、まさしく革命のプロセスだった。個人が、その家族が、属するコミュニティーが、流動化しながら変化を取り込み、おのれの能力を高め、開花させていく。それこそ、個々のレベルで、周りとの関係性のなかで、さらに国家との、権力との確執に戸惑いながらも事を収めて、それぞれ小さな物語を推し進めて行く、成就させていく。小さな物語の拡散力を、フラクタル化を、その不規則で複雑な動きを、一(線)、二(面)、三(立方体)の諸次元といった整数で表されるものとは異なり、非整数の値を含む深く曖昧な次元で流動させる、可能性のベクトルを作動させる、潜在しているモノどもコトどもを駆動させる、ぐっと表層へ引き上げて…。気体から流動体へ、避けられぬ固体化をものともせず、革命のプロセスへつなげていく。硬直化した、ソリッドなモノどもコトどもを打ち壊して、流動化を繰り返す、シークエンスに、それこそ永続革命を遂行していくのです。


■器官なき身体とリゾームを唱えたドゥルーズ


 数学の微分概念を哲学に転用して、差異の概念を構築し深化させたのが、ジル・ドゥルーズです。その代表的な概念が「器官なき身体」で、フランスの劇作家、アントナン・アルトーの言葉をもとに哲学的概念として広げ、脱構築を行った。彼は、身体に器官はいらない、身体はけっして有機体ではない、と指摘。有機体こそが身体の敵であり、人の行為や思索は、どんな器官とも協力なしにまったくひとりでに起こる、とコペルニクス的転回を施す。これを受けてドゥルーズは、個々の器官を統一する高次元の有機体、全体を支配する組織体を否定、部分を一定の役割に閉じ込めてしまう統一体が存在するという前提を捨てて、それぞれの部分に多様な組み合わせの可能性を開き、流動的で新たな接合を求めた。全体に対して部分が持つ自由さを顕揚し、モル的な有機体としてではなく、無意識における部分対象として、まったく別次元の分子的な存在を明らかにした。身体には、有機体的サイクルとは別個の「欲望する身体」とでもいうべき器官なき身体が存在し、それは個体の生存を維持する諸器官を必要としない。器官ある身体が男性的身体、生存していく身体、個体を形成する身体とするならば、器官なき身体は女性的な、包み込む、癒しの身体、対象を欲望し生み出す身体と見做しました。

 また、ドルーズが精神科医のフェリックス・ガタリと共同で提起した「リゾーム」という概念も脱構築に欠かせない装置、システムです。もともとは地下茎、根茎を意味するこの概念を、かれらは上下関係や二項対立の特徴をもつ階層秩序「ツリー」と対比させて定義する。ツリー(木)が、一つの根を基礎とし、太い幹に支えられて多くの枝葉をのばしていくのに対し、リゾームは、構造全体の代謝を支える中心、中核を持たず、地下茎のように自在にのび広がって、様々な場所に生成の拠点を形成する。複雑に入り組んでいき、異質な線が交差し合い、多様な流れが方向を変えながら延びていく。現代社会、消費文明のメタファー(隠喩)として、国家主義的、前近代的で階層的な上下関係の秩序を否定する。不確かな状態にある諸要素が、相互横断的に組成され、かつ自由な状態を保つ。こうした不定形の網状組織を、新しい社会・認識・存在のあり方として、従来の中央集権的で統制的な諸構造に対置するのです。

 進化論のように、一つのルーツ(根)から人類へ至るプロセスを記述するのではなく、ファシズムのごとく、人々の意識を一つの極に収斂・集中させようとするのでもなく、さらには自由の名のもとに人々を支配的な欲望のもとに統制するのでもなく、既存の構造を横断的に解体しながら、生産や消費、文化的な営みなど様々な拠点を、そこここに結節させていく。現代の網状組織の典型、インターネットが拠点分散型のメディアとして、新聞やテレビなど既存媒体に取って代わって隆盛を極めるのは、その構造がリゾーム状であるからに他ならない。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたがこの時代に生きていたならば、この進捗か退潮か、どちらとも言えない流動のプロセスにどう対処するのでしょう。この局地戦に、軍事戦略に長けたあなたなら、あの軍用列車からどんな指令を出すのでしょうか。陥落させた拠点を次々にネットワーク状に結節させて、それぞれ流動化させながら、横断的に絆を強めていく。その纏まりがソリッドに至らないように、あくまで流出するリキッドのように、風通しよく透き通ったガスが漂うように、固着化を避けながら、つねに秩序を脱構築、解体しながら進んでいく、そんな過程、革命のプロセスは可能なのでしょうか。


■差延で脱構築を差異化したデリダ


 これまでたびたび取り上げてきたエクリチュールの特質、差異に焦点を合わせて脱構築の理論を深めたのが、ジャック・デリダです。ディコンストラクションを縦横に駆使し、モダニズムに、身近なコンストラクションにさえ、批判の矛先を向けて、そのプロブレマティークを壊しては創り直した。ものを見るとき、どれほど安定して見えても空間的な差異と時間的な遅延が生じることから、「差延」という新たな言葉を編み出し、脱構築の主要概念とした。差延と訳される用語“differance”は、差異を意味するフランス語“difference”の真ん中のeをaに変えて作られた言葉であり、それによって「遅らせる」「延期する」という動詞的な意味を持たせた。発音上は同じでパロールでは変わらず、文字によってエクリチュールにおいてのみ区別される。語でも、概念でもない造語として、つかみどころのない、得体のしれない、漂い彷徨うモノどもコトども、それでも可能性に満ちた何か、と言えばいいのでしょうか。

 およそ何者かとして同定したり、自己同一性が成り立たせるためには、必ずそれ自身との完全な一致からのずれや違い、逸脱など、常にすでにそれに先立つ他者との関係が必要となります。同定や自己同一性は、主語と述語、この二つの項を前提とする「AはAである」という定式から成り立つ。そのため、主体や対象は反復され得なければならず、「同じである」とは、二つの項のあいだの関係であり、自己同一性においてもその事情は変わらない。自己自身が差異化することで初めてそれが複数の「同じである」となり、別の項として二重化し得るとともに、初めて同定や自己同一性が可能となる。差延は、再帰的な性格をもち、この再帰を媒介する他の項はあくまで不在のかたちで自己の側に残され、自己の側の対応する痕跡から遡及的に確認されるにすぎない。他方で、この痕跡はそうした不在の媒介項を前提とし、痕跡の刻まれた項が自己充足されることはないのです。


■それでもコミュニズムの可能性を


 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたにしてみれば、差延とか、散種、痕跡、そう脱構築なんて、エクリチュール上の他愛ない稚拙な遊戯に見えるでしょう。ソビエト崩壊(1991年)後の、手持ち無沙汰の退屈しのぎにしか、実践とは程遠い理論的な稚戯にしか、生きる望みを絶たれた敗残者の哀れな自己肯定、一人遊びの擬態にしか、見えないだろう。革命のプロセスには何の役にも立たない、不必要なもの、逆に有害なものとすら見なされかねない。そんな思惟行為にうつつを抜かし、おのれのプロセスを無駄に費やす、無為に過ごすぐらいなら、コミュニズムが理論的にはともかく、実践的には死に体と見做されているなか、いっそのこと否定的に身を処した方が、死へ向かって破れかぶれな道行きに身をゆだねた方がいいのではないか。いや、革命前夜のように街頭へ繰り出して、自意識過剰な示威行動を起こすとか、イスラム戦士のように、勇ましく自爆攻撃を敢行するとか、高度化した権力機構にプリミティブなアタックを仕掛けるとか。そんなことしか、その程度のことしか、と思われるでしょうが、それだけ現代は、なかんずくポストモダンはずる賢く巧妙に構造化されているのです、弁解がましく聞こえるでしょうが。

 マルクス=エンゲルスの、レーニンの、そしてレフ・ダヴィードヴィチ、あなたの理論と実践が、虚ろに響く状況下で、選択の余地が限られるなかで、取るべきスタンス、進むべき道程、それこそ革命のプロセスに、まだ伸びしろはあるのでしょうか。それはどこにもないし、いたるところにある、とここでも二律背反、アンチノミーなのか。いずれにしても、その場にとどまっているわけにはいかず、ベクトルを、いずれかへ向き直さなければならない。それならば少しの可能性に、コミュニズムの理論と実践から遠く離れていようとも、あなたにとっては些細な、取るに足らないことであっても、そこに賭けるしかないってことなのか。引き続き、革命のプロセスをトレースしていくしか、それは過去から未来へ、というに限らず、現在から過去へ、未来へと行きつ戻りつしながら、険しいプロセスを地道に進んで行くしかない。それは、これまでの論理に沿ってとか、構築済みの体系に合わせてとか、使用済みの感覚群に頼ってとか、そういうのではないだろう。それこそ、革命に対して真摯に、誠実に、愚直に、我慢強く向き合っていくしか、つねに流動化し、果てなく繰り返すしか、更新を怠らず、純化していくしかないのでしょう、きっと。

 革命のプロセスは、非連続の連続です。それぞれがある一定の時間、ある区切られた空間のなかで、限りある心身の灯火を点す、その険しくも美しい過程と言えます。たとえ機械の一部品として、歯車として組み込まれながら、はかなく散っていく定めであっても、そこに矜持を持って、それこそ捨て石になる覚悟で、公開処刑で八つ裂きにされても、そこいらの道端に屍を晒されようとも、プロセス遂行の一助になれるならば、と。レフ・ダヴィードヴィチ、あなたも一革命家として、その心身すべてを惜しみなく、革命のプロセスに捧げられた。あのロシアの、二十世紀初頭の後進的で特殊な状況のなかで、マルクス=エンゲルスの科学的な想定を超えて、キャピタリズムの桎梏を待たずに、そのプロセスの可能性を引き寄せて、革命を成就させた。たとえこのあと、ロシアから遠く離れたメキシコの地で、スターリンの刺客に殺められようと、後世あなたの鋭利な思考と果敢な行為は、いわゆるトロツキズムは、反革命の代名詞のように吹聴され、汚名を着せられたとしても、真の前衛として、革命のプロセスにしっかりと刻み込まれ、確実に語り継がれるに違いない。あなたの精神、魂はこれからも、その遺志を継ぐ、多くのコミュニストの心の内に永遠に宿り続けるだろう。数々の旧弊を打破した、その非連続を、あなたの秀逸なプロセスを、速やかに連続へ繋げて、その繰り返しを、螺旋状の円環上に、そう、永続的に、世界的に。

 それぞれの非連続のなかで、ソリッドで堅固なデイリーに対峙し、その裏側の、底が反転した非日常の、論理を超えた可能性の流れに、身も心もゆだねながら、ということなのでしょうか。流動するプロセスに、意味を為す前のモノどもコトどもに、果敢に心身を沿わしながら、革命のベクトルを定かなものにしていく。もともとカタチになりにくい、固着にそぐわない、この柔らかな方向・方面・方角の三次元の世界を、秩序の維持・固定へ向かわすのでなく、いっときの成就に、成果に満足することなく、もう一度、いや何度も解き放っていく。プロセスを再び流動させて、少しでも気を抜けば積み重なっていく、滞留する非革命的エレメントを、コンサーバティブに引き戻す、巧妙で邪悪な要素を取り除き浄化していく。打ち立てた構造を、繰り返し破壊し、そのたびごとに脱構築していく。一方で、非連続の連続、流動化による戦果、秀逸なコンテンツを、少しずつ累乗していく、もれなく取り込んでいく、スパイラルに重ねていく。清らかで美しい、それぞれ自己実現の基底になる、実効性の高いエクセレントな潜勢力を育んでいく。各人はその能力に応じて、その必要に応じて、行為し享受する社会へ向けて―。あくまで、そんな究極の、流動するカタチ、革命のプロセスをものにしなければなりません。

 キャピタリズム全盛の、資本の独り勝ち時代に、その強欲で不埒なプロセスの渦中にあって、そんな流麗なカタチは可能なのでしょうか。だから、不安定化させて、流動化させて、カタチになった瞬間に、不純に朽ちていくしかないプロセスを圧し止めて、それこそ円環のように、輪廻のごとく、シークエンスに螺旋状に駆け上っていく。固化した時点から、陳腐化・老朽化・腐蝕化が始まるとともに、矛盾が多層化・複層化・重層化していく。主体と客体の双方に、老廃物のように溜まっていく、放っておくと、主体を機能不全に陥らせ、客体を質量ともに劣化させていく。ただ、終局まではいかず、生かさず殺さず、主体から思考や起動力を奪い取り、ただベルトコンベアの前に張り付かせて、気力を萎えさせて、取るに足らない作業に従事させる。権力にとって都合のいいプロセスを、強欲のシステムを、搾取の構図を再生産していく過程を、ただ無力感を漂わせて、指をくわえて見ているだけなのでしょうか。

 現象的には、少なくとも表層的には、コミュニズムはその役割を終えた、花火の燃えかすのように、はかなくも無残に潰えてしまったような様相を呈しています。スターリニズムが、あの一国社会主義が、そのスーパー官僚主義が、権力を握った臆病者の猜疑心が、コミュニズムの可能性をことごとく挫いていった。レーニンの後継を、レフ・ダヴィードヴィチ、あなたと争ったスターリンを諸悪の根源にしたところで、この状況に至っては詮無いこと、後の祭りだが、もしあなたが後を継いでくれていたらと、つい考えてしまう、嘆いてしまう。歴史の皮肉というのか、それが偶然だったのか、必然であったのか、そんなことは別にして。あなたの永続革命、世界革命が二十世紀初頭の国際情勢のなかで、すんなり受け入れられて、理論通りに遂行できたとは思わない。社会主義の本道に沿って、共産主義へ向かって、万難を排して革命のプロセスを進めていったに違いないが、長期的な成否は、その行き着く先は神のみぞ知るのかもしれない。ただ、たんなる夢想にも、そこいらの戯言にもすることなく、理論と実践を有機的に編み上げて、プロセスを高度化し、革命の成就へ邁進していったことだけは確かでしょう。

 一言に、コミュニズムのプロセスといっても、それがマルクスの言うような科学ではなく、巷で言われているように、一つのイデオロギー、観念に過ぎないのなら、ある意味もっと気楽に、柔軟に、その可能性に投企できたのかもしれません。こうあらねばならないとか、理論と実践を無理に合致させようとか、現象するモノどもコトどもに何としても沿わせなければとか、それこそ当たり前のように流動体を固化していくとか。ソリッドでスタブルな居心地いい環境に甘んじようなんて、そんなこと思いも寄らぬに自由に、勝手気ままに、むやみやたらに可能性へ向かっていたのなら…。流動と脱構築をシークエンスに、非連続を意識し積み上げる暇もないほどに、自己を投企し解き放つ。しだいに濁り汚れていく、明度・純度が落ちていく、やたらと折り重なっていく、動きが悪く重たくなっていく、モノどもコトどもをことごとく排して。新陳代謝していく、繰り返しリニューアルしていく、無限軌道のプロセスを、自由の連鎖を、あくなき自己の解放を、それぞれ心身に沿わせ纏わせて、あなたの言う永続革命を、広く世界革命を実現していかねばなりません。

 それぞれパーソナルに、自己の内側で、ガイストやスピリット、魂の領域を、流動化し、脱構築し、革命的状況に沿わせてアジャストするだけでは、どこか心もとなく、やはりプロセスのリアルから、置いてけぼりにされてしまいます。けっきょく充足しない、もちろん自己実現には程遠く、浮つき彷徨するだけでプロセスの実効性は伴わない。こんなことでは、能力の累乗化とか、スパイラルな上昇へは、それこそ人類の進化過程にコミットするなんて遠い夢のようで。内核に潜在している、底で渦巻いている、流動化に、そう革命に浸され晒されないと、プロセス全体はけっして成就しない。可能性へ転化し得る、流動する何ものか、得難いものを見過ごし、スルーしてしまう。各々がそれぞれの分野で、立ちはだかる諸矛盾に対峙し、おのれを、まわりのモノどもコトどもを創造的に解き放ち、自由で有機的なエレメントに仕立て上げる。それらを心身の糧にして、革命のプロセスに相乗させて流れを加速させる、奔流のごとく巻き込んでいく、スパイラルに昇っていく。的を正確に射るべく、照準を定める、しっかり目的を果たす、惜しみなくこの身を投げ出す、ふやけた心を前衛へ向け直す―。そうしてはじめてプロセスが緒に就くのです。

 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたが身をもって感じた、思い知った革命の難しさはここに、このあとのプロセスにあるのでしょう。革命権力を維持・展開させること、労働者のディクタツーラ(独裁、執権)を敵対勢力から守り、権力を永らえさせること。革命を成し遂げる以上に難しいのが、このプロセスで、あなたはレーニンの死後、内外の、特に国内の反革命党派の対応に苦慮するとともに、ほどなく身内の、ボルシェヴィキ内の権力闘争に直面し、翻弄されることとなった。挙句の果てには、こともあろうに、反革命分子のレッテルを貼られて投獄、国外追放されてしまう。そんな不遇のなかで、あなたはその先、どのようなプロセスを見通していたのだろうか。それでも、マルクス=エンゲルスの見取り図に沿って、段階的に共産主義へ向かって、一つひとつ問題を、数々の矛盾をクリアしながら、着実に進んでいこうとしていたのか。その行き着く先はもちろん、スターリズムのように、たんに権力の維持に、一国社会主義の温存にあったわけはなく、革命のプロセスをつねに流動化させながら、更新させながら、それこそアップデートして、さらなる高みへ、共産主義へ向かって、ということだろう、と。でも、なにぶん未知の領域であるため、そう簡単には具体像を描き切れない。解決の糸口があなたの、永続革命、世界革命にあるのはわかっているのですが…。


■共和制に可能性を見るアーレント


 でも、この珠玉の概念を、尊い理念を現実へ落とし込もうと、理論と実践を有機的に結び付けようと、リアルとイデアルのあいだを橋渡ししようとした途端、迷路へまよい込んでしまいます。前人未踏のプロセスだから、ソビエトの挫折からまだ日が浅いから、実践に見合う理論が見当たらないがゆえに、具体化への道筋はなかなか見つけ出せない。そこで手を借りたいのが、ドイツの哲学者・思想家で非コミュニストのハンナ・アーレントです。彼女は、ナチズムの台頭したドイツから合衆国へ亡命した経験から、全体主義が生み出す大衆社会を分析・批判し、主著『革命について』で英国やフランスにおける革命や米国建国時の革命的様相を取り上げたほか、ロシア革命にも言及し、革命のプロセスに新たな光を当てた。とくに、宗主国の英国から独立を勝ち取った米国の独立(革命)戦争(18世紀後半)に着目し、絶対王政を倒し立憲君主政を実現した英国の名誉革命(17世紀後半)や、ブルジョア階級が権力を握ったフランスの市民革命(18世紀後半)、そしてボルシェヴィキの主導のもと労働者と貧農が決起したロシアの社会主義革命(20世紀初頭)と比較・検討した。フランス革命時のコミューンやロシア革命で権力を握るソビエトよりも、米国で興った郡区(カウンティ)や対話集会(タウンミーティング)の実際的な機能を評価、共和制の優位性を強調しました。

 いずれも下層民・民衆の、労働者・人民の、移民・国民の評議会機能をもった政治形態と言えるが、革命後に有効に作用したのが、革命主体の意向にそってもっともよく機能したのが、米国における評議会だったとみる。騒擾を利用した下からのフランス革命でも、労働者のディクタツーラ(独裁、執権)を目指したロシア革命でもなく、宗主国の植民地政策に対する抵抗から始まったアメリカ独立革命に軍配を上げた。革命性の優劣を測るのは難しいが、民意の反映という点で、地方自治の下位に位置づけられる郡区、地域住民の生活に関わる細々したことを話し合うタウンミーティングに、その共和政体に民主主義の本質、本来革命が目指すべきプロセスがあるという。フランス革命がけっきょくナポレオンの独裁を許し、ロシア革命がスターリズムの硬直した反革命的体制に堕したことからも容易に見て取れるとする。ブルジョワジーや労働者・農民らを主体とした革命が、けっきょく権力の罠にはまり、ミイラ取りがミイラになった一方で、米国の独立戦争は植民地と宗主国の戦いという性格を持ち、特定の階級の利益を直接反映するものではなかったため、そうした弊害を回避できた。それは、各階層・階級の相互利益を広く平等に重んじる、共和政体の誕生を促した。その革命のプロセスは結果的に権力の分散を促し、相対的にしろ、主権者の自由を高め、幸福を実現したとしています。

 だからと言って、米国のケースが他に比べて、優れて革命的か、と言えばどうでしょうか。権力の維持に伴う弊害を押し止める力がある程度、備わっているように見えるが、それはたんに比較優位だけのことで、革命性に引き付けると本質的に大差がないのではないか。ある特定の利害集団が権力を獲得する、それが複数に組み合わさったものであれ、一定の個別的、集団的利益を目的にするかぎり、必然的に権力維持に伴う硬直性や非民主主義的な要素が出てくる。フランス革命時のロベスピエールの強権しかり、ロシア革命のボルシェヴィキによるディクタツーラ(独裁、執権)しかりであり、いずれにせよ、権力を握った者以外への排除の論理が顔を出す。それが、何度も言うようにスターリズムの一国社会主義の帰結であり、コミュニズムの理想とは程遠い、革命のプロセスに泥を塗ることとなる。これに比べて宗主国・英国から独立を果たした米国はどうだったか。ハンナ・アーレントはフランスのブルジョワジー、ロシアの労働者という特定の階級利益が全面に出ざるを得ない革命に比べて、米国では共和制を敷いたことが大きいとみる。植民者、移民としてのアイデンティティ、その集団利害というより、広く共同利害にもとづく共和政体は、相対的に全体の民意を反映しやすい政治形態というのです。

 でも、これをもって革命のプロセス、その行き着く先とするには、あまりにも貧しく、当初目指していたところから程遠く、暗澹たる気分になってしまいます。米国の共和政体、その民主主義が現時点で一番優れた政治システム、秀逸なプロセスということになれば、すべては終わってしまう。それはどう考えても、革命のプロセスとは言えない。ハンナ・アーレントが、米国の独立戦争を革命の一形態と位置付けた、その独自性を否定しようとは思わないが、コミュニズムの視点からすれば、どうしても違和感を覚えてしまい、自ずから革命性を、その理想を、可能性を否定しているように思えてならない。共和政体が、現代社会で最も優れた政治形態だとすれば、理論と実践の合致という点でベターな政治システムというならば、人類の進歩もそれまでなのか、いつまで経っても人間の思考能力と行動力はその程度なのか、と諦めざるを得ない。結局のところ、コミュニズムにはもともと理論的な欠陥があり、実践へ繋げる有機的な力量がなかった、ということなのだろうか。権力を握る、それがたとえプロレタリアート・ディクタツーラ(独裁、執権)であっても、参与者それぞれの能力が自由に開花する、搾取のない理想社会への、共産主義社会への、革命のプロセスになり得なかった、ということなのでしょうか。

 それでは、革命の品質保証となるものは何でしょうか。アーレントは、それを自由の空間を樹立すること、その当否に求めました。この点でフランス革命は流産したと言わざるを得ず、ロシア革命はスターリズムに堕さざるを得なかったのに対し、米国革命はたとえ部分的にせよ、成功を収めたと指摘する。フランス革命の時のパリ・コミューン、ロシア革命におけるソビエト、ドイツでのレーテ(労兵評議会、1918年)、そして近い例ではハンガリー革命(1956年)での評議会。これらは一時、積極的な自由の空間を樹立した実践例として、それら「小共和国」を古代ギリシャのポリスになぞらえる。人々を権力から遠ざけ、この自由な政治空間から隔離する、あらゆる種類の専制政治と鋭く対立する。革命の瞬間に自発的に創造される、これら「小共和国」を結局のところ、破壊したのはフランス革命時のジャコバン派、ロシア革命におけるボルシェヴィキなど革命を標ぼうする政党だった、と。人々の自由な活動を保障する政治的空間たる「小共和国」は、国家的なメンタリティをもって運営しようとする革命政党を原理的に受けつけないのです。


■自由なアソシエーションの実現を目指して


 さらにアーレントは、革命政党が陥る権力の罠を、その時々の社会問題、特に貧困の除去・解消へ向かう、左翼的なスタンスに原因をみます。革命の目的が、自由の構成という政治的なものから、窮乏の解決という社会的なものへシフトするのが問題だとする。この転換が現実のものとなったとき、革命はすでに失敗を運命づけられていた、と。米国の独立(革命)戦争が失敗を免れていたとするならば、革命以前にその自然の恩恵によって豊かな国になっていたから、社会問題より政治体の問題に努力を集中させることができたからだとみる。キーとなるのは「小共和国」、共通の目的や関心をもつ人々が自発的につくる集団や組織、いわゆる「アソシエーション」という言葉、その概念にかかっているのだという。小さな集まりの遍在、米国のタウンミーティングのような合議体、さらに広く郡、州の評議会まで。(連邦)国家に属するも、そこから一定の自由度をもつ小単位、一つひとつの細胞というイメージ。国家の拘束を一定程度まぬがれ斥けるとともに、共同体が保持していた互酬性(相互性)を高次元で取り返そうする運動、すなわちアソシエーショニズムは、他者を手段としてのみならず同時に目的として扱うような社会を目指します。

 自由の互酬性(相互性)という考え方は、社会主義に通じるもので、分配的正義、つまり再配分によって富の格差を解消するのではなく、そもそも富の格差を生じさせない交換システムのことです。それは、資本主義的生産様式に一定のくさびを打ち込み、資本主義の私有制度と社会主義の国有制度というアンチノミー(二律背反)を乗り越えるもので、国家的な再配分ではないと同時に共同体の互酬とも異なっている。そこには、市場的交換に似た競争や自由がある一方で、貧富の格差や資本―賃労働の対立関係をなくす方向へ動いていく。具体的にイメージされるのが、生産者協同組合で、そこでは全員が労働者であるとともに経営者であり、賃労働(労働力商品)は揚棄され、代替貨幣・信用銀行が創出される。国家と資本主義市場経済から自立したネットワーク空間が形成されるのです。

 多数の労働者が自ら連合し、分業と協業によって結ばれる生産者協同組合は、アソシエーションの具体化、その典型的な現象形態です。マルクスも『共産党宣言』の中で、共産主義は自由なアソシエーションの実現だとし、さらにコミュニズムとはアソシエーションのアソシエーションにほかならないと強調している。ソビエトのように国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって替わるべきだとする。でもその一方で、何らかの国家的な補助がなければ、生産者協同組合は資本制企業に打ち負かされてしまう。だから、マルクスは過渡的に労働者階級が国家権力を握る必要があるとし、プロレタリアート・ディクタツーラ(独裁、執権)を許容する。でも、その行き着く先は周知のとおり、国家が揚棄されるどころか、官僚主義を生み出し、逆に国家権力の強化へと行き着く。国家が揚棄できないのは、その外部との関係において存在するからで、生産者協同組合が優位性を持ち得るのは、産業資本そのものが脆弱だった時代にかぎられる。巨大な資本あるいは国家的な資本による重工業的生産へ移行したとき、生産者協同組合はもはや、それに対抗できなくなります。


■国家を揚棄するマルチチュードに可能性を見るネグリ&ハート


 国家は、内部からだけでは揚棄できません。だから、革命は主要な諸民族が一挙に、かつ同時に遂行することによってのみ可能で、いわゆる世界同時革命が必要だ、と。そう、レフ・ダヴィードヴィチ、あなたの唱えた永続革命が求められる所以です。でも、その実現可能性は、これまでの歴史が物語っているように極めて低いどころか、未来へ向かって閉ざされているように見える。けっきょく国家の死滅どころか、せいぜい一国だけの隆盛をもたらすしか、それも強権によって維持するしかない、内側に限界と崩壊を抱えた脆弱なものに行き着く。一国だけの社会主義革命ではどうにもならない一方で、永続革命、世界革命も事実上、実現不可能なら、革命のプロセスのどこに、可能性の中心を置けばいいのか。ヒントとなるのは、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが打ち出した“帝国”の概念だろうか。1990年代、冷戦の終結と湾岸戦争とともに、帝国主義は終わって“帝国”が出現した、と。その帝国を、ソビエト崩壊後に独り勝ちし、優位性を勝ち得た米国に求めればいいのか。  かれらは言う、帝国とはどこにもない場所にある、と哲学風に。帝国は、平滑空間の内部にあり、権力の場所はそこにない、それはいたるところに存在すると同時に、どこにも存在しないという。つまり帝国とは、どこにもないところにあり、あるいはもっと正確にいえば「非‐場」である、と。そこでは諸国家は重要でなく、普遍的交通のもとで民族や国家の差異は無化される、その前にはワールドワイドなフィールドが広がっているのです。

 確かに現状では一見、国民国家という枠組みが弱まっているように思えます。だからと言って、国家の解消、死滅へと向かっているわけではない。EU(欧州共同体)など地域共同体を志向するベクトルが延びているが、それは米国や中国に対抗するためで、経済的・軍事的な主権を上位組織に譲渡するだけに終わっている。世界資本主義(世界市場)の圧力のもとに、諸国家が結集して広域国家を形成しているに過ぎない。でも、ネグリとハートは帝国=世界市場、ワールドワイドなフィールドのもとで国民国家は実質的に消滅し、それに対してマイノリティや移民、先住民その他の多様な人間集団、いわば有象無象の“マルチチュード”が対抗するだろうと、そこに可能性をみる。数だけ多く、取るに足らない、これらの者どもが、労働者や農民と合流して一大勢力を形成し、国民国家を、権力を揺さぶる状況を創出する、と期待する。マルチチュードの自己疎外としてある諸国家は、マルチチュードが自己統治することで揚棄されるだろう、と。その一方で、こうした国家の自立性を無視したアナーキズムの論理では、マルチチュードの反乱はけっきょく、国家の揚棄よりも、その強化に帰結するのではないか。資本主義体制の桎梏に、果ては共産主義社会への移行に伴って、国家が死滅するだろうという安易な見通し、その見方がかえって、国家主義的な独裁体制をもたらしてしまう、このアンチノミー。アナーキズムを気取って留飲を下げている場合ではありません。

 国家権力を打倒する、奪取するという行為は常に、もう一つの国家を生み出してしまいます。ボルシェヴィキなど革命権力であってもけっきょく、中央集権的なツリー型の組織となり、国家は生き延びる。それは、国家をたんに破壊し混乱に追い込むだけのアナーキズムでも変わりなく、同じように国家を引き寄せて、逆に、より強力な国家を蘇生させる、ファシズムを招来せしめる。もちろん、議会主義に過ぎない社会民主主義的戦術は、まさに国家を歓迎するもので、そのシステムの一環として、呑気に充足するしかない。これらに対し、真に国家を揚棄しようとする運動は、資本や国家、ネーションの原理とは違ってアソシエーション、正確にはアソシエーションのアソシエーションを徐々に作り上げていく。それは、国家権力を握って実現されるものではなく、それ自体、国家にとって代わるものでなければならない。この国家に向けた対抗運動は反面、ある意味国家に似たものを、中心をもったものでなければ、アソシエーションのアソシエーションとは成り得ない。資本制システムのなかで、反抗する小さな運動、せいぜい美的な行為にしかならないのです。


■マイノリティのアソシエーションを生かして


 集権的な革命プロセスに代わって出て来たのが、エスニックや女性、LGBTQなどのマイノリティ運動、生態系や食など地球的規模のエコロジー運動、生産者でなく消費者視点のコンシューマー運動などで、労働を軸とした集権的な運動に対し、これまで副次的と見なされてきた、いわば反システムな運動です。それらは、ドゥルーズに従って分子的と言われ、集権的でモル的な運動に対抗する。旧来の生産関係や階級関係をベースに置く運動に対して、それらに還元できない次元を取り上げる一方で、中心化を極度に恐れるために、分散化し分裂して、けっきょく社会民主主義的な集塊に収斂、回収されてしまう。先進資本主義国でも、いやだから性懲りもなくというか、横のつながりもなく反システム的運動が単発的に見られるが、全体化、すなわち中心化や代表制を恐れるあまりに、さまざまな運動は相互にけん制し合って孤立し、あげく内部分裂する始末で、出口の見えない状況が続いている。個々人はあくまで、さまざまな社会的関係の次元に生きているのであって、それらを還元することで成立した運動には、捨象されたものが諸個人を通じて別のかたちで回帰して来ざるを得ない。そこで、一つの次元での同一性を基盤にした運動が、それが括弧に入れた別の次元における差異の回帰によって、内部的対立に追い込まれてしまう、そういう構図なのです。

 はたして、これら反システム運動に、対抗運動としての可能性はあるのでしょうか。諸個人は、ジェンダーやセクシュアリティ、エスニック、階級、地域、その他のさまざまな関心の次元に生きている。それゆえ、対抗運動は、それぞれの次元の自立性を認めつつ、したがってまた、諸個人の、それらへの多重的所属を認めつつ、それら多次元を総合するようなセミラティス(網状交差図式)型システムとして組織されなければならない。ネットワーク型の組織は、ツリー型のそれのような中心を排除しようとする。だからと言って、中心をもたなければ相互に孤立し、離散し、対立してしまう。でもその場合、中心がたんに超越論的統覚Xとしてあるだけで、実体的な中心が権威的に物象化されず、システムとして回避されているならば、中心化を恐れる必要はない。それは、それぞれの次元の代表から構成される中央評議会のようなものに総合されれば、中心化はある程度まぬがれる。それぞれ代表選出に際しては、官僚主義や制度の固定化を避けるため、選挙だけでなく、偶然性の導入、くじなどによる選出も考慮されるべきだろう。こうして、中心化があると同時に、中心化がないような組織へ向けて、さまざまな工夫が施され、流動化を繰り返しながら、革命のプロセスは遂行されていくのです。

 これまで余計者、よそ者扱いを受けて、片隅へ追いやられてきた少数者、マイノリティが満を持して表舞台へ跳び出し、それぞれ可能性を開陳する、創造性を敷衍していく、そんなプロセスが求められています。個々のクリエイティブなベクトルを自由に散種していくとともに、それら多様なモノどもコトどもを集積し、重層化していく、そう自由にアソシエーションしていく。有機的で改編的なネットワークを築き、旧来の思考・行動様式を、堅牢なシステム全体へ浸蝕し、流動化させていく、たんに上書きするのでなく、その根っこから引き抜いて、次々と棄却していく。並行して固化していく、徐々に中心化していく、力を育んでいく、しだいに権力を備えていく、そんなソリッドなプロセスを流動化させ、さらには気化し無化して、初期化を繰り返す。アナーキズムへ陥ることなく、ぎりぎりのところでコミュニズムに踏みとどまる、その可能性の中心へ向かう努力を怠らないようにしなければならない。大きな権力を否定すると同時に、小さな権力の連合を肯定する、それはただ肯んずるのではなく、否が応にも擡げてくる諸矛盾を、一つひとつ地道に摘み取っていく、そんなプロセスを、その非連続の連続を遂行していくのです。

 権力と自由の狭間で、のた打ち回りながら、ありそうにない答えを求めていくしかないのでしょうか。子どもの遊びのような、少々日和見っぽい、例のアソシエーションのアソシエーションに、その可能性にかけるしかないのか。これまで潜在を余儀なくされていた、辺境へ追いやられていた、少数者、マイノリティを前面へ押し出して、それこそ前衛として革命のプロセスへ乗せるべきなのだろう。それは、放っておくと集権化していく権力の動きを、脱中心化していく、先兵として脱構築していく、流動体として機能していく。破壊と創成に寄与していく、シークエンスに革命のプロセスを改編し、権力の汚濁を清めて、汚れ濁ったモノどもコトどもを純化していく。これらマイノリティのアソシエーションは、取るに足らない、出来損ないの、もともと表層から、現象からずれた、悪辣でさえある奴らまで引き連れて、隊列へ組み入れて、権力に対峙し、そのリズムを崩していく。ずれをそのままに、差異化を推し進めていく、可能性のエレメントを放射線状に放っていく、散在するままに遠心分離しながらネットワークを形成していく。引き離し、引き寄せられながら、プロセスは遂行され、充足していくのです。

               ◆

 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたの永続革命、世界革命は、こうして後世へ引き継がれていきます。そのガイスト、精神は、こうした状況のなかでも、この内側に、志を同じくする者に、その魂に響いて来る、この内側のプロセスを震わせる、起動させる。個々のレベルで、周りの者どもとともに、なかんずく中心から外れた周縁者に力を借りながら、創造力を制限する国家に、自由を抑圧する権力に対抗する。それは、議会主義など従来の日和見的な、けっきょく何も動かさない、静態的な手段ではなくて、単発的な街頭デモなど穏健なものでもなくて、もっと騒擾的でゲリラ的なネットワークを駆使した、陳腐で固化したモノどもコトどもを一掃する、強力で広範囲な流動体、そうした激烈な革命のプロセスでなくてはならない。国家による取り締まりを掻いくぐり、強制力を反転させるには、こちらもゲバルトでもって、散逸するも波状的な強力を行き渡らせて、そう暴力を厭わずに、縦横にプロセスへ介入し、怠りなく流動させていく。たんにアソシエーションのアソシエーションに充足し、とどまるのでなく、非連続の連続を、改変につぐ改編を、ディコンストラクションを繰り返しながら、シークエンスに革命のプロセスを高度化、いまで言うブラッシュアップさせていく、そう、絶え間ない純化が必要なのです。

 こうして外側へ、ぐっと広げて、あらゆるモノどもコトどもを巻き込んで、革命のプロセスを稼働させるとともに、もっと内側へ、そのベクトルを深い淵へ、それが暗闇の深遠な沼であろうと、両脚を取られるままに、おのれの真の姿を引き上げて、しっかり把捉しなければなりません。個々のレベルで質的向上を図る、高度化を目指す、精神の修錬に励むというか、内側で浮遊し、彷徨している有機物を流動化させ、胃の腑で消化するように吸収して、エネルギーに転化させる、クリエイティブな心身の活動へつなげていく。まさに血潮が全身をかけめぐるように、細胞が活性化するように、しだいに肉塊が形成されていくように、精神を、魂を育み純化させる、その純度を上げていく、洗練させていく。同時に、外界への対応力を、外的矛盾への対峙力を養っていく、泥水を聖水に、濁りを清らかに透過させていく、さらに揮発させて天上へ昇らしめる。神に見紛うような超越者を追い求めて、そこに答えがあると信じて、リアルにユートピアを感じて、しっかりと手触りのあるものにして、そう、理論と実践を非連続に連続していくしかないのです。

 見果てぬ革命のプロセスを成就するには、これまでにない壮大な実験を帰結させるにはけっきょく、流動化の過程をシークエンスに推し進めていくしかないのでしょうか。カタチを成そうとする誘惑に、その動きに即座に反応し、崩し壊していく、解き放っていく。汚れや濁りを清めて、脱構築を繰り返し、同時に流動化のプロセスを円環へつなげ、わずかな傾斜をつけて、螺旋状に昇らせていく、スパイラルに成果を上げていく。そう、非連続の連続をシークエンスに、その果てに、初めて革命の果実を手にする、そこでエンベロープせずに、すかさずキャッチ・アンド・リリース、流動化の、革命のプロセスへ戻さなければならない。すべては純化されたプロセスのなかで、目的のために手段を選ばず、いや、手段をも目的にして、モノどもコトどもとともに、手を携えながら、革命を成就させていく。ひと時も休らう暇もなく、自己目的を流動化に定めて、日常の享楽に、些細な欲望に目もくれず、永久運動のように非連続の連続に終始する。純化を繰り返す内心のプロセスを、そのベクトルを、外殻を超えて周囲へ、放射線状に散逸させる、波及させていかねばなりません。

 まず、手の届くところから、周縁のモノどもコトどもとともに、錯綜する醜悪な利害を、入り乱れる矛盾の澱を掃き清めていく、革命のプロセスをステップアップさせていく、そんな感じで進めていきます。けっきょく幻だったと否定される「大きな物語」へと、性懲りもなく、招き入れられ、取り込まれるとしても。ただし、従来の稚拙なやり方でなく、やみくもに先を急ぐ垂直的なものでなく、ネットワーク型の、広く水平的なベクトルを駆使して。そう、革命のプロセスを経由して、普遍的な人類の目的地へ、それがコミュニズムというのかどうかは別にして、搾取のない理想郷へ、真に自由で平等な桃源郷へ、個々の能力が思い存分開花し、必要が充たされる社会へ、そうした清らかな、それでいて実効性のある、柔らかな手触り感のある時空間へ―。それぞれしっかり地に足をつけて、歩を進めていく、行き先を同じくするモノどもコトどもとアソシエーションを組んで、小世界を構築していく、その時空間を広げていく、円環状に、スパイラルに昇っていく。マルチチュードとなって、群れを引き連れて、流動化を加速させていく、勢い余ってぶち当たり、拡散していく、散種していく、そこいらじゅうに、新芽を吹かす、革命の花を咲かせていくのです。

 それらアソシエーションのアソシエーションに、前衛になり得るマルチチュードに、つねに脱中心化を、ディコンストラクションを施して、遍在させなければなりません。小さな権力が生まれるたびに、丁寧に摘み取って、フラットに均して、いったんレベルに戻して、そのあと再び能力を競わせて、といった具合に、面倒であっても、その繰り返しで。マルチチュードを野放しに、その群れの力に恃んで、ベクトルの定めようのない不規則な動きに、拡散の、散逸の、逸脱の、脱落の可能性に、そうしたずれに、差異に、差延に、その跳躍力に、突破力に力を借りて、革命前夜の状(情)況を創り上げる。アナーキズムを否定することなく、コミュニズムとの狭間で、ぎりぎりのところで超過して、マルチチュードを稼働させる、まとめようと、集約しようと、制御しようとする誘惑に打ち勝って、流動化を徹底させる。良質な細胞が分裂していくように、アソシエーションの質を高めていく、顔をのぞかせる悪性腫瘍を切除していく、それでいて劣勢も優勢もひっくるめて、それぞれが有機的に連なり、全体を創り上げていく、あくまで細胞レベルで、カタチになる前の流動体に、あたかもコンプリートを拒むように、革命のプロセスを成就させていくのです。

 レフ・ダヴィードヴィチ、あなたの革命思想、いわゆるトロツキズムはいまも生きています。過激思想だとか、アナーキズムに過ぎないとか、誰がどう言おうと、永続革命の論理は、この内側を満たし、世界革命への道筋は、周縁へ全体へと延びていく。コミュニズムを実現するための、崇高な目的を果たすための、秀逸なメソッドとして、そのプロセスを成就する手段として、そう、革命過程の方法論として、有機的に実践へとつながる珠玉の理論として、我々の感性を刺激し、思惟を起動させる、矛盾を純化する行為へと促す。まさに流動化の論理に従って、人類の内と外を、その乖離を有機的に縫合し融合させる概念として、精神を整え、肉体を育む機動力として、革命のプロセスを差延していく。実体を備えた幻影として、粘着性をもって機能する国家権力を、革命のプロセスのなかで破壊し浄化していくには、どうしても一部機能的に類似の暫定的な権力のようなもの、それでいて従来の集権的なものではく、分散した、それこそ散逸したポイント、ドット、そう点在、拠点としての、モノどもコトどもを運ぶための、避けられない現象に対応するための塊り、それはアソシエーションに連動したマルチチュードかもしれないし、性懲りもなくプロレタリアート・ディクタツーラ(独裁、執権)の可能性だってあり得る。いずれにせよ、そうした群れというか、流れ、秀逸な流動体が求められてくるのです。

 清らかな流動を、革命のプロセスへ乗せるには、スムーズに遅滞なく、それこそ数々の障害を駆逐して軌道に乗せるには、ときにゲバルトの力を借りて、強力に恃んで、怜悧に淡々と進めていかなければなりません。国家権力イコール暴力の、シビアな現実に、従来の短絡に、人類の生理に基づく論理に、抗えない二項関係に、けっきょく従うしか、いや積極的に生かしていくしか、肝に銘じてやっていくしかないってことか、と。行く手を遮る、固化して融通の利かない、流動を妨げるモノどもコトどもを、摘み取り排除していくツールとして、とくに相手が心身を備えた有機体の場合、物理的強力に加えて、内心を挫くというか、固定観念や執着心を解いてやる、心理的で心情的なメソッドとして、硬軟おり交ぜて対応していかなければならない。跡形もなく殲滅する、根絶するものを最小限に抑えて、大多数はこちらの隊列へ加えていく、マルチチュードとしてアソシエーションへ迎え入れる、可能性のエレメントとして革命のプロセスへ引き入れる、クリエイティブでコンフォートな社会へ向けて、自由で幸福な時空間を享受できるように、ともに投企していく、生を充溢させる、そんな革命のプロセスを実現していくのです。         敬具


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拝啓 レフ・ダヴィードヴィチ オカザキコージ @sein1003

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