第38話 憂い

 騎士団長は年端もいかない世間知らずの戯言と切り捨てず、神妙に耳を傾けてくれた。私が思いつく程度の事だもの。ピエット伯爵の居場所もしっかりと伝えていから、きっと騎士団長は全て把握していらっしゃるはず。


「確かに、ピエット・ガドネ伯爵が後を継いだとなれば、資金にも余裕があると思われます。そうでなくとも、オードネンの私財がアックティカに渡ったとするならば、さらなる軍の強化をはかるでしょう。アックティカ国内にはなっている間者の報告では、飢える民から僅かばかりの残された食料を徴収しているそうです。周囲の国々にも見放され、同盟も放棄されました」


 騎士団長は私の話しを肯定し、その背景を教えてくれる。せっせと他国に嫌がらせをしていた末路としては妥当だろう。陽の射す室内に、重い静寂が落ちる。


 膝の前で組んだ両手を握りしめ、騎士団長は苦しげな声を吐いた。


「この様子では、民が逃げ出すのも時間の問題。アックティカの民は、伝統を重んじます。代々受け継いできた土地をとても大切にし、祖先や家族を大事にする。今まで踏み止まっていたのは、それらを守ろうとしたからです。しかし、それすらも捨てねばならない心痛は、如何ばかりか……」


 そう。それが一番の懸念だ。アックティカは豊かではないけれど、決して貧しいという訳でもない。酪農や農業が盛んで、特産の果実酒は貴族の間でも人気が高く、生産量が少ないために高値で取引されていた。それがこの戦で更に高騰こうとうしている。店に並ぶのは、主に昨年出荷された物だ。騎士団長の言葉からも、生産自体が危ぶまれる。


 外貨収入の大半を占める果実酒がそうなのだから、実際に民達の口に入る物は更に少ないだろう。それすらも奪い、私欲を肥やす国王が憎くてたまらない。


 俯き、唇を噛みしめる私の手に、殿下の手が重なる。見上げると、陽の光を反射して輝く紫の瞳が優しく微笑んでいた。


「大丈夫だよ、リージュ。もし流民が出たなら、ちゃんと保護する。他の国とも連絡を取り合っててね、父上も動いてくださっているんだ。今も受け入れるための避難場所を整えているし、その後の職場も用意してる。アックティカの農産技術は素晴らしいからね。どさくさ紛れに教えてもらおうかと思って」


 明るく笑う殿下だけれど、それは私が知っているものとは少し違っていた。一年前と同じ、優しい笑顔。でも、逞しさも感じる。


 たった一年。

 

 されど一年。


 少年の成長は目まぐるしく、私を軽く飛び越えてしまう。それは寂しくも、嬉しくもあった。


 それが顔に出たのか、殿下は首を傾げ、問いかける。


「リージュ? どうかした?」


 少し低くなったその声も、私の胸を締め付けた。意識してまったら、心臓がバクバクと音を立て始める。恥ずかしくて顔を背けると、殿下はそれを追って覗き込んできた。


「顔赤いよ? 具合悪い? 暗い話ばっかりだったもんね。そろそろお開きにしようか」


 そう言うと、騎士団長はすぐさま動き、今後の調整をすると言い置いて執務室へと帰っていった。


 それに続くネフィ。


 え?


 あれ?


 ぱたん、と乾いた音を立て扉が閉まると、鳥の鳴く声が妙に大きく聞こえた。

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