第35話 ︎︎幼心の君

 殿下の落ち込み具合は、まるで垂れている耳と尻尾が見えるかと思うほどだった。私は沈む殿下の手を取り、満開の百合の花を撫でると、穏やかな声音を意識しながら語りかける。


「殿下はよく務めておいでです。何事も、最初から上手くはいきません。今は学ぶ時なのです。周りをご覧になって? ︎︎師となる方々に恵まれているではないですか。辛い時は、どうぞ私にぶつけてください。私は、そのためにいるのですから」


 ゆっくりと顔を上げる殿下に、微笑み頷いた。私達は支え合い、高め合う双樹。精霊王もそれを望んだのではないかしら。


 人と精霊という、一時期は相反した存在が手を取り合う。私は精霊の血というものを感じる事はできないけれど、それが殿下の傍に在るために必要だと言うのであれば、信じたい。長い年月を繋いできた契約は、きっと当事者にとっては意味の無いものだ。


 きっかけがどうであれ、互いのために存在する事が重要で、契約はそれに付随ふずいするものでしかない。少なくとも、私はそう思う。


 それもちゃんと言葉にして、殿下に伝える。


「……うん、そうだね。リージュがいるから僕は強くなれる。戦場も、本当は怖かった。さっきまで話していた従騎士が、呆気なく死んでいくんだ。僕も何人も殺した。オードネンも、民兵も……その感触がまだ残ってる。でも、リージュを危険に晒したオードネンが許せなくて、それで……」


 私の腰に抱きつき、肩を震わせる殿下は小さく感じる。戦場は、私には想像もつかない、人と人が殺し合う場所。そこに訓練を受けているとはいっても、たった十三歳で送り込まれたのだ。


 どれほど怖かっただろう。


 どれほど恐ろしかっただろう。


 殿下の背中を撫でながら、相槌を打つくらいしかできなのが歯痒い。


 そんな私達を見て、騎士団長は控えめに口を開く。


「殿下、良きお方と出会われましたね。王妃様も気丈なお方ですが、妃殿下は肝が据わっておいでだ。遠見で、戦場の様子もご覧になられていたはず。軍議の場だけとはいえ、殺伐とした空気は感じておられたのでは?」


 問いかける騎士団長に、私は頷いた。戦場自体は見ていないけれど、騎士達の鎧は血に染まっていて、嫌が応にも死を匂わせる。殿下も同じだ。


 戦は七ヶ月にも及び、日に日に疲弊の色が濃くなっていく殿下に、何度駆け寄り抱きしめたいと思ったか。


 今、腕の中にいる愛しい存在は、震えて……なかった。さっきまであれほど弱気だったのに、私の胸に擦り寄り感触を楽しんでいるようだ。


「で、殿下!? ︎︎何をなさっているのですか!?」


 慌てて引き剥がすと、すごくいい顔をしている。


「えへへ、リージュの胸柔らかいね。ドレス越しでも分かるよ。それに、意外と大きい? ︎︎着痩せするのかな? ︎︎まぁ、直接見ればいっか」


 そんな事を言いながら、ずいっと近付いてきてにんまりと笑う。咄嗟に胸を隠すと、その仕草さえも殿下を煽る結果になってしまった。ドレスの裾を摘む手を抑え、叫ぶ。


「殿下! ︎︎お待ちになって! ︎︎まだお昼です!」

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