第7話 薔薇の檻
チョロい。チョロすぎる。
私ってこんなに惚れっぽかったの?
私は机に肘をつき、溜息を吐いた。今私が居るのは王宮の離れにある離宮、
ここは王太子妃のための離宮だ。警備も万全で、ネズミの入り込む隙間も無い。殿下が宰相から私を守るために用意してくださった。
それに甘える形で移って来たけれど、私の頭の中は
目を閉じれば、途端に殿下の笑みが浮かんでくる。ただそれだけで体が熱を持った。まだ幼いのに、真摯に好意を告げてくれる殿下。その眼差しは真っ直ぐで、私の心を掻き乱す。
私は恋を知らない。
伯爵家に生まれたからには家のために結婚するのだと思っていたし、幼い頃にいた婚約者とは顔を合わせる事も無く、その話はたち消えた。
家庭教師の先生方も、お年を召した老紳士ばかりだったからそんな感情とは無縁で、この歳まで男性と踊った事さえない。
だからだろうか。初めての告白が脳裏にこびりついている。
私はまた溜息を吐いた。
殿下の顔を、声を思い出すだけでドキドキと胸が高鳴る。殿下と過ごしたのはほんの半日ほどの、短い時間だ。初めての逢瀬は、すぐに過ぎ去ってしまった。殿下がまだ残っていた政務を片付けるために、執務室へと向かわれたから。そのために別れたのも、ついさっきだ。それなのに、こんなにも会いたいなんて。
しかも、そんな私の気持ちは目に見える形で現れるのだから、恥ずかしさに拍車がかかる。そっと左手を見れば、咲き誇る三輪の花。その花には一片の陰りもなく、淡く色付いている。
殿下に宿る私の花も、こんな風に咲くのだろうか。既に一輪咲いているのだから、それも時間の問題かもしれない。政務に向かう間際、名残惜しそうに私の手の甲に口付けて、見上げる殿下の微笑みは眩しかった。殿下を想うだけで、こんなにも心が満たされるのだから。
そしてもうひとつ気になる事。それは私に魔力があるという事だ。
魔法は今ではお
しかし、私は魔力など感じた事は無い。王妃様のように、先見の力も無いし特別な能力も無い。
それでも殿下の言葉を疑う気にはなれなかった。ならば自分で調べればいい。私はそうやって学んできたんだから。
実を言えば、私は父が用意した家庭教師の科目以外にも独学で勉強していた。動物学や植物学、地質学。領地経営に役立ちそうな物ならなんでも。それも十六の時、婚約が見込めなくなってきて、従兄弟が跡継ぎに決まってからは無用の長物になってしまった。
でも、王太子妃となればそれも活かせる。まだ正直不安はある。私に王妃が務まるのか。重責で押し潰されてしまいそうだ。でも殿下は私なんかを望んでくれた。この手を取って、真摯な眼差しで愛の言葉を綴る殿下は、年下なのに逞しく見えた。だから殿下の志に応えるためにも、頑張りたいと思う。殿下は幼いのに、しっかり未来を見据えていた。そこに私がいられたら、どれほど幸せだろう。そのためには学ばなければ。
この離宮には、王太子妃として必要な知識を得るための図書室が設けられている。そこに行けばきっと目当ての書物があるはずだ。
ネフィはまだ戻っていないから、殿下がつけてくれたメイドに案内を頼む。
「ヒメリア様、図書室に行きたいのですけれど、案内をお願いできますか?」
名前を呼んだのは、赤毛の少女。同じ赤毛でもユシアン様とは違い、落ち着いた色味で派手さは無い。まだ十六になったばかりのメイドだ。お仕着せの制服に身を包んだ少女は、名を呼ばれて少し険しい顔をした。何か気に触ったのだろうか。不安に思いながら問いかけた,
「どうなさいました? お名前、間違えてしまいましたか?」
そう問いかけるとヒメリア様は首を振り、厳しい口調で叱責する。
「失礼いたしました。リージュ様、私に敬語は必要ございません。私は貴女様に仕えるメイドでございます。ヒメリアと呼び捨ててくださいませ。貴方様は王妃となられるお方。メイドを様付けで呼ぶなど周りに示しがつきません。もっと堂々となさってください」
そう言って深く頭を下げる。そんなヒメリア様に私は困ってしまった。王太子妃のメイドともなると、高位貴族の令嬢が務める事になる。実際ヒメリア様も侯爵令嬢だ。王太子妃にと望まれているけれど、私は伯爵令嬢、身分が逆転してしまう。
こういう事態を防ぐためにも、王太子妃にはそれなりの身分の者を選ぶのだ。一口に侯爵家、伯爵家と言っても格式が違う。フェリット伯爵家は同じ伯爵家の中でも家格が低い。伯爵に
それに比べて、ヒメリア様のマティウス侯爵家は歴史も古く、王家の信任も厚い。だからこそ、王太子の婚約者となった私につけられたのだろう。その所作は優雅で、メイドにしておくには惜しいほど。紅茶を淹れる手つきも流れるように美しい。
その様子を黙って見ていた私に、ヒメリア様が小さく笑う。
「厳しい事を言ってしまいました。申し訳ございません。ですが、貴方様は王太子妃、引いては王妃となられるお方。私などにお気遣いは無用です。この度の婚約話は突然の事で戸惑っておいででしょうし、徐々に慣れて参りましょう」
そう言いながら、カップとお菓子の乗った皿を私の前に並べる。ふわりと紅茶のいい香りが漂った。食器もお菓子も一級品で、少し気後れしつつ、ヒメリア様を窺うとゆったりと微笑む。その笑みに肩の力が緩んだ。
「そう、ですね。殿下のお心は分かりませんが、今は王太子妃候補として勉学に励みたいと思います。あの、でもまだあくまで候補なのでヒメリア様と呼ばせてくださいませ」
そう言うと、ヒメリア様は仕方がないとでもいうように小さく息を吐く。
「候補ではありませんよ。殿下は一途なお方ですから、ご覚悟あそばせ。この離宮もリージュ様のために改装されているのですよ。ご寵愛はリージュ様の物。もう逃げられませんわ」
ヒメリア様の脅しの様な言葉に身震いしてしまう。確かに殿下はもう私を王妃にするおつもりのようだ。昼間の逢瀬を思い出すと、治まっていた熱が蘇る。
それを紛らわせるように、綺麗に盛り付けられたクッキーをひとつ摘み、口に含むと芳醇なバターの風味が広がった。こんなに贅沢にバターを使ったお菓子は初めて食べる。さすが王家なだけはあるなと変な所で感心してしまった。
そして、突きつけられる衝撃。
「夜には殿下がおいでになります。体を磨き上げてお待ちしましょうね。殿下は早くリージュ様と契りを結びたいとお考えです。まだ幼いと油断されていると一口に食べられてしまいますわよ」
あまりに赤裸々なヒメリア様の言葉に、ギギギと音がしそうな程固まって顔を上げると、赤毛を揺らしながらにこやかに笑っていた。
「そうそう、図書室でしたね。もうじき夕食のお時間ですから、明日ご案内致します。そちらも殿下がリージュ様のために様々な書籍を集めていらっしゃいます。お目当ての物もきっとございますよ」
なんと、殿下はそんな所も先回りされていたなんて。ありがたいけれど、少しの怖さもある。
ここはまるで薔薇に包まれた檻。
最早退路は塞がれた。
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