第2話 伯爵令嬢の憂鬱

 その日は早めに就寝して、翌日のお茶会に備えた。お茶会は殿下と私の二人だけらしい。勿論メイドや、侍従が傍に控えるけれど、それはいないものとして扱われる。未婚の男女が密室に二人きりになる事は避けるべき事で、それは婚約者の場合でも例外では無い。


 私と殿下は発表こそまだだけれど、事実上の婚約者同士。しかも、知らされたのは今日で、お茶会はすぐ明日なのだ。あまりに急すぎる展開に、私の頭は混乱していた。婚約発表だって五日後だなんて、何をそんなに急いでいるのか。


 そんな状況とはいえ、初めてのお茶会が二人だけという事は滅多に無い。普通なら、他の子息令嬢や介添人が同行するのが通例だ。それなのに、いきなり二人きりだなんて。


 緊張もあったのか、早い時間に目が覚めてしまった私は朝食を済ませると、早速ネフィに捕まり、昨日と同じように浴室に連れ込まれ、丁寧に磨きあげられる。爪の先まで整えられて、コルセットを縛り上げられた。それから鏡の前に座らされると、お化粧を施される。今回はお茶会だから、うっすらと派手にならないように。


 そして運ばれてきたドレスを見て、私は驚きを隠せなかった。淡い紫の艶のある生地は、手触りも滑らかで一見して極上品だと分かる。プリンセスラインのドレス全体に、金の糸で細やかな刺繍がふんだんに使われていて、首周りは大きく開いているけれど、上品さを損なわずシンプルに仕立てられていた。袖は七分丈で、肘から先にたっぷりとレースがあしらわれている。このレース一枚で、どれだけの値がつくのか想像もできない。


 単なるお茶会に、こんなドレスを殿下が用意するなんて思ってもいなかった。


 それに合わせて贈られた装飾品も、どれも素晴らしい物ばかり。チョーカーには銀で象られたクルクマの花が咲き乱れ、その中心に大きなアメトリンが埋め込まれている。この花は確か殿下の花紋だったはず。アメトリンだって希少な石だ。アメシストとシトリンが混ざり合い、独特な美しさを放っている。それを婚約もまだ正式に発表されていない私に贈るなんて、少し軽率ではないかしら。そう言うと、ネフィは呆れたように零した。


「それだけ殿下はリージュ様にご執心なのです。これほど見事なドレスをお贈りになられるのですもの。夜会用のドレスも拝見しましたがもっと凄いですよ。それにこの色も。殿下は既にリージュ様を王族としてお考えなのです」


 紫は王家の象徴とも言える色だ。耳飾りや髪飾りにも使われているそれを見て、殿下が本気なのだと思い知る事になってしまった。金色も、殿下の髪の色だと父に聞いてる。輝く金の髪は艶やかで波打ち、まるで天使のようだと。それらの色を使った衣装は独占欲を表していた。


 殿下はまだ十三歳になられたばかりだと言うのに、やる事が大人びていて、私の方が年上なのに惜しみない愛情を感じ頬が熱くなる。


 多くの装飾品のその中でも、特に目を引いたのが指輪だ。小ぶりだけれど、ダイヤの花の中心に黒い宝石が鎮座している。最初は何か分からなかったけれど。


(待って、これって、まさか、もしかして幻瞳迦げんとうか……?)


 そう思って陽に当ててみると、七色の不思議な輝きを放つ。その光で確信を持った。


 幻瞳迦。それは、太古に世界を満たしていた魔法の名残りだ。かつて魔石と呼ばれたそれは、この世界に当たり前にあった。普段の生活にも利用されていたその石も、現在では遺跡でごく稀に出土する物しか入手経路は無い。希少価値が高く、目が飛び出でるような値が着く幻とも言われる宝石。


 競売に出されるさえも稀で、幼い頃に外商の宝飾屋が一度だけ、持ち込んだ事があった。それも小指の先程の小さな粒で、金貨百枚は下らない。その外商も商品としてではなく、客引きの道具にしているようだった。それでも、一目見た美しさは脳裏にこびりついている。間違えようもない。


 それは国宝にも劣らない代物。周りを縁取るダイヤだって、粒が大きく透明度が高い。一体幾らするのか、想像するだけで頭が痛くなる。殿下には申し訳ないけれど、こんな高級なもの身につけるなんて怖くてできない。でも、贈られた物をつけて行かないのも失礼になってしまう。


 そしてもうひとつ、大きな問題が。それはどの指に嵌めるのが正しいのかという事。


 婚約を打診されているのだから、左の薬指にするべきなのか。でもそれは図々しい気もする。父の言葉では既に婚約は結ばれているようだけれど、まだお会いした事さえ無いのだから。


 私は悩んだ挙句、指輪を右手の薬指に嵌める事にした。なんと言っても国宝級の指輪なのだもの。すんなり嵌った宝石を見ると手が震えてしまう。


 その間にも準備は着々と進む。


 髪を編み込み、シニョンに纏めると頂いた髪飾りを刺す。これもクルクマの花の意匠にアメトリンが散りばめられていた。耳飾りも揃いの意匠。


 姿見の前に立つと、全身殿下色に染まった私がいた。この国では、特に瞳の色を重要視する。それは家系によって色濃く現れるから。紫は王家の色。我がフェリット家は暗褐色が多い。父も赤みを帯びた褐色の瞳だ。


 煌びやかなドレスには、私の地味な容姿は釣り合っていない。せっかく用意してくださったのに、申し訳なさが込み上げてくる。もっとこのドレスに見合う姿なら良かったのに。殿下も衣装に負けている私を見れば、婚約を破棄するかもしれない。ただでさえ歳が離れているのだから、それも覚悟しなければならないだろう。


 王族に見限られれば、私の人生は暗い物になる。最悪一人で生きていかなければならない。実家である伯爵家は従兄弟が継ぐ事になっているから、両親にいつまでも世話になる事もできない。


 まず思い浮かぶのは、事業を立ち上げ独り立ちする事。父の領地経営を手伝うつもりで勉強してきたけれど、商才となるとまた話は違ってくる。商売には伝手つてが物を言う。付き合いのある商家はあるけれど、家を離れ、なんの取り柄も無くなる私では門前払いが関の山だ。


 それならば、侍女として公爵家や侯爵家に仕えようか。でもそれも一時的とはいえ、王家の婚約者になった私は目の上のたんこぶかもしれない。仕えるなら令嬢のお世話を仰せつかるはずだ。これでも伯爵令嬢なのだから、下女になる事は無いと思いたい。しかし、きっと私は邪魔者だ。いつまた殿下の気が変わるともしれないのだし。


 ならば残された道は家庭教師か。ありがたい事に父はあらゆる学問を学ばさせてくれた。貴族令嬢には不要とされる歴史や算術、料理や裁縫まで。中々婚約が決まらない私に対する、せめてもの温情だったのだろう。これなら子供相手に十分教える事ができる。算術なら男の子に、裁縫なら女の子に需要があるはず。それが一番いいように思えた。


 うん。

 そうだ、それがいい。


 私の中では、既に婚約破棄される事が決まっていた。なんと言っても殿下はまだ十三歳。十八の私なんておばさんだろう。お披露目の夜会には、同じ歳の令嬢も多く参加する。それを見れば目が覚めるはずだ。


 今は浮かれて、こんなに素敵な贈り物をしてくれているけれど、もしかしたら返却を要請されるかもしれない。夜会用のドレスはまだ袖も通していないし、新品のままお返しできるだろう。だからこのドレスも、汚さないように気をつけなければ。


 一通り試着が済んで、一度部屋着に着替える。お茶会は午後からだから、ドレスで過ごす訳にもいかない。時間までは読書をして過ごした。


 その間に考えるのは、やはり殿下の事。


 普通なら、王子様からの求婚なんて夢物語だろう。でもそれだって、運命の出会いがあってこそ成り立つものだ。顔を合わせた事も無いはずの、五つも年上の私に何故殿下が求婚するのか、さっぱり分からない。それに万が一、私をご存知だとしても、王妃となるにはそれ相応の知性が求められる。私は一般以上の学問を修めているという自負はあるけれど、王妃ともなればそれだけでは足りない。大勢いる貴族の為人ひととなり、各領地の経営状態、国庫の把握。それら全てに精通し、的確に采配しなければならないのだから。国王が中心の国家とはいえ、ただ着飾って座っていればいいというものでは無いのだ。


 王が男性貴族の頂点とするならば、王妃は女性貴族の頂点。女の世界は醜い。少しでも他の女性より優位に立とうと画策し、王妃の座さえ虎視眈々と狙う。私はただでさえ地味なのだから、そう考える令嬢は多いだろう。それを思えば気が重い。筋違いにも、殿下を恨んでしまいそうだ。


 でも殿下はまだ幼い。そこまで気が回っていないのかも。もう立太子されるのだから、帝王学も学ばれているはず。それでも、実際の女の修羅場はご存知ないと思う。殿下は三人兄妹のご長男だ。下に二人の姫君がいらっしゃる。男児はお一人だから、跡目争いも無く、ご兄妹の仲も良い。国王陛下も、たったお一人の王妃様を大事になされて、他国で聞くような側室とのいさかいも無く、このカイザークは王室が誠実なのが売りだった。


 でも、ここ最近は宰相が代替わりして、少々きな臭い。宰相は陛下の重鎮を、自分の配下で埋めようとしていた。それを易々と許す陛下ではないけれど、相手は宰相。それなりの発言力を持っている。大臣達も力になってくれるけれど、陛下だけで抑え込むのは難しい。


 そこで台頭するのが王太子殿下だ。殿下の後ろ盾は、隣国の王女だった王妃様。もし宰相が謀反を企てても、隣国の助力が得られる。宰相は公爵だ。一国の主にも成れる財力があった。領地を独立して、建国する事も可能なのだ。


 そんな拮抗した勢力図に、伯爵家の娘を嫁になんて無謀が過ぎる。せめて侯爵家の令嬢、もっと磐石ばんじゃくにするなら他国の姫君を迎えるのが賢いやり方だ。フェリット伯爵家では領地もそこまで大きくないし、自警団も大した兵力にならない。


 それなのに、何故私なのか。うちを取り込んでも、大した旨みは無いはずなのに。


 殿下は十三歳にも関わらず、まつりごとにも積極的に携わっていらっしゃるらしい。中々のやり手で、宰相の牽制も立派にこなしているとか。国内の治水や各領地の手入れ、貴族の汚職も厳しく取り締まわれ、立派にお勤めを果たされている。だからうちの財政もご存知のはずだ。


 順調な領地経営をしていると言っても、伯爵家の中では末席だ。元々子爵家だった我が家は、曽祖父そうそふの代に起こった大きな戦争で戦功を上げ、伯爵位に陞爵しょうしゃくされた。祖父も父も、そんな曽祖父にしごかれ、騎士団で活躍している。祖父は一線を退いたが、今でも相談役の一人として王宮に出仕していた。


 そんな権力争いには向かない、私への求婚。何か利があるのだろうか。考えれば考えるほど分からない。


 そうこうしているうちに時間は迫る。

 何度目とも分からない溜息を吐きながら、昼食を終え、改めて盛装すると戦場へと赴いた。

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