年下王子の重すぎる溺愛

文月 澪

開花

第1話 求婚者

「リージュ、お前の婚約が決まった」


 暖かな息吹が感じられる春のある日に、父の執務室に呼び出された私、リージュ・フェリットは、その言葉に目をぱちりと瞬いた。


「婚約……ですか? 急な話ですね」


 私は今年、十八歳を迎える。

 この国、カイザーク王国では十三歳で婚約が解禁されるけれど、今までそんな話は微塵も無かったのに。他の子息令嬢達が早い内から婚約が決まっていく中、私には一向に求婚者は現れなかったのだ。


 我が家は伯爵家で、それなりの地位もあるのに決まらない婚約に、周りは私を腫物扱いし、社交界では浮いていた。早ければ、成人の十六になってすぐ結婚する人も多い中、私は既に行き遅れの部類になってしまっている。


 それが急に?


 一体どんな物好きが相手なのか。


「お相手はどなたですか?」


 父は難しい顔をして黙り込んでいる。

 何かを言いかけては、また口を閉じるといった仕草を繰り返し、大きく息を吐くと、意を決した様に私を見つめ声を張る。


「お相手は王太子殿下、アイフェルト・フェイツ・カイザーク様だ」


 その言葉に、驚きのあまり口を閉ざしてしまった。

 父も私の様子をじっと見ている。


 しんと静まり返った室内に、時計の秒針の音だけが鳴り響く。


 十分すぎる間を置いて、私は驚愕の声を上げた。


「ア、アイフェルト殿下!? 何故……殿下は今年十三になられたばかりのはず。婚約者ならば同じ年頃の令嬢が選ばれるのでは? どうして私なんか……」


 驚く私に、父も小さく溜息を吐き、首を振る。


「分からん。ただ殿下がお前を強くご所望なのだ。私とて今から王妃教育は難しいと申し上げたのだよ。それでもお前以外は娶りたくないと仰って……。国王陛下も、何故か乗り気でな。お前は殿下と面識があるのか?」


 その問いに、私も思案するけれど、全く身に覚えが無い。殿下は今まで、王家主催の夜会にもおでにならなかった。それはまだ、社交界にお披露目されていなかったから。十三歳になられて、正式に立太子される。そのための夜会が、五日後に迫っていた。勿論私も参加するけれど、殿下とはそこで初めてお会いするはず。そう告げると、父は唸りながら溜息を吐いた。


「どういう事だ。国王陛下からは、その夜会でお前との婚約を発表するとお達しがあった。殿下からは、ドレスと装飾品一式が贈られている。夜会にはそれを着て参加する様にとの仰せだ」


 その言葉に、私は疑問を投げかける。


「ドレスですか? ︎︎でも私の寸法など、ご存知ないのでは……」


 父もそれは気になっていたのか、頷きながらも苦悶の表情を浮かべている。


「ああ。私も気になってな、ネフィに確認させた。問題無いどころか、ピッタリだろうとの答えだったよ」


 ネフィというのは、私付きのメイドの名前だ。小さい頃からの付き合いで、私の事ならなんでも知っている。そのネフィが言うのなら間違いないと思われた。


 父は溜息交じりに口を開く。


「相手は王太子殿下だ。お前の情報を手に入れるなど造作もないんだろう。一体何をお考えなのか……」


 まだ四十手前の父の顔は、一気に老け込んで見える。父の意見には私も同感だった。


 私は特別見目が良い訳でも、頭が良い訳でも無い。どこにでもいる、薄い茶色の髪に鳶色の瞳。体型だって、至って普通なのに、何が王太子殿下のお気に召したのか。


 父は何度目かも分からない溜息を吐きながら、表情を引き締めた。


「急な話で、お前も困惑している事だろう。私も訳が分からんが、これは王家からの申し出だ。断る事はできん。お前も聞き分けてくれるな? ︎︎これは名誉な事なんだ」


 言葉とは裏腹に、父の顔色は芳しくない。行き遅れの娘が王太子妃になんて、社交界では恰好のネタだろう。それを父も分かっているのだ。伯爵家と王家では身分も釣り合わない。しかも王太子が御相手なのだから、末は国母となる事を求められる。父の陞爵しょうしゃくも有り得た。それをよく思わない諸侯もいるはず。


 現に宰相であられるハイウェング公爵には、御歳おんとし十一歳のご令嬢、ユシアン様がいらっしゃる。このユシアン様が、王太子妃の最有力候補だったのだから、公爵にとって、降って湧いた私の存在は面白くないだろう。


 私の生家であるフェリット伯爵家は、王都カイザークから東に位置する山岳地帯を領土としている。平坦な土地が少ないために畑作には向かないけれど、特産品である紅茶や、林業で財を成し、武官としても王家に尽くしてきた。父は騎士団の分隊長だ。領地経営も順調で、父の誠実な為人ひととなりも評判が良い。


 そんな伯爵家の娘が王太子妃になろうものなら、宰相の地位も危ういと感じるかもしれなかった。実際、宰相の評判は良くない。国王陛下のお言葉にも否定的で、政権を握ろうと暗躍していると、まことしやかに噂されている。


 宰相は先代から世襲で受け継いだ地位なのだから、それも頷けた。俗に言う親の七光りだ。


 五代目である現宰相オードネン閣下は、先代が築いた富も食い潰しているという。それはユシアン様も例外では無く、いつも煌びやかなドレスを纏っていらっしゃるらしい。まだ十一歳のため社交界にはお出でにならないから、私はお目にかかった事が無いのでなんとも言えないけれど。


 そんな宰相を敵に回すかもしれない今回の求婚。アイフェルト殿下は聡明なお方だというから、その辺りもご存知のはずなのに。


 困り顔で思案していると、父からまた突飛な言葉が飛び出した。


「そこでなリージュ。明日殿下がお前に会いたいそうだ。夜会前に仲を深めたいと。迎えを寄越してくださるそうだから、準備をしておいてほしい。ネフィには伝えているから、お前もそのつもりで」


 それにはさすがに私も声を荒らげた。


「そんな……! 明日だなんて、しかも王宮にでしょう? ドレスも準備が間に合いません!」


 けれど父は苦笑いを浮かべ、言いづらそうに口を開いた。


「それも、殿下が準備してくださっている。夜会用とは別にドレスを贈られているんだ」


 その言葉に、私は開いた口が塞がらない。どう考えても伯爵家には過ぎた待遇だ。本当に何をお考えなのか。これでは諸侯に贔屓ひいきと取られても文句は言えない。それとも、私にそれだけの価値を見出してくださってるのかしら。自分で言うのもなんだけれど、冴えない田舎娘なのに。


 話はそれで終わり、執務室を辞した私はよろめきながら私室に戻る。これからの生活に不安しかなかい。何故こうなったと考えながら私室に辿り着けば、そこにはネフィが待ち構えていた。長い栗色の髪をお団子にして、お仕着せのメイド服に身を包んでいる。勝気な瞳は。戦闘に赴くようにギラついていた。その隣にも、数名のメイドが控えている。


 ネフィは一歩進みでると、丁寧に礼をして残酷な現実を突きつけてきた。


「リージュ様。お話はお聞きになりましたね。これより、明日に備え身を清めていただきます。そこらの姫君に舐められないよう徹底的に磨き上げますから、ご覚悟を」


 そう言うと周りのメイド達に目配せして、手をわきわきとさせながらにじり寄ってくる。私は逃げ出そうとしたけれど、すかさず捕まり、浴室へと連れ込まれてしまった。


 ネフィは有言実行。私をひん剥くと、お湯をかけ、普段使わないような高級な石鹸で体の隅々まで磨き上げていく。それは薔薇の香りが素晴らしく、泡立ちも滑らかだ。こんな物が我が家にあったなんて。


「こんな石鹸、どうしたの」


 不思議に思ってそう聞くと、ネフィは誇らしげに胸を張った。


「リージュ様のここ一番に使うためにと、旦那様がご用意してくださったのです。今こそその時! 香油も一級品ですからね。王太子殿下も惚れ直す事請け合いです」


 惚れ直すなんて、お会いした事も無いのに何を言っているのか。


 でも、本当に何故私に求婚なんてされたのだろう。考えれば考えるほど分からない。父は王宮に上がっているから面識があるかもしれないけれど、私が王宮に行った事なんて両の指で事足りる。新年のお祝いや、十三歳の時、同じ歳の子息令嬢のお披露目で登城した程度だ。


 そう考えた時、何かが引っかかった。なんだっけ。確かあのお披露目パーティーの時に何かあった気がするけれど、思い出せない。もう五年も前の事だし、幼かったから記憶が曖昧だ。初めて参加した夜会に舞い上がってもいた。脳裏に浮かぶのは小さな影。あれは誰だったか……。


 頭を捻っている間にもメイド達の手は止まらない。髪を丁寧に洗われ、なされるがままに全身を揉み解される。仕上げに香油を念入りに揉みこまれ、髪はサラサラ、肌はツヤツヤと光を放っていた。ネフィ達も満足気にしている。


 部屋着に袖を通しやっと開放される。そう思ったら。


「明日また総仕上げを致します。お迎えは午後のお茶の時間でしたね。それまでに私共が最善を尽くして、リージュ様を三国一の美姫にしてみせます。ああ、楽しみですわ」


 恍惚とした表情で身をよじるネフィは、どこから見ても危ない人だ。この子は昔から何かにつけて私を褒め称える。私自身は凡人だと自覚しているのに。やれ髪が美しいだの、瞳が綺麗だの、こちらの方が居た堪れない。


 苦笑いで聞き流すと、ネフィは鼻息も荒く言い聞かせるように口を尖らせた。


「リージュ様、貴女様はご自分を過小評価なされておいでです。髪の色も茶色だなんて、素晴らしい亜麻色ではありませんか。瞳もまるで澄んだ宝石のよう。何故そんなに自信が無いのか、私には分かりません」


 そう言ってくれるのは嬉しいけれど、今まで誰にも求婚された事が無いのだから、自信も失うというものでしょう。幸い友人は数人いる。それでも、社交界での私の立ち位置は微妙なのだもの。夜会でダンスを申し込まれた事さえ無い。


 そんな中で、美しい人ならいくらでも見てきた。自信に満ち溢れ、胸を張って、美しく着飾った令嬢達と私は雲泥の差だ。多くの人に囲まれ微笑む令嬢達。それに比べて私は……。


 沈む私に、ネフィは溜息を吐き肩に手を置く。


「リージュ様、貴女様はお綺麗です。世の男共の見る目が無さすぎるのですよ。ですがそれも終わります。王太子殿下がお見初めになられたのですもの。リージュ様ならば、王太子妃のお役目も立派に成し遂げられます。自信をお持ちになって」


 鏡越しのネフィは真剣な眼差しで私を奮い立たせていた。

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