征服するハッカーと、わたしのとんでもない戦い

おんもんしげる

エピソード1 プロローグ & 第1話

プロローグ


こんなこと、予想もしてなかった。

ADHDという障がいを負っているとわかってからの、安心と不安の入り混じった、なんとも言えない気分に包まれた日々。


それから、自分が目指そうと決めた道と、そこからつながっていった、とんでもない戦い・・・


これは、そんなあたしの、闘いの記録。

いや、それははまだ、始まったばかり。


この物語は、その序曲に過ぎないのだ・・・


第1話


窓を開けた。大阪でも、1月の風は冷たい。

ナナはぶるうっ、とふるえて、でも換気のため、5分はがまんして窓を開け続ける。


朝食の準備をする。レタスやトマトでサラダ、ヨーグルトにトースト。かんたんだけど栄養のバランスを考えたつもりの食事だ。


テーブルに並べ終わったところで、窓を閉め、エアコンを入れる。


1時間後にはオンラインスクールの授業が始まる。それまでに食べ終え、片づけ終わらないといけない。あわてて食器を落として割るのはよくやることなので、注意しなくちゃいけない。


ナナは、ややかっ込み気味にサラダを食べた。トーストをかじりながら、パソコンのスイッチを入れる。きょうの授業内容を確認して、準備しておくべきことがないかどうかチェックした。


きょうはHTMLの5回目と、CSSの3回目、PhotoshopとIllustratorの5回目だ。


Webデザイナーを目指して、就労継続支援B型事業所に通いながら、オンラインスクールを受講してWebデザインを勉強しているいるナナ。


半年ほど前を思い出した。

広告会社で営業の仕事を3年間やって、疲れ果てて倒れ、そのまま回復することなしに退職した。


職場では失敗ばかりだった。上司に「なにノロノロしてんだ!おまえはアホか!」と何度怒鳴られたことか・・・

あれは思い出すのもいやな、地獄の3年間だった・・・。


もう仕事、無理・・・。


その後も続いたうつ状態。しんどくて、なかなか身体も動けなかった。

友人に勧められて、精神科のクリニックに行った。


そこで数回診察を受けて、よりくわしい検査を受けることに。

そうして、先生から言われた診断は、


「発達障害、ADHD。ASDの症状も若干認められる」


そうなんだ・・・ 。


でも、なんとなく納得感はある。

これまでも、いろいろと不器用なところがあった。


子供のころから絵を描くことが好きで、得意でもあった。親からも先生からもよくほめられた。


いっぽう、不得意なことはほんとに不得意。

人と話すことは苦手。

子どものころは、クラスの同級生とよくトラブルになって、担任の先生が仲裁に入ることも多々。


そして、人と遊ぶこと、服のボタンを留めること、ボール運動・・・

ほかの人と同じようにできなくて、なんでできないのか、わからなかった。

恥ずかしい思いもいっぱいした。


けれど、いまその理由がわかった。

だから、正直ほっとした。


でも、それじゃあ、これからどうやって生きていけばいいのか。


自分でも発達障害、ADHDについて書かれたネット記事、本を何冊か、読んで勉強した。

こういうことなんだ、と思い当たることがいっぱいある。

過去の自分のふるまいが、なぜか周りと衝突する。

学校で先生に怒られることもたくさん。

でも、自分はこんなにいっしょうけんめいなのに・・・


そういう、自分の空回りみたいなものが、みんなADHDの症状だということもわかった。


医者から薬をもらって、かなり症状はよくなったけど、ふつうに仕事ができるレベルになれるのだろうか。

そして、そもそも、どんな仕事だったらできるのか。


もう前のような、営業の仕事とかはたぶん、あたしには無理だ。

それはわかっている。


考えてみた。

もっと自分に合いそうな、できそうな仕事って、なんだろう・・・。


診断を受けてから数日後、実家の母親に電話した。

いつもはLINEでやり取りすることが多いが、こういう話なので、電話で直接話したほうがいいと思った。


母親は、だまって聞いていた。

そして、おだやかに、

「・・・そうだったのね。ナナにはとても得意なところと、不得意なところの差がずいぶんあるなあ、とは思ってたけど、そういうことなんやね。なら納得やわ・・・」


そして、

「障害があっても、ナナはナナ。

なにも変わらないから、なにも引け目に感じることはないんよ。

なにか困ったことがあれば、なんでも言うてな」

と言ってくれた。


ナナは、

「ありがとう、お母さん。

とりあえず、しばらく自分でやってみる。仕事のこととか、どうなるかわからないけど・・・自分で調べてみる。

どうしようもなくなったら、そんときは頼るわ」


「わかった。無理しないようにね。応援してるよ」


母親は理解してくれた。それが救いだった。


ナナはパソコンに向かい、これからの仕事についていろいろ調べた。

ふと目に入った、Webデザインスクールの広告。


パソコンとインターネットは大好きだ。

Webサイトはしょっちゅう見ているし、絵画やグラフィックなど、デザインに関することには以前から興味があった。


ナナは思った、

Webデザイナーか・・・興味持てそうかも・・・

そう思って、WebデザインとWebデザイナーについて、もっといろいろ調べてみた。


Webデザイナーに転職するなら、民間のWebデザインスクールに通学するというのが王道のルートのようだ。

しかし、いまの自分のメンタルの調子と経済的状況からいって、通い続けられそうもないと思った。


いっぽう、世の中には就労支援施設といって、障がいを持っている人が通える、仕事に就くためのサポートをしてくれるところがあるらしい。


そして、その中にはITやWebデザインを学べるところもあるようだ。


Webデザイナー。

自分にできるかどうか、わからない。


でも、自分がこれをやると考えたら、なんかワクワクする。

やってみたい。

ナナは本気でそう思った。


数日後、電話で予約を取って、区役所の保健福祉センターに相談に行った。

相談員はやさしそうな中年の女性で、ゆっくりとていねいに説明してくれた。


就労支援の施設には3種類あって、「就労移行支援」「就労継続支援A型」「就労継続支援B型」がある。

ナナのいまの心身の状態、希望、ともに合っていそうなのは、「就労継続支援B型事業所」のようだった。


相談員の女性は、B型事業所のうち、IT・Webデザインが作業内容に入っているところを二、三か所、紹介してくれた。


そして数日後、ナナはそれらのB型事業所を順番に見学に行ってみた。

そのうちのひとつの事業所に、惹かれるものを感じた。


ここの事業所は、親会社がWebサービスを主業務としているだけあって、作業内容にITやクリエイティブ系のものが多くある。ナナの好きなことができる環境だ。

Webデザインの作業もあるという。


それで、ナナは、Webデザイナーを目指したい、と面談時、事業所の職員さんに話した。

「そうなんですね。であれば、荻野さんがやりたいと思う仕事、たくさんあると思いますよ~」

と、事業所のサービス管理者である女性職員は、明るく朗らかな感じで言った。


事業所の部屋。

内装は、白で統一され清潔感がある。

壁の両側にデスクが並べられ、デスクトップパソコンが整然と設置されている。

パソコンのスペックを職員さんに聞いて確かめたが、性能的にじゅうぶんWebデザインの作業をすることができそうだ。

設備も、職員さんたちの感じも悪くない。


ナナは帰ってから、その日一晩考えた。

そして翌日、ここに入所を決めた。


「そうかあ、発達障害ね・・・。

最近よくメディアでも聞くようになったし、あたしの職場にもそういう人、社員で何人か、障害者雇用で入ってるよ。

ぜんぜんふつうに働いてる。仕事の内容はその人の障がいに合わせてちがうけど、他はなにも変わらないよ」

篠見がナナに言った。


「だから、ナナもそういう雇用で働くことはできるよ。給料はふつうよりは下がってしまうけど、障がいの配慮を社員全員がするよう、職場で義務づけられてるし、問題なくうまくいってる。

だから、ナナも気にすることない。世の中、障がい者雇用の仕事もいろいろあるし。

ナナはどういう仕事をしたいとか、あんの?」

篠見はそう聞いてきた。


ナナと篠見は、あるモール内のチェーン店カフェにいた。

篠見は期間限定のチョコクリームフラペチーノ、ナナはホットのカフェモカを飲んでいた。


「・・・うん・・・。

実はさ、Webデザイナーの勉強をしようと思ってて。

障害者の就労支援をする施設があって、そこでWebデザインの勉強をさせてくれるの。

パソコンやソフトもそろってるし、基本はそれを使って独学ということにはなるけど、わからないことは聞ける、スキルを持った人はいるってことだし・・・」


篠見は目を見開いて満面の笑みで、

「へえー、いいんじゃない、ナナに似合う仕事だと思うよ!」

ナナにそう言った。


篠見はブルーのブラウス、黄色のカーディガンをはおり、ベージュのパンツに足を包んでいる。彼女は原色系の明るいカラーが好きだ。

ナナには、篠見がいつもキラキラして見える


ナナは、黒がベースのプリントTシャツの上に、水色のカットパーカ、白のストレートパンツ。

自分なりに好きなカラーの組み合わせだけど、篠見のようにおしゃれには見えないな・・・

ナナは篠見を見ていて、そう感じた。


「うん・・・まだあんまり自信ないんだけど・・・」

「だいじょうぶだよ。ナナはそういうのすごい得意じゃん!

ほら、だってあたしらなんかよりさ、ぜんぜんパソコンにしてもスマホにしてもくわしいし、もともとデザインとか興味あったんでしょ?

むしろいままでの仕事のほうが、ナナに向いてるのかな~、だいじょうぶかな~、とか思ってたぐらいだから」

篠見は、明るい表情で話し続けた。

ナナはそのまま、だまって篠見の言うことを聞いていた。


ナナがちょっと複雑な表情をしていると気づいたのか、篠見は声のトーンを落として、

「・・・なんか心配なことあるの? その、障がいのこと?」

「・・・うん」


篠見は注意深い感じでたずねた。

「・・・いまもつらいこととか、困ってることとかあるの?」

「・・・症状は医者で薬をもらってからだいぶ落ち着いてるから、いまはそんなつらくない。だけど、たぶんいままでのような仕事の仕方はできないと思う。

Webデザイナーなら、自分が好きだと思えそうだし、楽しそうとは思うけど、でも仕事となると、それだけでいけるとは限らないよね、たぶん。

Web制作会社って、実態とか調べると残業も多いみたいだし、そもそもあたしみたいな精神障害者を正社員で雇ってくれるところも少ないみたい。


もし会社に入れたとしても、アルバイト、パートだとそれでこの先ずっと行くとか、なかなかきびしいし・・・

フリーランスって道も考えてみた。

だけど、あたしみたいに障がいかかえながら、果たしてやっていけるのかな、とか、なんかいろいろ考えちゃう・・・。


だから、正直、迷ってる。ほんとにこの道でいいのかな、って」


篠見は神妙な面持ちで、ナナの話を聴いていた。

そして、言葉を選びながらという感じで、こう言った。

「・・・とりあえずさ、先がどうなるか、ってことは考えないでさ、いまナナがいちばんやりたいと思うことをやればいいんじゃないかな」


虚を突かれたように、ナナはぴくっと動いた。

篠見は微笑みながら続けた。

「世の中ってさ、たぶん先の分からないことばかりだと思うの。障がいのあるなしに関係なく」

篠見は遠くを見るようにちょっと窓の外を見て、それからナナに視線をもどした。


「あたしの勤めてる店だって、いまはまあまあ繁盛してるけど、3年先、5年先にどうなってるか、だれにもわからないし、そもそも会社自体、将来どうなるかわからないしね。

ファーストファッションって、なんだかんだ言って薄利多売の商売だし、競合他社もいっぱいあって、決して安泰じゃない。

でも、それはどこの世界も同じ。仕事とか会社って、たいていはどこもそんなもんだと思うよ。


だけどさ、結局、仕事をどれだけ好きと思ってやれるか、それがすべてだよ、って思うの。

うちの社長もよく言ってるんだけどさ、

「好きと思えるから、どんなことがあってもやり通せるんだよ」ってね。


あたしもそう。

子どものころから服大好きだったし、ファッションデザイナーとかあこがれてた。

まあ、結局デザイナーにはなれなかったけど、ファッションにかかわる仕事にはつけた。だから好きな仕事には就けたわけだよね。


もちろんいろいろあったし、つらい時期もあったけど、やっぱり思う。

この仕事が好きなんだよなあ、だから続けられてるんだろうなあ、って」

そう話す篠見の表情は輝いて見えた。いまのナナにはまぶしすぎる。


ナナはまっすぐ篠見の顔を見ながら聴いていた。


篠見はナナの眼をまっすぐに見て言った。穏やかな表情だった。

「・・・だからさ、ナナもやってみなよ。

病気とか障がいでいろいろたいへんなことがあるんだろうと思うし、ナナの苦しみをあたしが100%わかってあげることはできないかもしれない。

けどさ、ナナにはあたしの持ってない、高い能力があるよ。それは確か。

で、Webデザイナーはナナの能力を絶対生かせる、そんな気がする。

だからさ、ナナ、Webデザイナー目指してやってみなよ。

きっとなにか見えてくるんじゃない?

あたしはナナを応援するよ! それに、ナナはきっとうまくいくって思ってる」


篠見は、ナナが困ったとき、しんどいとき、いつもナナの話を親身に聞いてくれる。

そして、いつも気持ちが前向きになれるアドバイスをくれる。今回もそうだ。


ナナの目から涙がこぼれそうになった。ナナはあわてて天井を仰ぎ見た。

そして目元を指でぬぐいながら、

「やだ、ごめん・・・篠見、ありがとう。わかった。やってみる」


「そうよ!ナナはそうじゃなくっちゃ! いつも元気なナナだもんね。

じゃあこれからナナの壮行会で乾杯だあ!

フラペチーノとカフェモカだけど、まあ、ええやん!」

篠見とナナはフラペチーノとカフェモカで、お互いの前途を祝して乾杯した。


ナナは篠見という友だちがいることに、いまほど感謝の念を感じたことはなかった。

やってみよう。Webデザイナーになろう。そう心に決めた。

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