第31話 予想外の人が現れました①

 空港ロビーのほぼ中央。多くの転生者たちが行き交うその真っ只中で、ボクはヴァリターに背後から抱きしめられたまま呆然と立ちすくんでいた。


 行き交う皆んなが、チラチラとボクたちの様子を見ながら通り過ぎていく……

 そんな好奇の眼差しにさらされて、ボクはハッと我に返った。


 (……ハッ、そうだ! ぼんやりしている場合じゃないっ!)


 一般転生者が下界から霊界に来るには、霊界航空便で二日はかかる。

 昨日まで元気だったヴァリターが急に霊界に現れるなんていうのは、日数的に見ても絶対におかしい!


 それに、ボクの作り出した下界の聖域は『病気も怪我も瞬時に治ってしまう』ってフィオナさんが言っていたから、寿命以外で命を落とすことはないはずなんだ!


「ヴァリター! 何でっ? どうして、ここに……霊界にいるのっ!?」

「俺がここにいる理由? それは、貴方に会いに来たに決まっている……」


 焦り切ったボクとは裏腹に、ヴァリターはのんびりとした感じで的外れな返答をすると、ボクをさらにギュッと抱き締め、甘えるような雰囲気をかもし出しながら、ボクの肩口に顔をうずめ始めた。


「ちっ、ちょっと、ヴァリ……ぅきゃあぅっ! いっ、一体どうしちゃたんだよっ」


 なっ、何だか、ヴァリターの様子がおかしいっ!?


 昨日は『状態異常無効』のスキルを使って『精神攻撃からボクを守る』っていう理由があったから分かるけど……


 そ、そりゃあ、ちょっと微妙な空気になったりもしたけどっ……いっ、今は違くって……その、こ、こんな感じに、無意味に抱きついたりはしなかったのにっ。


 また動悸が……うぅ、か、顔も熱いよ。ど、どうしよう、今はアルが覚醒しているのに。


 (キャッ〜! ガーラッ、コレもう逃げられないわよ! 覚悟しておいた方がいいわ!)


 アルが、ボクの気も知らないで、ヴァリターの大胆な行動に瞳を輝かせながら(見えないけど)、無責任にそんなことを心の中で叫んでいる。


 幸い……って言っていいのかな? アルはヴァリターの振る舞いに注目していて、ボクの体調の変化には気付いていないようだった。


 それについてはホッとはしたけど、鼻息も荒く、かつてないほどに興奮しきったアルのその様子に気圧けおされてしまった。


 (か、覚悟って……い、いや、それよりアル、今はそれどころじゃないんだ。ヴァリターに色々と確認しなきゃいけないことがあるから、その……悪いんだけど……ちょっと、眠っててもらえない……かな?)


 こんな状態のヴァリターを放っておけないし……

 それにこの異常事態を、政府機関に連絡しないといけないし……


 ボクは色々と言い訳するかのように、心の中でアルにそう声をかけた。


 (ンフフッ! ガーラったら照れちゃって〜、まあいいわっ。その代わり、また後でお話し聞かせてね!)


 アルはボクの体調の変化に気づいているのかいないのか、とても嬉しそうにそう言うと、あれほど大騒ぎしていたのが嘘のようにスッと静かになってしまった。


 アルの引き際が良すぎて、返って不安になるのは何故だろう……

 ま、まあ、それは後で考えるとして、今はヴァリターに集中しよう。


 当のヴァリターはというと、相変わらずボクを後ろからギュッと抱きしめたまま、頬を擦り寄せてきて……って、うあぁ!


 『物静かで控え目』で通っていたヴァリターが、今はまるで子供のようで……彼のこんな姿は今まで見たことがない。

 とはいえ、これもただ単に『初めての霊界』に感情が昂っているだけって可能性もあるわけで……


 少しでも冷静になってもらうために、ボクは体を捻ってヴァリターの腕から抜け出すと少し距離を置いて向かい合った。


「ヴァリター、本当にふざけている場合じゃないんだ! 一体、下界で何が——」

「そんなっ……そんなに……そんなに俺のことが……嫌……なのか……?」


 ヴァリターは、ボクが腕から抜け出したことを『拒絶された』と捉えたみたいで、まるで絶望の淵にでも突き落とされたかのような打ちひしがれた顔で、その場に立ち尽くしてしまった。

 その姿は、やっぱり親に捨てられた子供のようで……


 ゔゔっ、なんだか物凄く気の毒なことをしてしまったみたいじゃないか。


「ち、違うよ。い、嫌ってわけじゃ……それより、下界で何が——」

「嫌じゃないなら……俺は、貴方に会いたくてここまで……」


 そう言ってヴァリターは、熱に浮かされたようにジリジリとボクに近づき始めた。


 しかし……


 (あ、あれ?……ヴァリターのこの感じ……)


 ボクはこの状況に、妙な既視感を感じてしまった。


 少し前にも、同じようなことがあった気がする……

 何か、思い出しそうなんだけど……何だったっけ?……ダメだ、思い出しそうで思い出せない。


 そんな、決め手に欠けてモヤモヤしていた時だった。


「あっ、あの! そんなふうに女性に迫るのは、あまり感心しませんが……」


 一人の男性職員が、オドオドとしながらもボクたちの間に割って入ると、柔らかな口調でヴァリターに注意を促した。


 (ん?……んん!?……あっ! このシチュエーションは!)


 ボクを背中に庇うように立つその職員。

 見覚えのあるその人は、確か、三日前にも同じようにボクを庇ってくれた……


「ランスさん!!」

「え?……」


 (そうだ! ヴァリターのこの感じって、“神気に当てられたリオンさん” にそっくりなんだ!)


 あの時のシーンを再現するかのようにランスが現れたことで、この感覚の正体がはっきりした。


 気付くのが遅れたのは、その……リオンと違って、ヴァリターからは嫌な感じがしなかったからで……ゴホッ、ゴホン……


 少しスッキリした気分になったその一方、ランスは呼びかけられると思わなかったのか、アワアワと狼狽えながら振り返ると、ボクの顔をジッと見つめ……


「ど、ど、どちら様でしょう……」


 ……と、少し顔を赤くしながら聞いてきた。


 その態度から見るに、ランスにはボクが誰だか分からなかったみたいだ。


 (まあ、そうだよね。分かるわけないか。随分、見た目が変わったからなあ……)


 ボクは改めて名乗ることにしたのだが、女の子になった自分のことを知られるのはちょっと照れ臭くもあって、その気持ちを誤魔化すようにニッと笑いながら……


「あ、そうだった……えっと、おはようございます。ボクです、ガッロルです」


 ……と、なるべく軽い感じになるように、片手を上げながら挨拶した。


「ぅえええええ!?」


 ランスが上げた驚きの声は、広々とした空港ロビーに木霊こだまとなって響き渡り、たまたま近くを通りがかった転生者たちが示し合わせたようにビクッと体を跳ねさせた。


「アハハ……やっぱり驚きますよね?」


 まあ、そういう反応になるよね。下界でもずいぶん驚かれたし……

 あっ……でもヴァリターは、姿が変わってもボクのことに気がついたっけ……


 礼拝堂で、ボクのことに気づいて真っ先に駆け寄って来たのはヴァリターだった。

 そのことを思い出した途端、胸にキュンと締め付けられるような痛みが走った。


 (うくっ……また?)


 ボクは、またしても原因不明の胸の痛みに襲われてしまった。


 だけどそれには、ちょっと恥ずかしいような……何となく他の人には気取られちゃいけないような……

 そんな不思議な気持ちが、この痛みには混在していて……


 なのでボクは、痛みの残る胸をそっと押さえると、『何でもない』といったふうを装いながら、ランスに静かに笑顔を向けていた。


「ガッロル様!!」


 ランスに立ち塞がられていたヴァリターが、大きく迂回するようにしてランスを かわして素早く駆け寄ってきたかと思うと、その勢いもそのままにボクを正面から抱きしめた。


「ウッキャッ、ぐっ……ヴァ、ヴァリター! おちっ、落ち着いてぇぇぇ!!」


 しまった! 知り合いの前で『キャア』なんて言いたくなくて必死に堪えたら、お猿の鳴き声みたいになってしまった!


 それに、死角からの突進だったから身構えるのが遅れてしまってヴァリターにガッチリと体をロックされていて……さっきのようにヴァリターの腕から抜け出すことができないっ!


 ということで、落ち着くように言っている本人ボクが一番慌ててしまっている……という状況なわけで。


「ハッ! ガッ、ガッロルさん! だ、大丈夫ですかっ!?」


 あっという間の出来事に呆気に取られていたランスだったが、ハッと我に返ると慌ててボクのもとへ駆け寄って来た。


 そして、顔を真っ赤にしながらジタバタともがいているボクから、ヴァリターを引き剥がそうとしてくれたんだけど……


 ますますヴァリターの『抱き締め力』が増してしまって、『返って逆効果』という結果に終わってしまった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「それじゃどうぞ、ゆっくりして行ってください」


 お茶とお茶菓子をテーブルの上に並べ終えたランスは一言そういうと、今もフロア中に山積みにされた書類を片付けるため、この場を離れて行った。


 テーブルの上には『日本茶』と、お茶請けとして出された『トリュフチョコ』が並べられている。


 何ともアンバランスな取り合わせだが、これはこれで美味しい……のかもしれない。


 そう思いながら、ボクは渋い見た目の湯呑み茶碗に手を伸ばすと、ズズッと一口、湯気の立つそのお茶を啜った。


 胃の辺りがほんのりと温かくなって……


「……ほぅ、……」


 ……と、思わずため息が漏れた。


 実はあの後、空港ロビーのど真ん中で抱きしめられ続けたボクは、多くの『転生者』たちの目に留まり、すっかりさらし者になってしまった。


 分厚くなり続ける見物人の壁の中を突っ切って、人目を避けるためにヴァリター共々転生課にお邪魔することになったんだけど……はぁ〜、やれやれ、ホッとしたよ。


 とはいえ、ヴァリターは相変わらず神気に当てられたような症状が続いていて、頑としてボクから離れようとせず、今はボクに寄り添うような感じで隣に座っている。


 今でこそ大人しく隣で座っているヴァリターだが、ここ転生課に来た直後はボクのことを膝の上に座らせようとしたりして困ってしまった。


 必死に説得してどうにかこの形に収まったんだけど、不安定なヴァリターの様子に一時も気が抜けなくて今もヒヤヒヤしている。


 そんなヴァリターに『霊界ここまでやって来た経緯』の質問をしてみたのだが要領を得ない答えが返ってくるばかりで、結局その詳細は全く分からなかった。


 途方に暮れかけたそんな時、ふと思い出したのが『頼れるお姉さん』であるフィオナのことだ。


 (フィオナさんなら、ヴァリターのこの状態について、何か心当たりがあるかもしれない!)


 そう思ったボクは、早速天界にいるフィオナに連絡を入れて指示を仰いだのだが、『調査するので、しばらく転生課そちらで待機していて下さい』と言われ、ここ転生課でお茶を飲みながらフィオナを待っている、というわけなんだ。


「ガッロル様」


 ボクが湯呑みをテーブルの上に戻した途端、ヴァリターがボクに呼びかけながら口元に何かを差し出してきた。


 見ると、それはお茶請けの『トリュフチョコ』で……


「えっ……?」


 ヴァリターはボクを見つめ続けながら、はい!どうぞ、って感じに『トリュフチョコ』を構えている。


 こっ、これはまさか……ボクに手ずから食べさせようと?……って、いや、さすがにそれは恥ずかしいよ!


「あ……い、いや、その、ひっ、一人で食べられるから……」


 ボクは顔を赤くしながら、ヴァリターの差し出した『トリュフチョコ』を軽く押し戻した……のだが、それがいけなかった。


 ヴァリターはその途端……


「ぐうぅっ、やはり俺はガッロル様に嫌われているのかっ……」


 ……と、うめくような声でそう言うと、ガッと頭を抱えたかと思うと勢いよくテーブルに突っ伏してしまった。

 その衝撃で、テーブル上のお茶請けセットが、ガチャン!っと大きな音を立てて揺れた。


 (し、しまった! ヴァリターを無駄に刺激してしまったっ、こういう時は素直に受け入れてあげなくちゃいけなかったんだ!)


 ここに至るまでに分かったことだけど、ヴァリターはボクに『拒絶された』と感じた時に、今のような極端な反応を示すことが判明した。


 なので、それからは気をつけていたんだけど……


「あわわわっ! ちっ違うよ、ヴァリター!」


 ボクは急いで立ち上がると、テーブルに突っ伏してしまったヴァリターの背中を撫でながら、一生懸命に言い訳……じゃなくて釈明を続けた。


 その後は……悲観に暮れてしまったヴァリターを必死に慰め、『ち、ちょうど食べたかったんだよね〜』なんて、機嫌を取ったりして。


 で、やっと安定したと思ったら、ヴァリターに『ガッロル様、あーん、は?』なんて言われて、改めて口元に『トリュフチョコ』を差し出された。


 ……で、覚悟を決めて口を開いたんだけど、心臓が破裂するんじゃ無いかってくらいドキドキしてきて……

 口に入れられた『トリュフチョコ』の味を感じることはできなかった。


 もう、あんなに心臓に悪いことはしたくないよ……



 ◇◆◇



 ということでボクは、お茶請けのお菓子を食べさせようとタイミングを測っているヴァリターの気配を隣に感じながら、ずっとお茶ばかり飲んでフィオナのことを待ち続けていた。


 そろそろ、お茶を飲み続けるのも限界が近づいてきた頃、誰かが転移ゲートを通ってこちらにやってくる気配を感じた。


 程なく、雑多に積み上げられた資材の影から、燃えるような(実際には燃えている)赤い髪の女性が颯爽と現れた。


「フィオナさん!」


 待ち侘びていた人の登場に、ボクがサッと立ち上がるのと時を同じくして、ランスが慌てた様子で、フィオナが現れたその資材の影に飛び込んで行ってしまった。


 ん? どうしたんだろう? そういえば、ちょっと焦げ臭いような気が……


 少し気になったが、ランスが素早く対応しているみたいだから、まあ、大丈夫だろう。


「長らくお待たせしました」

「いいえ、ありがとうございます!」


 ボクはフィオナにお礼を言いながら頭を下げた。


 これでやっと、ヴァリターの身に何があったのかはっきりする。

 だって、ヴァリターに聞いても『ボクに会いに来た』の一点張りなんだもん……


 フィオナはテーブルの向かい側に座ると早速……


「それでは下界での調査結果ですが、まず、ヴァリター君は死んでいません」


 ……と、ボクの知りたかったことを話してくれた。


「よかった……」


 その結果報告に、ボクはホッと安堵のため息をつくと、背もたれにゆっくりともたれ掛かって脱力した。


 本当によかったよ、これでひとまずは安心した。でも……そうすると、隣にいるヴァリターって、今、どういう状態なんだろう。


 新たな疑問に、ボクがヴァリターを見つめながら首を傾げていると、フィオナは先の報告とは真逆とも言えるようなことを言い出した。


「しかし、ヴァリター君は昨夜、就寝中に何者かのスキル攻撃を受けて、現在は『仮死状態』となっております」

「……えっ……」


 フィオナのその言葉に、ボクはガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

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