Ⅴ(5)

 軽いため息で締めくくってから、小暮はコーヒーに口を付けたが、「マズっ」という一言とともに眉を少ししかめた。

 どうやら、話している間にもう冷めてしまったらしい。


「で、それからはイジメる側とイジメられる側が入れ替わったわけです。栞ちゃんの代わりに、希美ちゃんが標的になったんですね。その上、イジメがエスカレートしたみたいです」


 小暮の声の調子は変わらなかった。その軽さに、進藤は胸の内に小さな騒めきが生まれていることを感じた。


「エスカレート?」


「ええ。進藤先生、学校の裏サイトって知ってます? インターネット上にある、名前の通り学校についての情報サイトで、生徒が学校について自由に言い合うために作ったりするんですが、今じゃ誹謗中傷が飛び交ったり曖昧な噂が無責任に広がったりすることも多いヤツなんですけどね。そこに希美ちゃんの中傷がアップされたんですよ。栞ちゃんぐらいしか知らない事実をベースにして、悪し様に脚色した中傷が」


 進藤の口からため息がこぼれ出た。

 そうでなくても、インターネットは情報がとにかく速く、広く伝播し、しかも歪曲していくことも多い。

 それが、元々そんなサイトで、そういう脚色の上で始められるのならば、どういう誹謗中傷になっていくかは想像に難くない。


 いや、それはもう進藤には想像できる範囲ではなかった。


「加えて、その裏サイトに希美ちゃんの携帯番号やらメールアドレスやらも載せたんです」


「あ?」


 進藤が眉をひそめた。そのままわずかに頭を持ち上げる。


「そうっすよ。実際イロイロなメールやら電話があったみたいっすよ? 中には、いくらで援助交際するのか、とかもあったみたいですねぇ」


 軽い口調に、やや憤りと呆れが混じった。

 それは、小暮なりに不快さを感じていることが分かるものだったが、進藤は自身の騒めきが大きくなるのを感じていた。


 なるほど、そういう脚色もされていたわけか。それにしても、陰湿というか狡猾というか、唖然とするほど効果的なやり方だ。


 人の心を追いつめて、蝕むための。


「んで、耐えきれなくなった希美ちゃんは校舎から飛び降りちゃったわけです。栞ちゃんも、友達を売った罪悪感にさいなまれていた上に、そんなシーンを目撃しちゃったもんだから、思い詰めた挙げ句に左腕を、ですね」


 ややトーンダウンしながら、小暮は話をまとめた。

 そして、残っていたコーヒーを飲み干して小暮はカップを潰し、手近なゴミ箱へと放り投げた。


 ゴミ箱の角に当たって、いびつになったカップが床を転がる。

 乾いた音が、意外と大きく響く。「おっと」という小暮の声と不釣り合いだと、進藤には思えた。


 騒めきは、苛立ちだったことに、進藤は気づいた。


 他人事、なんだな。


 小暮の反応が無神経ではないことは、進藤も理解している。

 しかし、それでも、今の話を滞りなく続けられる小暮を見ていると、苛つきが生まれてくるのを感じていた。


 進藤の奥底、その緩んだ隅から、友紀子の姿が漏れ出してくる。

 今の話と小暮の語り方で揺さぶられ、疲労も手伝って、抑制が効かない。

 普段なら即座に押し戻せるものが、上手く戻せなかった。


 自分の妻のことと今夜の少女たちのことが全く別の話であることは、もちろん理解している。それでも、一度こじれてしまった頭ではより分けが出来ない。


 楽しそうに切手を選ぶ横顔、スマホを見失って唇をかみ締める顔、季節はずれのセミの抜け殻を見つけて喜ぶ姿、夜中の散歩でつないだ手、千切れかかった左腕、休日に自分の二度寝に付き合って横になる姿、手術台上の全身多発骨折の少女、人工呼吸のときの冷たい唇。物言わぬ唇。最後の朝の、いつもどおりの、無言の笑顔。


 押し込めていた一番奥から、最も強く閉じ込めていたところから、何より目を背けていた声が、ゆらりと首をもたげる。


 ……どうして……。

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