片喰 雀ガ語ル。


 斎と出会ったのは1年くらい前だったか。


「あ、なんか、空しい……」

 俺は不意に思った。

 深夜の空の下には月の光すらなく、濁ったぬるい風が頬を撫でている。

 足元には死体。どす黒く変色した皮膚に、目や口や鼻から黒い体液が溢れた状態の見るからに明らかな死体が転がっている。

 雀はそんなどんよりとした場所で、思わず、ぽつりと呟いた。


 俺は呪殺士だ。人を呪い殺すのが仕事だ。

 人の命を商う仕事の報酬は悪くない。むしろ金は余るほどある。しかも商売敵は極めて少ない。

 そいつらと得物の奪い合いさえしなければ、俺が食うに困ることはない。

 獲物を奪い合ったとしても、多分、俺は生活には困らないだろう。そのくらいの実力はある。

 だから、刺激のない毎日、代わり映えの無い日々に飽きてしまった。

 人を殺すことを何とも思わない。罪悪感や高揚感もない。それ故に達成感も喜びもない。

(この先もこんな風に人だけ殺してぼんやり生きて行くのか)

 そう考えたら、たまらなく空しくなったのだった。

 そうは言っても、俺だって生きて行かなくてはならない。人間は生きて行くのにコストがかかる。

 殺すことしかできない俺は、これからも仕事である呪殺を止めることはできないだろうが、それでも、もう少し空しくない生き方を考えてもいいのではないだろうか?

 そこまで思いを巡らしていると、不意に人の気配がした。

「チッ……面倒な」

 先ほどまでの無常感から頭は切り替わり、俺は一気に機嫌を急降下させた。

 人を殺すと死体が残る。死体すらなくなるくらい徹底的にやることもできるが、人に依頼されて殺している以上、死体と言う証拠が発見されることも必要だった。

なので、俺は死体を置き去りにするのに便利な場所を選んで殺している。

 適度に放置して、殺された痕跡が消えても、それが誰かわかる程度の放置が可能な場所。

 そういう場所として、廃墟であったり、山の中であったり、人の来ないような廃村であったり――適度に人気のない場所を選んで殺しているのだが、どうも最近そういう場所にやたらと人の気配がする。

 今もそうだ。


 数人の男たちがビデオカメラや照明を手にこちらへやってくるのが廃墟ホテルの屋上から見えた。

 大学生くらいの男たちはなにやらワイワイと盛り上がりながら廃ビルの入り口までやってきた。

『さて、本日は過去に院長が惨殺されたと言う廃病院までやってきました』

 男の一人の声が響く。

 彼らは俺が屋上にいることなど微塵も気づかず、辺りの実況をしながら廃ビルの中へ入ってくるようだ。

 その様子を眺めていて、少し思案するようにことりと首を傾げた。

 このままだとこの廃ビルの中で彼らと鉢合わせてしまう。

 別に全員殺してしまうのが手っ取り早い。

 だが、何かが気になった。

(何をしているんだ?)

 こんな廃墟に深夜にやってきて、男たちは楽しそうに悲鳴を上げている。

 べらべらと何かを話しながら、廃墟の中を丁寧に探索しているようだ。

 俺は男たちが騒いでいるフロアのベランダまで降りると、気がつかれないようにそっと様子を窺った。

 中では男たちがかなり高輝度のライトを前に、何事か相談をしている。

 そして、タイミングよく一人を残して他の男たちが出て行った。


 部屋に一人残された男は三脚でたてたカメラを前に何かぶつぶつとつぶやいている。

 背後に俺がいることには気づいてもいない。

 俺はポケットから硬貨を取り出すと、それを親指ではじいて、まずはカメラをつぶした。

「ヒイッ!?」

 いきなり弾ける様にぶっ飛んだカメラに男は悲鳴を上げて飛びのいた。

 しかし、カメラが飛ぶと同時に一緒についていたライトも飛んでしまい、男の周囲は真っ暗になる。

「な、なんだっ! これっ――」

「黙れ」

 俺は素早く男を羽交い絞めにすると、耳元で短く命じた。

「何をしている? 答えろ」

「え、ええ、え……」

 男はパニックに陥っていて、悲鳴も上げられず、言葉も出ない。

 姿の見えない何者かに、いきなり羽交い絞めにされて動きが完全に封じられている。

 後ろに誰かがいるのはわかるが、首をひねってみることもできない。

 そのせいでパニックはひどくなり、男は何も言えずにじたばたと暴れようとするばかりだった。

「チッ」

 応えることのできない男の様子に俺はは苛立ち、舌打ちしてから、男の額を鷲掴みにする。

 指先に少し力を入れると、雀が欲しいものは手に入った。

「動画配信?」

 そう呟きながら手を離すと、男はどさっとその場に崩れ落ちた。

 男は放置して、俺は辺りを見回す。明後日の方向を照らすライトと傍に倒れたカメラが目に入った。

「ふぅん……」

 男たちは廃墟や心霊スポットと呼ばれる場所で肝試しの様子を収録し公開している動画配信者だったのだ。

 俺が倒れたカメラを拾おうと一歩踏み出した時、さっき出て行った他の男たちが戻ってくるような音が聞こえた。

「……」

 俺は黙ってそのカメラを踏みつけて破壊すると、男たちに見つからないように真っ暗なベランダへと出て、そのまま暗闇の中に姿を隠した。


 この時に出会った男が斎だった。

 だからと言って何かが起こる予感もなく、俺と斎の関係はこの時のすれ違いで終わると思っていた。

 しかし、その一か月ほど後に、俺は斎と再会した。


「……おーい、生きてるかぁ?」

 俺はズタボロになった人間らしきものに声をかけた。

 相当殴られたらしく顔は酷く腫れ上がり人相も分からない。

 明るめの茶髪らしい髪の毛はべったりと血で汚れ、右足があらぬ方向へ曲がり、両腕は間接以外の場所で折れ曲がっている。

(まだ生きてるようだが、もう持ちそうにないな)

 足元に転がるソレを見ながら、そんな風に他人ごとに思った。

 それなのにその人間のようなものは微かに唇を震わせ、細く微かに声を上げた。

「あ……」

―― 助けて!

 耳を劈くような大声が俺の頭の中に響き渡る。

―― 嫌だ! まだ死にたくない!

―― 助けて!

 ズタボロになったこの人間の魂の叫びか。

 油断していた。

「こいつ……」

 俺は頭の中一杯に響き渡る声を何とかしたくて、ズタボロの胸ぐらをつかんで引き上げた。

「あっ、ぁ……」

 腫れ上がった顔の亀裂のような唇から声が漏れたかと思ったら、ごぶっと黒いタールのようなものがあふれた。

「あ、ヤバ。しくじったか」

 死にかけなのだと思い出し、俺はつかんだ体をそっと元の地面に戻した。

 途端に頭の中に響く声が恐怖に震え始める。

 しかし、その声も意味の分からない叫びに変わり始めている。

 多分もうそんなに持たないだろう。

「このままだと死ぬなぁ」

 別に死んでも俺は何も損をしないが、少しだけ、ほんの少しだけもったいないと感じた。

 命というものは酷くもろい。命をつぶすのに俺は何の苦労もいらない。

 だが、命を生かすと言うのは中々に難しい。

 男女が番って繁殖する以外に命を作りすと言うのはとても難しいのだ。

 俺も幾度か挑戦して、今も「命もどき」を作っているが、どうしても肉体の発生までたどり着けない。

 ふと、この「命もどき」をこのズタボロの身体に入れたらどうなるだろうかと思った。

「死にたくない?」

 俺が問いかけると、このズタボロの身体は微かに肯いた。

「うーん……どうすっかな……」

 俺の作った「命もどき」とこの人間の命が融合することは、どんな結果を引き起こすか俺にはわからない。

 ただ、もう殆ど死にかけているこの人間を生かそうとしたら、色々と足りないのも確かだ。

 俺は自分が作った中でも一番の「命もどき」を使うことに決めた。

「そっか。じゃあ、もうちょっと生かしてやるわ」

 俺はズタボロの身体の上に跨り、その胸に両手を押し当て、自分の中に取り込んである中から一番輝きのある「命もどき」を呼び出した。

「天ツちからきこシ召セ、わが奏上ニうたもをス」

 ズタボロの身体の汚れを祓い、俺は「命もどき」を吹き込んだ。


 こうして助けたのが斎だった。


◇◆◇◇


 助けたのは良いが、斎と命もどきはなかなかうまく定着しなかった。

 元々俺が作った命もどきは何物にも属さぬ魂だけの存在に近く、むしろ獣に近いものだった。

 そんなものを継ぎ足された斎は、命の芯を形作るものが揺らぎ、ときどきおかしな姿になることがあった。


「ちょ、な、なんだよコレ!?」

 鏡を見てそう喚く斎の頭頂部にはピンと立った三角の耳がきれいに並んでいる。

「獣の耳だな、猫か、犬か」

「そんなの見りゃわかるでしょ! そうじゃなくて、なんで生えてんだこんなのが!!」

「そりゃ、俺が足した奴がはみ出してるんだな」

 俺がそう言うと、斎は今までにない位目を見開いて言った。

「なに、それ」

「お前が殺されかけた時に欠けたところを埋めるために足した」

「ちょ……」

 命もどきを足したことは言ったような気がしていたが、この様子を見るともしかすると言ってなかったかもしれない。

 俺は仕方なく、椅子に座り直すと、斎に向かいに座るように言った。

 斎は素直に俺の前に座る。

(これは犬か狼のような獣かもしれないな)

 そんなことを想いながら、斎に命もどきのことを話した。

「お前に継ぎ足したのは俺が作った命もどき。仮に式神と呼んでいる存在だ」

「式神? あの安倍晴明が自分の身の回りの世話とかさせてたやつ?」

「安倍晴明はどうだったのかは知らないが、俺の式神は身の回りの世話は出来ないな」

「じゃあ、何ができるの?」

「祟る」

「え!?」

「これ以上ない位、祟る」

「なんでぇ!?」

 斎が頭を抱えて蹲る。

「祟るって何だよ! 俺まで呪殺士コースなのかよ!?」

「いや、それは大丈夫だ、俺よりは弱い」

「……なんかムカつく」

「ムカついても、そう言うものだ。殺してはならない命を前にして、加減をしなくてはならない時にお前が俺の代わりに祟るくらいだ」

「……よくわからん……俺が前座でぶっ飛ばすってこと?」

「そうだな。俺がやったら殺してしまうようなとき、式神が先に立って戦う。そうすれば殺さずに済む」

「お前はどんだけ祟るんだよ……それに、殺さないって言っても俺も祟るんじゃん。呪詛男じゃん」

「それを言うなら呪詛犬か呪詛狼だな。お前の資質はどうもそう言うものに近そうだ」

「え?」

「そもそも、式神を俺は何かイメージがあって作っているわけじゃない。人間を作りたくて作っているんだが、どうしても肉体が発生しない。だから魂のようなものだけの存在となってしまうので式神にしているんだ」

「よくわからん……」

 斎は勢いよく自分の髪をかき乱し、ぼさっとした状態のまま俺をまっすぐに見た。

「だいたいさ、なんで人間なんか作ってんの? 女と結婚すりゃいいでしょ? 1人で作るって何か神様でも作ろうって言うの? ……あ。いやこの場合は処女じゃなくて童貞か……?」

 何を言ってるのかは最初からよくわからないが、語尾がだんだんと消えて行く。

「別にそんなに難しく考えるようなことじゃない。壊すものの構造を熟知することは重要だ。そのためには作り上げるのが一番わかりやすい。今、人間が作れていないってことは、俺はそこへは至れていないんだろう」

「何それ……シンプルに頭おかしくなりそう……こんなの生えてるし……」

 落ち込んで行く斎の声とは反対に、頭上の耳は機嫌よくピンと立ち、常に俺の方を窺っているのが良くわかる。

 式神とはそう言うものだ。

 創造主に絶対服従の僕。

 命を支えるために補助的に埋めてあるだけの存在が、どこまで斎に影響するかはわからないが悪いことにはならないだろう。

 その時、俺はそんな風に考えていた。

 少しばかり俺に懐いた何かが入っても、俺に尾を振る程度。

 だが、それもまた呪いであり、人の魂を汚してしまうことを、俺は後になって思い知らされたのだった。

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