呪殺士は動画配信者になりたい!?

貴津

序章

祝言 斎ガ語ル。

「他人の命は簡単に磨り潰すのに、自分の命は惜しいんだな」

 片喰かたばみ すずめは呆れた声で呟いた。

「それをお前が言う?」

 俺――祝言ことほぎ いわいはそう言いながら隣に立つ雀の顔を見上げた。

 真っ暗な廃墟の屋上で月明かりだけを背に立つ雀の顔は良く見えなかったが、この男がこんな声をしている時は無表情なんだろうなと思う程度には長い付き合いだ。

「俺はいつ殺されてもいい」

 すぐにそんなことを言う。

 雀は俺を地獄のようなこの世界に引きずり込んだ張本人だ。

 こいつだけが簡単に死んで一抜けするようなことは絶対に許さない。

「ふざけんなよ。誰が死なせるかっつーの」

「ははは……お前も真面目だね」

 背にかかるほどの黒髪の隙間から、やっと目がのぞく。雀の目は緩く笑っていた。

 俺たちはその後しばらく無言で廃墟の屋上で月を見ていた。

 足元の死体に転がっている死体のことはしばし忘れて――


◇◆◇◇


 雀と出会ったのは1年くらい前。

とある心霊スポットの廃墟でのことだった。

 俺は当時フリーの動画編集者で、その日は有名な心霊動画配信者の動画撮影の手伝いに来ていた時のことだ。


「はーい、了解。じゃあ、後ほど」

 俺は連絡を切ると、ため息交じりに辺りを見渡した。

 撮影予定の動画配信者たちが、渋滞に巻き込まれて到着が遅れると連絡が来たのだ。

 撮影予定の廃墟の前で、斎の移動手段である単車に跨ったまま、真っ暗な中にシルエットを浮かべている廃墟を見る。

(ここで時間つぶすか……どこかで移動して時間つぶすか……)

 最寄りのコンビニでもと思うが、来るときに寄った最後のコンビニはここから30分以上離れていた。

 かと言って、この真っ暗な廃墟の前でぼんやりとしているのも非生産的だ。

(どうするかな……)

 俺はこんな動画の撮影を手伝ってはいるが、心霊だの幽霊だのと言うものには否定的だった。

 今までたくさん撮影してきたが、一度だって幽霊に遭遇したことなんかない。

 だからこの暗闇の中にいるのは何も感じないのだが、心霊スポットで厄介なのは――

 そんなことを考えていると、遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。

 遅れている配信者たちが来たのかと思ったが、改造車と思わしき下品なマフラー音が響き始めると、俺は最悪な訪問者がやってきたことを悟った。

(クソッ、DQNかよ……)

 心霊スポットや廃墟で一番恐ろしいのは人間だ。

 廃墟にはホームレスが住み着いていたり、素行の悪い連中がたまり場にしていたりすることが良くある。

 そういう連中との遭遇は出来る限り避けたかった。

(こんな真っ暗闇でイキったDQNと遭遇するなんて御免だ)

 慌ててエンジンを切っていた単車のキーを回し、その場から立ち去ろうとしたのだが――3~4台分の車のヘッドライトがなだれ込んできて、俺は一歩間に合わなかった。


「……おーい、生きてるかぁ?」

 次に意識が戻った時、俺は場に似合わぬ暢気な声に呼びかけられていた。

 もう指先を動かすこともできずに、無理やり薄目を開けて声のする方を見た。

 真っ黒な影が斎を見下ろしている。

「あ……」

 その聞こえてきた暢気そうな声とは裏腹に、瞬間的にぞわりと背筋が震え、その影に本能的な恐怖を感じた。

 お迎えが来た。と思った。

 俺は自分が死ぬのだと実感した。

 廃墟に現れた不良たちにいわれのない暴力に打ちのめされて、満身創痍に陥っているのに、これ以上の恐怖はないだろうと思うのに、俺は更なる恐怖を感じていた。

 言葉で説明することのできないような、本能的な恐怖、命を失うことがこんなにも恐ろしいことだなんて思いもよらなかった。

 言葉を紡ごうとしても、もう唇を震わせる以上のことが出来ない。

 その場から這ってでも逃げ出したいのに、体を揺らすことすらできない。

 それでも、ここから逃げたくて必死だった。

 こんなに怯えているのに、恐怖の塊が暢気な声で斎に話しかけてくる。

「こいつ……」

 俺を覗き込んでいた男は、手を伸ばすと斎の胸ぐらをつかみ引き上げた。

「あっ、ぁ……」

 ぐらりと頭が揺れる。

 吐き気がこみ上げ、俺はこみあげてきたものをそのまま吐き出した。

「あ、ヤバ。しくじったか」

 男はそう言うと、今度は至極丁寧に、そっと俺を地面に横たえ、自分もしゃがみこんだ。

「このままだと死ぬなぁ」

 俺は男がつぶやいた言葉に無言でうなずいた。ほんのわずかに首をかしげただけだが、男には伝わったようだ。

「死にたくない?」

 もう一度、うなずく。

「うーん……どうすっかな……」

 影は躊躇っているようだ。

 見逃してほしい。俺はまだ生きていたかった。

 生きる理由なんかないけど、生きたいと強く思った。

 こんなことで死ぬなんて、絶対に嫌だ。


「そっか。じゃあ、もうちょっと生かしてやるわ」


 暗くなる視界、遠くなる意識の中、そんな言葉が聞こえてきた。

 その声、影こそが雀だったのだ。


「ひぃっ! ……ゆ、夢っ!?」

 雀はどんな魔法を使ったのか、次に俺が目覚めると自分の部屋のベッドの上だった。

 何が何だかわからず、慌てて飛び起きると、部屋の中には夢ではない証拠が横たわっている。

「……現実」

 自分の部屋のソファには廃墟に居た黒い影、黒い長髪で黒づくめの男――雀が安らかな寝息を立てて眠っていた。

「なんだ、これ……」

 ベッドから起き上がると、その気配に気づいてかソファに寝そべる雀が目を覚ました。

「ん? ああ、意識が戻ったか」

 雀は俺の顔を一瞥しただけで、何事もなかったかのようにそう言うと大きく伸びをした。

「酒が飲みたいな……なぁ、ここに酒はないの?」

「酒ぇ? そんなもんないよ……ってか、あんた誰? なんでここにいんの?」

 俺と面識はないはずだ。

「薄情だなぁ、助けてやったのに」

 その言葉にそわりと背筋が寒気立つ。

「お前は馬鹿どもに半殺しにされて廃墟に捨てられてた。それを拾ったのは俺だぞ?」

「それは……」

「拾って、傷を治して、死にかけてた魂を呼び戻した。少し欠けてたんで、俺のとっておきを継ぎ足してやるほどの大サービスまでして」

 雀はふらりと立ち上がると斎を見下ろす。平均的な斎より頭一つ分大きい。

 やたらと白い雀の指先が斎の顎をとらえ仰向かせる。

 俺を覗き込む琥珀色の瞳が、眇められると強く朱みを帯びた気がした。

「お前は俺のものだ。それが嫌なら、命と魂を返せ」

「なっ」

 横暴な言葉に反論しようと開きかけた唇は、雀のそれによってふさがれた。

「ん……」

 舌を絡められる水音が頭の中にこもるように響く。

(なんでっ……)

 訳が分からない。なんでこんなことになっているのか。

 口の中をまさぐられ、すべての呼吸を飲み取られてしまい、意識が朦朧としてくる。

そして、そんな時間がどのくらい続いたのか、呼吸の限界が来る寸前にやっと斎は解放された。

「な、なんなんだよぉ……」

「ん。酒の代わりには少し足りないが、これも悪くないな」

 雀はしれっとそう言うと、食べ残しを拭うようにぺろりと唇を舐めた。

「まぁ、そういうわけなんで、お前、これから俺のために尽くせ。わかったな?」

「は……?」

 ずけずけと決められて、それに反論しようとしたが、雀の言葉で封じられた。

「死にたくないんだろ?」

 黒髪の美丈夫な死神が、飛び切りの笑顔で笑って言った。

(あ、この人、すげぇ美人だ……)

 俺はこれを最後に、面倒なことを考えるのをやめてしまった。


◇◆◇◇


「俺は動画配信者になる」

 突然だが、雀は綺麗な顔とは裏腹に中身はポンコツ奇天烈だ。

 そんな雀が突拍子もないことを言い出すのもよくあることだ。

 よくある事なんだが――

「は? 何それ、どーゆーアレ?」

「お前、動画編集者なんだろ? それなら俺もやるから手伝え」

「手伝えって……そりゃ仕事ならやるけど、雀、何やんの?」

「たくさんの人間の目に触れたい」

「はぁ……」

 まぁ、会話しててもこんな感じだ。

「言うのは簡単ですけど、そんな簡単に大勢の目に触れる動画なんて作れたらクローしない……」

 と、心なしジト目で言い返してみたが、そんなものが通じるような雀ではない。

「俺は何をしたらいい? 誰か呪おうか?」

「そんなの公開したら即BANだよ」

 雀は自称呪術士だ。人を呪うことを生業にしているのだと言う。

 俺はその現場を見たことはないが、俺はその言葉に逆らわないようにしている。

 あの日、廃墟で見た死神のような影。アレを思い出せば自然とそんな気は失せる。

 それに実際に俺は雀の得体の知れない何かに助けられている。

 雀に助けられなければ俺はあの廃墟で死んでいたのは確かだ。

「うーん……呪うのができるなら、除霊とかできる?」

「できないな」

「できないのかよ。呪う一辺倒か!」

「いや、居もしないものを追い払うのはさすがに俺でも無理だ」

「……ん? いない?」

「お前は霊だのお化けだのを信じているのか?」

「え? いないの?」

 呪術なんてものがあるんだから、霊やお化けだっているんじゃないのか?

「俺は見たことがない」

「でも祟られたりするじゃん」

「それは俺たちが呪ってるからだろ」

「あ……」

 確かに。

「除霊動画とかウケそうなんだけどなぁ」

「怖い話とかどうだ?」

「怖い話? 霊もいないのに怖い話なんてネタがあるのか?」

 雀はにやりと笑うとこんな話を始めた。


「動画配信サイトに〇〇まとめってシリーズが良くあるだろ?」

 無料の素材を使用して、巨大掲示板に投稿された話を拾い集めて動画にしたやつだ。

 こんなもの何が面白いのかと俺としては思うのだが、そこそこ人気のジャンルであるらしく定期的に動画は上がり続けている。

「嘘松っぽい話も多いがな」

 俺がそう返すと、雀はそんな俺を鼻で笑う。

「嘘でもいいのさ。ああいう勧善懲悪のような物語は人間が快感に思うものだ。悪いことをしたやつがひどい目に合う。大好きだろ?」

「俺はああいう嘘くさい話は好きじゃない」

「お前はそうだろうな。だから俺が助けたんだから」

「?」

「まぁ、その話は良い。そのまとめを作っている連中の話だ」

 訝しい顔をしているだろう俺のことは無視して雀は話を続けた。

「悪人が倒されるのは気持ちいい。パンを万引きした人が食中毒になったり、ピアスを盗んだ人がそのピアスで耳がちぎれたり……目には目をの話は快楽だ。しかし、その快楽にはすぐに慣れてしまう。そうなるともっと過激なものが欲しくなる。だんだん話は過激になり、バイクを盗んだ男が事故にあい体を半分大根おろしの様に摩りおろされて死ぬ」

 胸糞悪い話だが、架空の話であるとリスナーもなんとなくわかっている。だから、よりひどく、より残酷に、倒される悪を求める。

 処罰感情の高まりは際限なく、野菜泥棒が野菜についていた謎のバクテリアに脳を食われて幼い子供を含む家族全員がおぞましく死ぬ程度では満足ができない。

 そんな欲望に応えるために、配信者は架空とはいえ人を殺し続け、死に方が理不尽なら理不尽なほど人気となって行った。

「それでも、リスナーたちは物足りないと感じ始めた」

 もっと理不尽な死を! もっと過激な死を!


「そんな声が――俺に届いた」


 それは、フィクションの快楽が、本当の死に届いたと言う事か。

「フィクションのスプラッタフィルムを楽しんでいただけで、自分がみじめで残酷な死に方をする。……最高に理不尽だろ?」

「お前……」

「俺はそれが仕事だ。最高に理不尽な思いをさせてやれる」

 雀はふっと真顔になると、少しの間、俺をじっと見つめて、目をそらした。

「俺はまず配信者から殺した。そして、その配信者の末路を掲示板に投稿した。掲示板は盛り上がり、その投稿は沢山の動画になり――その動画を見て喜んだリスナーを片っ端から……」

「もういい!」

 それ以上聞きたくなかった。


 雀が人の命を奪うのは知っている。そのことを生業としていることも。

 でも、そんな風に理不尽の輪の中に組み込まれてしまうのは――

「あまり怖くなかったか」

「怖いよ! つか、そんな話……動画にしたら俺も理不尽の輪の中に入るじゃないか!」

「おお……そうか!」

 今初めて気がついたと言う風に、雀は俺を見て目を見開いた。

「気がついてなかったんかい!」

 俺は少しふざけた感じで雀に突っ込んだ。

 笑ってごまかしたいと咄嗟に思ったのだ。

 しかし、そんな気持ちも雀は察しはしない。

 いや、察していても、言葉にしたかったのかもしれない。

「こんな呪いの輪の中にいるのは俺だけで十分だ」

 雀は僅かに目を伏せ、少し低い声で呟いた。

 俺は雀にそんな顔をさせたくない。

「……そんな仕事辞めちゃえよ。俺と動画配信者になるんだろ?」

 雀は苦笑する。

「なんか良さげなネタ探そうぜ?」

 呪詛だとか呪殺だとか、そんな物騒な話じゃなく。

「そうだな……」

「そうだよ」

 そんなの終わらせなきゃダメだろ。

「カップルチャンネルでもやるか」


「ヤだよ!」


 どうにもこの男とは何かが合わない。

 しかし、この言葉が本当になるのはそう遠くないのだった。

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